第34回の今回は、著書『海遊記』を刊行した、仁木英之さんです。
『海遊記』は、天竺を目指す仏教徒・義浄を描いた冒険小説。日本では、天竺へ行った僧といえば“三蔵法師”ですが、 それとほぼ同じ時代に天竺を目指した義浄という僧は一体どのような人物だったのでしょうか。
作品の成り立ちや、仏教について、仁木さんの読書歴まで、広くお話を伺いました。
- 1. “海の西遊記”を書こうと思った
- 2. 中国は一番近いファンタジー世界
- 3. ギャルゲーの二次創作からオリジナル小説へ
- 4. 取材後記
■ 「“海の西遊記”を書こうと思った」
―本作『海遊記』は義浄という実在した人物が天竺に向かう冒険を描いています。今回この人物を取り上げたことにはどのような理由があったのでしょうか。
仁木 「この話にも出てきますけども、義浄の少し前に玄奘三蔵という人が天竺に行きまして、日本では“天竺に向かったのは玄奘”っていうイメージがありますよね。でも、実は玄奘の前にも法顕という人が陸路で天竺に行っているんです。そして、玄奘のすぐ後に行ったのが義浄というわけなんですが、どうしても玄奘の影に隠れてしまうんですよね。
そういうこともあって、玄奘と近い時代に天竺に行った理由を考えたり、義浄が書いた書物を読んだりしたんですけど、すごく性格が出ていて面白いんです。友達にはなりたくないタイプなんですけど小説の題材としては最高の人物。それで、玄奘は陸路で天竺に向かいましたが、彼は海から行ったということで、“海の西遊記”を書いてみようと思ったんです」
―仁木さんご自身も仏教徒なんですか?
仁木 「信条的には仏教徒だと思うんですよね。お寺にいたこともないですし、どこの信者と名乗れるほどでもないんですけど、キリスト教やイスラム教や、いろいろな新宗教の教義を読んでみても、一番しっくりくるのは仏教なのかなと思います」
―義浄について、友達にはなりたくない人物だとおっしゃっていましたが、実際の義浄もこの物語に描かれているように、頑固一筋で偏屈な人間だったのでしょうか。
仁木 「そういう人物だった気がするんですよね。彼が書いた仏教の戒律に関する書物があるんですけど、いかに今の中国が間違っているか。古来のインドの戒律が正しいかということを、それこそ延々と書いているんですよ(笑) 一度そう思うとそれを絶対に曲げないし、許せないことがあると絶対許さない。そういう人が友達だと結構しんどいじゃないですか。そういう男だったんですけど、ところどころに愛嬌があって、それを膨らませたのがこの物語で書いたキャラクターです」
―執筆するにあたってどういう物語にしようとイメージしていましたか?
仁木 「難しい仏教の話にはしないでおこうと思っていました。たとえば神様はいると信じている人でも、24時間365日ずっと神様を意識しているかというと、そうでもないと思うんですよ。宗教の中身を引っ張り出して書くことも偉大なことだと思いますけど、そんなことよりも義浄というおっさんが船に乗って旅をしたことを書く方が面白いじゃないかと思ったんです」
―確かにすごく読みやすかったです。昔の中国ものって読む前に身構えるじゃないですか。
仁木 「ああ~やっぱり!みんなそう言うんですよね。タイトルが全部漢字で、表紙は坊さんが合掌しているイラストっていうことで身構えてしまうっていう。表紙はイケメンにしておけばよかった(笑)」
―執筆にあたり、かなり資料を読まれたとのことですが、義浄の外見に関する記述はありましたか?本書の中には“焼き固めた煉瓦のような顔”といった記述もありますが。
仁木 「それはなかったですね。義浄の外見に関しては想像を膨らませて書きました。肖像画すらあるようなないような人なので」
■「中国は一番近いファンタジー世界」
―内容についてですが、義浄とその弟子の善行のやりとりがとてもユーモラスで面白かったです。ドン・キホーテ的といいますか。
仁木 「風車に向かって槍で突っ込んでいく、みたいなね。でも突っ込んだ先に何かあるかもしれないですよね。それをやったのが昔の冒険者たちだと思うし。義浄に関して言えば、風車の向こうに本当の仏の教えがあるかもしれないということです。義浄みたいな人間がいたら普通の人は引きますよね。でも、確かにすぐ喧嘩するし困った奴なんだけどたまに一緒に飲むと楽しい人っているじゃないですか、義浄はそんな感じですね。反対に弟子の善行については一般の人の代表という位置づけです」
―書いていて一番楽しかった場面はどこですか?
仁木 「楽しい場面しかなかったです。でも一番盛り上がったのはやっぱり最後の城砦船のところでしたね」
―個人的には大乗燈とミンピのエピソードが物悲しくて好きです。
仁木 「あそこもいいですね。誰かを好きになったことがある人だったらミンピの無念がわかると思うし、大乗燈の迷いもわかると思います。この時代は一回離れたら連絡を取るのも困難だったでしょうから特にですね。今はツイッターやら何やらですぐ連絡が取れてしまって、逆に逃げられない環境ですけども」
―すばらしい冒険小説である本作ですが、同時に義浄というキャラクターを通して「宗教の戒律と世俗的な生活との折り合い」の悩ましさも読み取れました。特に大乗燈とミンピの物語にそれが表れていたように思うのですが、一般の仏教徒はどのように現実生活と折り合いをつけていけばいいとお考えですか?
仁木 「出家していない人は普通に暮らしていたらいいと思います。本来の釈迦の仏教っていうのはあくまでも生き方の哲学で、いかによく生きて、いかによく死ぬかっていう、ある意味自己啓発なんです。 人って死ぬのはやっぱり怖いじゃないですか。僕も今年の春にちょっと胃を悪くしたんですけど、それだけで死ぬのが怖いって泣きそうになってましたから…というか泣いてましたから(笑) そういう、人が普遍的に持っている生病老死という苦しみの元を和らげようとしたのが本来の釈迦の教えです」
―仁木さんの作品には、本作の他にも中国が舞台として出てくる作品が多くありますし、仁木さんご自身も中国に留学されていました。この国にどのような魅力を感じたのでしょうか。
仁木 「中国って一番近いファンタジー世界なんですよね。日本にないような歴史がありますし。たとえば、日本なら戦争で何百人何千人と亡くなったら大戦争ですけど、向こうは何十万人という規模ですから。それがいいとか悪いじゃなくて、自分の想像から桁が外れた何かがあると思ったんです。今の中国はともかく、古代の中国っていうのは想像力の受け皿として楽しい場所ですね」
―中国への留学は語学留学だったんですか?
仁木 「いえいえ、単に就職したくなかったんです(笑) 就職したくなかったので勉強するという体で…。だから留学中は『鉄拳2』ばかりやってました(笑)」
■ ギャルゲーの二次創作からオリジナル小説へ
―仁木さんが作家になろうと思ったきっかけがありましたら教えてください。
仁木
「小学生時代はよく本を読んでいたんですけど、思春期に入るとエロ本ばっかり読むようになって、それから30歳くらいまでエロ本しか読んでいなかったんですよね(笑)
僕は26歳の時に独立して塾を経営して、それから4、5年は忙しかったんですけど、31歳くらいの時にがくっと暇になったんですよ。その時にとあるギャルゲーをやりまして、そこから二次創作にハマったんです」
―最初は二次創作だったんですね。
仁木 「そうですね。で、その『CLANNAD』っていうギャルゲーの二次創作にハマって文章を書き始めたんですけど、その時の仲間にオリジナルの小説を書かないかって言われて、書いてみたら今度はオリジナルの魅力にハマったんです」
―初めてオリジナルの小説を書いた時の感想を教えていただけますか。
仁木 「こんなに自由なんや!と思いましたね。どうしても二次創作だとキャラクターと設定は決まっているじゃないですか。最初はそれが楽だったんですけど、だんだん窮屈になってきてしまったんです」
―仁木さんといえばご趣味で格闘技をされているとのことですが、格闘技の魅力はどんなところにあるとお考えですか?
仁木「格闘技って筋肉バカがやるように思われがちですけど、実はすごい頭脳戦なんですよ。総合格闘技もフルコンタクトの空手も体全体を使う将棋です。いかに自分の櫓を守るか、飛車を攻めるかということを考える。一瞬でも気を抜くと負けてしまうし、手を尽くせば自分より強い相手でも互角に戦える。そういうところがゲームとしてすごく面白いんです」
―小説を書くことと共通点はありますか?
仁木 「なんでしょう。とにかくやっている時はそのことだけに入り込めるというところは両方同じですね」
―仁木さんが人生に影響を受けた本を3冊ほどご紹介いただけますか。
仁木 「1冊目は吉川英治さんの『三国志』ですね。一番最初がそれでした。2冊目が開高健さんの『オーパ!』。もう1冊は小田実さんの『何でも見てやろう』です。これは未だに行き詰まると読んでますね。気持ちがスッとするんです」
―小学生時代まではたくさん本を読んでいらしたということですけども、当時はどのような本を読んでいましたか?
仁木 「当時は今あげたようなものとか、平井和正さんの『幻魔大戦』や栗本さ んの『グイン・サーガ』などを読んでいました。とにかく雑食でしたね。『のらくろ』から百科事典まで本当に何でも読んでいました。中学生 になるとエロとアニメに行ってしまったんですけど(笑)」
―インターネットで、好きなサイトやよく見るサイトはありますか?
仁木 「今はツイッターにいることが多いです。小説を書きながらタイムラインを流しておいたりしてます」
―ツイッターが出てきたことでファンの方とコミュニケーションを取る機会が増えたかと思いますが、そういったことは作風に影響を与えたりしますか?
仁木 「それはないですよ。読んでくれた人はこんな風に考えているんやな、とわかることはありますけど、それがすぐ何かに反映されるということはないです。あくまで何千何万という方の中の一つの意見なので」
―今後の執筆予定を教えていただければと思います。
仁木 「朝日新聞出版から五代史シリーズの第3弾『耶律徳光と述律』が出ます。あとは来月講談社から『千里伝』の第3巻が出ます」
―最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。
仁木 「敷居が高そうに見えるかもしれませんが、低いのでぜひ読んでみてください」
■ 取材後記
お会いした仁木さんは、関西弁で小気味よく話す、気さくな方。仏教関係のお話をしていただいた時は、的確な具体例を交えて説明してくださったので理解しやすかった。 『海遊記』は、ご本人が「敷居が高そうに見えるかもしれませんが、低い」と語るように、純粋に冒険小説として素晴らしい作品なので、宗教を扱っているからといって身構えずに、ぜひ一読してみてほしい。(取材・記事/山田洋介)
■仁木 英之さん
1973年大阪府生まれ。信州大学人文学部卒業。
在学中には北京に留学、その後、塾講師などを経て2006年『夕陽の梨』で第12回学研歴史群像大賞最優秀賞を、
『僕僕先生』で第18回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビュー。
同作は『薄妃の恋』『胡蝶の失くし物』『さびしい女神』『先生の隠しごと』とシリーズ化され、人気を博す。
ほかに『千里伝』『朱温』『高原王記』『くるすの残光』『黄泉坂案内人』など著書多数。
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん