亜紀書房ZERO事業部の電子書籍レーベル「クラウドBOOK」の新シリーズ「サイエンスエレメンツ」が10月31日にリリースされた。このシリーズは、サイエンスをテーマとするコンテンツのほか、「考える」「料理する」「議論する」「天気を見る」といった日常的な行為について、従来とは違う切り口から検証、再構築していくコンテンツをそろえる。
 「サイエンスエレメンツ」シリーズは、NTTプライム・スクウェアのコンテンツモール「Fan+(ファンプラス)」に同名のショップを出店し、そこで配信するかたちをとっている。

 コンテンツは動画・テキスト・図表のパッケージで構成され、クラウド上に保管されたデータを、ユーザーはPCやアンドロイド搭載端末を使って視聴するというスタイルだ。

 この新しい試みはどのように生まれ、育っていったのか。
 「サイエンスエレメンツ」編集長の松戸さち子さんにお話を聞いた。

―まず、10月31日にFan+にオープンするショップ「サイエンスエレメンツ」について、出店の経緯を教えていただけますか?

松戸「亜紀書房ZERO事業部では、Fan+(ファンプラス)オープン時から『談志市場』というショップを出店していますが、『談志市場』とともに、当初から“サイエンス”をテーマに出店したいと考えていました。幸い『談志市場』が好評だったため、第二の店舗として『サイエンスエレメンツ』を企画しました。

 紙の二次利用、あるいは紙の延長としての“電子書籍”にはあまり興味がなかったのですが、Fan+(ファンプラス)のサービスはクラウドであること、マルチデバイスでハイブリッドで、動画とテキストを一つのパッケージ内で完結できることが新しく、ぜひこのプラットフォームを舞台に、紙だけでは表現できない“著者の才能”を発信してみたいと考えました。実際、『サイエンスエレメンツ』や『談志市場』で販売する『クラウドBOOK』は、一般的な電子書籍とは違い、紙の二次利用ではなく、クラウドでマルチデバイスでハイブリッドであるこのプラットフォームの仕様に合わせて制作していて、すべてがオリジナルです」

―「サイエンスエレメンツ」の一番の強みもそのあたりにあるのでしょうか?

松戸「そうですね。紙の本で表現できなくて、テレビでも見ることができなくて、ウェブの無料コンテンツにもないもの、お金を払う価値があるものを作りました。また、紙の本の著者にもなれるような引き出しをいくつも持っている方に出演していただいています。ですから、『クラウドBOOK』から紙の本が生まれることもあるでしょう。
 あとは、コンテンツ自体が映像とテキストのパッケージであり、必要に応じて、外部サイトのテキストや動画、静止画などに自由にリンクで飛ばせるという点も強みですね」

―このコンテンツはどのような人に向けたものなのでしょうか。

松戸「情報通信リテラシーの高い20~40代のビジネスパーソンや学生、クリエーターがターゲットです。科学が好きな方だけでなく、知的好奇心が旺盛で、何でも知りたくて、そして“自分で考える”ことの重要性を認識している方たちが楽しめる内容です」

―「サイエンスエレメンツ」は動画とテキスト、図表のパッケージであり、必要であれば外部サイトに接続することもできるという、これまでになかったスタイルを持ちます。従来の電子書籍とは全く別物と考えるべきなのでしょうが、このアイデアは松戸さんが考えられたのでしょうか。

松戸「出版界は不況だと長く言われ続けていますが、たった1冊の中に、読者の人生をも変える力を秘めているのが本の価値です。その、“本”というパッケージの概念や価値を使ってやれることはまだまだあるんじゃないかとは思っていました。

そこへ、まだ準備中だったFan+(ファンプラス)の情報が知人から入ってきたんです。最初は電子書籍の亜流だと思って興味がなかったんですけど、話を聞いてみたらオリジナル性が強く、アーカイブできるクラウドサービスだということがわかってきました。

 私は若い頃からデジタルが好きで、紙ではないことをやりたいと思っていたんですけど、それは電子書籍ではありませんでした。ただ、“本”ではありたかったんです。雑誌でも新聞でもない“本”です。紙の本の形はしていなくても“本”です。それがこのプラットフォームでは実現できるかもしれないと思いました。

『談志市場』をスタートさせたときは、“Fan+というプラットフォームが成功するかどうかわからないし、少し様子を見た方がいいんじゃないの?”という意見が少なくなかったんですが、私はそんなことよりも、著者の才能を新しい形で発信できる可能性や、アーカイブとして10年後、20年後に残せるサービスであることを重視しました」

―このような新しい形態のコンテンツを企画する際、たとえば出演者、あるいは著者の方々に趣旨を説明するのが大変ではなかったですか?

松戸「大変でしたよ。最初は理解されませんでしたけど、そこはこれまでに培ってきた編集者と著者のダイレクトな信頼関係が助けになりました。
 出演者である談志師匠や志らく師匠、細谷功さん、お天気キャスターの森田正光さんや近藤誠ドクターとは「著者と編集者」の関係です。こういう面でも、“本”なのです。著者と編集者という独特の信頼関係で仕事をする基本が『クラウドBOOK』でもそのまま踏襲されています。あとは、すでに『談志市場』を立ち上げていたので、その実績で話ができたことも大きかったと思います」

―全くの新しいコンテンツでありながら出版社としての機能は生きている。

松戸「そうです。でも、あまり出版社であることを強調したくないんです。
現在の“出版社”は、紙媒体を扱っていて、その紙が不況になって電子書籍に手を出したものの全く利益を生まない、というイメージがあるように思います。出版社がデジタルコンテンツをやろうとすると、そういう道筋しかないと思われがちなので、出版業界とか出版社ということではなく、“著者と編集者の関係”の機能が生きている、といったほうがいいかもしれません」

―出演者の選定はどのように行われたのでしょうか。その基準などもお聞きしたいです。

松戸「それは、『サイエンスエレメンツ』の“サイエンス”とは何か、という定義に関係してきます。
私がこれまで編集者としてどんな方に執筆をお願いしてきたかというと、 “サイエンス”な方たちです。そこに共通点があります。

 どういうことかというと、エビデンスに基づいたオリジナルの考え方を持っていて、前例や常識、権威に疑問を抱き、常に新しいことをやろうとしている方たちです。それが、『サイエンスエレメンツ』でいうところの“サイエンス”なんです。それと、本を出すなら著者は腹をくくらなければなりません。それができていないと、読者には関係のないことに配慮してしまって、その結果、中途半端な原稿ができあがります。でも、私がお願いしたいのは、本を書くにあたって腹をくくっている著者。なぜ腹をくくれるかというと、書こうとしていることにエビデンスがあって、クレームや批判にも反論できる準備ができているからです。

 もともと、本の著者として魅力のある方々が『サイエンスエレメンツ』というシリーズにぴったりだったというふうに、自分では理解しています」

―そういった著者の選び方もあってか、情報としての価値の高さが際立っているように感じました。

松戸「お金を出して買っていただかないといけませんからね。ウェブは無料っていうのが当たり前のようになっているので、それとは違うんだ、ということをいかに打ち出していくかが、多くのみなさんに届けるためには必要だと思っています。

 著者(出演者)やコンテンツのファンになっていただき、著者の才能や創作物を、そのファンたちがお金を出しあって支え、次世代に残そうとするような、そんなふうにもっていけたら最高です。せっかくのクラウドですから、アーカイブにしていかないと。
無料の垂れ流し情報だと誰も責任を持とうとしないし、だれも支えようとしません。それは、編集者が入っていくような世界ではないと、個人的には思っています」

―今おっしゃっていた「クラウド」ということについてですが、「クラウド」の持つ特性をどのように利用しようと考えていますか?

松戸「アーカイブ、つまり将来に残すことができるという以外に、あとはセグメントですね。
 ウェブはまさに情報の洪水で、大震災の時もそうでしたけど、誤った情報がものすごい勢いでツイッターなどから発信されていきますよね。そうした無秩序な世界も必要ですが、無秩序であるということをみんなが認識するために、セグメントされた情報を集める別の世界も必要だと思うんです。これまで、マスメディアがその役割を担ってきたのですが、「実用的ではない情報」「スポンサーのつかない情報」は、不景気も手伝って、あまり発信されなくなっています。その点、蓄積と検証が可能なクラウドでは、そこに行けば、セグメントされてまとまった情報がある、というアピールができます。

 アーカイブに関しては、たとえば原発の情報にしても、そのときどきの情報を蓄積していけば、あとになって、当時はこういう議論があったのか、ということで資料性が出てくるはずです。

 蓄積されるということを前提に考えると、扱うテーマも今が旬のものではなく、何年か後に見ても陳腐化しないテーマにする必要があります。『サイエンスエレメンツ』で創刊するシリーズも、全て陳腐化しないもの、かつ後の時代まで残しておきたいと編集者が思うテーマになっています」

―最後に『サイエンスエレメンツ』の読者の方々にメッセージをお願いします

松戸「読者の方々に買っていただくことで、どんどん面白い『クラウドBOOK』ができていきます。情報には、無料で得られるもの以外に、お金を払ってでも欲しいものがあるということを体感していただきたいですね」
(取材・記事/山田洋介)