第19回の今回は今年6月に刊行した『俺俺』が話題となっている作家・星野智幸さん。
『俺』が増殖していくという状況で浮かび上がる、自己愛と自己嫌悪を描いた星野さんは、この作品にどんな思いを持っているのでしょうか。
■自分で自分を殺しているような社会を目に見える形にしたかった
―本作『俺俺』を構想する際の最初の閃きはどんなものだったのでしょうか。
星野 「そうですね、前作の『無間道』という作品では、自殺者が多い現代社会をテーマに書いたんですけど、まだ書き残している感じがあって、このテーマについて色々と考えていたんですよね。今の社会の様子を見たり考えたりした時に、“自殺”とは言いますが、それは自分で死を選んでいるというよりも、選ばざるを得ないというか、自殺しか選択肢がない状況に追い込まれて死んでいく、というところがある。じゃあ追い込んでいるのは誰かというと、特定の誰かというよりも社会全体です。
誰もがそういう状態に陥る可能性があって、誰もがそうやって死ぬ可能性があるわけですが、そうなる人とならない人がいる。
そこで、本当に自殺に追い込まれている人を殺しているんじゃないか、つまりは自分で自分を殺しているようなものじゃないかと思いました。そういう社会を目に見える形にしてみようと思ったのが最初ですね。
」
―自殺をしてしまう人とそうでない人との違いはどんなところにあると考えていますか?
星野 「違いは実際にはないと思いますね。自殺をする境地に陥らないための能力が存在するわけではないと思います。それにもかかわらず自殺をする人としない人に分かれてしまう。そのラインははっきりと引かれているわけじゃなくて、ラインが移動しているというか、自分はあちら側(自殺をする側)には行かないだろうと思っていても、いつの間にか向こう側にはじき出されていたりする。そんなふうに、線引きが常に変わり続けているような社会が現代だと思います。」
―本作では主体である『俺』が増殖し、一時的な安息を得るものの最終的には『俺』同士が消去し合う姿が描かれていますが、ラストシーンでは強い希望も読みとることができます。
このラストは執筆開始当初から考えていたことだったのでしょうか。
星野
「みんなが自分で自分を殺し合うという状況をどうにか突破する形で終えないと、この小説を書いた意味がないという気持ちは強くあったんですけど、どういう形でそれが可能になるのか、書き始めた当初はわかっていませんでした。
でも書いているうちに、次第にイメージができてきて、その方向に向かっていくような感じで書きました。
自分で自分を殺し合う社会というものを徹底的に書いて、行くところまで行けば突破出来るだろうという感じがあって、その行き着く先がどこなのかというのは書いているうちにわかってきましたね。
」
―本作を読んで、個人的に一番気になったのが、概念としての「女」が出てこないところでした。そちらも構想時から意識されていたのでしょうか。
星野
「タイトルの『俺俺』というのを考えた時点から意識していました。
現代の自殺の状況を見た時に、これを書いた時点では8割以上が40代以上、中高年の男、というイメージでした。
ではなぜその男の人は自殺を選んだのか、というところで、男としての様々なプライドに縛られていて弱音を吐けない、苦境に陥っても人に助けを求められないで、自分の責任を果たさなければならないと思いながら死んでいく人がすごく多いんですね。そして、実際には自殺をしない人でもプライドに縛られているのが今の社会だと思うんです。結果的に色々なことを苦しくさせているわけだし、社会を攻撃的にしている原因でもあると思うので無駄なプライドだと思うんですけどね。
もちろん女の人でも『俺』的なメンタリティを持っている人はいるわけですが、やはりこういう問題は圧倒的に男社会の中で生まれているわけで、だからこの問題は男の問題として考えられるだろうと、まずは考えたんです。
」
―執筆をする際に、特に気をつけた点がありましたら教えてください。
星野
「何しろ誰が誰だかごちゃごちゃになっていくので、ともすると書いている自分でもわからなくなってしまいかねませんし、気づくと様々な矛盾が生じていたりもします。その矛盾を矛盾として取られないように、ということは心がけていましたね。」
―かなり文体にスピード感を感じましたが、そういったことも意識されたのでしょうか。
星野
「そうですね、立ち止まって考えることなく、勢いよく読んでもらおうと思っていました。一人称で、抽象的に物事を考えるタイプではない主人公が語っているタイプの小説なので、あまり思弁的にならないようにはしましたね。あとは、重苦しいテーマを扱っているので滑稽な感じは出したかった。語り手本人は真剣なんだけど、傍から見ると滑稽に見えるような語りとディテールにしようと思いました。」
■『俺俺』外伝をツイッターで募集。その感想とは?
―本作『俺俺』の外伝をツイッターで募集するという試みをされていましたが、寄せられた作品の数々についてどのような感想をお持ちですか?
星野
「『俺俺』を読んで書いている人もいればそうでない人もいるので、本編と必ずしも繋がるとは限らなかったんですけども、本編は『俺』が増殖していく話なので、書き手の『俺』も増殖していったら面白いなと思っていました。ある程度それを感じてやってくれた人もいましたね。
それと、小説を初めて書いてみるという人や、遊びで書いたことはあるけど真剣にやったことはないという人が結構ハマっていたので、それを見るのは楽しかったです。
」
―かなり多くの方がやっていらっしゃいましたね。
星野 「そうですね。同じ箇所を色々な人がリツイートするという形なんですけど、当然のことながらみんな違う話が展開する。それが面白かったし、小説にして書くとその人の価値観が様々な場所に出てくるんですよね。例えば男の人が女の人をどう書くかでその人の価値観がすごく出るんです。本人は気づいていたりいなかったりするわけなんですけども、そういうのが色々見れたことも良かったと思います。」
―今おっしゃったように、文章には書いた人の価値観が計らずとも出てしまうものですが、星野さんご自身はそういったことについて意識されていますか?
星野
「それはもうデビューするころから意識しています。自分の価値観が文章に表れて人目に晒されることに耐えられるのか?と思っていましたし。でも新人賞受賞が決まった時には、もう後戻りはできないし、自分では気づかない無意識までが全部読まれることを覚悟しようって決めたんですよね。そこで腹を括ったというか。
今でも毎回書き終えた瞬間は解放感に溢れるんですけど、二日くらいするとすごいブルーになりますよ(笑)
」
―星野さんご自身のことについてお聞きしたいのですが、小説を書き始めたきっかけがありましたら教えてください。
星野 「文学に携わって生きていきたいと思って、勤めていた新聞社を辞めたのですが、どう携わるかというのは最初のうちはわからなかったんです。その後ラテンアメリカ文学を勉強するためにメキシコに留学したんですけど、帰ってきたらバブルがはじけていて仕事がないわけです。年齢的にも30近くになっていたので、研究者になるよりも、小説を書いてみる方向で背水の陣を敷いてやってみようと思ったんです。その時、背水の陣を敷こうと思ったということは、それが一番やりたかったからだと思うんですよね。」
― 当時からしたら一大決心ですよね。
星野 「そうですね、でも小説を書き始めて新人賞に応募したりしている時に、字幕翻訳家の太田直子さんと知り合って、その仕事を少しできるようになったんです。だから稼ぎはそっちの方で賄いながら書いていこうと思っていました。ただ、それも三島賞の受賞が決まったあたりから執筆の仕事が増え始めて両立が厳しくなったから辞めたのですが。」
―普段の生活スタイルについてお聞きしたいのですが、執筆の時間は決まっていたりしますか?
星野
「いやあ…本当は時間を決めてコンスタントにやったほうがいいと思うんですけど、集中して世界にのめり込むとガーッと書けるタイプなので、なかなかそうはなりにくいですね。書き始めると何日間もそればっかり時間もめちゃくちゃになってやってるし、何日かやるとヘトヘトになって数日書けなかったりということを繰り返してしまっています。でもそれやってると長生きできないそうなので…(笑)
長生きをしている作家の方たちは朝起きて3時間くらい書いて、それからご飯を食べて、みたいな生活をしている方が多いので、数年前からそういうスタイルに切り替えようと思ってはいるんですけど、最初のうちはできても段々崩れてしまうんですよね。継続が難しいです。
」
―星野さんといったらラテンアメリカ文学に造詣が深いことで知られていますが、以前に他の媒体で『蜘蛛女のキス』をあげていらっしゃいましたよね。
星野 「プイグはいいですね。ジェンダーを題材にしていますが、独特なオープンさがあるというか。あとプイグはメロドラマを得意としていましたが、決して紋切り型ではない優れた書き手だと思っています。僕にはない資質なので憧れますね。」
―ラテンアメリカの作家の方で、他に好きな方はいらっしゃいますか?
星野 「ガルシア・マルケスは好きですし、あとはもう亡くなってしまいましたがレイナルド・アレナスもいいですね。あまり翻訳はされていないのですが。あとは、メキシコのフアン・ルルフォという作家がいまして、『ペドロ・パラモ』という作品が有名なんですけど、それはある種完璧な小説だと思いますね。」
―星野さんの人生に影響を与えた本を3冊挙げるとしたら、どの本を選びますか?
星野 「色々ありますし、その時の気分でも変わるものですが、まずは『 ドン・キホーテ』。それから中上健次の『千年の愉楽』。あとは安部公房の『人魚伝』かな。」
―安部公房の名前が出ましたが、今回の『俺俺』もある種、安部公房的なところがありますよね。
星野 「そうですね、冒頭のオレオレ詐欺のところとか、いきなり見知らぬ人が入ってきて知り合いのように命令するところなんてまさにそうかもしれません。」
―最後になりますが、今後の作家としての目標がありましたら教えてください。
星野 「近い将来に、今回の本の倍くらいあるような長大な作品を書きたいとは思っているんですけどね。それには気分をずっと持続させる体力が必要です。精神力も必要ですが、精神力とは結局体力なので。あとは構成力ですね。今回はそういう意味で、長編を連載で書きながらどこまで自分で構成できるか、というのを試していたのですが、何とかできたようなので、それはこれからもグレードアップしていきたいと思います。」
■ 取材後記
ひとことひとこと丁寧に言葉を選びながら取材に答えてくれた姿が印象的だった。ラテンアメリカ文学を勉強するためにメキシコに留学されていただけに、中南米の作家、小説に関する知識の広さ、深さには驚くばかり。
こういった文学的栄養が今後の作品にどう活かされていくのか、早くも次作が楽しみだ。
(取材・記事/山田洋介)
■星野智幸さん
1965年ロサンゼルス生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、新聞記者をへて、メキシコに留学。1997 年「最後の吐息」で文藝賞を受賞。2000年「目覚めよと人魚は歌う」で三島由紀夫賞、2003年『ファンタジスタ』で野間文芸新人賞を受賞した。著書に『ロンリー・ハーツ・キラー』『アルカロイド・ラヴァーズ』『われら猫の子』『植物診断室』『無間道』『水族』などがある。
■インタビューアーカイブ■
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