第25回の今回は直木賞作家であり、この度新刊『還暦探偵』(新潮社/刊)を上梓した藤田宜永さんです。
人生の一つの節目である『還暦』。その前後を生きる人間を、時にユーモラスに、また切なく描いた本作の執筆エピソードとは?
盛りだくさんのインタビューです!
■「東京に来ている時は遊んでる」
―藤田さんは奥さま(同じく直木賞作家の小池真理子氏)ともども軽井沢にお住まいとのことですが、打ち合わせなどが入ると東京に出てこられるんですか?
藤田 「そうだね。僕の仕事は原稿を書くのが第一です。だから軽井沢にいるときはほとんど引きこもって原稿を書いてるね。今日みたいな取材とか、テレビ収録やプロモーション撮影、打合せがある時には東京に出てくるんだよ。原稿を書いている時が僕にとっての仕事だと思っているので東京に来ている時は遊んでる。“東京リゾート”って言ってね(笑)
取材を受けるのなんて難しいことじゃないじゃない。僕の本を取り上げてくれているわけだし、インタビュアーが突然“あなたの本は面白くない”と言いだすこともないし(笑)ということで気楽にできるわけ。
軽井沢にいる時はバンバン原稿を書いてほとんど家から出ない。東京に出てきたら息抜きや打合せという感じだね」
―ほとんど引きこもった状態で執筆されているとおっしゃっていましたが、一日に何時間くらい書かれるんですか?
藤田 「日にもよるけど大体11時くらいに始めて、18、19時くらいまでやるね。最低6時間以上はやってる。夕食後は割と自由になっていて、資料を読んだり考え事をしたりだね。向こう(軽井沢)にいる時は小説のことしか考えいないと言っていいくらい」
―資料読みでない、純粋な読書というのもその時間にされているんですか?
藤田 「そうだね。作家になると段々と読書が不健康になるのよ。自分の役に立つものを読もうとするというか。あとは新人文学賞の選考委員をやっていたりもするから、読まざるをえないことも多いしさ。今は読まなければいけない資料を読んだり、観なければいけない映像を見たり、“やらなきゃいけないこと”に時間を取られることが多いね」
―藤田さんの新刊『還暦探偵』についてお聞かせください。この作品で藤田さんが60歳前後を世代を中心に据えた理由は何だったのでしょうか。
藤田 「それは簡単、僕が還暦だから(笑)まあ数年前からね、自分の友人もリタイヤしたり役員になったり、栄枯盛衰というわけじゃないけどいろいろあって、自分の年齢に近い人間を主人公にすることが多くなったね」
―自分より年齢が上の人は書きにくいという作家さんもいらっしゃいますが、藤田さんは登場人物の年齢によって書きやすさ、書きにくさを感じることはありますか?
藤田 「そうねえ…下も上も難しいといえば難しくて、年下の人間を書くのが簡単というわけじゃないね。だって僕が20歳の頃と今の20歳の人は違うじゃない。今はネットだってあるし、それぞれを取り巻く現象はそれこそ全然違う。
僕の『転々』という作品は映画にもなったんだけど、主人公は学生。書いた時、僕は50代だったんだけど、若い人達を観察してそこに自分の気持ちを乗っけるように書いたんだ。今の若い人たちと自分の若い頃の共通した気持ちもあるわけで、それを見つけて乗っけたんだよ
」
―今おっしゃっていた“共通の気持ち”というのは年齢が上の方々にも感じることはありますか?
藤田 「今の僕くらいの年齢が一番年下のことも年上のこともわかるんじゃないかな。精神の動脈硬化を起こしていないから“今の若い奴らは何だ”とも思わないし、かといって70歳の人を見ると“おれも10年後こうなるのかな”とも考えるしね。
60歳だと80歳の人ともきちんと応対できるけども、20代だと80歳を相手にするのはちょっときついかもしれないよね。もちろん個人差もあるだろうけど、60歳くらいが両方をよく見られると思う」
■「未だに僕もかみさんとディベートしてますよ」
―本作に収められた6作の短編を読んで、個人的には『喧嘩の履歴』『通夜の情事』『難しい年頃』が特に好きです。この他にもいい短編がそろっていますが、本のタイトルに『還暦探偵』を選んだのはなぜですか?
藤田
「これは出版社の意図もありまして(笑)
編集者は本を売りたい。僕も内容には自信がある。じゃあどうやって人の手に取らせるか。これは俺の問題だけじゃなくて出版社の問題でもあるから。
代弁すると多分、本のタイトルを『喧嘩の履歴』とするよりも『還暦探偵』の方が引きがあるということじゃないかな。実際は私立探偵ものではないから誤解される可能性もあるわけだけど。内容だけでいうと『喧嘩の履歴』の方がそぐうんだけど、でもそこに『還暦探偵』という短編が入っていて“これなんだろう?”と思ってもらうのも選択肢としてはありだと思ったね
」
担当編集者・佐藤氏 「児玉清さんがうちのPR誌の『波』でお書きになったことの中に『還暦探偵』というタイトルをつけた意味について推測している箇所があるんですよ。ここはいいこと言ってくれたなと思いました」
藤田
「“人生の謎を解くがごとく、予想のできない未来に向かって探偵になって生きるようなものだ”
というところだね。決して探偵小説ではないけれど、人生の探偵のようなことをやっているんだよね。
それと、『還暦探偵』について言うと、僕は私立探偵ものでデビューしてるんだよ。そんなくらいだから昔から『ハワイアン・アイ』とか夢中で観ていたんだよね(笑)今でもそれから離れられないくらい大好きなの。その好きさを作中の人物達の会話に登場させることで出したりもしたね。本当はツーシーターの車に乗ったかっこいい探偵がいいのに、“俺達がオープンカーに乗ったらもっと頭が禿げちゃうぞ”と話しながら走るとかさ(笑)
今も流行っているみたいだけど、我々の世代、つまり今60歳前後の世代も外国のテレビ・映画が流行ったのよ。今よりずっと数が少なかったけどさ。作中に登場人物達が昔の海外ドラマをYouTubeで観る場面があるけど、あれ僕は本当にやってるからね(笑)こんなものを観られる世の中になったんだと嬉しい反面、変な世の中になったな、という感じ。二度と観られないと思っていたものが何でも出てくる。夢中になって観ているうちに、本当にこんな世の中になっていいのかな?とも思ってしまう。観ている時は嬉しいくせにね
」
―『喧嘩の履歴』で主人公の妻として登場する洋子のセリフが決まっていて、“いい女であり、いい奥さん”という印象を受けました。こういう人物が藤田さんの中でのいい女のイメージとしてあるのかな、と思ったのですが、藤田さんの考える「いい女」というのはどんな女性ですか?
藤田
「簡単にいうと、僕ははっきり物申す女が好きなのよ。というのも、僕らの若い頃は割とディベートが盛んな時代だったの。つまり自己主張をしあっていた学生時代があって、その名残がまだ残っているんだよね。未だに僕もかみさんとディベートしてますよ(笑)まあお互い作家だからということもあるんだろうけどね。
こないだ『オール読物』でかみさんと対談したんだけど、僕がね“ディベートっていうのはエロチックだ”と言ったんです。二人で言葉を交わしてコミュニケーションを取るんだけど、そのなかにはただ喧嘩したり感情的になるだけじゃなく、ある種のエロティックさがあると思うんだ。
ディベートが必ずしもセックスに繋がるわけではないけど、人と人の緊密度が増すものだと思う。官能的だと言った人もいるみたいだし。それで“ディベートはエロチックだ”と言ったらかみさんは感動するわけですよ“なかなかいいこというじゃない”って(笑)うちはそんな会話を今でもやっている学生みたいなものなんだよ。そのかわり喧嘩もするけどね
」
―洋子は小池さんに似たところがあるのかもしれませんね。
藤田
「似てるっていうわけじゃないけど、そういう匂いは持っているかな。
『喧嘩の履歴』について言うならエピソードがあって、あるバーに一人で入ったら知り合いの女の子が付き合ってる男と喧嘩してたの、それが聞こえてくるのよ。その時の彼女のセリフに“それNG”っていうのがあったんだけど、それを聞いた時に“これは短編になるな”と思ったわけ。そのセリフは“喧嘩の履歴”でそのまま使ってる。
その喧嘩の場面に60歳くらいの夫婦を持ってきて、その喧嘩を聞くという設定を考えたんだ
」
―あの場面での、還暦の夫婦と若いカップルの、それぞれの会話の重なり方が絶妙だと思いました。
藤田 「作家ってもちろん話を真剣に考えるんだけど、いい加減さも大事なんだよね。バーで何をするでもなく、あの声が聞こえてきた。そういうのを利用できないと。でも大体そういう時ってその瞬間“おっ”と思うわけで、物欲しそうにネタを探していてもダメだね。偶然落ちてきたものが一番いいんだよ」
―私自身小説が好きでよく読んでいますが、周りの人間はあまり読みません。活字離れが叫ばれていることもあって、「小説を読む理由」や「現代における小説の存在意義」について考えるようになったのですが、藤田さんはこの点について何かお考えはありますか?
藤田
「すごく考えるね。新人賞の選考委員をやっていて感じることだけど、ずいぶん本の読み方も変わったと思うね。
面白い話ってアニメでもゲームでも映画でもあるじゃない。で、エンタメと言われる。小説もそこにひっかかってくるんだけど、どうもその違いははっきりしないのね。つまり“面白い話が書ければ小説家”と思っている人が多いのよ。でも面白い話も色々あって、例えば物語性は希薄だけど面白い話ってあるじゃない。
“ここでどんでん返しがなきゃいけない”とか“なんかとんでもないことが起こらなきゃいけない”とか、そういうのってアニメの影響だなって思う。僕は一番初めから今の大衆文学に行ったわけじゃなくて、ヘンリー・ミラーも三島由紀夫も吉行淳之介も好きだった。でも彼らの作品に物語性はあまりないんだよね。でも、そこには何か自分を刺激するものがあった。それって活字ならではのものじゃない」
―なるほど。
藤田
「僕は『007』が大好きだったけど『007』のような小説を書きたいとは思わなかった。物語性以外にも、活字にはいろいろな要素があるよ。例えば三島は、感動なんてあってもなくてもいいと言っている。人生読本になっている必要もないし、逆に悪い人や悪いことばかり書く必要もない、そんなことはどうでもいいと。あんまり面白くないんじゃないの、と思いながらも魔に取り憑かれたようにその小説を読んでしまう。つまらないと思って本を閉じても“やっぱりもう一回読んでみたい”って思うような小説が理想だと言ってる。でも今はまず“感動”じゃない。
俺は“この本は元気をもらえます”っていうのが嫌いなんだ。確かに、読んで何かを感じて、視界が開けたりすることは結果的にはあるし、感動することもある。でもさ、感動や元気がもらえなかったら小説は読まないよ、という風になりつつある。本の読み方なんて読者の勝手なんだけど、感動するシーンばかり探して読むっていうのは寂しいよね
」
―泣きたいから映画を観るという人もいるくらいですからね。
藤田
「泣いてしまう映画はあるよ。感動しちゃいけないわけではないからさ。読書に関していえば、今は等身大の本しか読まれなくなった感じもするね。僕の学生時代は読む本といったらおじさんの本ばっかり、同世代の作家なんてほとんどいなかったからね。まあ新人賞を取って文芸誌には載っていたかもしれないけど、それでもほとんどいなかった。村上龍くらいかな。
だからさっきも言ったヘンリー・ミラーだったり三島由紀夫を読んだりするんだけど、当時の自分からしたらものすごいおじさんじゃない。でも何の抵抗もなかったよね。この本を開くとなんか面白いことがあるんじゃないか、っていう“活字の神話”があったんだと思うんだけど。
今は小説が“考える道具”から“感情をぶつける道具”になってしまっている気がする。もちろんそういう読み方もあるとは思うけど、我々が若いころとは期待しているものが違うんだなと思うね」
―ヘンリー・ミラー、三島由紀夫、吉行淳之介と挙げていただきましたけども、他にはどんな作家がお好きだったんですか?
藤田
「高校の時に芝居をやっていて、その時はサミュエル・ベケットをやっていたんだよ。小難しい奴を。あとはジャン・ジュネやシュールレアリズムが好きだった。もちろん若いから“かぶれ”みたいなものだったんだけど、でも“かぶれる”っていうのは大きいからね。
高校生にサミュエル・ベケットなんてわかるわけがないじゃない、今でもわからないもの(笑)だけど何だかわからないで喋っているうちに、他の人の意見と組み合わさったりして、段々とわかってくるものなんだよね。わかったふりしてしゃべっているうちに自分のものになっていくっていう
」
―僕の周りだと、そういった“麻疹”的な作家って村上龍さんでしたね。
藤田
「そうだよね。『コインロッカー・ベイビーズ』なんかはすばらしい小説じゃない。
好き嫌いは別にして、僕の時代の作家では村上龍と村上春樹が大きな柱だったと思うね。ムーブメントとして残るような作家はそれから出てきてないから
」
―藤田さんといえば、ご自宅に大変な数の蔵書があるということで有名ですが、最近読んだ本で良かったものはありますか?
藤田 「最近新しい本を読まないで古い本ばっかり読んでいるんだよ。もう坂口安吾の『白痴』を読み直すとか、そういうことがすごく多いの。だから新しい本はあまり読んでないんだよね。読みたい本はあるんだけど」
―藤田さんが、人生で影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介願えますか?
藤田 「まずは吉行淳之介の『暗室』。あとはヘンリー・ミラーの『北回帰線』。あとはレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』かな」
―最後に、読者の方々にメッセージがありましたらお願いします。
藤田 「60歳前後の男を中心にした、黄昏れてはいないけど盛りを過ぎた男の話です。恋もあれば友人関係もあり、という短編集。タイトルは『還暦探偵』となっているけど探偵小説ではなく、“人生の探偵小説”だと思っていただければいいと思います。是非お買い求めください(笑)」
(取材・記事/山田洋介)■ 取材後記
今年還暦を迎えるとはとても思えないほど若々しい方だった。ご自身の創作活動や、愛読したという三島由紀夫やサミュエル・ベケットについて熱っぽく語る姿は、きっと若いころから何も変わっていないのだろう。
小説でも、音楽でも仕事でも、好きであり続けるのはすごいことだ。
情熱こそが人を導くのだと強く感じた取材だった。
■藤田 宜永さん
1950年、福井市生まれ。早大中退後、渡仏しエール・フランスに勤務。86年、『野望のラビリンス』で作家デビュー。95年、『鋼鉄の騎士』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会特別賞を受賞。96年、『巴里からの遺言』で日本冒険小説協会最優秀短編賞を受賞。その後、恋愛小説を自らの本分と自覚し、99年『求愛』が島清恋愛文学賞に、さらには2001年『愛の領分』が第125回直木賞に輝いた。上記受賞作のほか、『ダブル・スチール』『樹下の想い』『虜』『邪恋』『愛さずにはいられない』『転々』『戦力外通告』『たまゆらの愛』『燃ゆる樹影』『老猿』などの著作がある。
解説
ひょんなことから還暦の男二人が、かつての同級生の女性から彼女の夫の素行調査を依頼される表題作『還暦探偵』や、熟年夫婦が口論のさなかに立ち寄ったバーで思わぬ場面に出くわす『喧嘩の履歴』など、人間の老いや迷い、諦めを描いた短編集。■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん