第43回の今回は、新刊『ひらいて』を刊行した綿矢りささんです。
2011年に前作『かわいそうだね?』で大江健三郎賞を受賞した綿矢さん。受賞後第一作となる本作で、綿矢さんは一人の女子高生の恋に焦点を当て、切実さとコミカルさが入り混じった物語世界を創り上げています。
この作品で綿矢さんは何を試み、何を描こうとしたのでしょうか。ご本人にお話を伺いました。
■「詩だとかイメージのような文章をたくさん入れたかった」
―昨日、本作『ひらいて』の刊行記念サイン会(2012年8月8日、紀伊國屋書店新宿本店で開催)で写真撮影をしながら、来場されていた読者の方々の声を聞いていたんですけども、綿矢さんのこれまでの作品で一番良かったということを話している方が多くいらっしゃいましたね。
綿矢 「ありがとうございます。読んでくださった人は気に入ってくださったみたいで、すごく勇気づけられました」
―とてもおもしろくて、私も一気に読んでしまいました。新境地だという意見も見られますが、そのことについてはどのように思われますか?
綿矢 「新境地というより、むしろ2作目あたりでやりたくてできなかったことをやったという感じです」
―執筆にあたって、ご自身のなかにテーマのようなものはありましたか?
綿矢 「詩みたいな文章を入れることです。説明的な文章じゃなくて、詩だとかイメージのような文章をたくさん入れたかったというのはありますね」
―今おっしゃったような、イメージを喚起させる文章を物語の大きな流れの中に入れるというのは難しい試みだったのでしょうか。
綿矢 「そうですね。主人公の“心のポエム”のようになってしまうと浮いてしまうし…。デビューした頃からやりたかったんですが、難しくてできなかったんです」
―この作品で際立つのは、なんといっても主人公「愛」のキャラクターです。彼女のようなどこか冷めた女の子は過去の作品にも登場しますが「愛」のようなキャラクターとご自身の性格には似ているところがあったりしますか?
綿矢 「ほぼ本人になりきって書けたので、本質的には一緒なんじゃないかと思います。それと、高校生の時って万能感のようなものがあったりしますから、作品にはそういうものも入れました」
―物語が進むにつれて、その「愛」が同じクラスの男子生徒にのめり込んでいきます。「愛」の思いはすごく切実なのに、どこかコミカルでもあります。そういった「切実さ」と「コミカルさ」のバランスというのは意識されましたか?
綿矢 「「愛」は結構本気で生きているタイプの主人公で、自分を客観視したりギャグを言ったりすることも少ないし、笑いとは程遠い性格なんですけど、思い詰めるあまりに突っ走った行動をとります。それは他人から見ると滑稽やし、考えていること自体がギャグっていうところがあって、そこは生かしたかったですね」
―個人的には「愛」が、理科準備室で一人お弁当を食べる「美雪」に注射器を借りてインスリン注射を打つ場面が、その後の展開を暗示するという意味ですごく印象的でした。
綿矢 「あれは糖尿病の方に聞いたお話も参考にさせていただきました。その方は、「美雪」みたいに食事のときには注射を打たないで、トイレで打っていたそうなんですけど、知り合いにはもっと気軽に打っていた人もいたそうです。たとえば、服をまくらずに生地の上から注射する人もいるとか。注射って皮膚に直接打つもんだと思ってたけど、そんなに気軽に打つんだと思ってすごく驚いて。それがとてもリアルな感じがしました」
―確かに、注射ってなんとなく身構えてしまいますよね。
綿矢 「そうですね。自分で打っている人にしても、 “さあ、打つぞ!”っていう思いきりがいるのかなと思っていたけど、そうではなかった。毎日定期的に打っていると、そういう風になっていくのかもしれません」
■ 「自殺」から書き直された結末
― 一番執筆がはかどった箇所はどんな場面でしたか?
綿矢 「やっぱり、気持ちの描写のところかな。“相手を好き”っていう気持ちとか、心象風景のところとかはすごく書きやすかったです」
―綿矢さんが得意とされているところですね。
綿矢 「得意というか、そういうのを書くのが好きっていうのはありますね。だから割とスラスラ書けるんですけど、それを物語に入れ込むのがめっちゃ難しいです。 今まではそういう描写は冒頭とかプロローグみたいな箇所にしか入れられなかったんですけど、これからはもっと入れていきたいですね」
―反対に、物語を進めていくような描写は、どちらかというと苦手なんですか?
綿矢
「はい、本当にそれが苦手なんです。お話を展開させていくことを意識的にできなくて、勝手に転がっていかないと話が終わらない。だから途中で止まってしまうこともあるし、未完成のままっていう話も多いです。
筋運びとか、人と人との関係の能動的な動きっていうのが掴みづらいんですよ」
―物語の締めくくり方の上手さはデビュー時から言われていましたけど、この作品も結びがすばらしいですね。
綿矢 「いつも書き終えるときは“これで終わった!”って思うんですけど、読んでくださった方に“これから始まると思ったところで終わる”ってよく書かれるから、最近は“いかにも終わり”っていう結び方を目指してます」
―今回の終わり方はいかがでしたか?
綿矢 「今回もすっきりと“終わった!”って感じでしたね。これでもまだ終わってへんと思う人がいるかもわからないですけど(笑)。自分では“終わった!”と思ってます」
―もっと物語としてわかりやすい結末を考えようと思えばできたと思うんですけど、あえてそれをせず、ちょうどいいところで手放しているように思いました。
綿矢 「ありがとうございます。最初は主人公を自殺させるっていうことも考えたんですけど、編集の方に見せたら“死んで終わるのは違うのでは?”と言われて、そうやな、と思って書き直しました」
■「小説には本当に色々な可能性があるっていうのがわかってきた」
―綿矢さんがデビューされてから10年が経ちました。この10年で変わったなと思う点はありますか?
綿矢 「書くっていうことに対してフランクになったかな…。“よし書くぞ!”っていう風には今は思わないです。“やろか”って始めて、“やめよ”と思ってやめる」
―書き始めた作品を途中でやめてしまうこともあるとのことですが、やめてしまう時というのはどのような感覚なのでしょうか。
綿矢 「先が見えなくって終わりようがない感じですね。原稿用紙100枚を過ぎても全くラストが見えなかったりすると嫌な予感がしてきて…」
―これは最後までいけそう、というのも途中でわかりますか?
綿矢 「わかりますね。書きながらちゃんとすぼまるなという感覚があるんですよ」
―どういうラストになるかが具体的に浮かんでいなくても、とにかく終わるだろうという。
綿矢 「そうですね。そこは不思議なもので、その原理が解ければ無理な作品にはすぐ見切りをつけられるんですけど、その兼ね合いがどうして生まれるのかはまだ全然わからないです」
―物語の核になるものはどのように思いつくことが多いですか?
綿矢 「そのとき自分が考えていることとか興味のあることかな。今回だったら“好き”っていう思いだけで突っ走ったら主人公はどうなるんやろうとか。そういうことが気になっていたんだと思います」
―最近、興味を持っていることはどのようなことでしょうか。
綿矢 「夏やから怖い話ばかり読んでます(笑)怪談っていうよりも、実際にあった未解決の事件とか、そういうもの。人が消えてしまったりとか、船の乗組員がいなくなってしまったとか……」
―最近読んでおもしろかった本がありましたら3冊ほどご紹介いただければと思います。
綿矢 「『これが佐藤愛子だ』っていうエッセイ集がおもしろかったです。古い本なんですけど。あとは、対談で大江健三郎さんにお会いすることになったから、大江さんの本を読ませていただいたんですけど、『万延元年のフットボール』もよかったです」
―大江さんといえば、綿矢さんは昨年大江健三郎賞を受賞されましたね。
綿矢 「はい、それで対談させていただくことになって、『万延元年のフットボール』も含めて読んでいなかった作品を読んでいたんです」
―『万延元年のフットボール』は冒頭から非常に独特な文体で書かれていて、読み進めるのに苦労した記憶があります。
綿矢 「書き出しから意味がなかなかわからなくって…。でも、途中からは盛り上がってすごくおもしろかったです。最初の方は難解でしたけど、そこを抜ければ私でも大丈夫でした」
―最初は面食らいますが、大江さんの文体は慣れると癖になりますよね。
綿矢 「なります。熱がこもっていて、読んでいるとそれがこっちに移るような気がしてきて。あと一冊は、この間新訳で読み終えた『罪と罰』。絶対暗いまま終わると思っていたんやけど、意外なくらい救いがありましたね」
―今後、小説を書くうえで取り組んでいきたいことはありますか?
綿矢 「自分がこれまで“これが小説や”と思い込んでいたことを取り払って進んでいきたいです。大江さんの本にしても、これまで読んだことのない小説でしたし、そうやって人が書かはった作品を読んで、ただ起承転結にするんじゃなく、小説には本当に色々な可能性があるっていうのがわかってきました。だから、自分も小奇麗にまとめようとせずにやっていきたいですね」
―読者の方々にメッセージがありましたらお願いします。
綿矢 「いっぱい色々な本が出ているから読みたい本がほかにもあると思いますけど、もし興味を持っていただけるなら、本屋さんで開いてみていただければなと思います」
■ 取材後記
こちらの質問に対し、常に率直な口調で答えてくださった綿矢さん。
「起承転結」というという物語の基本形にこだわらず、小説の持つ様々な可能性を探ろうとしている彼女が今後どのように作品世界を広げていくのか、一人の読者としてとても楽しみになるインタビューでした。
(取材・記事/山田洋介)
■綿矢りさ さん
1984年京都府生まれ。2001年『インストール』で文藝賞受賞。2004年『蹴りたい背中』で芥川賞受賞。2007年『夢を与える』、2010年『勝手にふるえてろ』刊行。2012年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞受賞。
解説
同じクラスの男子生徒に恋をした愛。彼女は彼をもっと知りたい一心で、予備校の仲間たちと共に夜の学校に忍び込み彼の机の中を漁るという大胆な行動に出るが、そこで彼に恋人がいることを知ってしまう。やり場のない気持ちは彼ばかりでなく彼の恋人にまで向き…。
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん