第45回となる今回は、新刊『七つの会議』が好評の池井戸潤さんです。
2011年に『下町ロケット』で直木賞を受賞した池井戸さんが『七つの会議』で描いているのは、よくある大企業の子会社「東京建電」で起きた一件の不祥事に揺れる人間たちの姿。
好成績を挙げていた営業課の課長が突然パワハラで社内委員会に訴えられた。一体何が起きたのか? 謎が膨らむ前半と、平社員から親会社の社長まで点が線で結ばれていきながら謎が解けていく後半。全8話から成る本作は、手に汗握る一冊になっています。
では、池井戸さんはこの物語にどのような想いを込めているのでしょうか?
■ 物語のきっかけは「そば屋でのサラリーマンの会話」
―この『七つの会議』ですが、私も会社の中で働いている身として、リアルに感じられる部分が多くて面白かったです。事前に取材などはなさっているのですか?
池井戸さん(以下敬称略) 「取材はあまりしないですね。必要最低限のこと、絶対確認しておかなければいけないことについては取材しますが、それ以上はしないです」
―元々、池井戸さんは銀行員をされていたそうですが、その頃の経験をモチーフとされていらっしゃるということですか?
池井戸 「何百社も見ていれば、似ているところもあれば違う部分もあるので、その経験は反映させています。今回の舞台である『東京建電』も特にモデルはないけれど、『こんな会社はない』という印象は与えないと思いますね」
―ストーリーの展開も、物語が進むにつれて事件が大きくなっていきますし、登場人物も平社員や係長、課長クラスたちの物語から始まり、最後には部長や社長クラスまで巻き込んでいきます。この物語のプロットは書き始めた当初からあったものなのですか?
池井戸 「いや、特にプロットは作らないで書いています。この『七つの会議』はそんなに難しい話ではないので、プロットは必要なかったです」
―この『七つの会議』はもともと日本経済新聞電子版に連載されていた作品ですが、8話構成の連作短編になったのはそのためですか?
池井戸
「特にそういうわけではありませんが、そもそも連載は長く続けるとついてこられなくなる読者が多いので、長編でも、一つずつ話が積み上がっていくような構造にしたんです。
実は連載では第7話までしか書いてなくて、自分の中では事件は終わってしまっていたのですが、よくよく考えてみると、この会社、もう少し何かありそうだなという気がしてきたので単行本化するにあたり残りの一話を加筆することにしました」
―『七つの会議』に出てくる登場人物たちは、単純な勧善懲悪では割り切れない、人間臭さがありました。傍から見ると悪いことでも、その中では正しいということもあるし、立場によって思惑や選択も変わってきます。そして、彼らの足元には会社という組織がある。そうした中で人間たちだけではなく、「組織とは何か」ということも触れられているのかなと思いました。
池井戸
「僕は、順番的に言えば、まず人間ありきで次に組織だと考えています。この作品は、不祥事が発覚していなければ、何事もない普通の会社の光景ですよね。本当は最初、書こうとしたのは、会社の日常風景のようなものでした。
以前、僕の仕事場は原宿にあったのですが、近所のそば屋に昼食を食べに行ったとき、隣のカウンター席に座っていた40代くらいのサラリーマン2人組が『知ってる?あいつ、パワハラ委員会にかけられるんだって』という噂話をしていたんです。
これはちょっと聞き捨てならないなと思って、そばを食べながらその話を聞いていたのですが、この2人がした分析がすごく良かったんです。パワハラ委員会にかけられる人の仕事ぶりを冷静に評価していて、『あいつはこういう考えでやったんだろうけど、それじゃ部下には伝わらないよな』と。この会話を耳にしたことが、この話を書いたきっかけです」
―つまりこの作品の冒頭の、営業一課の坂戸がパワハラ委員会にかけられて異動になるという部分ですね。
池井戸
「日経新聞さんから話があった際に、そういった会社の日常風景を淡々と描く小説もいいと思ったのですが、書きはじめたら大きな話になってしまいました。でも、元々はそこからはじまっています。
小説の面白さというのは、日常生活の中で見過ごしてしまっている多くの謎が解けるということです。例えば、言っていることとやっていることが違う人っていますよね」
―口だけ動かして自分は何もしないとか。
池井戸
「普通そういう人がいても、会社の人たちは『あいつはなんなんだよ』と呆れたり腹を立てて終わりですよね。でも、小説の中では、どうして言っていることとやっていることが違うのか、その謎が解けるわけです。その人がどういう風に育ってきて、どういう考えでそういったことを言っているのか、と。
この本では、一つの大きな不祥事が話に乗っかっているため、クライムノベルという形になっていますが、サラリーマンの日常生活の中にある小さな謎を解き明かすミステリーというつもりで書いてきました」
■ 「読者が楽しんでもらえる小説を書きたい」
―この物語の中で少し色が違うなと思ったのが、第3話の「コトブキ退社」でした。これは営業四課の事務である浜本優衣が、付き合っている彼氏との別れ――これもいわくつきの別れですが――それをきっかけに会社を辞めて脱サラをし、ドーナツの無人販売を始めようとするお話です。
池井戸
「これは、ちょっと変化球を入れてみたという感覚ですね。
この話がないと全体がギスギスしてしまったと思います。あと、実はもう一つ理由があって、ここで優衣が仕掛けたドーナツが、小説の後の方で人を計るバロメーターになるんです。
この手の会社では、事務職の女性社員は往々にして仕事をする目的を失いがちなんじゃないかなという気がしていたので、そういった人たちへのささやかな応援という気持ちで書いているところも大きいですね」
―なるほど。この小説を読み終えたとき、自分はちゃんと自分で正しいと思う働き方ができているかということを問いかけてられているような気になったのですが、池井戸さんがこの物語を通して描きたかったことはなんですか?
池井戸
「過失を隠ぺいする側の人もいれば暴こうとする人もいる。それはそうですが、正しいことをしろと言うつもりはありません。会社というのはいろんな人の集まりであり、自分にとって必ずしもベストな環境を与えてくれない場所ですよね。会社によってもお金のありなし、ポストのありなし、上司の理解力、自分の行動力、いろいろな問題があるわけですが、そうしたベストじゃない環境の中でも生きていかなきゃいけない、生きていこうとしている人たちを描いたつもりです。
特にこの小説に共感する人は、今、働いている職場や仕事の内容にあまり満足していなかったり、少し問題があるなと思っていたりする人だと思います。でも、ベストな環境を外に求めても実は意味はないと思っています。その中で、自分で考えて行動することが求められているわけで、ベストな環境というのは外からもらえるものではないんです。この物語に出てくる主人公たちの中には結果的に不祥事を隠ぺいしようとしたり、出世欲でのし上がろうとしたり、いろいろな人がいるけれど、自分に与えられた環境の中で考えて、なんらかの行動を取っている。それが、サラリーマンにとって必要なんじゃないかなと思います。だから、常に正しいことをしろとは思っていません」
―登場人物の中で、最も池井戸さんご自身が投影されている人物は誰ですか?
池井戸
「えーっとね、優衣ちゃんにアドバイスする女の子。桜子か。肝いりのキャラクターです(笑)。あとはいませんね。
みんな、僕の小説の作り方を誤解していて、自分の経験や自分の主張を込めて書いていると思っている人も多い。あとは、僕が中小企業の味方だと思っている人もたくさんいます。でも、自分の主張を物語に反映させようとは思っていないし、中小企業を応援する気持ちはあるけれど、それが大きなテーマではありません。
僕が書こうとしているのは人です。今作では、この『東京建電』という会社で働いている人たちのことですね。僕としてはこう読んで欲しいという希望は特にありません。
もちろん社会に対する問題意識を小説の大きなテーマにしている作家さんもいらっしゃいますが、僕は純粋なエンターテインメント作家なので、読者が楽しんでもらえる小説を書きたいと思っているだけです。
また、今回は、女性の方々にもぜひ読んで欲しいですね」
■ 池井戸さんがカメラで撮影している“意外なモノ”とは?
―池井戸さんは人と会う時に、どういう部分を見ていらっしゃるのですか。
池井戸 「どういう人なのかな、というところですね。話す時は、どういう人なのか探るような質問が多いですね」
―今、池井戸さんは刊行ラッシュが続いていらっしゃいますが、今後どんな小説を書いていきたいと思いますか?
池井戸 「ミステリーに戻ろうかなと思っています。もともと僕は乱歩賞作家で、ミステリー小説からこの世界に入りましたし、今までの作品も実はミステリーやサスペンスの手法で書いているのですが、作品そのものもミステリーに戻りたいな、と」
―では、影響受けた作家さんはいらっしゃいますか?
池井戸 「うーん、特にいないです。本はすごく読んでいましたけれどね。ただ、エンタメもここまで来たのかと驚かされたのがジェフリー・ディーヴァーです。『エンプティー・チェア』とか、これを書くためにどのくらいの取材や知識が必要だったんだろうと思いました。また、小説には才覚で書く小説と、足で書く小説がありますが、圧倒的な知識や事実の積み重ねが背景にある小説に対する憧れはあります。それはただ単に取材をすれば書けるというものではないんですよ。そういうサスペンス小説はすごく面白い。フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』とかね。そういう小説をいつか書いてみたいですけれど、読者がついてきてくれるかなあ」
―このベストセラーズインタビューでは、3冊影響を受けた本をあげていただいているのですが、その3冊を選んでいただけますか?
池井戸 「まずは『エンプティー・チェア』でしょ。あとは『ジャッカルの日』。それと、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』ですかね。ああいうテイストの青春小説は最近受け入れられなくなってきているけれども、あって良いと思うし、ああいうのが面白いと思える余裕があるといいですよね」
―普段の池井戸さんについてお聞きしたいのですが、執筆時間はどのように取っていらっしゃいますか?
池井戸 「だいたい午前8時から12時まで、と考えています」
―では、ご趣味は?
池井戸 「ゴルフとか、最近やっていないけれどフライ・フィッシングとか、最近人に貸しちゃったけど、バイクとかね(笑)。あとはカメラですね」
―外に行って撮られているのですか?
池井戸 「そうですね。事務所の近所の写真を撮影したり。地面を撮ったりしていますよ。人が歩いている地面、そこをパシャっと。『flickr』という写真共有サイトにたくさんの地面をアップしています(笑)」
―最後に、このインタビューの読者の皆様に、小説の読みどころやメッセージをお願いします。
池井戸 「読者の皆さんが自分の生活とどこかでリンクするような小説を書いたつもりです。その部分を楽しんでもらいたいですね」
■ 取材後記
丁寧に自分の小説に対する想いを語って下さった池井戸さん。小説に出てくる登場人物たちの動きや言葉が非常にリアルなので、どんな風にして人を分析しているんだろう、そして、池井戸さんは自分をどんな風に見ているんだろうと思いながらインタビューをさせていただきました。
小説の読者からの反応を見て、「ここまで考えてくれていたのかと思うとすごく嬉しい」とおっしゃっていましたが、これからも読者が小説の人物たちを通して希望が持てるような小説を個人的に期待しています。
(新刊JP編集部/金井元貴)
■池井戸潤さん
1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞。『鉄の骨』で第31回吉川英治文学新人賞。『下町ロケット』で第145回直木賞。ほかの主要著作に『空飛ぶタイヤ』『BT‘63』『シャイロックの子供たち』『ルーズヴェルト・ゲーム』『ロスジェネの逆襲など』
あらすじ
夢は捨てろ。会社のために、魂を売れ。どこにでもありそうな中堅メーカー・東京建電に起きたとある異変。成績が好調だった営業一課の課長・坂戸がパワハラで社内委員会に訴えられた。訴えたのは万年係長の八角(やすみ)。不可解な人事によって、坂戸に代わり営業一課の課長になった原島は、八角から真実を聞かされる。そして、謎が膨んでいき、「事件」は東京建電の親会社である「ソニック」を巻き込み、衝撃の展開を迎える――!
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん