本書は、読書家として知られる福岡さんが、これまでの人生のポイントごとに読んだ本を紹介していくという、一風変わったブックガイドです。
同氏は膨大な読書体験の中からどのように本書で取り上げる本を選んで行ったのでしょうか?
また、本書に込められたメッセージとは?
- 1. 人間を二分する「マップラバー」と「マップヘイター」とは?
- 2. 「何かを知れば知るほど、自分が何も知らないことを知る」
- 3. 「書を捨てよ、町へ出よう」ではなく「早く帰って本を読もう」
- 4. 取材後記
■ 人間を二分する「マップラバー」と「マップヘイター」とは?
―本書『福岡ハカセの本棚』は、読書家として知られる福岡さんが選りすぐった本が100冊紹介されています。それぞれの本の紹介もさることながら、それらが福岡さんご自身とどのように結びつけられたか、ということも書かれていて興味深かったのですが、本書で取り上げた本というのはどのように選定されたのでしょうか。
福岡さん(以下敬称略)
「タイトルに“ハカセ”とありますが、そんなに偉そうなものではありません。何か好きなことが一つあって、それをずっと好きでい続けていれば博士になれます。この本はそういうメッセージも込めています。
この本の中で私が大切にしていることは時間の軸です。本を紹介しているブックガイドはたくさんありますが、そのほとんどは単に書評をたくさん集めたものなので、そういうものとは違う本の案内を作ってみたいと思っていました。となると、自分がどういう風に本と出会って、どう楽しんで、どう次の本と繋がっていったかという読書体験のプロセスを、少年時代から開示するのが一番いいのではないかと思ったんです。そのプロセスの中で、私の読書の出発点となった本や、それをきっかけに読書が発展していったというような本、転換点となった本など、道しるべのような本を選んでみました」
―図鑑から始まって冒険モノに飛ぶなど、子ども時代の福岡さんの読書はとてもダイナミックに広がっていったことが読み取れます。あるジャンルから別のジャンルに飛んだ時というのは福岡さんの中でどんなことが起こっていたのでしょうか。
福岡
「実はそんなに大きくは飛んでいないんですよ。ある場所に行くと、その場所から景色が見えたからそこに行ってみたとします。そこに行ってみると新しい窓があって、また新しい風景が見える。そんな風に道なき道を歩いて地図を作っていくように読書体験が進んでいきましたね。
この本の帯をどうするか考えた時に、一つのアイデアとして“あなたはマップラバーですか?マップヘイターですか?”というキャッチコピーがあったんです。人間は地図が好きな人(マップラバー)と地図が嫌いな人(マップヘイター)に二分できるんじゃないかというのがあって。私自身、“地図が好きな少年”として出発して世界の地図を作りたいと思っていました。それは文字通りの地図ではなく、世界の成り立ちを一つ一つマークしていくという意味ですね。それを続けることによって世界の成り立ちを知ろうとしていたんです。たとえば私は虫が好きだったので、きれいな蝶だとか光るカミキリムシを、図鑑を見ながら一つ一つ現実の世界と照合していくことによって世界の成り立ちを知ろうとしていました。その過程で冒険記とか航海記だとか、何かを探しながらそれを見つけていく小説や物語、ドキュメントなどに読書が発展していったんです。そうやってステージごとに読書が進んでいったので、私自身の感覚ではそんなに大きなジャンプがあったわけではありません。ただ、ある本を読んで、その本に書いてあったことから次の本と予期せず出会ったということはしばしばありましたね」
―本書には様々なジャンルの本が紹介されていますが、ビジネス書や自己啓発書は取り上げられていないように思いました。あまりこういった本とは接点がなかったのでしょうか。
福岡
「そうですね。ビジネス書とかハウツー本の類、あとはドストエフスキーや谷崎潤一郎といった、いわゆる“文豪”の作品もあまり入っていません。
私の読書は何でもかんでも古今東西の名著を渉猟してきたわけではなくて、基本的にマップラバーとして、世界の成り立ちを知ろうとする過程でおもしろい本と出会ってそれを読むというものでした。その意味では、『福岡ハカセの本棚』は、私のパーソナルな読書歴なのですが、読者の方も“そういうえば私も読んだな”とか“タイトルだけ知ってたけど読まずじまいだったな”という本を見つけることができると思うんですね。それをきっかけに読書の楽しみを再発見してもらえばいいと思います。あとは、私は教育者でもあるので、“こういう本を読むとおもしろい人生がひらけるよ”という意味で、若い人、あるいは子どもを育てている人たちに向けたメッセージでもあります」
―私はどちらかというと、福岡さんと同じくマップラバーの読書をしてきたのでそのご説明についてはよくわかるのですが、反対にマップヘイターにはどのような特徴があるのでしょうか。
福岡
「さっき、人はマップラバーとマップヘイターに二分できると言いましたけど、本当はそんなに単純なものではなくて、ある個人の中にマップラバー的な側面とマップヘイター的な側面が同居していて、ある時にどちらかが強くなったりします。
マップラバーというのは俯瞰的、鳥瞰的に世界を見て、その中で自分の位置を定位し、そこで初めて目的地への行動を開始します。たとえば物を買う時は、まずカタログを取り寄せて、それぞれ性能を比べて、“上から三番目くらいの物がちょうどコストパフォーマンスがいい”というように判断して買い物をします。でも、そうじゃなくて直感的に目的地まで行けちゃう人もいるんですよ。逆説的ですけど、マップラバーは方向音痴なんです。地図がないとどちらにも行けないわけで、地下鉄から降りて地上に出ると、東西南北がわからなくてどっちに行けばいいかわからない。でも、マップヘイターの人は地下から階段をぐるぐる登って地上に出ても“たぶんこっちだよね”と、目的地に歩きだせてしまう。直感的に自分と太陽の関係とか、自分とすぐ近くの郵便局の関係とか、ローカルな関係を繋いで目的を達せられてしまう人がマップヘイターですね」
―そういった方は、読書に関しても直感的に自分が欲している本がわかるのでしょうか。
福岡
「マップラバーが地図のような“全体像”を大事にするのに対して、マップヘイターは“ローカルな関係”を大事にします。だから、地図はいらないけど、身近なものの差異や近くのものとの関係を見抜く力がある。それを手がかりにとりあえず進んでいけるという意味ではマップヘイターの方が敏感な観察者かもしれません。
たとえば本屋さんに行って、探していた本を手に取ろうとしたら、その本の隣に変なタイトルの本が並んでいるのを見つけたとします。何かと思って手に取ると、探していた本と同じ著者の本で“こんな本を書いていたのか”という出会いがあったり、あるいはまったく別の著者が書いた本なんだけど、今の自分の問題意識に通じるところがあったり、そういった予期せぬ出会いがその本の周りに、ある種の関係として並んでいる。そういうものに出会うのがマップヘイターの読書だと思います。
あとは、探している本の売り場に向かう途中で、平積みされた本の中に偶然目に留まるものがあったとか。そういうことを大切にできるのがマップヘイターのあり方で、それが本屋さんや図書館にはあるわけです」
■ 「何かを知れば知るほど、自分が何も知らないことを知る」
―読書というものは本来現実的な見返りを求めるものではないとは思いますが、もし読書になんらかの効果があるとしたらどんなことだとお考えですか?
福岡
「一つは、自分がこの世界についてほとんど何も知らないということがわかることではないでしょうか。もう一つは、結局うれしいことも悲しいことも、辛いことも希望も落胆も、すべて最後は言葉によってしか納得がもたらされないということがわかることです。
やっぱり私たちは言葉や言い回しを探しているんですよ。読書をすることの効用というか喜びの一つは“ああ、その通りだよね”という言葉と出会えること。つまり、言葉にできなかった思いや、こうじゃないかなと思っていたことを言い当ててくれる言葉を与えてくれるっていうのが読書の最大の効用、喜びだと思います。そういう言葉を得ると納得がやってくる。それによって世界の成り立ちを知っていくわけです」
―私は学生時代までほとんど本を読んでいなかったのですが、当時ある人に“本を読まないから人の気持ちがわからないんだ”と言われたことがあります。今でも疑問に思っているのですが、読書をすることで人の気持ちがわかるようになるものなのでしょうか?
福岡
「それはウソじゃないですかね(笑) 本を読もうが読むまいが人の心なんてわかりませんよ。むしろ本を読むことで、人の心なんて決してわからないということがわかるんじゃないですか。何かを知れば知るほど、自分は何も知らないことを知るわけですし。
本を読めば人の気持ちがわかるなんて安易に言われていることはほとんどウソですし、たとえわかったとしても、そんなのはあっという間に変わります。うれしいことも悲しいことも流れて行ってしまうことが本を読むとわかるのであって、本を読めば人の心や人の気持ちがわかるなんてことはないと思いますよ」
―「書を捨てよ町へ出よう」という言葉があるように、読書で得た知識は、身体感覚を通過させることで、より生きてくるというところがあると思います。福岡さん自身は、読書と身体感覚とのバランスについてどのように考えていますか?
福岡
「必ずしも身体感覚ということとは対応しないかもしれませんが、本で知ったことを現実の世界と対応づけたいということは考えています。本って結局は言葉であったり名づける行為を描いたものですよね。昆虫図鑑なら虫の名前というように、何らかの考えやコンセプトが文字になっているのが本です。それが実際にどんなものなのかを現実の世界と対応させたいという気持ちは持っていますね。
たとえば、図鑑で読んだ虫がどんなところに潜んでいてどんな色をしているのか、物語で読んだ街がどんな街で、どんな匂いや風を含んだ場所なのかということを知るために行ってみたいというのはあります。それがはたして身体感覚ということなのかはわからないですけど」
―それは、マップラバーとして自分の中の世界地図が正しいかどうか確かめるということになるのでしょうか。
福岡
「正しさを確かめるというか、実感したいということですね。言葉っていうのは、何か物があって、それに名前がつけられているから言葉が存在すると思われていますが、実はそうではなく、言葉があるからこそその対象である物が存在するとも言えます。だから、言葉によって名付けられた対象物がどんなものなのか実感してみたいという気持ちは常にありました。
私は子どもの頃からマップラバーとして、『ドリトル先生シリーズ』とか『十五少年漂流記』とか、いわゆる“探検モノ”とか“旅モノ”のように、地図を辿っていくような物語やルポルタージュにわくわくしていました。でも、そんなに活発な少年じゃありませんでしたから、いつも室内でそれを読んでいる“アームチェアトラベラー”だったわけです。それでも実際に行ってみたいと思う町や場所はいつもありましたね」
■ 「書を捨てよ、町へ出よう」ではなく「早く帰って本を読もう」
―社会人になると、本を読みたいと思っていても仕事などで時間を取られてしまい、なかなか思うように読めないものです。こういった人たちに向けた読書の秘訣がありましたら教えていただければと思います。
福岡 「本ってたくさん読めばいいというものじゃないですよ。何か一つでも心に響く言葉が書かれている本、これはいいなと思えるような本が一冊でもあれば、それをちょっとずつ読めばいいと思います。私だって一冊の本を隅から隅まで精読できることは限られていて、飛ばし読みや斜め読みしないといけないこともあります。それでも繰り返し読むとその度に新しい発見がある本っていうのもやはり何冊かあるわけで、そういう本は大切にしています。だから、忙しい人ほど好きな作家や気に行った作者の本を繰り返し読めばいいんじゃないかと思いますね」
―好きな作家といえば、本書の中で村上春樹さんとカズオ・イシグロさんの本を何冊も取り上げていらっしゃいましたね。
福岡 「そうですね。村上春樹だと『ノルウェイの森』とか『1Q84』とか『ねじ巻き鳥クロニクル』が好きという人が多いと思うんですけど、私は『国境の南、太陽の西』っていう中編小説が一番好きです。村上春樹のいろんな側面が詰まっていて、文章の構築も味わい深いので繰り返し読んでいますね。旅行に行く時などは、持っていってパラパラ見たりしています」
―福岡さんが最近読んでいいなと思った本を3冊ほど挙げていただけますか?
福岡
「難しいですね(笑) 一つは新潮社の編集者だった松家仁之さんが会社を辞めて書いた小説なんですけど『火山のふもとで』です。建築家をめざす青年の視点から書かれた静かながら味わい深い物語です。
二冊目は、生物の本で『右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化』という本。カタツムリには右巻きと左巻きがいるんですけど、どうやって見分けるかというと、カタツムリの殻の口になっている部分を手前に向けて、その口が右にあるのが右巻きで左にあるのが左巻きなんです。カタツムリっていうのは雌雄同体で、オスでもありメスでもある。つまり両方の生殖器を持っているんですけど、右巻きのカタツムリの生殖器は右にあって、左巻きのカタツムリの生殖器は左にあります。だから、交尾しようとすると、右巻きなら右巻き同士が出会い頭に体を寄せ合うようにしないとできないんですよ。反対巻きのやつとはできないんです」
―人間からするとちょっと想像もつかないですね…
福岡
「それもあって、右巻きのカタツムリは右巻きだけの集団を、左巻きのカタツムリは左巻きの集団をつくらないといけません。もちろんどっち巻きかっていうのは遺伝子が決めることなので、ごく稀に右巻きカタツムリの集団の中に左巻きカタツムリが生まれたりもするんですけど、どっちかが優勢にならざるを得ない。ところが、沖縄の八重山諸島の孤島を調べて、ある島には右巻きカタツムリがたくさんいて、別の島には左巻きがたくさんいることに気がついた生物学者がいて、その原因を究明するというのがこの本です。結論に至るまでの旅路が面白いんですよ。
最後の一冊は『山手線に新駅ができる本当の理由』ですね。この本には山手線に40年ぶりに新しい駅ができる可能性があると書かれています。どこにできるかというと品川と田町の間で、そこにはJRの広大な土地があるんですけど、その土地は電車が一時退避したり整備したりするための車両基地になっているんです。現在、常磐線とか宇都宮線、高崎線は上野で止まっていて東京駅まで来ていません。でも、東京駅まで延伸すればその車両基地がいらなくなって再開発に回せる、というようなマップラバー好みの話題が次々と書いてあってわくわくする本ですね」
―最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いします。
福岡 「“書を捨てよ、町へ出よう”の逆で、“早く帰って本を読もう!”にしましょうか(笑)」
■ 取材後記
独特のおだやかな語り口でご自身の読書について語ってくださった福岡さんでした。
福岡さんがこの本でしているように、普段何気なく手に取って読んでいる本も、自分のこれまでの人生を振り返って、どんなタイミングで読んだのかを考えてみることで、自分と本の関係や自分の思考パターンが見えてきます。
それは、今後の読書を新しい局面に導いてくれるはずです。
(インタビュー・記事/山田洋介)
■福岡伸一さん
生物学者。1959年、東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2007年に発表した『生物と無生物のあいだ』(講談社/刊)は、サントリー学芸賞および中央公論新書大賞を受賞し、ベストセラーとなる。『動的平衡』『フェルメール 光の王国』(木楽舎/刊)、『せいめいのはなし』(新潮社/刊)、『ルリボシカミキリの青』『生命と記憶のパラドクス』(文藝春秋/刊)など著書多数。幼い頃から幅広い読書を続けてきた「本の虫」でもある。
あらすじ
科学者・福岡伸一を形作った書籍の数々を、本人が一挙紹介。古今東西、各ジャンルを交差する膨大な読書体験はブックガイドとして、また本との関わり方を考えさせてくれるという意味で、あなたの読書をあたらしい局面に導いてくれるはず!■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん