記念すべき第30回のインタビューは、この度、新刊『飲めば都』を刊行した北村薫さんです。
大学を出たばかりの若手編集者が、周囲の人に揉まれ、仕事に揉まれながら一人前になっていく姿を描いた本作
は、20代~30代の若い読者にこそ読んでほしい一冊。
今回は、この物語ができたあらましや、キーワードとなっている「酔っぱらい」についてお話を伺いました。
- 1. 右も左もわからないところから育っていく人間の姿を書きたかった。
- 2. 「いただいたネタをどう小説にするかということを考えていくのはとても面白かった」
- 3. 「この物語の中の人々に会っていただければ幸せ」
- 4. 取材後記
■ 右も左もわからないところから育っていく人間の姿を書きたかった。
―本作『飲めば都』について、まずは最初の着想についてお聞きしたいのですが、舞台として出版社を選んだのにはどのような理由があったのでしょうか。
北村
「最後のエピソードの元になった話を人から聞いたのが最初です。朝方帰ってきたら家の人がバットを持って階段のところに立っていた、というものなのですが、それを聞いて、これは面白いなと思ったんです。
もちろん、それだけだとただのエピソードで終わってしまうのですが、これに“酔っぱらい”をくっつけて、膨らませていくとこうなるな、とイメージできたので、じゃあ酔っぱらいの面白いエピソードを探そうということになりました。そこで、身近な編集者の方々にお話を聞いたら本当にいろいろなものが出てきたので、これで一冊書けちゃうなと、そういう流れですね」
―本作には酔っぱらいのエピソードとして「酔って帰ってきたら、転んで脚が血だらけなのにズボンは汚れていなかった」、「お酒を飲んだ翌朝、気がついたら下着がなくなっていた」など、ちょっと信じがたいものもありましたが、実話だったんですね。
北村 「あれは不思議ですよね。結局何が起こっていたのか本人にもわからないみたいですけど。でも、この本に書いたものはまだ優しい方ですよ(笑)あまりにひどすぎて、これは書けないな…というものもたくさんありました」
―ちなみに、酔っぱらいのエピソードの聞き込みはやはり本作の版元ということで新潮社の方にされたのでしょうか。
北村 「新潮社の方も確かに多いですけど、他の会社の編集者の方にも会うとよく聞いていました。だから出版各社の酔っぱらいのエピソードが集められています(笑)」
―お酒に対する愛情がうかがえる本書ですが、北村さんご自身もお酒をよく飲まれるのでしょうか。
北村
「実はあまり飲まないんですよ。だからお酒に対する愛情というよりは、人に対する愛情ですね。
お酒を飲むことで本音や隠していることが出てしまうことがあるじゃないですか。その本音の出方は人それぞれですが、締めていた箍(たが)がお酒で弛むことでドラマが生まれるのではないでしょうか。その本音には、それを語る人や、語らざるを得ない背景などがあるわけですから」
―北村さんご自身のお酒での失敗談がありましたら教えていただけませんか。
北村 「酔って記憶をなくしたことはないですし、失敗はあまりないですね。自分が酔っぱらいならこの本を書く必要はないですよ。実行すればいいので(笑)」
―私も酔って記憶をなくしたりはしないタイプなのですが、だからこそ本作で描かれた酔っぱらいの世界が面白く感じられたのかもしれません。
北村 「こんな世界があるのか、こんな人がいるのかと思いますよね。色々な人からお話を聞いていると、エピソードコレクションのようになって面白かったです。私の著書ではありませんが、新潮社から酔っぱらいのエピソードを集めた文庫が出ていますよね、『酔って記憶をなくします』と『ますます酔って記憶をなくします』という……」
―本作で北村さんが一番描きたかったものとは、一体何だったのでしょうか。
北村 「この作品の舞台は出版界ですが、その中で生きている人々の成長といいますか、右も左もわからないところから段々と育っていく姿だとか、彼らが織りなす人間模様でしょうか」
■ 「いただいたネタをどう小説にするかということを考えていくのはとても面白かった」
―拝読していて、物語の最初の方ではまだ頼りなかった主人公の都が、徐々に社会人として一人前になっていくのを見守る楽しさがありましたし、読み終えた後にすごく優しい気持ちになることができました。この物語を執筆した際に心がけていたことはありますか?
北村 「最終的には都が結婚して、というところまでを書こうと思っていましたから、それまでの過程、大学を出てすぐに編集者になって、社会人としての時の流れの中で色々なことを体験して、次第に社会の風に慣れて、ということはしっかりと書こうと思っていましたね」
―女性の一番華やかな10年間、ということで仕事も私生活も変化に富んでいて面白かったです。
北村
「今はそう言うとセクハラになってしまいますよ。どの時代も華やかだと言わなくちゃ(笑)でも、大学を出たあたりで、色々なことが起こりそうな時期ではありますよね」
―内容もさることながら、表紙のイラストも特徴的です。このイラストに描かれているネコは、登場人物の小此木さんの絵に因んだものですか?
北村
「私の本によく挿絵をつけてくださる方の一人に大野隆司さんという方がいます。大野さんは眉毛のある特徴的な猫を描かれるんですけど、今回の本の挿絵も大野さんにお願いしようと思っていました。
また、先ほど言ったように、都が最後は結婚して、ということを考えていたんですけど、どういう人と結婚して、というのは決まっていなかったんです。でも、書いているうちに“あ、大野さんだ”と思い当たって、猫の絵を描いている人と結婚することにしました。それがすごくしっくりきたんです。
何かものができた時、植物の種を蒔いて、それがどんどん育っていって形が整ってから、“それでこうしていたのか!”と最初の方の試みについて後から納得することがあります。
そういう風にして大野さんの絵の世界と小説の世界がくっついていったんです」
―すごく書いていて楽しい小説だったのではないかと思ったのですが、その点はいかがでしたか?
北村 「そうですね。いろいろな方からたくさんのネタをいただき、そのネタをどう小説にするかということを考えていくのはとても面白かったです。いただいたネタからどう想像を膨らませて話を考えていくのか、その話が全体の大きなストーリーにどう影響していくのか。こういうことを考えるのは物語づくりの醍醐味だと思いますね」
―反対に、苦労した点はありますか?
北村 「苦労した点は特になかったですね。楽しく書けました」
―特に思い入れのある登場人物はいますか?
北村 「『指輪物語』での文ネエは印象に残っていますね。好きになった男性が2歳年下で、その男性が8つ年下、自分より10歳年下の女性と結婚する。それもあって(好きだということが)言えないっていうね」
―今おっしゃった『指輪物語』だけでなく、それぞれのエピソードに個性的な登場人物たちよる印象深いシーンがあります。文ネエのお話もありましたけども、こうした登場人物たちに実在するモデルはいらっしゃるのでしょうか。
北村 「ある程度はいます。100%そのままということではないですけど」
―書いた後に、モデルとなった方々に何か言われたりしませんでしたか?
北村 「いや100%じゃないからね(笑)あちこち変えていますから、小説に出てくるのは別の人です。ただ面白いのは、読んでくれた出版社の方が、“あれウチの○○でしょ?”みたいに違う人の名前を出してくるんですよ。酔った時のエピソードを持っている人ってたくさんいるんだなと思いましたね」
―北村さんがご自身についてお聞きしたいと思います。北村さんが物語を書き始めたのはいつ頃のことですか?
北村 「小説は昔から好きだったから、子供の頃からちょっと書きかけては途中で面倒くさくなってやめる、ということはしていましたね。星新一先生がショートショートで話題になった頃に、ショートショートなら最後まで書けるんじゃないか、ということで書いて友達に見せたりもしました」
―文章を書くこと自体はかなり早くからされていたんですね。
北村 「あれを書いたというのかはわからないですけどね。でも、高校生の頃はそういうことをやっている人は結構いましたよ。大学時代はワセダミステリクラブに入っていたこともあって、短いものを書いたりはしていました。その後はずっと読むのに徹していたんですけど、書いてみないかと言ってくれる人がいたので、『空飛ぶ馬』という作品を書いて、出してもらったというのが本格的なスタートです」
―書くことを職業として意識されたのはその頃ですか?
北村 「『空飛ぶ馬』が東京創元社から出た頃は、一冊本が出ればいいよな、という感じだったんですけど、二冊目に出した本で日本推理作家協会賞を頂戴してから、このまま作家になるのかな、と考えるようになりました。熱烈な手紙をくれて、ウチで書いてくれないか、と言ってくれる人がいたりして結構評判が良かったんです。それが幸いでしたね」
―北村さんといえば、かつては覆面作家として活動をされていたので、その方は連絡先を調べてお手紙を送ってくれたんですね。
北村 「当時は教師をしていたのですが、どうやって調べたのか職場に電話がかかってきたこともありましたね。○○書店というから教科書の勧誘だと思って出たんですけど、話が噛み合わないんですよ。それでよく聞いたら原稿の依頼だったという」
―覆面作家として活動されていたのは、やはり学校の先生だからという理由だったのでしょうか。
北村 「そうですね。生徒に言われるのは嫌だしね。あんまり身近な人に読まれたくなかったんですよ」
―同時代の作家さんで好きな方はいらっしゃいますか?
北村 「デビューした年が近いということでいうと宮部みゆきさんですとか有栖川有栖さんですね。『鮎川哲也と十三の謎』というシリーズでは宮部さんや有栖川さんとお名前を並べたので。宮部さんは本読み仲間でもあって、筑摩文庫から『とっておき名短篇』、『名短篇ほりだしもの』というアンソロジーをこの春に出しました」
―小説家としての目標がありましたら教えてください。
北村
「作家というのは、その人にしか書けないものを書くというのが存在価値でしょうから、自分ならではのものを書いていきたいですね。
そういう意味で、文藝春秋から出ている『いとま申して』という本では、父親の日記を元にしてその時代や人を書いています。これは普通の小説ではないのですが、材料から何から、自分にしか書けないし書く務めがあると感じています。
売れる、売れないでいえば普通の小説の方が売れるんでしょうけど、それ以外の部分で自分の言いたいことがあるので、そういうものもやっていきたいと思います」
―北村さんの人生に影響を与えた本がありましたら3冊ほどご紹介いただけますか。
北村 「3冊に絞るのは難しいですね。一番最初に出会ったということだと『トッパンの絵物語イソップ1~3』、川端康成訳のものです。あとは、幼年期に読んだ、講談社から出ていた児童向けの『三国志』。これは非常に面白かったです。あとは『萩原朔太郎詩集』で、これは高校生の時に読んだのですが、言葉の持つ力を改めて思い知らされました」
―最後に、本作について読者の方々にメッセージをお願いします。
北村 「印象に残る様々な人々がいますので、この物語の中の人々に会っていただければ幸せです」
『飲めば都』書店でのイベント用パンフレット。本書の表紙イラストを担当した大野隆司氏の絵と共に、登場人物の紹介が書かれている。
■ 取材後記
忙しい合間を縫って取材に応じてくれた北村さん。大の阪神ファンということで、インタビュー終了後は野球についても熱く語ってくださいました。
本作『飲めば都』はもちろん、北村さんが自身の創作作法やアンソロジーの極意を明かしている『北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く』、『自分だけの一冊 ―北村薫のアンソロジー教室』(共に新潮社/刊)も、北村さんの作品世界を知るうえで欠かせない一冊です。本作と併せて読むと「作家・北村薫」をより深く理解できるはずです。
(取材・記事/山田洋介)
■北村薫さん
1949年埼玉県生まれ。早稲田大学ではミステリ・クラブに所属。
母校埼玉県立春日部高校で国語を教えるかたわら、89年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。
91年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。
小説に『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』『スキップ』『ターン』『リセット』『盤上の敵』『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『月の砂漠をさばさばと』『ひとがた流し』『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)『語り女たち』『1950年のバックトス』『いとま申して』『飲めば都』などがある。
読書家として知られ、『詩歌の待ち伏せ』『謎物語』など評論やエッセイ、『名短篇、ここにあり』『名短篇、さらにあり』『とっておき名短篇』『名短篇ほりだしもの』(宮部みゆきさんとともに選)などのアンソロジー、新潮選書『北村薫の創作表現講義』新潮新書『自分だけの一冊―北村薫のアンソロジー教室』など創作や編集についての著書もある。
解説
若手編集者・小酒井都の酒と仕事の日々を描いた長編。まだまだ仕事がおぼつかない都だが、人との出会い、経験を通して一人前になっていく。
個性的な登場人物たちが織りなす、愛すべき酔っぱらいの世界を、エピソードを交えて、時に切なく、時にユーモラスに描いた一冊。
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん