革命対談
インタビュー

湯本 「高校1年から準備をして予備校に行って、みたいなメンバーの中で、僕は高3の夏までずっとスポーツしかやっていなくて、そこから予備校に行きましたから本当にビハインドがあったなと思いますね」

上田 「半年…でもそれで受かるわけですよね?」

上田 「よくアスリートの方だと、アスリート一本に集中して一点突破する方が多いわけで、そんな中、なぜ湯本さんは医師だったわけですか?」
湯本 「自分の人生を考えた時に、もちろんいつまでもアスリートでいたいという思いはもちろんありましたけど、一方で自分の人生の幅が決まってしまって面白くないなと、いうのもあったんです。

あとは現実的な問題として、マウンテンバイクというのはマイナースポーツで、野球選手やゴルファーみたいに、それだけやっていれば一生生活できるだけのお金を稼げる、ということにはならない、というのもありました」
上田 「これが野球選手だったりサッカー選手だったら話が変わっていた可能性がある、と」
湯本 「それは正直、あると思いますね(笑)」
上田 「(笑)」
湯本 「あると思いますけども、僕は性格的に欲張りですし、色々なことに興味があるし、何より自分を常に高める環境に身を置いていたいという気持ちが強いので、“たら・れば”の話ではありますが、色々なことにチャレンジはしていたかなと思いますね」
上田 「桑田さん(真澄・元プロ野球選手)も引退してからスポーツ医学の方に行きましたけども、一流になればなるほど、一つのジャンルだけではなく複数同時に学ぶことで、より自分を高めていくという思考になるのかもしれないですね」
湯本 「そうですね、はい」
上田 「実際医者になろうと思った時に、ほとんど勉強をしていない状態だったわけですよね、でも医学部の試験ってムチャクチャ難しいじゃないですか」
湯本 「試験が難しいというより倍率が高いのが難しいですよね」
上田 「僕にも医師の友達がいますけども、みんな凄まじい量の勉強をしているんですよね」
湯本 「確かに(笑)僕の学校も周りを見渡すと結構医学部に進む人が多かったです。それこそ高校1年から準備をして予備校に行って、みたいなメンバーの中で、僕は高3の夏までずっとスポーツしかやっていなくて、そこから予備校に行きましたから本当にビハインドがあったなと思いますね」
上田 「半年…でもそれで受かるわけですよね?」
湯本 「まあ、それはラッキーもあるんですけど」
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