第40回の今回は、本日新刊『ドッグマザー』を刊行した古川日出男さんです。
『ドッグマザー』は京都を舞台にした、全三部からなる長編小説ですが、第三部だけが東日本大震災の後に書かれ、実際に震災後の世界が描かれています。
震災の体験は古川さんにどのような変化をもたらしたのか。そして、震災後の世界をリアルに描くために、どのような方法で小説を編み上げたのか。 注目のインタビューです。
- 1. 「“性描写”と“京都弁”は徹底的に書こうと思った」
- 2. 「小説で震災に触れれば、震災でできた傷をいじり続けられるんじゃないか」
- 3. 「作品を書くために、常に学んでいないといけない」
- 4. 取材後記
■ 「“性描写”と“京都弁”は徹底的に書こうと思った」
―本作『ドッグマザー』は三部構成となっていますが、第三部だけが東日本大震災の後に書かれており、実際に震災後の世界についても描かれています。そこで、より深くこの作品を理解するためにも第一部・第二部と第三部に分けてお話を伺えればと思いますが、まず第一部に取りかかる時の構想についてお聞かせ願えますか。
古川(以下敬称略) 「二つあります。一つは、主人公が京都という日本の文化的な中心地に体ごと入っていくことで見えてくる風景とは何なんだろう、ということ。つまり、そこで日本という歴史的な存在を本質で理解できるんじゃないかと思ったんです。
もう一つ、この物語を一人称の文体で貫くことによって、自分の体でそれが分かってくるんじゃないか、というのもありました。身一つで日本の真ん中の部分に入っていくっていうことがどういうことか、この作品を執筆するなかでつかみ取ってやろうと思っていましたね」
―『ドッグマザー』の作品世界は2007年に刊行された『ゴッドスター』と地続きになっています。先ほどおっしゃっていたような“日本という国家の本質”を書くにあたって、過去の作品を活用しようと思った理由は何だったのでしょうか。
古川
「『ゴッドスター』はすごく“開いた”終わり方だったので、その開かれた道に乗ってみたいというか、道が開かれているならその先を歩かなくちゃいけないという気持ちが強かったんです。『ゴッドスター』が拓いたフロンティアは何だったのかということが、自分の中にちょっと残っていて。
だから、続編を書こうという発想ではなくて、『ゴッドスター』から、それよりももっと強靭な新しい小説を立ち上げたいというのが着眼点だったと思います。
『ゴッドスター』は女性が主人公でした。自分の感覚でいうと、女性って守るべきもの、戦うべきものが割と可視化されているところがありますけど、男性はそれだけでは済まなくなってくる。そこで、男性を主人公とした“それだけでは済まなくなってくる”小説を書くことによって、生きているとどうしてもぶつかる“国家”という不思議な概念を描けるのではないかと思ったんです」
―執筆する際に心がけたことやテーマがありましたら教えてください。
古川
「文章を、今までで一番夾雑物がないものにしたいとは思いました。
“いい文章”を書きたかったのですが、それに基準がありません。日本には美文っていう、よくわからない概念がありますけど、そういったものには興味がなかった。とにかく“このレベルの文章が書けるなら自分が納得できる”という文章を書きたいというのが第一でしたね。
基本的に一人称の小説なので、語り手を徹底的に書くことは重視しました。彫刻でいったら、細かくノミを入れて輪郭までわかるくらい削ってプロフィールを作っていくという作業です。この作品の執筆は、そういう作業と文体とが並行して手綱をひかれている状態だった気がします。
他にも二つくらいルールがあって、性描写を徹底的にやるということと、京都弁を書くこと。どちらもはっきりと挑戦で、京都弁はまったくわからなかったけど、勉強したり、耳を研ぎ澄ませながらとにかく書いてみて、チェックは最後にしてもらいました」
―確かに“性描写”と“京都弁”には執着といいますか、熱意を感じました。このルールはどういった論理で選ばれたのでしょうか。
古川
「性描写に関しては、とにかく逃げないっていう言葉しかないんですけど、要するに世界が“国家”みたいな概念でできていて、そこに女性的な肉体性・具体性が必要だとしたら、その具体性を発する部分には行かないといけないと思いました。これはもう徹底的に書かない限り、つまり性交の場面を徹底的に書かない限りは国家には言及できないというのが直感としてあったんですよ。
京都弁に関しては、理屈でいえば京都弁っていうのはもともとの日本語だからっていうのはあるんですけど、そういう理屈じゃなくって、不得意なものにまっすぐ入らないとダメなんじゃないかなと思ったんです。今までの自分の小説の文章は、基本的に自分が得意な文章を書いていました。それが個性だと言われたり、ポジティブに評価されたりもしましたが、得意なことだけやっていても先はないというのはありました。だから、まったく無理なことをやってみようと思って。そりゃ無理なんですよ、京都弁を書くなんて(笑) でもやってみたいと思ったんです
」
■ 「小説で震災に触れれば、震災でできた傷をいじり続けられるんじゃないか」
―次に第三部についてお聞きします。この第三部だけが震災後に書かれていますが、震災の体験はこの作品に、あるいは古川さんの想像力にどのような影響を与えたのでしょうか。
古川
「一言でまとめることは難しいのですが、自分も含めて“人は忘れる”っていうのがあります。
震災直後に多くの人が“戦後みたいだ”と言っていましたし、自分も言っていました。津波の後の風景を見た時も、これは被爆した風景のようだと感じたんですけど、実は戦後に一番に近い点は、少し時間が経つともうその出来事を忘れたかのようにみんな豊かさとかチャラチャラしたものに向かっていったということじゃないかなと思ったんです。
自分も戦争については“なんで昔の人はあんなにさっさと忘れたんだろう”と思っていたんですけど、我々も同じだなと。そういう意味でも今は戦後だなと思っています。
自分が震災後にできることは、あの出来事を忘れないための楔を一個か二個、うまくすれば三個くらい打っておきながら、イデオロギーで転向するのではなく、作品を作ることは全く変えないままに、震災で生じた自分の傷口を広げ続けることなんじゃないかと思います。
小説を書くというのは自分の深い部分に降りていくことなので、小説を書く時に震災に触れれば、その傷をいじり続けられるんじゃないかという気がしますね。抽象的にしか言えないんですけど」
―第三部には震災後の世界が描かれています。当然、最初の構想には“震災”はなかったかと思いますが、この第三部を書くにあたり、第一部・第二部からどのような方向転換をされたのでしょうか。
古川
「まず完全な一人称小説ではなくなってしまったことですね。主人公“僕”の一人称でいくはずだったのに、それでは物語世界の現実を引き受けきれないということで、ママの手紙という形で語り手を増やしました。もちろんこれは手紙なので、一人称で“あたしは”と書いているんですけど、単純な一人称小説を貫くっていうのは崩さざるを得ませんでした。でも、崩したことで現実と向き合う視点を二つ用意できて、距離を変えることができるようになったんです。
僕は、昨年の6月22日に、震災の後初めて西日本に行ったのですが、まず驚いたのは、震災から3カ月と11日経過した時点で、それが結構忘れられてきていることでした。
たとえば、大きな神社にお願い事のお札が奉納されてるでしょう?震災直後は、みんな“震災が落ち着くように”とか“被災地の人たちが…”とか“原発が…”とか書いていたと思うんですけど、あの時点では“合格祈願”とか“恋愛成就”ばかりでした。本当にそればかりだった。東日本と西日本でこれほどすごい温度差があったのかと驚きました。でも、揺れない場所で、津波が来なくて、放射能も持ち込まれない限りは来ないという場所であれば、それは仕方ないんですよ。それもあって、同じ国の中、国家という概念の中で震災が起きたとしたら、それを表現するためには二つの異なった場所を書くしかないと思ったんです。
それが第三部で京都と東京が舞台になっている意味です。東京だと半分くらい被害者の視点があって、それを主人公の“僕”が語っている京都と対比させることで、今起こっていることがきちんと小説として書ける」
―古川さんは被災地でもある福島のご出身ですが、京都と対比させる対象として被災地を書くというアイデアはあったのでしょうか。
古川
「被災地までを書こうとすると、その想像力は作りごとに近づいていくんじゃないかという気がしました。
出身が福島なので、僕が被災地を書くとしたらそれは小説から離れたものになってしまいます。でも、僕はここで完全なる小説を書かなかったら、震災後に作家をやることを引き受けられないと思ったんです。じゃあどうしたら小説の中に震災を入れられるんだと考えた時に、京都が舞台の小説の中に東京というポジションを出して、そこからの視点を見せることで、震災の時に何が起きていて、みんなどうだったか、どんな雰囲気だったのかを書けるんじゃないかと思いました。
どんなにデータベースやネットがあっても、検索しない限り情報は出てきません。そのうちに、震災時にペットボトルの水が配られたなんていうことも忘れられてしまう。だから、誰かが書いておかないといけないと思っていました。
震災前に書いていた小説が連載を含めて三つくらいあったんですけど、震災の後、書けなくなってしまって、実際に一つはやめてしまいました。ただ、この作品は第二部までは書いてあって、破棄はできなかった。破棄できないとしたら、第三部は違うものとして出すしかないと思いました。」
―震災の後、書けなくなったというのは、具体的にはどのような心境だったのでしょうか。
古川
「書く意味がわからなくなってしまったんです。あとは書いちゃいけないものは徹底して書かないようにしていました。あの時、みんな今何を書くべきかをすごく考えていて、何か言わなくちゃいけないから言っていたんだと思うんですが、僕はその場で有効でない言葉は一切発しないということを自分に課していました。そうすると、あれもやめるこれもやめるとなった。それでも出てくる言葉があったら、それについてはもう頭を使わずに書くという選択しかできませんでした。
大事なのは純粋な小説をいつどこで発表できるのかということで、それは『ドッグマザー』が完成するまで待つしかなかったんです」
―第三部では“国家と宗教”というテーマも読み取れました。震災による宗教観の変化もありましたか?
古川
「宗教は最初から書こうとしていたことではあります。ただ、ショックだったのは震災の後、主要な新宗教のホームページを見た時に誰も対応してなかったこと。後から色々と、はじめからあったかのように言い出したんですけど、最初は誰も何も言っていない。それくらい予言しろよっていう憤りはすごくありました。宇宙人と交信して本出してるならそれくらい予知しろよという。でもそのうちに、結局は訳がわからないことが起きたら、それを引き受けるということは合理的ではないと思ったんです。その合理的じゃない部分を書きたいと思いました。
それは日本の国家もそうで、合理的な国家じゃない。民主主義国家ではないんです。この作品で天皇制について書かざるを得なかったのはそういうところだと思います。
僕は橋下徹って、人間的にはあまり興味がないけれど、この間出自についてバッシングされていましたよね。親父が政治家だと二世三世の政治家になっても良くて、出自によっては政治家になっちゃいけないっていうのは民主主義じゃない。だとしたら、この国家は何なのか?
そういうことを真剣に考えなくていいようにどうも天皇家がいるようだ、と。何の国家か規定しなくていい逃げ道として現在の天皇家がいるんじゃないかと考えました。
そのことと日本的な宗教のあり方は全く一緒なので、それは書かないと僕たちが生きているこの社会をリアリズムで書くことはできないと思いました」
―作品を通して主人公の意識の流れが綿密に書き込まれていたように感じましたが、こういったことは重視していましたか?
古川
「意識はしていましたね。あの主人公の考え方って移っちゃうから、書いている途中に“なんでこんなに難しい言葉で物事を考えているんだろう?”って思っていたけど(笑)
“意識の流れ”っていうと、文学的な手法ではモヤモヤした泡みたいなものが次々と連なっていくっていうのがジョイス以降の伝統ですけど、そうじゃなくて常に精緻に論理的に考えている人の意識を追っていったらどうなるのかっていうのがこの小説では試みられています」
―古川さんの文体は特殊といいますか、かなり特徴的だと思いましたが、こういった文体は小説を書き始めたころからある程度固まっていたのでしょうか?
古川
「特殊でしょう(笑)特殊だと思いますよ。文体は、小説を書き始めたころは全然固まっていなかったです。小説の書き方もわからなかったし。話し言葉とは全然違うから、手探りで赤ちゃんが言葉を覚えるみたいに小説の言語を掴むしかなかったのですが、そういう時に日本の小説はあまり役に立ちませんでした。それは裏を返せば美文だということだと思うんですけども、どこか掴みどころがなくて、するする手の間から逃げてしまう気がしていましたね。
でも、翻訳小説の言葉はとっかかりがたくさんあったので、そこから学んでいったかな…」
■ 「作品を書くために、常に学んでいないといけない」
―古川さんが小説を書こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか? 創作活動のはじまりは小説でなく演劇だったということですが。
古川
「そうですね。最初は戯曲を書いていたんですけど、戯曲だと逃げられるところが多いんですよ。というのは、自分のせいじゃないことが多くて、たとえば役者が稚拙とか、人数が足りないとか、制約が多かったし予算もかかりますしね。バイトして稼いだお金を注ぎ込んだり、公演中はバイト休まないといけないとか(笑)とにかく不自由が多かった。
そういうことが自分が書こうとしている物語や創造の制約になっているとしたら、それを外さないといつまでも逃げてしまうと思ったんです。戯曲やめて小説を書けば、制約がなく全部書けるんじゃないかと。
でも、結局デビュー作の『13』っていう小説は書きあげるのに4年かかって、分量も1100枚とかになっちゃって、制約がないと大変だなと思い知ったんですけど(笑)
今は書いた小説がひとつひとつ極められているから、これからは戯曲的なものも試みていくと思います」
―最初は書き方がわからなかったとおっしゃっていましたが、わかるようになってきたというか、何か掴んだという瞬間はありましたか?
古川
「なかったなあ(笑)ただ、だんだん気持ち良くなってくる瞬間はありました。それは二作目を書いていて、急に一人称で書き始めた時で、すごく書きやすかったんです。
これは何だろうと思って、三作目で一人称を徹底して貫いたら、詩のような小説になってしまって、これは小説じゃないなと思ったり。そうやって実地で試しながらバランスを考えてやってきた感じですね」
―“小説を書くことは自分の深いところに降りていくこと”とおっしゃっていましたが、小説は一日では書き終えられないことがほとんどで、翌日途中から、ということになるかと思います。そういった時でも、すぐに自分の深いところへと入っていけるものですか?
古川
「基本的にはいつも苦しいですよ。パッと入るための自分なりの条件は、とにかく朝書くこと。新聞を読む前に書くとか、脳みそをまっさらにするためにバロック音楽を聴いいておくとか、いろんなルールがあります。そうやって気分を執筆に合わせておかないと、昨日まで書いていたものの続きを書くのは難しいです。
そういうことをしないでも書ける人もいると思うんですけど、僕は小説の中に体当たりでダイブするところがあるので、気をつけておかないとプールに水が入っていないのにダイブするような状態になってしまいます」
―古川さんが人生で影響を受けた本がありましたら3冊ほどご紹介いただけますか。
古川 「ボルヘスの『エル・アレフ』とマルケスの『百年の孤独』です。あとは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』かなあ…。3冊ってきついですね(笑)」
―南米文学がお好きなんですね。
古川 「物語と言葉がどちらも豊饒っていうのが日本の小説にはあまりないんですよね。物語だけを追うとエンターテイメントになって文章は読みやすくなり、文章を重視すると物語性は薄くなって純文学になる。純文学とエンターテイメント小説の違いって文章と物語とのバランスってことだと思うんですけど、僕は単純に両方あったほうがいいと思います。南米小説にはそれがあって、しかも色ものではなくアカデミックに評価されていた。それはびっくりしましたね。個人的にはあまりアカデミックなものに興味がないのですが」
―執筆は朝するということですが、午後はどのように過ごしていますか?
古川 「運動したり、本を読んだりですね。あとは、勉強というものをしたり…」
―どんなことを勉強されているんですか?
古川
「教養ですね。今まで教養がなかったなと思って。雑な育ちをしているので(笑)
小説って、小説だけで評価できるものじゃなくて、もっと美的感覚とか音的な感覚とか、自分の作品ならもっと歴史性を持つとか、色々な要素があります。だからこれから作品を書いていくためにも、常に学んでいないといけないと思っています。
年齢を重ねて、世の中には僕では太刀打ちできないほどすごい人がたくさんいることがどんどんわかってきました。
30代後半の頃はみんな大したことないなってちょっと思っていたんですけど、それって自分の土台が小さかったんですよね。自分で作った土俵の中では一番でも、その土俵を揺らしてみたらもっと大きな土俵が見えてきて、みんな大したもんだなと思うようになった。
世の中はすごい人ばかりだって思えるのはすごく気持ちよくて、子どもの頃に戻ったような嬉しい気持ちになります」
―最後に読者の方々にメッセージをお願いします。
古川 「これから本なんてコンビニでも売られなくなるし、本屋もどんどん潰れていって、本を読む人なんてもっともっといなくなるから、自分が選び取って本を読んでいるんだっていうプライドをもっと持て、といいたいです」
■ 取材後記
言葉の端々から小説に対する純粋さや真摯さが伝わってくる方だった。常に自分を磨き続け、作家であることとはどういうことか?という問いを考え続けるその姿勢は求道者のよう。
『ドッグマザー』はそんな古川さんの長年にわたる鍛錬と試みの賜物。一言一句逃さずに読んでほしい作品だ。
(取材・記事/山田洋介)
■古川 日出男さん
1966年福島県生れ。1998年に『13』で小説家デビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞を、2006年『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞。『ベルカ、吠えないのか?』『ゴッドスター』『聖家族』『MUSIC』『TYOゴシック』『馬たちよ、それでも光は無垢で』など、著書多数。
解説
老犬博文とともに京都へやってきた青年。そこで暮らし始めた彼の眼に映るのは京都の地下世界、宗教、震災、そして国家…。第一部「冬」、第二部「疾風怒濤」、第三部「二度めの夏に至る」と3.11を経た作家の爆発的想像力が、新たな小説世界を創り出す。
■インタビューアーカイブ■
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