『アンタッチャブル』著者 馳星周さん
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
記念すべき第70回は、最新刊『アンタッチャブル』が第153回直木賞の候補に挙げられた馳星周さんの登場です。
『アンタッチャブル』は、緊迫感溢れる馳作品の中で異彩を放つコメディ。ユーモアのなかに潜んだ独自の皮肉や風刺が光り、『不夜城』、『漂流街』に次ぐ新しい代表作の雰囲気があります。
この作品がどのようにできあがっていったのか。そして作家・馳星周はなぜこの作品で新しい「顔」を見せたのか。たっぷりと語っていただきました。
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6度目の直木賞候補『アンタッチャブル』はいかにして書かれたか?
― ご自身6度目の直木賞候補作となった『アンタッチャブル』についてお話をうかがえればと思います。「サンデー毎日」で連載されていたこの作品は、中心人物の椿警視をはじめ、登場人物のキャラクターや会話がとてもユーモラスで、笑いながら読みました。
しかし、デビュー作の『不夜城』に代表されるような、ヒリヒリした緊張感のある馳さんの小説に親しんだ読者の方は驚いたのではないでしょうか。
馳:来年でデビューして20年になるのですが、デビューした当時からはやはりいろいろなことが変わってきていて、書く作品にしても「暗黒街の話はもういいだろう」という気持ちも確かにあります。でもこの作品については「作風の転換」というような大げさなものではなく、これはこれで僕の作品のひとつということです。
なぜ今回コメディを書いたかといわれると特に理由はないのですが、よく「泣かせる小説は簡単だけど、文章で人を笑わせるのは難しい」といわれるので、「それなら俺がやってやろう」という思いがありました。
― 椿警視の存在感とキャラクターが際立っていて、作品全体がこの人物に引きずられていくところがあります。馳さんの作品に限らず、小説全体を見渡してもこういった人物は異質です。
馳:いってみれば一種の狂人ですからね(笑)椿警視は明らかに言動がおかしいのに、なぜか警察をクビにならずに済んでいる。なぜクビにならないのか?というところからキャラクターの造形を始めました。
それで、「本当は東大卒のスーパーキャリアで、将来は警察庁長官になるんじゃないかとまで言われていたのに、ある事件がきっかけでおかしくなってしまった」という設定ができあがった。それなら、公安部を舞台にすることで、様々な機密情報に触れられるためクビにすることもできずに片隅の部署に追いやられているという説明がつくだろうと。
だから、今までにないキャラクターを作ってやろうというような意図はなくて、小説の中でリアリティを出すためにどうしたらいいかと考えた結果ですね。
― 正気を失っているようにしか見えないのに、時折恐ろしく頭が切れる場面があって「本当の顔」はどちらなのかと気になって読み進めました。
馳:そこが狙いですよね。椿については「本当におかしいのか、おかしいふりをしているだけなのか、どっちなんだろう」と思わせたまま終わろうと思っていました。
僕はこの小説に限らず、バシッときれいに着地する小説はあまり好きじゃないんです。もちろん、ストーリーに起承転結があって最後にオチがあって、ということは考えるんですけど、オチがついた後に「でもこれってやっぱり……」と読者に想像させるような小説がいい小説だと思っているので、この小説もそういう風に書いていますし、一番の狙いでした。
― そういう目で読むと、疑心暗鬼になってしまう仕掛けがこの小説には散りばめられていますね。
馳:本当に文字通りのことが起こっているんだろうか、と読者が疑念をかきたてられるように話を進めていこうと思っていたので、そう思ってもらえたのなら成功したのかもしれませんね。
連載小説を同時に5本……人気作家の生活
― この作品は警察のなかでも「公安警察」が舞台になっていますが、これには何か理由があったのでしょうか?
馳:
公安警察といえば諜報活動が欠かせません。でも、諜報戦っていうのはやっている当人は大まじめであっても、傍から見るとまぬけだったりするんですよ。
最初にコメディを書こうとなった時に、そのまぬけさや滑稽さは使えるなと思ったんです。
― 確かに、スパイの疑いがある登場人物の「点検作業(尾行がついていないかどうかをさりげなく確認する作業)」に振り回される捜査員はかなり滑稽でしたし、椿とその部下を見張るために公安警察同士でスパイ合戦になっていくのはコミカルでした。
馳: 右手のやっていることを左手は知らない、みたいなことですよね。日本の警察は部署同士で手柄の取り合いですから、こういうことはよくあるんです。
― 尾行の描写は特にリアルでしたが、この「点検作業」というのは本当にあるものなのでしょうか?
馳: 直接公安の警察官に取材したわけではないのですが、活字資料を読む限り公安警察官を育成する学校が昔あって、そこでは点検作業を見破る教育だとか、犯罪者やスパイの疑いがある人物の面識率を高める教育がカリキュラムに入っていたようです。
― そしてラストは衝撃的でした。この終わり方は執筆時から計画されていたのでしょうか。
馳:
いえ、自分でもこんなラストになったかと驚いたくらいです(笑)。
基本的に僕はきっちりプロットに沿って進むタイプじゃなくて、書きながら先のストーリーを考えていきます。今回の小説は週刊誌で連載していたということもあって「こう書いておけば後の伏線になるかな」くらいの感じで書いていたんですけど、最後でうまくまとまりました。
― まとまらないこともあるんですか?
馳: そういう時は連載が終わって書籍化する段階で直します。大体は回収できなかった伏線ごと消すとか。
― 週刊誌連載で先の展開を準備せずに、書きながら考えるというのはかなり綱渡りなんじゃないかという気がします。
馳: そんなこともないですよ(笑)。「サンデー毎日」で今回の『アンタッチャブル』を連載しながら、別の作品も並行して書いていたんですけど、毎週の15枚ずつ原稿を仕上げて担当編集者に渡した瞬間に頭が別の小説の方に切り替わって、また締切が近づくと『アンタッチャブル』に戻る。目の前の原稿に向かっている時だけしかその小説のことは考えないんです。その時に書きながら先の展開を考えるという感じですね。
― ちなみに、同時に何本くらいの小説を進められるものなんですか?
馳: 一番多かったのは5本です。週刊誌連載4本と新聞連載1本でした。新聞連載は月曜から金曜まで毎日締切があるんですけど、ある日原稿を渡したら編集者から電話がかかってきて「今まで出てきたことがない登場人物が突然出てきた」と(笑)。別の小説の登場人物をまちがって書いてしまったわけです。さすがにその状態は続かなくて、1年くらいで肺炎になって倒れましたね。30代だったからできたことだと思います。
「俺一人で日本のノワール小説を背負ってるんだ、くらいの覚悟で書いていた」
― ここからは普段の執筆についてお聞きしたいのですが、小説のアイデアというのはどういうところから生まれることが多いですか?
馳:
『アンタッチャブル』の場合は、数年前から警察小説ブームっていうのがあって、僕のところにもあちこちから書いてくれという依頼があったというのがあります。でも、僕は天の邪鬼な性格なので、ただ刑事を主役にして、ということはやりたくなかった。だったら刑事警察じゃなくて公安警察を舞台にして、コメディにしてしまおうというアイデアから始まりました。
でも、小説のアイデアがどう生まれるかというのはその時その時でバラバラです。前作の『雪炎』は東日本大震災の前から取材していた原発についての情報をまとめたかったというのがありますし、新聞を読んでいて怒りを感じたことが題材になることもあります。
― 馳さんといえば、小説家になる前からライターや編集者として出版に関わっていたことが知られていますが、なぜ小説を書こうと思われたのでしょうか。
馳:
若い頃は小説家になろうと思ったことはなかったんです。人から面白いと思ってもらえるような小説を書く才能が自分にあるとは思えなかったし、小説家っていうのは職業でやってはダメだと思っていました。
昔、新宿のゴールデン街の「深夜プラス1」っていう、内藤陳さん(コメディアン・書評家)が経営していたバーで働いていたことがあって、そこに大沢在昌さんがよく来ていたんですけど、当時の大沢さんは全然売れていなくて、話を聞いているうちに「これはやってはいけないな」と(笑)。とにかくお金にならなくて、毎月本を出すくらいじゃないと食べていけないんです。当時そこに集まったお客さんで売れていたのは北方謙三さんくらいだったから、酔っ払ってはみんなで「北方なんてつまらない作家ばかり売れやがって!」とか愚痴るわけですよ。小説家になるとこういう人になるのかと思ったりね(笑)。
そんなことがあって小説家にはなっちゃいけないなと思っていたんですけど、その後ライターをやっているうちに、だんだん自分の「末路」が見えてきてしまったんですよね。
たとえば、40歳過ぎたあたりから一緒に仕事をしていた出版社の社員が出世していって、新しく若い奴が担当になると、口うるさいからといって年の行ったライターはだんだん使われなくなっていく。そういう未来図が見えていた。
そんな時に、一番稼がせてもらっていた雑誌が廃刊になってしまったんです。当時30歳手前になっていて、また一から営業活動して仕事をもらってくるのもしんどいし、このままライターを続けていても先が見えているという状況でした。
それなら、モノになるかはわからないけど、物を書く仕事で一番自分が納得できる「小説」で勝負してみようと思って「不夜城」を書き始めたんです。
― 子どもの頃から本はたくさん読まれていたんですか?
馳:
そうですね。本当に幼い時は絵本だったんですけど、小学生の時に星新一さんのショートショートにはまって、そこから筒井康隆さんだとか小松左京さん、平井和正さん、田中光二さんのようなSF小説を読むようになりました。
平井さんや田中さんが本のあとがきで「レイモンド・チャンドラーがおもしろい」とか「アリステア・マクリーンがおもしろい」というようなことを書いていたからそれを読んでみて、ハードボイルドや冒険小説に入っていくという流れですかね。
― そういった読書の蓄積がデビュー作であり大ベストセラーになった『不夜城』に結実した。
馳:
そう思います。『不夜城』は、それ以前のハードボイルド小説へのアンチテーゼとして書きたいと思っていましたし、当時アメリカで出てきたノワールを日本でもやりたいという思いもありました。文章からなにから、それまでに読んできたものの中から抽出したものだといえると思います。
今読み返すと下手だなと思うんですけど、熱気はありますね。あの熱気は当時じゃないと書けなかったものですから。
― 来年はデビュー20周年です。デビュー当時と今とで変わったことはありますか?
馳:
書くものに対する考え方は変わったと思います。まだ若かったですし、他にノワールを書く作家がいなかったこともあって、俺一人で日本のノワール小説を背負ってるんだ、くらいの覚悟で書いていましたからね。
今はその時に書きたいものを書きたいようにかけばいいんじゃないかと思っています。若い頃のように気負わなくても、俺が書けば自然とどこかノワール的な小説になる、そういう作家なんだと思えるようになりました。
― 馳さんが人生に影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただければと思います。
馳:
平井和正さんの「ウルフガイ・シリーズ」の中の『狼の紋章』が一冊目。もう一冊はジェイムズ・エルロイの『ホワイト・ジャズ』です。最後はダシール・ハメットの『血の収穫』ですね。
ハメットもエルロイも平井さんも世の中の非情さだとか不条理さを徹底して書いているところが共通していて、そこに惹かれたんだと思います。
「努力すれば夢は叶う」というような言説が昔から本当に嫌いで、20代とか30代の頃は「よくそんな嘘が言えるな」と思っていました。この歳になると、そうでも言わないと救われない人がいるっていうことがわかるけど、やはり努力したところで叶わない夢の方が多いわけで、そちらの方が僕にとっての現実でした。ハメットはそれを淡々と書いたけど、エルロイとか平井さんは登場人物の情念をぶつけて書いた。どちらも不条理さや非情さを知ったうえで、それでも足掻く人たちを書いていて、自分もこういうものを書きたいなと思っていましたね。
― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。
馳: 今までの僕の作風とは少し違いますが、必ず腹を抱えて笑えるのでぜひ読んでみてください。
取材後記
都内某ホテルでの取材でしたが、待ち合わせ場所にいらっしゃった時からその独特の佇まいと雰囲気に圧倒され通し。しかし取材が始まってしまうと作品の成り立ちから、作家業のウラ話、そして作家になったいきさつまで、とても気さくに話してくださいました。
『アンタッチャブル』はこれまでの馳作品とは一線を画す、新たな魅力に溢れています。そのコミカルさとユーモアはこれまでの読者も新しい読者も同時に満足させてくれるはずです。
(インタビュー・記事/山田洋介)
馳星周さんの近著
- 『狼の紋章』
- 著者: 平井 和正
- 出版社: 角川書店
- ISBN-10: 404138351X
- ISBN-13: 978-4041383513
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- 『ホワイト・ジャズ』
- 著者: ジェイムズ エルロイ (著), James Ellroy (原著), 佐々田 雅子 (翻訳)
- 出版社: 文藝春秋
- 価格: 1,170円+税
- ISBN-10: 4167901323
- ISBN-13: 978-4167901325
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- 『血の収穫』
- 著者: ダシール・ハメット (著), 田中 西二郎 (翻訳)
- 出版社: 東京創元社
- ISBN-10: 4488130011
- ISBN-13: 978-4488130015
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プロフィール
■ 馳星周さん
1965年、北海道生まれ。横浜市立大学卒業。書評家などを経て、1996年『不夜城』で小説家デビュー、同作で吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。98年『鎮魂歌 不夜城Ⅱ』で日本推理作家協会賞、99年『漂流街』で大藪春彦賞を受賞。近著に、『ソウルメイト』『ラフ・アンド・タフ』『帰らずの海』『復活祭』『雪炎』がある。
- 『アンタッチャブル』
- 著者: 馳 星周
- 出版社: 毎日新聞出版
- 定価: 1850円+税
- ISBN-10: 4620108146
- ISBN-13: 978-4620108148
あらすじ
警視庁公安部の「アンタッチャブル」と捜査一課の「落ちこぼれ」コンビが巨大テロ脅威に挑む。馳星周の新骨頂、ファン待望の公安エンターテインメント!
容疑者追跡中に人身事故を起こした捜査一課の宮澤に、異例の辞令が下った。異動先は警視庁公安部外事三課。上司は公安の「アンタッチャブル」―― かつては将来の警察庁長官と有望視され、妻の浮気・離婚を機に、「頭がおかしくなった」とうわさされている椿警視。宮澤に命じられたのは、椿の行動を監視・報告すること。椿とともに、北朝鮮のスパイと目される女の追跡をはじめるが......
疾走するストーリーに、一筋縄ではいかない人物たちが次々登場。
数多のトラップ、ラストの大どんでん返しまで一気読み必至のコメディ・ノワール!(出版社サイトより)
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん