『悪の力』著者 姜尚中さん
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第73回の今回は、新刊『悪の力』(集英社/刊)を刊行した姜尚中さんが登場してくださいました。
凶悪事件が多発し、「悪」の力が増大していると感じている人も多いのではないでしょうか。本書は「悪とは何か」というテーマに、現代人を苦しめる「悪」の起源を探っていく一冊です。
実は本書の発売日であり、そしてインタビューが行われた9月17日は、怒号が飛び交う中、安全保障関連法案が参院特別委で強行採決された日でした。そんな中で姜尚中さんはどのような言葉を私たちに語ってくれたのか。
現代社会に深く切り込んだ、注目のインタビューです。
interview index
自分たちの内側から生まれた「悪」
― まずは「悪」というテーマでお書きになった理由から教えていただけますか。
姜:
もともとは個人的な理由でした。大学の学長を辞し、大学から去らなければいけなくなったのですが、学長として一年間いろんな人間と関わり合う中で、さまざまな壁にぶつかりました。これは企業であれ、大学という場であれ、同じです。なんとか現状を変えようとしても、コミュニケーションが取れない。その頃に「悪」としか言いようがないものがあることを痛切に感じたんですね。60を過ぎてそんなことに気づくなんて遅いといわれるかもしれないけれど(苦笑)、学問として知っていた「悪」の存在が、問題意識を抱えた日々の中にいることを気付かされました。そして、それは何だろうと考えたのです。
そのときに初めて、自分と同じような想いを持っている人はこの世の中にごまんといるんじゃないかと感じました。「悪」を引き合いに出して、自分と敵対する相手を非難したりしているけれど、自分の内側にも「悪」としか言いようがない世界があるのではないか、と。
情報化が進んだ社会に生きている中で、日常の生活における「悪」から世界を揺るがすようなテロや残虐な事件や殺戮に至るまで、「悪」が一挙に伝播する世界に私たちは生きていると考えるべきです。日本でも凶悪事件が多発していますよね。その「悪」を単にゲテモノのような存在として扱うことは簡単ですが、それは紛れもなく私たちの社会から分泌されたものです。「私たちの社会から生まれてきた『悪』だ」という自覚があるからこそ、私たちはその話をすること自体に気が滅入ってしまうんです。
― 自分たちの中から「悪」が生まれてくる。
姜:
そうではないかと思います。では、「悪」とは何か。政治の悪から日常生活の中で起きる猟奇的な犯罪、そして経済システムそのものも含めて、個人だけではなく制度やシステムそのものとしての「悪」も存在するのではないかと考えました。そこで歴史をさかのぼり、文学や聖書の中で「悪」がどのように語られてきたのかをトレースしてみたのがこの本です。
もしかしたら、この『悪の力』というタイトルだけを見て、「世の中、貧乏人や正直者が馬鹿を見るから、悪に染まれということか」と勘違いしてしまう読者もいるかもしれません。でも、ここで書いたことは「悪」とどう向き合うかということであり、「悪」を考えることで今の時代を考える手がかりをつかめないかと思っていました。
― 本書の中で姜さんはずっと映画の悪役に憧れていたと書かれていますね。
姜: 60年以上生きると自分のサイズが分かります。私は皆さんから冷静な人だと言われるけれど、本当は気が小さくて、ただ、舞台の上でそういった役回りをさせられているだけなんですね。でも、悪役は他者の批判を気にもかけず、場合によっては神に挑戦することも憚らない。特に思春期の頃はそういった悪役に対して変身願望を抱いていたんじゃないかと思います。世の中の偽善や欺瞞をひっくり返してくれる、現状を転覆させる力みたいなものに対してね。私もそうなりたい。でも、なることはできない。臆病で小市民的な自分がいるんです。その葛藤は常にありました。自分にとって「悪」はどこかグラマラスで、アトラクティブな存在でした。
― 悪人は潔く、剛胆で、魅力的だと書かれています。確かに自分に自信を持っているように見える悪役は多いです。
姜:
自分を信じている人は不安にはならないですよね。どこか優しい人は自分を信じていないから、他者を信じようとするけれど、悪人はそうではありません。自分だけしか信じていない。これは「信念」とも呼ばれるわけです。
シェイクスピアの作品を見ても、彼の戯曲に登場する「リチャード三世」や「マクベス」はみんな自分しか信じていません。そして、自分しか信じていない人は多くの場合、自分も信じられなくなり、身を滅ぼします。なぜかというと、愛することができないからです。自分の妻であれ、周囲の人間であれ、愛することができなければ暴君になってしまいます。
その反面、私たちはこんなことも言われますよね。「今は自分を信じなさい、そのために自分に投資しなさい、投資しなければ2000万円の年収は得られませんよ」と。
― ビジネスの界隈で、そういったコピーを見かけることが多いですね。
姜:
自分自身を企業のように考えて投資をしなさい、と。これは「自分だけを信じろ」ということです。これを自己責任と呼んでいるわけですが、実はそれは「悪の原理」なんです。
「悪」について思索を深めていく中で、私は今の資本主義の原理自体が悪の原理と重なると感じたんですね。ただ、今のシステムの中で資本主義以外のシステムは考えることはできない。だから『悪の力』では、みんな大なり小なり悪に染まっているし、悪に染まらなければ生きてはいけない。けれども、悪は決してグラマラスなどではなく、凡庸であるということをちゃんと見切ることが、大切なのではないかということを言いたかったんです。
マスメディアと「悪」、「悪」の対義語について
― 「悪」という言葉の対義語としてまず思いつくのは「善」です。でもこの本を読むと、そうとは思えなくなるのですが、対義語という観点からお話をうかがえないでしょうか。
姜:
聖書的に言えば「悪」の対義語は「愛」です。ただ、「愛」という言葉はリアリティが弱い。「愛を施しなさい」と聖書に書いてあるからといって、「愛」が他者に通じなければ意味がありません。それがよく分かるのが文学です。『悪の力』ではドストエフスキーなどの作品を取り上げていますが、そこでは「悪」を徹底して考えて、「悪」というものがあるということが信じられる、そこから、なぜ「神」がいるのに「悪」があるのかという問いを徹底して突きつめられています。
これは今、私たちが生きている現場を考えても、同じことが言えます。例えばいじめがあって子どもが亡くなってしまった。そうすると、校長先生が子どもを集めて「命を大切にしましょう」と呼びかける。けれど、おそらく子どもたちには何も通じていません。命を大切にすることは当たり前のことで、呼びかけだけで済むなら、いじめはとっくに無くなっていますよ。
だから私が今、「悪」の反対は何かという問いに答えるならば、「善」ではなくて「義」という言葉を出します。もっと言うのであれば、「愛によって裏付けられた義」というのかな。デモによって国会議事堂前にたくさんの人が集まっているけれど、それは法案を通したい側に対して「義」を感じられないことにおかしいと感じていて、異を唱えたいと思ったからだと思うんです。
― 文学の世界では「悪」の描き方が多様です。近年では「越境」というキーワードが話題になりましたが、国境や文化を越えて生きる人間を描く小説を読んでいると、「悪」と「善」という二項対立で考えることはあまり意味がないのではないか、「悪」も「善」も入り混じった領域があるのではないかと考えることが多くなりました。
姜:
それは、9・11以降の大きな流れの反動だと思います。9・11直後は善悪二元論がアメリカに蔓延した。でも、どうもそれは問題を矮小化しているのではないか。そこで、おっしゃった通り越境的なテーマを扱う文学に目が向けられます。善悪を越えたもの、あるいはその中間領域ですね。
そして、この中でも紹介した中村文則さんの『教団X』を含めて、「悪」を考えることで人間存在のどうしようもない面が見えてくる。そのどうしようもない面をどのように受け止めるかというところになるんです。どうしようもない存在だから消しちゃえという発想になると、「善悪」の捉え方になってしまう。私は短絡的に考えることに対して抑制が効くようになれば、この『悪の力』を読んだ意味があると思っています。
安保法案だって「この際だからやっちゃえ」だけで動かすのはよくないでしょう。そういうところの歯止めになればいいですね。
― マスメディアの凶悪事件に対する反応や報道の仕方を見ていると、「悪」を排除するにはどうすればいいかという、いわゆるエイリアン排除的な話の進め方をしているように思います。
姜:
うん、それに対する違和感はありますよ。けれども、私は大学での経験から「悪」は許せないという気持ちも覚えてしまった。
それで、これは何故そうなってしまっているのかというと、日常生活の中で人々の絆や他者を信用していないから、社会的に繋がりたいという願望が、犯罪という「悪」に対することを触媒にして結びついているのではないかと思います。自分には全く影響がないのに「悪」の生贄になった人に過剰に同情する。だから犯罪報道が起きるといつまでも報道され続けている。普段は「他者を信用するな、他者を出しぬけ、信じられるのは自分だけ」というメッセージの中で生きている人々が、犯罪の被害者に対する同情で社会と結び付こうとするわけです。これは人間生活の表と裏です。
ちょっと変な例えですけれど、私はこの傾向が戦争に似ていると思っています。
― それはどうしてでしょうか。
姜: 例えば戦争が起きたら、おそらくみんなの間に絆ができますよ。戦争が起きて誰かが犠牲になれば、一気にその絆は強まる。最近の社会を見ると、そのようにみんなが一緒になれるのは「犯罪」しかないんじゃないかと思います。
― また、この本の中で「ざまあみろ!」という言葉が出てきますが、他者の不幸に対しても人々は敏感だと思います。
姜: 他者の幸福話に触れて「良かったね」と言っているんだけど、内心はすごいジェラシーが渦巻いていて、「何で私だけ不幸なの?」と思ったりね(笑)そう考えると、今はネガティブな感情の方が強いんです。そして、ネガティブな感情を出しても、誰もが同調してくれるのが「犯罪」というテーマなんですよね。だから、非常に「悪」が表出しやすい。
『悪の力』の礎となっている3冊の本とは?
― 今回お話をうかがうことが決まったときに、ぜひ聞きたいと思ったことが「倫理」をどのように考えるべきなのかということです。例えば、インターネット上で起こる炎上を見ると、「悪」というよりも「倫理」を欠いていると感じることが多いのですね。
姜:
それは重要な指摘だと思います。倫理は、人間には神から与えられた、自分で自分の秩序を作り出せる、自分の行動を律せられる何ものかがあるということが発端だと思うんですね。それはアプリオリに宿っているものである、と。だから、人間は残虐だけれど、物事を認識できることと同じように、一方で自らそれを律する何かを持っている。そう位置づけたのがカントで、倫理は結局、人間に対する最後の客観的な信頼に支えられていると思うんですね。
ところが、私たちは20世紀を経て、「人間とは何か」ということに対峙することになった。たくさんの人間を殺しても、それすら恥じない人すらいる。国家の大義であるとか、いろいろな理屈をこねます。そうすると人間を律する何か(サムシング)があるということが信じられなくなっていきます。そこで登場するのが倫理ではなく「道徳」です。道徳は、一言でいえば外側から押しつけられた価値観です。こうしなさい、というものですね。一方、倫理は自らの内側にある神の声、自然の声、理性の声であり、その人の自由な内発性に裏付けられたものです。
ところが、私たちはこうあるべきという理想像を失ってしまった。もっといえばそれすらも資本主義に犯されてしまった。倫理を支えていた人間の内なる自然や理性への信頼がゆらいでいるのだと思います。
― インターネット上では「目立つ」ことが重要とされています。過激な発言や声が大きい人の意見がクローズアップされることが多いですね。
姜: そうなってしまうと、声が大きい人や多数者が強くなってしまうんですね。非常に病的であり、そこに「悪」が宿ってしまっている。悪は「病」であると書きましたが、個人の病であると同時に、世界も病んでしまっている。その感覚は多くの人が持っていると思います。
― 名古屋大女子学生の殺人事件で、遺体と一緒に一晩過ごした加害者を例にあげて、「身体性の欠如」を指摘されていますよね。彼女にとって遺体は単なる物質であった、と。
姜:
アウグスティヌスは、人間は身体があるから理性がある、つまり身体という人間に与えられた制約があるから理性が宿っていると考えます。ところが、「悪」を成す人間は、観念ばかりが肥大化して自分に与えられた身体という制約を取っ払おうとする。つまり自分の身体性を実感できなくなるんです。
この本で私は、「悪」は病だと書きましたが、では「正常」や「健康」な状態とは何かという問題が生まれるんですね。キリスト教的に言えば、神によってつくられた被造物である。なぜ「神」という大きな存在が必要かというと、私たちは理性によって説明できない何かをおかないと、合理性が成り立たないからです。
今、グローバルな世界の中で、そういった「理性によって説明できない何か」とは何かを考えると、そう思いつきませんよね。あえて言うなら「掟」です。社会におけるルール。そうすると、これを制定する国家が全能者になってしまい、その国家と自己同一化した人間が…独裁者なのではないかと思います。
― では最後に、本書を執筆される上で影響を受けた本を3冊、ご紹介いただけないでしょうか。
姜: まだ翻訳が出ていないのですが、テリー・イーグルトンの『On Evil』です。おそらくこの本は『On Evil』なしでは書けませんでした。それから、2冊目はジョン・ミルトンの『失楽園』です。もう一冊にはウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』をあげましょう。
取材後記
今、日本が大きく動いている中で、この姜尚中さんのお話は非常に響くものがありました。私たちは「悪」というものを異物として排除する方向に進んでしまいがちですが、本書を通して、自らの社会から生まれた「悪」とどのように付き合っていくか、考え直す時期にきているのかもしれません。
(新刊JP編集部/金井元貴)
姜尚中さんが選ぶ3冊
- 『On Evil』
- 著者: Terry Eagleton
- 出版社: YALE UNIV PR
- 価格: 3,712円+税
- ISBN-10: 0300151063
- ISBN-13: 978-0300151060
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- 『失楽園』
- 著者: ジョン・ミルトン
- 出版社: 岩波書店
- 価格: 1,020円+税
- ISBN-10: 4003220625
- ISBN-13: 978-4003220627
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- 『蠅の王』
- 著者: ウィリアム・ゴールディング (著), 平井 正穂 (翻訳)
- 出版社: 新潮社
- ISBN-10: 4102146016
- ISBN-13: 978-4102146019
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プロフィール
■ 姜尚中さん
1950年生まれ。東京大学名誉教授。専攻は政治学・政治思想史。著書に100万部超のベストセラー『悩む力』と『続・悩む力』のほか、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』『ナショナリズム』『日朝関係の克服』『在日』『姜尚中の政治学入門』『リーダーは半歩前を歩け』『あなたは誰? 私はここにいる』『心の力』など。小説作品に『母―オモニ―』『心』がある。
- 『悪の力』
- 著者: 姜 尚中
- 出版社: 新潮社
- 定価: 700円+税
- ISBN-10: 4087208036
- ISBN-13: 978-4087208030
作品紹介
凶悪事件の情報ばかりが耳に入っていく現代…。「悪の力」が増大しているように映り、その「悪」に向けて人々はどす黒い感情を吐き出していく。この憎悪のエネルギーは一体なんなのだろうか? ベストセラー『悩む力』の著者が普遍的な難問に挑む一冊。「悪」の正体を暴き、その向き合い方を提示する本書は、現代人の心を救う本であるのかもしれない。
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
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第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
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第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
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第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
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