革命対談
インタビュー

上田 「会社を辞めた瞬間が“革命”の瞬間なのでしょうか」

大橋 「そう言えるかも知れないですね。でも4月1日からいきなりプータロー…(笑)」

上田 「エンジニアの後のお話を聞かせていただけますか?」
大橋 「エンジニア時代の生活は、毎日朝9時に出社して、夜は1時とか2時くらいまで。そういう生活をしていたら背中を痛めてしまって、午前中に鍼灸に通って午後から出社する、みたいな毎日になったんです。

それまでは目の前のことに手一杯だったんですけど、鍼を打たれている間ってうつぶせになって何もすることができないじゃないですか。その時に、自分が日本語教師になりたかったことや、その途中でコンピュータに興味を持ってエンジニアになったことを思い返して、その過程で“そうそう、文章を書きたかったんだよな”という学生時代からの希望も思い出しました。

それで、ちょうど関わっていたプロジェクトも終わるところだったし3月末で会社を辞めようと」
上田 「もうそこで“辞めよう”にいっちゃったんですね。その決心をして、実際辞めた瞬間が“革命”の瞬間なのでしょうか」
大橋 「そう言えるかも知れないですね。でも4月1日からいきなりプータロー…(笑)」
上田 「なかなかできないですよね(笑)」
大橋 「今考えると懐かしいですけどね。辞めた後ですが、人脈もないし、いきなり本を書くわけにもいきません。そこで“コンピュータの知識を使って文章書ける仕事って何かな?”と考えた時に、コンピュータシステムのマニュアルを作る仕事に行き着いたんです」
上田 「マニュアル!」
大橋 「そう、エンジニアってプログラムを書くのは楽しいけど、仕様書を作るのは苦手、という人が多いんですが、僕は論理的な文章を書くのが好きだったので、マニュアルを作る仕事だったら楽しいんじゃないかと思って、すぐ派遣会社に電話して、そういう仕事があるか聞いたらちょうどあって、そこにスポッとはまった、と」
上田 「運命的ですね。今だとテクニカルライター、ITライターはたくさんいますけど、当時はあまりいなかったですもんね」
大橋 「いたことはいたんですよ。そういうライターを束ねている組織があって、マニュアルを作りたい会社はそこにいくとフリーのライターを紹介してもらえるシステムでしたね。ただ、僕はその存在を知らなかったので、派遣会社に電話した。考えすぎると行動できないと思ったので、まず浮かんだ選択肢を選んだのがよかったのかもしれません」
上田 「それはすごく大事なことですね。マニュアルの会社に入ってからはどんな風に変わっていかれましたか?」
大橋 「それからはですね、これも運命的というか。マニュアルの会社と並行して“ライターになる方法”というようなセミナーに参加した時に知り合った方が“編集プロダクションの社長を知ってるから紹介してあげるよ”と言ってくれたんです。

会いにいくと、ちょうど出版の企画があって“ライターは決まっているが病気しているので、共著と言う形で書いてくれたらうれしい”ということを言われまして。今思い返すと作り話のようですね」
上田 「まるで呼ばれているかのごとく。そういうのを運命というんでしょうね」
大橋 「ええ、ただ行動しないから見つからないだけで、やれば道はあると思うんですよ」
上田 「わかります。でも多くの方がその“やってみよう”まで行かないですよね」
大橋 「そう、まさに上田さんの本に書かれていたようにやってみることが大事なんだと思いますね」
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