第21回の今回は『失楽園』『愛の流刑地』など数多くのヒット作をもち、デビューから40年近くも第一線を走り続けている作家・渡辺淳一さん。 今回刊行した最新刊『孤舟』は、団塊の世代の定年後の生き方を問う意欲作ということで、渡辺さんがこの世代に感じる思いについてお話を伺いました。
- 1. 男はええかっこしいで孤独な生き物
- 2. 定年を迎えてしまったら、会社での地位は何の役にも立たない。
- 3. 何歳になっても柔軟に自分を変えていってほしい
- 4. 取材後記
- 5. 渡辺淳一さんのサイン入り『孤舟』をプレゼント!
■ 男はええかっこしいで孤独な生き物
―渡辺さんの新刊『孤舟』には、定年退職後の男性の悲哀がリアルに描かれています。渡辺さんが本作で“老い”をテーマに据えた理由がありましたら教えていただけますか。
渡辺 「60代の男性やその妻はこれまで小説の主人公として書かれたことがないんです。だから一度書きたいと思ってはいました。
定年は若い人には切実な問題じゃないと思いますが、今60歳以上の人々は総人口の4分の1にもなるのに、この世代が小説で取り上げられてこなかった。その理由は、基本的に作家は自分より年下の人間しか描けません。言いかえると、この年代以上に長生きした作家が少ないからだと思いますね。
幸い僕は70歳を越えているので、この世代の人のことを書いてみようと思ったんです」
―本になる前の原稿と完成した本を読み比べると、最終章が改稿されていることに気づきます。これにはどんな意図があったのでしょうか。
渡辺 「書きあげた原稿を自分で読み返したり、色々な人に読んでもらって“こういうところがもっと読みたい”という意見を取り入れて直しました。最後は主人公の未来に希望を持たせる形になったと思います」
―本作を執筆するにあたって60代の男性にかなり取材をされたとお聞きしました。そういった取材からどのような印象を得ましたか?
渡辺
「男は60歳になろうと70歳になろうと常にええかっこしいで、定年なんて何でもないような顔をしているけど、本当は孤独で寂しい。特に地位があった人ほどそうで、会社の社長とか役員であればあるほど悠々と満足しているように見せる。
この本では、僕はそういう人間の本音を書こうと思って書き込みました。この点、女性の方が自分に正直ですね」
―本作は定年を迎えた夫とその妻の夫婦関係を一つの軸として書かれています。最近は夫の定年後に関係が悪化してしまい熟年離婚、というケースもよく聞かれますが、このように夫婦関係が破綻してしまう夫婦とそうでない夫婦にどんな違いがあるのでしょうか。
渡辺 「それはケースバイケースで一言でいえません。本作で書いた大谷夫婦もいつか破綻するかもしれませんし、その危険性は常にあります。この年代になると夫より奥さんの方が元気で強くなってきます。この世代の離婚のほとんどは妻からの要求ですね」
―本作でも、男性は年を取るにつれて気力・体力が衰えていく“消耗品”のイメージであるのに対し、女性は年を重ねても生き生きとしていますよね。
渡辺
「もちろん。女性の方が生命力も強いし体力もあります。また、出血や痛みにも強い。だから女性は妊娠出産育児ができるわけです。男は若い時の瞬発力が強いだけで、持続的な生命力は遥かに女性の方が強いと思いますね」
■ 定年を迎えてしまったら、会社での地位は何の役にも立たない。
―先ほどのお話であったように、定年を迎える頃になると夫より妻の方が元気で強い、というようになりがちです。こういった状況になった時、男性はどう対処すればいいのでしょうか。
渡辺 「それは社会的なテーマではなく個人のテーマなので、具体的には各個人が模索していくよりありません。かくあらねば、という決め手はありませんが、全く発想を変えることが必要なのではないかと思います。“給料持ってきてお前たちを食わしてやってる。俺は夫で偉い”という発想は全部捨てないといけません。
定年を迎えてしまえば会社での地位は何の役にも立ちません。ゼロから出直していけるかどうかが大事です
」
―そういう社会的地位からくるプライドを捨てるのはなかなか大変ですよね。
渡辺 「特にサラリーマンの老後の生き方が問題です。サラリーマンというのはこの50年くらいの間に完成した職種なんです。日本は戦前までサラリーマンという職種は明確にはなく、その代わり農業や林業、漁業など、一次産業に携わっている人が多かったんです。たとえば農業は60歳を過ぎてもできる。今のように定年を区切りにきっぱり首を切られて“何もしなくていいから会社に来るな”とはならなかったんですね」
―確かに今は団塊の世代と呼ばれる方々が定年で仕事を辞めています。そんな時だからこそ本作は必要とされているのかもしれませんね。
渡辺 「団塊の世代は戦後日本で初めて生まれて、一番競争が厳しく、経済成長とともに歩んできた世代ですが、今はみんな孤独な舟で乗り出しているんですね。“孤舟族”と呼ぶべき人達がたくさんいますが、発言する場所がない。力を持った集団だと思うんですけど、一般的には妻や子供に冷たくされて孤独でいるんですよね」
―体力・気力が衰えてから感じる孤独は、若いころの孤独とは比較にならないほど心細く辛いものでしょうね。
渡辺 「そうですね。給料を持ってこなくなるとただの家庭のブラブラ人になってしまう。若い頃は“俺に黙ってついてきてくれ、俺が養うから”と言ってきたのに、定年退職すると養う力がなくなってしまいます。そこから夫婦関係は本当の意味で大変で、試されるんだと思います」
―でも、威一郎(本作の主人公)には同情したくなりますよね。定年までがんばって働いて養ってきたのに、定年になった途端に妻が冷たくなったように感じられてしまう。
渡辺 「そうだねえ。若い女にモテたいとか、本人に欲望はまだまだあるけれど。ところで日本の夫婦で問題なのは銀行に振り込まれた給料を奥さんが管理しているところです。だから定年後は奥さんからお小遣いをもらう形になってしまう。これは世界で日本人くらいですよ」
―渡辺さんが小説を描き始めたきっかけはどんなことだったのでしょうか。
渡辺
「小説を書く前は医者をやっていたんだけど、医者の仕事のおかげで様々な人の生き様と死をたくさん見せてもらうことができました。その経験から人間というものについて考えさせられて非常に勉強になりました。
それに医師は自分が担当している患者さんを治すことしかできませんが、小説ならもう少し広く、問題を抱えた様々な人に訴えかけることができる。自分の影響力が及ぶ範囲が広がるという意味で、やってみようかなと思ったわけで
」
―医師のお仕事の延長線上に小説があった、と。
渡辺 「そうですね。医師の仕事を通して人間の本当の姿、死んでいく時の姿やその時の苦しみや迷い、悩みを見せていただいたことで、人間についていろいろ考えさせていただいた、それは大きかったです」
―医師から小説家という転身を経験された渡辺さんですが、そういう発想になるということはかねてから本や小説がお好きだったのでしょうか。
渡辺 「もちろん好きでした。若い時はカミュが好きでした。日本の作家はあまりいなくて川端康成さんくらいかな。あとは大した人はいないと思ってた(笑)」
―医師を志したきっかけは何だったのでしょうか。
渡辺 「僕は、初め、文学部に行こうと思っていたんですが『文学部じゃ食べていけないよ』と言われて医学部に入ったんです。そうしたらひどく面白い学問で感動しました。それに、親戚にも医師がいましたから」
―渡辺さんは作家としてデビューされてから、40年近く経ちますが、デビュー当時の作品を読み返されたりすることはありますか?
渡辺 「あります。自分が生んだ作品だから皆かわいいけど、自分なりに今読んで不満だとか、書き足りてないな、とかいろいろ感じることはあります。今ならこうは書かないというのもあるし、割と良く書けているなと感心するのもあるけれど」
―特に気に入っている作品はありますか?
渡辺 「『失楽園』なんかは男女の愛をよくあそこまで書ききれたと、当時の気魄を懐かしく思い出したりします」
―今後の執筆予定などがございましたら、可能な限りで構いませんので教えていただければと思います。
渡辺 「今は文藝春秋本誌に『天上紅蓮』という平安朝の華麗な恋の絵巻を書いています。それから雑誌の『エクラ』で『事実婚のススメ』というエッセイを連載しています。それらもぜひ読んでいただけると嬉しいです」
―渡辺さんが、人生に影響を受けたと思う本がありましたら3冊ほど紹介していただけませんか?
渡辺
「僕は文学書よりも医学書の影響を大きく受けました。例えば『解剖の図』とか『診断学』など。『解剖の図』はここにはこういう動脈が走って、その動脈はこう枝分かれして静脈と繋がってその横にこういう筋肉があって…という全身くまなく記されていて実に見事でした。
でも僕は血管分布はみんな同じなのに、どうして頭の良し悪しの差が出るのが不思議だった。頭が弱いから血管足りないかといったらそうではないし、背の低い人も筋肉や神経が足りないわけではない。どうしてこんなに成長や能力の差が生まれるのか、ということをいろいろ考えさせられました。
『診断学』については、こういう症状だからこういう病気だよ、というのが診断学だけど、人によってはその症状が出ない人もいて、それも不思議でしたね。ある薬がA君にはよく効くけどB君にはあまり効かないとか。その辺の偉そうな作家の本なんかよりもよほど医学書の方が人間について考えさせてくれます
」
―最後に、本作で取り上げたような、定年退職後の方々にメッセージがありましたらお願いします。
渡辺 「ぜひこの本を読んで柔軟な生き方、新しい生き方を探ってほしいですね。地位や過去にこだわらないで自分を変えることが大事。何歳になっても柔軟に自分を変えていってほしいですね」
■ 取材後記
30年以上、文壇の第一線で活躍されてきた方だけに、その貫禄に圧倒されっぱなしの取材だった。インタビューでおっしゃっていたとおり、私には定年後の人生については想像もつかないが、“団塊の世代”の方々が抱える孤独の一端は、本作『孤舟』を読むことで理解できたように思う。60歳を過ぎてから、それまでの自分の生き方や考え方を見直すことは非常に勇気のいること。何歳になってもしなやかで柔軟な考え方ができる人間でいられるために、本作は若い世代にとっても示唆に富んでいる。
(取材・記事/山田洋介)
■ 渡辺淳一さんのサイン入り『孤舟』をプレゼント!
今回登場して下さった渡辺淳一さんの直筆サイン入り『孤舟』を抽選で1名の方にプレゼント致します。件名に「渡辺淳一さんのサイン本」、本文には名前とインタビューの感想を明記の上、ご応募ください。返信をもって当選メールとさせて頂きます。
【宛先】
news@sinkan.jp
※預かった個人情報は本プレゼントに関わる連絡のみに使用します。
それ以外の目的では利用いたしません。また、本企画が済んだ以降は、個人情報は保持いたしません。
■渡辺 淳一さん
一九三三年一〇月二四日、北海道生まれ。札幌医科大学卒業。医学博士。整形外科医のかたわら執筆を始め、六五年、『死化粧』で一躍脚光を浴び、七〇年、『光と影』で第六三回直木賞を受賞。八〇年、『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』で第一四回吉川英治文学賞を受賞。二〇〇三年、紫綬褒章を受章、第五一回菊池寛賞を受賞。他に『花埋み』『無影燈』『阿寒に果つ』『くれなゐ』『化粧』『ひとひらの雪』『女優』『化身』『うたかた』『夜に忍びこむもの』『失楽園』『源氏に愛された女たち』『かりそめ』『マイ センチメンタルジャーニイ』『エ・アロール(それがどうしたの)』『夫というもの』『幻覚』『愛の流刑地』『鈍感力』『あじさい日記』『欲情の作法』『告白的恋愛論』『幸せ上手』など著書多数。
オフィシャルブログ「渡辺淳一 楽屋日記」
http://ameblo.jp/m-walk/
解説
“団塊の世代”の定年後の生き方を問う話題作。大手広告代理店を定年退職し、これからは悠々自適と思われた威一郎の第二の人生。しかしまっていたのは妻や娘との間にできた深い溝だった。娘と妻が去った家に独り残された威一郎は…。
■インタビューアーカイブ■
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第80回 高野秀行さん
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第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
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第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
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第66回 山田真哉さん
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第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
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第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
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第16回 武田双雲さん
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第1回 池田千恵さん