『会社再生ガール』の出版を記念し、大ヒットビジネスノベル『女子大生会計士の事件簿』の著者である山田真哉さんをお招きして対談を行いました!
会社経営の「現場」に携わる2人の対談、是非お読みください
■「自分の貯金を崩して社員に給料払ったりもしました」(田中)
- 山田 『会社再生ガール』発売記念対談! 対談の片割れを担当させていただきます、公認会計士の山田真哉です。そして今日の私の対談相手は、『会社再生ガール』著者の……。
- 田中 T&Tフィナンシャルグループ代表の田中伸治と申します。宜しくお願いします。
- 山田 田中さんは企業再生の専門家でいらっしゃるんですよね。
- 田中 はい、3年前に独立して企業再生に特化したコンサルティングをやっています。
- 山田 僕も仕事柄、企業再生の方々と実務をやることが多いんですが、企業再生って何かしら資格があるわけでもないし、専門学校があるわけでもないですよね。どういう経緯で企業再生をやっているのかなというのは常々疑問だったんです。田中さんの場合は元々どちらのご出身なんですか?
- 田中 企業再生をやる方って山田先生と同じように会計士だったり税理士さんだったり、もともと銀行で債権回収をやってた方が比較的多いんですけども、私の場合は事業会社出身なんですよ。
- 山田 いわゆる一般の会社ですか?
- 田中 はい。もともと学校を出てから大手の自動車部品メーカーの本社で経理をしていまして、そこから上場会社やベンチャー企業などへ転職をしました。
- 山田 なぜ転職をしたんですか? 経理のスキルアップのためですか?
- 田中 上場会社にいた頃に、投資ファンドがM&Aを仕掛けてきまして。
- 山田 敵対的TOBといわれるやつですか?
- 田中 敵対的ではないですね。一応オーナーとの合意があったので。
- 山田 あったけど、ファンドがある種乗っ取りにやってきた、と。
- 田中 そうですね。我々従業員からすると、いきなり(TOBを)仕掛けてきたイメージがあって、社員が半分くらい辞めたんです。
- 山田 リストラですか?
- 田中 もちろんそれもありますが、ファンドのやり方についていけない社員もいましたから。
- 山田 ファンドと従業員の関係はそんなに良好ではなかったんですね。
- 田中 良くはなかったですね。一人ひとり面談して、『僕達について来れるんだったら、このまま引き続き頑張ってね』という形でした。それで半分くらいやめてしまって、そのときに当然役員のメンバーも総入れ替えで、社長もファンドが送り込んできた人でした。
- 山田 当時の田中さんの役職はなんだったのですか?
- 田中 当時は平社員だったんですよ。で、ファンドの担当の方と比較的意気投合して、一緒に会社の価値をあげていこうよっていうことで、CFOまであげてもらったんです。
- 山田 え!? それって大々抜擢じゃないですか!
- 田中 まあ人がいなくなったということもあるんですけど(笑)。僕がM&Aとか企業価値をあげるということに興味を持っていたんで、こういう機会を逃す手はないなということで、引き受けました。
- 山田 CFOって最高財務責任者ですよね。会社のナンバー2であり3であり。そんなことがあるんですね。ちなみに、それはおいくつのときですか?
- 田中 確か33歳のときです。
- 山田 その若さで…。で、CFOとして。
- 田中 CFOとしてその会社の子会社を買収していくというプロジェクトリーダーもやらせていただいたりとか。それを数年間繰り返していたんですけど、もう少し小さな組織で経営の深いところに行きたいなという考えを持っておりまして、そこを辞めて、ベンチャー企業に転職したんです。
- 山田 財務だけじゃなくて、経営の深いところですね。それこそ戦略を練ったりとか。
- 田中 そうですね。
- 山田 ベンチャー企業にはどういう役職で入ったんですか?
- 田中 そこもCFOとしてですね。
- 山田 じゃあ、CFOに抜擢されて良かったですね。
- 田中 そうですね。最高のCFOを目指して、1から立ち上げるというようなベンチャーに入ってみたかったんです。
- 山田 どのようなことをしているベンチャー企業だったんですか?
- 田中 環境系です。環境に優しい商品開発などです。それがメディアでも結構取り上げられていましたし、将来的にIPOを目指していました。
- 山田 上場ですね。まさに当時よく上場請負人と言われた人がいましたけど……。
- 田中 そうです。そんなつもりで(笑)。
- 山田 それは何年くらいの頃ですか?
- 田中 2003年頃だったと思います。
- 山田 ちょうど色んな会社がIPOをしていた頃ですね。
- 田中 IPOブームの時ですね。IPOを目指すということで入ってみて、最初の1週間はいろんなことをして、落ち着いたんで帳簿を見てみたら実際は火の車でした。3ヶ月後には倒れるなというような資金繰りだったんですよ。
- 山田 ええ!?
- 田中 ひどいときは月の口座の残高が5万円しかないとか、自分はCFOを任されていたんで、給料を払えないときは自分の貯金を全部崩して社員に給料払ったりもしました。
- 山田 身を削っていますね
- 田中 削りましたね。それで結局オーナーが個人でもサラ金から借金を繰り返していまして、ひどい取り立てにあっていたのか、病気で休みがちになってしまったんです。そこで、私が社長代行として再生を託されて、結果的には上場企業のスポンサーを見つけて、民事再生法を申請したという流れです。
- 山田 修羅場くぐっていますね。
- 田中 そうですね。資金面で個人の資金を投入したというのもありますし、取引先なんかが変な輩を連れてきて、20時間くらい監禁されたりとかいうこともありましたね。
- 山田 うわー(笑)! でもそういう話ってたまに聞きますけど、面と向かって聞くのは初めてですね。結局、持ち出しが多かったんじゃないですか?
- 田中 たいした金額ではないんですけど、貯金は0になりましたね。
- 山田 で、民事再生は成功したんですか?
- 田中 一部上場企業で同じ環境系の会社に私自身が話を持ち込んで、とんとん拍子で1ヶ月後に民事再生法を申請して、スポンサーになって頂くことに成功しました。そのとき私は上場会社から、CFOとして残ってくれ、と言われまして。でも、自分の役目は終えたんで、他の会社に行くつもりでした。そのとき私はコンサルタントになりたいなと思っていたんですよ。
- 山田 それは財務系ですか
- 田中 そうですね。こうした経験をして、困っている経営者がたくさんいることが分かったので、その助けになりたいなと。その時には転職を決意していたので、私は残りませんという話をさせて頂いたんですけども、そのときに上場会社の副社長で今は社長になっている方なんですけど、『君がいるからこの会社を買収したんだよ』と。
- 山田 殺し文句ですね。
- 田中 それはちょっと違うでしょ、といろいろ話をさせて頂いて、だったら1年間だけの約束で軌道に乗るまで残りますということになったんです。そのときすでに転職の誘いがあったんですけど、それを断って、1年間CFOとして引き続き残ったという感じですね。