出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第55回目となる今回は、1月22日に新刊『
手のひらの音符』(新潮社/刊)を上梓した、小説家の藤岡陽子さんです。
この作品は、バブル期から現在までを仕事に生きてきた女性が、キャリアの転換点となるある出来事をきっかけに幼少時からの人生を振り返る半生記であり、一組の男女のとても不器用で切ない(校閲者が何度も泣きそうになってしまったとか…)恋の物語でもあります。
この感動長編がどのようにできあがったのか、また作家になろうと思ったきっかけや少し風変わりなプロフィールまで藤岡さんにたっぷりと語っていただきました!
■ 「一人の女性の“うねり”のある半生記」が出発点
―『手のひらの音符』についてお話をうかがえればと思います。この作品では、一人の女性のキャリアの大きな転換点が描かれていると同時に、主人公の半生記でもあり、恋愛小説としても読めます。このように様々な読み方ができる作品となっていますが、藤岡さんとしてはどんな作品にしたいと思ってこの小説を書かれたのでしょうか。
藤岡: 最初に編集者の武政さんから今回の作品のお話をいただいた時に言われたのが、「一人の女性の“うねり”のある半生記」を書いてみませんか?ということでした。その女性は、バブルの時期にちょうど大人になりかけていたくらいの世代で、バブルを経験している、そういう女性の“うねり”のある半生――それがこの作品の出発点でした。
そして半生記ですから、子どもの頃から大人になるまでの様々な時期のエピソードを入れて、今は40代になっているその女性がどんなふうに昔を振り返ったり未来を想像したりしながら生きているのか、ということを書こうと思っていました。
―作中では、当時の日本が隅々までバブルに沸き、そしてバブル崩壊と共にどん底に落ちていく様子が市井の人々のレベルで書かれています。それまで景気のよかった人の生活がある時を境に変わってしまう描写はとても生々しく残酷な印象を持ちました。藤岡さんも主人公と同世代ですが、当時の様子はどのようなものだったのでしょうか。
藤岡: バブルというものが何なのか、当時はわかりませんでした。私には3歳上の姉がいるんですけど、彼女が就職した時期は好景気で、苦労せずに内定が4個も5個も取れる、会社側から「うちに来てくれ」と請われるような状況でした。
それが、私のひとつ上の学年が就職をする年にバブルがはじけて、突然、企業が立ち行かなくなったり就職難になったりと、世の中の状況が一変したわけですから衝撃でした。「バブルがはじける」という言い方だって、後からそういう呼び方をするようになったわけで、当時は何が起こっているのかも、それが一時的なことなのかどうかもわからない、そういう時代でしたね。
―これだけの長編となると「これだけは書きたい!」というような、表現の核になるものがないと、書き上げることは難しいのではないかと思ったのですが、藤岡さんの中にそういったものはありましたか?
藤岡: 今がいい状況であっても、そうでなくても、どんな時でも諦めないで少しずつでも前に進み続けることの大切さでしょうか。それは、長い時間をかけることの大切さといってもいいかもしれません。
私は26歳の時に作家になりたいと思ったのですが、デビューできたのは36歳の時でしたから、10年間小説家になりたいと思いながら過ごしてきました。それもあって、今自分が負けていたとしても、全然ダメな自分であったとしても、そこで諦めずに時間をかけて前に進もうという気持ちを登場人物全員に注ぎました。
―小説を書き始めた当初、デビューまでそれほど時間がかかるというのは想定されていましたか?
藤岡: まったく考えていませんでした(笑)。
小説家になるためには試験があるわけではなく、とにかく新人賞に応募するしかないんです。でも、賞によっては1000通近い応募がありますから、その中から自分の作品が選ばれて小説家になれるという確信はなかったですし、逆になれないかどうかもわからない。とにかくやってみないことには扉は開かないという、ただそれだけでした。
―主人公の年齢や物語の舞台などを見るに、藤岡さんの実体験も作中に反映されているように思えたのですが、そのあたりはいかがでしょうか。
藤岡: 私の実体験というより、友人から聞いた話が反映されている部分があります。
この本の主人公は服飾の仕事をしているのですが、仲のいい友人の実家が会社を経営していて、そのうちの服飾部門から撤退したり倒産したりという話を聞いていたんです。それがこの作品で服飾の世界を舞台にした原点です。
その友人の話を聞いて、日本の製造業がどんどん衰退して行っているということを取材させてもらったので、実体験ではなくても今まさに起こっていることだとはいえると思います。
―作中、心を動かされずにはいられないすばらしい場面がたくさんありました。個人的には、大人たちに取り囲まれた主人公の幼なじみの信也がカメムシを食べる場面と、病気で衰弱した、主人公の高校時代の担任だった遠子が主人公の水樹に信也へのメッセージを託す場面、そして水樹と信也が再会する場面が強く心に残っています。藤岡さんが特に気に入っている場面はありますか?
藤岡: 今、挙げていただいたところは私も好きで、一生懸命書いた場面です。あとは、主人公の水樹が、家族にある出来事が起きてふさぎ込んでいる信也にシューズバッグを作ってあげてプレゼントする場面も思い入れがあります。
私くらいの年齢になると、昔片思いをして夢中になった男子よりも、自分のことをずっと好きだと思ってくれた人のことを思い出すことが多いんです。もちろんそんな人は一人か二人なんですけど、そういう人たちの優しさがあったから学校に楽しく行けていたのかな、ということを考えたりします。最近よく同窓会があるからなんですけど(笑)。
今挙げた場面にしても、後から振り返ると、プレゼントした側の水樹にとってはそれほどの出来事ではないんです。でも、もらった側の信也の方はずっと記憶していた。優しさって与えた人より受け取った人のほうがずっと強く記憶に残る。そういうことも書きたかったことのひとつです。
■ 誰もが強くは生きられない
―人間を観るまなざしの優しさが作品の大きな魅力になっていると思います。執筆時の「視線の高さ」について意識されていることはありますか?
藤岡: 私自身は優しい人間ではなくて、むしろ厳しいと言われることの方が多いです。
ただ、今作家をやりながら看護師として働いてもいるので、弱った人といいますか、しんどいと思っている人が周りに常にいる環境だということと無関係ではないのかもしれません。
この本の中にも、障がいや病気を持つ人が出てくるのですが、一生懸命それらを克服しようとしている人が日常的にたくさんいるというのが私が今生きている世界なんです。そこで、誰もが強くは生きられないということを日々見ていることが、おっしゃったような「視線の優しさ」につながっているのかもしれません。
―書いていて難しさを感じた箇所がありましたら教えていただければと思います。
藤岡: 最初にお話しましたが、「“うねり”のある半生記」ということだったので、いつもはプロットを立てるのですが、今回はそうせずに書き始めました。その方が“うねり”が出るのではないかと思って。
―そうなんですか?すごく綿密に計画したうえで書かれている印象を受けました。
藤岡: 「そう言って頂けて嬉しいですが、執筆は予想以上に苦労しました。最初に書き上げたものは自分の中で書きたいことのバランスがとれず、チグハグな感じになってしまったので、構成を組み直したりしたんですけど、その作業が難しかったです。
あとは主人公の子ども時代の話が多いので、全体としてどうバランスを取るかというのも今までにはない難しさだったと思います。
―プロットなしで書き始めると、執筆にすごく時間がかかってしまいそうですね。
藤岡: 書くのは半年くらいで書いたんですけど、そこから編集者さんとやり取りをして直していくのに一年弱かかりました。
もう一回いちから考え直しますということもありましたし、もっと読者の方がおもしろく読んでくれるように直したいとわがままを言ったり、構成をもう一度考えたりということをやっていたら時間がかかってしまいました。苦戦しましたね。
―小説を書くうえで影響を受けた作家がいましたら教えていただければと思います。
藤岡: 宮本輝さんの影響はあると思います。奇をてらわず、普通の人の普通の生活や、普通の人が今ある環境の中でがんばって生きていく姿を書かれているところがすごく好きなんです。
高校時代から、宮本さんの小説に出てくる言葉にしたがって自分の進む道を決めたりもしていたくらいなので、人生全体に影響を受けていますね(笑) 。
■ 新聞記者を辞めて、単身タンザニアへ
―藤岡さんご本人についてもお話を伺えればと思いますが、ちょっと変わったプロフィールをお持ちですよね。最初に就いた仕事がスポーツ新聞の記者だということですが、どんなことをされていたのでしょうか。
藤岡: 「一般スポーツ」といって、プロ野球以外のスポーツ全般を扱う部署にいました。長く担当していたのはゴルフなんですけど、ちょっと合わなかった……(笑)。他には高校・大学野球など、アマチュア野球の取材もしました。プロ野球は担当の先輩の代わりに取材に行ったことはありましたが、やはりずっと張りついていないといけない部署なので、女性は少なかった気がします。
―そして目をひくのが「タンザニア留学」です。どんなことを勉強されていたんですか?
藤岡: ダルエスサラーム大学のスワヒリ語科に入ったんですけど、留学生は留学生のクラスがあって、そこでひたすらスワヒリ語の勉強をしていました。
―どうしてスワヒリ語を?
藤岡: すごく興味があったわけではなく、留学生の入れる科が決まっていたので。それに、語学を覚えてしまえば大使館で採用してもらえたりと、就職の可能性は広がるのかなという想いもありました。
でも、卒業までいたわけではないんです。日本人ではそれまで一人だけ卒業できた人がいたみたいですが、卒業までに6年かかったっていうのを聞いて、それはさすがに無理やろと思って途中で辞めてしまったんです。
―帰国した後は大阪文学学校に行かれたわけですね。
藤岡: そうです。帰ってきて、さあ本格的に小説を書きたいと思いまして。そもそも、小説家になろうと思って新聞社を退社したのですが、何を書こうかと考えた時に、もっと広い世界を見た方がいいだろうということでタンザニアに行ったんです。それと同時に、とにかく一人になって自分の人生をもう一度考え直さないといけないという気持ちもありました。若いですよね、就職難の時期にようやく入れた会社だったのに(笑)。
―会社を辞めてまで小説家になりたかった理由はどんなことだったんですか?
藤岡: 結局、スポーツ新聞の仕事がものすごく好きになれなかったということだと思います。全身全霊を注いでやりたい仕事とは言いきれなかった。白か黒かしかない、灰色が許せない性格だったので、「ちょっとこれ違うな」と思いながら続けることができなかったんです。
新聞記者になるくらいですから、文章を書くことはもともと好きでした。ただ小説を書くには自分の引き出しが少ないということも自覚していて、引き出しを増やすことはもちろん、もっと強い人間になりたいという気持ちもつよくあって留学を決めたのだと思います。
おそらく、当時はあまり自分のことが好きではなくて、「変わりたい」と願っていたんでしょう。その方法がタンザニアだった(笑)。
―タンザニアに行って、変わることはできましたか?
藤岡: すごく変わったと思います。事故があっても救急車が来なくて、ケガをした人がそのまま亡くなってしまった場面に居合わせたこともありました。タンザニアは「死」がすごく近くにあるところです。それまでは日々をいい加減に過ごしていたところがあったんですけど、タンザニアで生活したことで、生きることに貪欲になったように感じています。
―また、先ほどお話にも出たように現在は作家業の傍ら看護師さんもされているということですが、どちらも心身共に疲れる大変なお仕事です。どのようにバランスを取っていらっしゃいますか?
藤岡: 看護師の方は働く曜日が決まっていて、多くても週に2日だけです。その時間はもう完全に看護師の頭になり、それ以外の日はずっと文章のことを考えるというように、うまく頭を切り替えることはできています。
でも、看護師の仕事をしていると、時々患者さんの言葉などにハッとさせられることや、感動して泣きそうになることもあります。そういう時は、この気持ちを忘れないようにと、手があいた時にメモ帳に書き残しておくこともあります。
―今後、どんな作品を創っていきたいとお考えですか?
藤岡: 看護師ということで、医師や助産師、看護師など医療従事者の友人がとても多いのですが、同じ業界にいるということで「これ公には言えないから小説に書いて」「うちの病院ではこんなことがあったよ」という声が結構聞こえてくるんです。
そういうことは同業者として書いてはいけないことなのかな、と迷いもあるのですが、現場の人たちはそれぞれが目にしている現状を知ってほしいという気持ちが強くありますし、医療の現状の「ほんとうのところ」を知ってほしいので、この世界についても書いていきたいです。
―そういうアプローチは新聞出身の方らしいですね。
藤岡: そうですね。事実を出して知ってもらう、事実を書いて驚いてもらうっていうのは新聞記者としてやってきたことと無関係ではないのかもしれません。
―藤岡さんが人生で影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただければと思います。
藤岡: 一つは宮本輝さんの『青が散る』です。青春モノなんですけど、いま一つイケてない登場人物たちが、閉そく感を抱えながらも楽しんで生きている感じが好きです。
もう一冊は小川洋子さんの『博士の愛した数式』。あまりにも有名な本ですけど、愛が溢れていて、初めて読んだ時に「こういう小説を書きたい!」と思った記憶があります。
最後は沢木耕太郎さんの『深夜特急』ですね。この作品のせいで会社員を辞めてしまったといってもいいくらいです(笑)。 これを読まなかったら、記者を続けながら合間に小説を書くというような折衷案を選んでいたのかもしれませんが、読み終えた途端に「大きな世界を見なきゃ!」と熱い気持ちがこみ上げて、すぐ新聞社を辞めてました。そういう意味では人生を変えられてしまった1冊で、とにかく主人公がかっこよかったんです。
―最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いします。
藤岡: 最初の話に戻りますが、「今できないことがあっても、それはずっとできないわけではない」というのが、私の支えになっている信念です。
できないからといって諦めずに、時間をかけて1年、2年じゃなくて10年、20年とコツコツやっていれば、きっとできるようになる――そんな気持ちをこの小説にはこめました。読んで頂けたら、何より嬉しいです。
■ 取材後記
作家の人生経験は、確実に作品を厚く、豊かにすることを実感したインタビューでした。
小説家になるべく会社を辞め、10年かけてそれを達成した意思の強さと、単身タンザニアに留学する行動力には脱帽。この2つはどんな立場にあっても大事なことですよね。
(取材・記事/山田洋介)
藤岡 陽子さんが選ぶ3冊
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『青が散る』
出版社: 文藝春秋
著者: 宮本 輝
価格: 540円
ISBN-10: 4167348225
ISBN-13: 978-4167348229
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『博士の愛した数式』
出版社: 新潮社
著者: 小川 洋子
価格: 515円
ISBN-10: 4101215235
ISBN-13: 978-4101215235
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『深夜特急〈1〉香港・マカオ』
出版社: 新潮社
著者: 沢木 耕太郎
価格: 452円
ISBN-10: 4101235058
ISBN-13: 978-4101235059
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■藤岡陽子さん
1971年京都府生まれ。作家。同志社大学文学部卒業。報知新聞社にスポーツ記者として勤務したが退社。すべてをリセットすべく、タンザニア・ダルエスサラーム大学に留学する。帰国後小説を書き始め、2006年「結い言」で第40回北日本文学賞選奨を受賞。その後、オール讀物新人賞と小説宝石新人賞の最終候補に2度ずつ残り、受賞には至らなかったものの、2009年『いつまでも白い羽根』でデビューする。ひたむきに生きる人びとの姿を丁寧な筆致で描き、多くの共感をよんでいる。いまもっとも注目されている著者のひとり。他の著書に『海路』『トライアウト』『ホイッスル』がある。京都在住。
あらすじ
服飾デザイナーの水樹は、45歳・独身にして転職を余儀なくされる。人生の岐路で思い出すのは、貧しい子ども時代 を共に過ごした、幼なじみの信也の存在だった。バブルから現在へ、時を経ても消えない本物の愛情とは何かを問いかける、瑞々しい長編小説。いま大注目の新 鋭による、まっすぐに生きるすべての人への応援歌。