第32回の今回は、新刊『四龍海城』を刊行した乾ルカさんです。
一学期最後の日、自宅の近くの海に建つ奇妙な塔に迷い込んだ主人公の中学生・健太郎。そこで出会った同年代の少年・貴希との交流と、塔から脱出するための「出城料」を探る冒険を描いた本作は、どのようにして生まれたのでしょうか。
- 1. ラスト一行を書くために長い前ふりを書いた、というところはあるかもしれません
- 2. 仕事って辛いものじゃないですか。お金を稼ぐって辛いことなので
- 3. 考えている人を見るのが好きなのかもしれません
- 4. 取材後記
■ 「ラスト一行を書くために長い前ふりを書いた、というところはあるかもしれません」
―北海道札幌にお住まいとのことですが、東京の暑さはいかがですか?
乾ルカさん(以下、乾) 「東京では絶対生きていけないと思います。普通に『あ、私死ぬな』と。彼岸が見えました(笑)」
―乾さんというとホラーの印象が強いのですが、本作『四龍海城(しりゅうかいじょう)』にはまた別の種類のグロテスクさがありますね。
乾 「デビュー作がホラーだったのでそういうイメージがあるのかもしれませんが、私の場合はホラーを書いてやろうと思って書いたものはほとんどないんです。作品として出回ってしまうと、ホラーだという感想を持たれることが多いんですけど」
―本作は新潮ケータイ文庫DX(新潮社直営の総合読み物サイト)で連載されていましたが、紙媒体ではないということで、執筆の際に普段との意識の差はありましたか?
乾 「大きな違いはなかったと思うんですけど、掲載時に原稿用紙5枚分くらいずつ毎日更新していくということをお伺いしていたので、各場面がそれくらいで切れていた方がいいのかな、とは考えましたね。特別に携帯電話向けにと意識したことはなかったです」
―執筆していて行き詰ってしまったところはありましたか?
乾 「書いている途中にちょっと中断したところはありました。短編など、他の仕事も受けていて、そちらは厳密な締め切りがあったんですけど、この作品は編集者の方が融通を利かせてくださって、出来上がるまで待ってくださっていたので、短編の方をやっているうちに手が止まってしまったことはありましたね」
―ちなみにどのあたりですか?
乾 「ラジオが直った直後あたりですかね。そこで止まってしまって、再開するのに“よっこいしょ”という感じになりました」
―本作を書き上げるにあたって苦労した点がありましたら教えてください。
乾 「長編自体が得意ではないので、書くことそのものに苦労はしました。構想したものを小説にする作業で、“頭ではこう考えているんだけど書くとうまくいかない”というようなことは結構ありましたね。自分の文章力が追い付いていないのでしょう」
―本作はどのようにして生まれたのか、その着想のきっかけを教えていただけますか。
乾 「きっかけはあったんでしょうけど、もうあまり覚えてないです。ただ、目には見えているけど、そこにどんな人がいて、何をやっているかがわからないというような得体の知れない場所が私自身好きなので、そういう場所への冒険心というところから思いついたのかもしれませんね」
―本作は冒険小説としてすばらしい作品ですが、最後はとても悲しい結末を迎えます。あのラストは当初から考えていたものだったのでしょうか。
乾 「そうですね。最後のあの一行を書きたいがために、すごく長い前ふりを書いたというようなところはあるかもしれません」
―ファンタジーの要素を持ちながらも、現実世界とのつながりも随所に感じさせる作品設定になっています。このような設定にした理由は何だったのでしょうか。
乾 「まるっきり現実とは別の世界を作ると、ものすごく設定が面倒くさくなって私の手には負えないんじゃないかなと(笑)それに、日常の隣にある異世界っていうものに私自身惹かれるところもあります。多分、私自身がそういうところに行ってみたいんだと思うんですよね。なので、まるっきり別世界にしてしまうと自分もそこに行けないじゃないですか。だから実在の地名を入れたりしているんだと思います」
―エンターテイメント性はもちろん、本作からは様々なテーマを読み取ることができます。この作品で乾さんが一番書きたいと思ったテーマは何だったのでしょうか。
乾 「それはやはり友情じゃないですかね。私は昔から友達がいなかったものですから…(笑)」
― 一人もですか…!?
乾 「一人もいなかったわけではないんですけど、少数精鋭で(笑) 小学校から高校までみんなで集まってワイワイやるタイプではなかったので、友情の絆っていうものに過剰な憧れを抱いているんだと思います。だから、私の頭の中での理想というか、行きすぎた部分はあるかもしれませんけども、そういう憧れは出ていると思います」
―なるほど。しかし、本作では女の子同士の友情ではなくて男の子同士の友情が描かれていますね。
乾 「女の子同士の友情も書いたことはあるんですけども、この作品では男の子でしたね。この本の世界を書くにあたって、女の子同士だと面倒くさい展開になりそうだったので。あと、なんか生々しいですけど生理はどうするんだっていう話も出てくると思うし(笑)」
―お友達が少ないとのことですが、親しくされている作家さんはいらっしゃるんですか?
乾 「たまにお会いしてお食事したりお茶をしたりするのは桜木紫乃さんですね。桜木さんはうちの近くにお住まいなんですよ」
―作家さん同士が会うとどんな話をされるんですか?
乾 「桜木さんはナナちゃんっていう犬を飼ってるんですけど、その犬の話が多いかもしれません。あんまり小説の話はしないです。一応お互い新刊が出たら送り合ってはいるんですが、感想とかは話さないですね。そういうのはあの世に持って行こう、ということで (笑)」
担当編集・西さん 「編集者の悪口とかは出ませんか?」
乾 「えっ…言わないですよ。ごくたまに話題に出ることはないとは言いませんけど(笑)」
■ 「仕事って辛いものじゃないですか。お金を稼ぐって辛いことなので」
―乾さんが小説を書くようになったきっかけはどんなことだったのでしょうか?
乾 「私は20代半ばまで官公庁の臨時職員をやっていたんですけど、その契約が満了した時点でハローワークに通い始めたんです。私は真剣に就職活動をしているつもりだったんですけど、母からはすごく自堕落に見えたらしいんですよね。それで“あんたそんなにヒマなら小説のひとつでも書けば?”と言われたのがきっかけです」
―お母様から見たら、本気で勧めているのか嫌味のつもりなのか…
乾 「嫌味のつもりが大きかったんじゃないですかね(笑)」
―それで小説を書いてみたらすんなりとデビューに結びついた、ということでしょうか。
乾 「いえ、デビューできるまでは長かったです。母に言われて書いた作品がビギナーズラックで最終選考に残り、“なんだ、いけるじゃん”と勘違いしてしまったんです。それから先は全然駄目だったんですけれど、すでに引き際を見失ってしまっていて…。そういう勘違いもあって、結局デビューするまでは書き始めてから10年近くかかりましたね」
―初めて小説を書き終えたときの感想はどのようなものでしたか?
乾
「楽しかったですね。小説を書いて投稿している時は本当に楽しかったです。そうでない時ももちろんありましたけど、基本的には今よりずっと楽しかったと思いますね。
書き始めて間もない頃は、書いたものを読み返すと“面白いじゃない”って思っちゃうんですよ。そして投稿しては落選っていうことになるんですけど。
でも、“次はこんなの書いてみようかな”って言う感じでそれも楽しめていましたね。
当時は正社員じゃなかったんですけど会社勤めをしていましたから、“昼はこういう仕事をしてるけど、家に帰ったら小説があるし”というところで救われていた部分もあったと思います。デビューするまでに時間はかかりましたけど、辛いと思った時期はわずかでした」
―どんな時に辛いと思われたのでしょうか。
乾
「投稿を始めて早々に最終選考に残ったので、続けてみようと思ったんですけど、その後はパッタリと引っ掛からなくなってしまったんです。当時は、応募した賞の文芸誌などで中間選考結果を見ることができるのを知らなくってチェックしていなかったので、一次選考で落ちてるのか二次選考で落ちてるのかっていうのがわからなかったです。
それでもデビューする2年くらい前から、割と出せば最終選考まで残していただけるようになったんですけど、受賞には至りませんでした。“誠に残念でしたが今回は…”っていう電話を5回くらい聞きました。“私も嫌だけど電話をかける人も嫌だろうな…”って思ったりして、そのあたりから辛くなり始めて
」
―それだけの苦労の後で、受賞の知らせが来たときはうれしかったでしょうね。
乾 「受賞の電話が来た時はうれしかったですけど、うれしかったのはその一晩だけでしたね。後は辛いことばかりです」
―楽しんで書いていたものが仕事になってしまうわけですからね。
乾 「そうですね。仕事ってまあ辛いものじゃないですか(笑) お金を稼ぐって辛いことなので」
―今はもう純粋に楽しんで小説を書くことはできていないのでしょうか?
乾 「そうやって書けたらいいんですけど、もうそういうことはないんじゃないかなと思います」
―では、書くことに限らず、職業作家をされていて楽しい瞬間はありますか?
乾
「…楽しい瞬間なんてありますかね?(笑)
私は今のところそういうのはなくて、作品を書き上げた時も、“これで奉公を一つ終えた”っていう安心感の方が強いです。楽しいというよりもホッとする感じ」
―乾さんご自身を振り返っていただいて、作家としての個性はどんなところだと思いますか?
乾 「何を書くかわからないところではないでしょうか。これを個性というのかはわからないですけど。よくこういった取材で“前作とはまたちょっと雰囲気が違って…”ということをよく言われるんです。作家さんってそれぞれカラーのある方が多いと思うんですけど、私にはそれがないみたいで。だから、無理やりではありますが、これを個性と言わせていただければと思います」
―デビューから4年経ちましたが、執筆のスタイルや日常生活など、デビュー当時から変わったことはありますか?
乾 「すごく変わりました。2年前までは会社に勤めていたので、専業作家になったのは最近なんです。会社が潰れてしまって、専業にならざるをえなくなったんですけど(笑)」
―そんな事情があったとは…。でも、意図せず専業作家になってしまったにもかかわらず、やっていけているのはすごいことだと思います。
乾
「今だけだと思います。そのうちまたハローワーク通いが始まる…(笑)
専業はやっぱり経済的な不安が大きいので、いいことではないと私は思っています。今は勤めは無理だと思いますけど、できることなら高校時代に戻って公務員になればよかったなとも思いますね。頭が悪いから不合格だったでしょうが。万が一公務員になれていたら、作家になりたかったなぁ、とか思ってるんでしょうけど
」
―乾さんが人生に影響を受けたと思う本がありましたら3冊ほどご紹介いただけますか?
乾
「まずは大崎善生さんの『将棋の子』です。将棋の奨励会って年齢制限があって、その年齢までに四段に昇段できないと強制的に退会させられてしまうんです。この本は、そうやって棋士になれなかった方のその後の人生を追うっていうノンフィクションなんですけど、この本を読んだ当時は小説の投稿を続けていた時期で“私は何回落ちても何年落ちても、小説には年齢制限がないからこの人たちよりずっと恵まれているんだ”と思いましたね。
次は『ガラスの仮面』。学生の時から大好きで、友達に1日4冊借りてはその日のうちに読んで、翌日授業中に返して、ということを続けていました。あと1冊は、初めて本格的に小説に触れたという意味で、筒井康隆さんの“七瀬三部作”。中学校の図書室に『七瀬ふたたび』と『エディプスの恋人』があったんですよ
」
― 三部作の二作目と三作目だけがあったんですね。
乾 「なぜか一冊目だけがなくって。多分、最初からなかったと思うんですけど、結局卒業までなかったです。私は友達に借りられたからよかったですけど」
―『将棋の子』の名前が出ましたが、将棋はお好きなんですか?
乾
「将棋もチェスもルールはわからないんですけど、見るのは好きなんです。昔、衛星放送が始まったばかりの頃は将棋のタイトル戦になると、それぞれの棋士が延々と長考しているところも中継していたんですよね。
当時、私が勤めていた職場は結構ぬるくて、テレビがずっとつけっぱなしになっていて、職員も年配の男性が大半だから、みんな囲碁・将棋が好きだったんです。だから中継があると、仕事中もずっと流しっぱなしで、囲碁だったら趙治勲さんがマッチをぱっちんぱっちん折りながら長考しているところがずっと映ってるんですよ。そういうのを見るのが好きなんですよね。考えている人を見るのが好きなのかもしれません」
―最後に、読者の方々にメッセージをお願いします。
乾 「今回は長編ですが、最後まで読んでいただけたらうれしいです」
■ 取材後記
読者をぐいぐいと引っ張る冒険小説の作者とは思えないほど、お会いした乾さんは華奢でチャーミングな方でした。本人が「何を書くかわからないのが個性」と語るように、次回作は今作とはまったく異なった作品になるそう。これからも、決まった色を持たない、「どんなものを書き上げるか予想もつかない作家」として、すばらしい作品を書き続けていただきたいです。
(取材・記事/山田洋介)
■乾ルカさん
1970年北海道札幌市生まれ。藤女子短期大学卒。銀行員、官公庁臨時職員などを経て2006年に「夏光」でオール讀物新人賞を受賞、デビュー。2010年『あの日にかえりたい』が第143回直木三十五賞候補に。その他の著書に『プロメテウスの涙』『メグル』『蜜姫村』『六月の輝き』『てふてふ荘へようこそ』などがある。好きな作家は筒井康隆、宮部みゆき、重松清、大槻ケンヂ。座右の書は『ガラスの仮面』、理想の女性は姫川亜弓。札幌市在住。
解説
道東の海に浮かぶ謎の城。干潮時にだけ地続きになるその城に、中学生の健太郎は迷い込んでしまう。
そこでは、拉致などによって連れてこられた何人もの人々が生活をしていた。城から脱出するための「出城料」とは一体何なのか?健太郎と、城内で出会った同世代の貴希の冒険が始まる。
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん