第26回は、この度、新刊『田舎の紳士服店のモデルの妻』を上梓した宮下奈都さん。
ツイッター上で、書店員による応援団ができるなど、今最も注目を浴びる作家である宮下さんの小説に対する思い、
今作の執筆エピソードをお聞きしました。
- 1. 『田舎の紳士服店のモデルの妻』最初にタイトルが決まっていた。
- 2. ツイッターで応援団「“こうなったらいいな”とさえ思いもしないことだった」
- 3. 自分がおもしろいと思える本を一冊ずつ書いていきたい
- 4. 取材後記
■ 『田舎の紳士服店のモデルの妻』最初にタイトルが決まっていた。
―まず、本作『田舎の紳士服店のモデルの妻』という一風変わったタイトルですが、こちらは宮下さんがお考えになったものなのでしょうか。
宮下 「最初に情景が頭に浮かんできたんです。ベビーカーを押して田舎道を歩く綺麗な主婦の姿が浮かんできて、その町の紳士服店とか、チラシのモデルをやっている男性が夫だったりして…とか。そのイメージから『田舎の紳士服店のモデルの妻』っていうタイトルが最初に生まれたんです。
でも変なタイトルだとも思ったので、仮のタイトルということにしていたのですが、だんだんそれが頭から離れなくなってしまって(笑)それはつまり、いいタイトルだということなんじゃないかな? じゃあ、これでいきましょう、ということになりました」
―最初に映像が浮かんでそこからお話を創るということは、宮下さんにはよくあることなのでしょうか。
宮下
「“この場面が書きたいな”という始まり方をしたことは何度かありましたが、そういう時は短編が多く、長編はなかったです。(頭に映像が浮かぶというのは)長編の最初にくるアイデアとしてはあまりにも曖昧だということもありましたし。
今回の場合も、ベビーカーを押して、田舎道を途方にくれたように歩いている主婦っていうのが、どのシーンなのか、どこに向かっているのかということも全然わからなかったんです。だから、着想のきっかけというよりは、ただそのシーンがあっただけ、という感じです。でも、田舎の主婦の話を書こうという強い気持ちは残りました。私自身が田舎に暮らしていることだとか、主婦であるという生活のなかでひっかかったことを、今書いておきたい、という感じでしたね
」
―妻であり、母親であるという視点で書かれていることを抜きにしても、男性には絶対書けない小説ですよね。日常生活の中の心理描写がとにかく緻密で、“こんなに色々なことを考えているんだ”と驚きました。
宮下 「男性ってあまり考えないですか?もっと仕事の方に重きがあるのでしょうか」
―そうかもしれないですね。僕は家でボーっとしている時なんか“お腹空いた”くらいしか意識に上らないですし。仕事ではない日常生活でこんなに頭が回っているっていうのがある意味で女性特有のことなんじゃないかと思いました。
宮下 「だから話がかみ合わないことが出てくるんですね、きっと。すごく仲のいい男女でもお互い考えていることは全然違いますし」
―本作の主人公である梨々子が、脇腹にできたヘルペスのことを夫に相談したいと思っているのに、夫はその素振りに気付かず、夕食の麻婆豆腐の味付けの話をしてしまうという場面などはまさに象徴的ですよね。
宮下 「そのご指摘はうれしいです。ありがとうございます」
―本作を執筆する際に気を配った点はありますか?
宮下 「日常生活の話に徹しようと思っていたので、あまり派手な見せ場を作らないように、“ここで盛り上がる”みたいなドラマチックさは抑えて書きました。そういうシーンって普通の主婦の日常生活にはそんなにないですからね」
―書き手としては、そういったドラマチックな展開を書きたくなるものなのでしょうか。
宮下 「そういう場面があった方が書き手としてもカタルシスがあるし、読んで下さった方にも“あそこがよかった”って印象に残る場面になりやすいと思います。
だからこの本は、私にとっては冒険でした。何も起こらないという冒険(笑)
」
担当編集 「淡々と書くというのが一番苦労されていましたよね。何回も“これおもしろいのかな?”っておっしゃっていて。ちゃんとおもしろいですから安心してくださいとお伝えしました。梨々子にじっくり寄り添うように書いていかれる様子が印象的でした」
■ ツイッターで応援団「“こうなったらいいな”とさえ思いもしないことだった」
―本作からは「安定」のイメージがある結婚に、実際は常に細かな揺らぎがあるものだということが読みとれます。宮下さんは、人が結婚した状態でい続けることの良さや意味についてどうお考えですか?
宮下 「揺れていながらも結婚している状態を維持していくっていうのが醍醐味なんじゃないかと思うんですよね。波があって、時々離れる時があっても、また時々は近づいたり。パッと一つのことでわかり合えたり喜び合えたりした時は圧倒的な絆感があります。一体感とまではいかないですが、“一番身近に共感し合える人がいる”っていう喜びは大きいと思いますね」
―書店員の方々を中心にツイッターで宮下さんの応援団ができたということですが、そのことについてどのようなご感想をお持ちになりましたか?
宮下
「“こうなったらいいな”とさえ思いもしないことだったので、もう本当に嬉しかったです。自分が思っていたよりももっとずっといいことが起きたという感じでしたね。“願えば叶うって言うけど、願わなくてもこんなにいいことがあるんだな”って思ったくらい、本当に嬉しくてありがたかったです。
ツイッター上で、書店員さんの方々でおもしろいことをやってみよう、一冊の本を仕掛けようと言っているところからちょうど私も見ていたんですよ。“宮下奈都の『スコーレNo.4』がいいと思う”ってつぶやいてくださった方がいて、うれしい!でもまさか通らないだろうと思ったんですけど、たくさんの方々が賛同して下さったようです。
先日また『スコーレNO.4』(光文社/刊)が増刷されたんです。絶対応援団のお陰だと思いますね
」
―宮下さんが小説を書き始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
宮下
「それがわからないんですよ。本はずっと好きでよく読んでいたんですけど、自分に書けるものではないと思っていたので。結婚して男の子が2人生まれて、3人目がお腹に来た時に、この子もきっと男の子だろうと思ったんです。男の子が3人ってもの凄く大変で、生まれちゃったら私はもう何もできなくなると思ったんですよね。だから生まれる前に何かしたかったんです。それがなぜ小説だったのかというと、よくわからないんですけど、でも“何かしたい”っていうのが小説を書きたいということだったんだな、と今は思いますね。
それで書いて出した小説が文學界新人賞で佳作になったというのが幸運でした
」
―書き始めた当初はなぜ小説だったのかわかっていなかったんですね。
宮下
「夫は仕事が忙しかったし、子供は3歳と1歳ということで自分の時間が全くなかったんです。だから自分だけのための何かをしたかったんだと思います。小説は自分だけの言葉で書けて、自分の中で完結できるじゃないですか。だからそこで映画を撮りたいとか思わなくてよかったですよね(笑)
それで、小説を書いてみたら、それがすっごい楽しかったんですよ。まだ真ん中の子も夜泣きをする時期だったので眠かったんですけど、それでも睡眠時間を削って書くのもつらくないほど楽しかったです。でもそんなに書くスピードがないから、書いては直しを繰り返して、何カ月もかけてやっと(文學界新人賞の規定の)100枚を書けたっていう感じです。最初の作品だということで、誰が読むかも考えずに書いた、自分のための小説だったと思うんです。そういう意味では幸せな小説でしたね
」
―自分だけの言葉で書きたいという気持ちは日記やブログには向かわなかったんですか。
宮下 「日記は日記で書いていたんですけど、でも私にとっては日記は絶対に人には読ませないものなんです。だからちょっと違いましたね。人を喜ばせたいという気持ちはないにしろ、書いたら新人賞に出そうとは思っていたので、一応人が読んでわかる内容にしようとは思っていました」
―ちなみに、さきほどおっしゃっていた3人目のお子さんは、やはり男の子だったのでしょうか。
宮下 「それが生まれたら女の子だったんですよ。たいそう可愛い女の子でした(笑)」
―宮下さんにとって“おもしろい小説”とはどんな小説ですか?
宮下
「読み手の立場で言うと、仕掛けとか話の筋よりも“あの一行が忘れられない”っていう本のことをよく覚えているんですよね。だから描写のおもしろさだと思います。
書き手としては…この本の主人公もそうなんですけど、途中で“何かが変わる”瞬間があるんです。そこを書けた瞬間に自分の中でおもしろいっていう感じがするんです。
読んでくださる人も、その部分を読んでハッと気付くわけではなくても、“ああ何かちょっと変わったな”というのを手ごたえとして感じてもらえたら、おもしろいと思ってもらえるんじゃないかと期待してるんですけど…(笑)“成長”ではなくただの“変容”であったとしても、やっぱり何か変わっていてほしいんですよ。生きて様々なことを経験しても全く変わらない人っていないと思うので」
―宮下さんがこれまでの人生で影響を受けた本がありましたら三冊ほどご紹介いただければと思います。
宮下 「一冊目は、山田太一さんの『沿線地図』です。高校生の最初の頃に読んで眼が覚めたっていうか、小説として読んだっていうよりも、それこそ人生に直接影響を受けたという感じです。“こんな寝ぼけた生活はダメだ!”って思って(笑)何だか走り出したいような気持ちになったのをはっきり覚えています。それと山本周五郎さんの『柳橋物語』と、最後はジョン・アーヴィングの『サイダーハウスルール』。私がいいと思う小説は“あーおもしろかった!”というものじゃなくて、私は私として生きて行くんだという気持ち、燃えるような気持ちにさせてくれる本なんです。この三冊はそういう共通点がありますね」
―今後の作家としての目標がありましたら教えていただけますか。
宮下 「売れる売れないという意味じゃなくて、純粋に“これ、読んでみて”と言える、自分が自信を持っておもしろいと思える本を一冊ずつ書いていくことですね。一番身近であり大きな目標です」
―最後になりますが読者の方々にメッセージをお願いします。
宮下 「読んでおもしろいと思っていただけたらうれしいです。ぜひ読んでみてください」
■ 取材後記
書くことも読むことも大好きな点といい、小説を書き始めた動機といい、作家になるべくしてなった方、という印象を受けた。今回、発売された『田舎の紳士服店のモデルの妻』はご本人が語る通り、淡々と物語が進むが、それは読んで退屈だということでは全くない。淡々と書くことでしか表現できない“何か”を是非読みとってほしい。
(取材・記事/山田洋介)
宮下 奈都さんが選ぶ3冊 |
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『柳橋物語』 |
『サイダーハウスルール』 |
■宮下 奈都さん
上智大学文学部哲学科卒。2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に。長編『スコーレNo.4』(2007年)も各メディアで絶賛された。その他の著作に『よろこびの歌』(実業之日本社)、『遠くの声に耳を澄ませて』(新潮社)、『太陽のパスタ、豆のスープ』(集英社)などがある。
解説
夫や子供との何不自由ない暮らしを送る梨々子だが、夫の鬱やそれに伴う実家への帰郷と共に生活が一変。子育てや夫との向き合い方、田舎での暮らしなど、様々な葛藤を抱えながら生きる女性の10年間がリアルに描かれている一冊。■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん