第38回の今回は、昨年11月に新刊『ゆみに町ガイドブック』を刊行した西崎憲さんです。
西崎さんは日本ファンタジーノベル大賞でデビューして以降、精力的に小説作品を創り続けている作家であると同時に、ヴァージニア・ウルフやへミングウェイの翻訳でも知られています。
『ゆみに町ガイドブック』は架空の町「ゆみに町」を舞台に、リアリスティックな世界とファンタスティックな世界が入り混じり、読者に独特の浮遊感を与える長編。
今回はこの作品の成り立ちを伺ってきました。
■ ゆみに町で書いた世界は10も20もあるうちの3つ
―まず、本作『ゆみに町ガイドブック』に関して、書き始める際にどんな作品にしたいと思っていましたか?
西崎(以下敬称略) 「この作品はリアルな世界やファンタスティックな世界を含めた3つの世界で構成されているのですが、当初はリアルな世界の部分しかなかったんですよ。“ゆみに町”に住んでいる書き手の“私”がいて、“プーさん”や“ディスティニーランド”は彼女の空想のなかのお話だったんです。それで、“私”の記述が原稿用紙100枚くらいになって、河出書房新社の編集者の伊藤さんと「本として出しましょうか」という話になった時、長編化した方がいいんじゃないか、となったんです。
長編化にはいろいろな方法があって、そのまま普通のリアリズムの小説にしていく手もあったんですけど、考えているうちにひとりでに空想的な部分が膨らんでいったというか、自然にそうなっていきました」
―今おっしゃったように、「ゆみに町」の複数の世界が描かれていて、読んだ人がそれぞれ全く異なった印象を持つような作品になっていますね。
西崎 「それはある意味で意図的なものですね。単一な印象が生まれないように、注意深く書いているところがあります。ただ、それをすることで散漫にもなりかねないので、何かしらの核になるようなもの、読んだ時に手触りのようなものが残る作品が書きたかった。成功しているかどうかはわからないですが」
―主に3つの世界で構成されていますが、そのどれもが独特な美しさを持っています。
西崎
「おそらく本当は10も20も世界があって、この作品ではそのなかの3つを書いたということだと思うんです。
美しいっていうことに関しては、そんなに意識はしていません。ジョン・ケージがむかし「美は注意深く避けなければならない」と言ったわけですが、それにはちょっと同意したいと思っています。
でも、できるだけ余計なことは書かないようにしたかな。“ディスティニーランド”のような空想的な世界でも、その中で起こっていることは現実的に、そこの風景や事象を、写真を撮るように記録するように書こうとはしています」
― 3つの世界のなかでも、「ディスティニーランド」は最も描写が鮮明で言葉が豊かだったように感じました。
西崎 「言葉が豊かという印象があるとすれば、やはりあの部分がファンタスティックだからかもしれませんね。写真を撮るようにと言いましたが、そのなかの風景が暴走しはじめたりもするので、ちょっと厄介なところもあります。本質的に逸脱していくというか。豊かに逸脱していれば、それはそれでいいのかもしれないですが。」
―ファンタスティックな世界をよりファンタスティックに書くためにどのようなことが必要になりますか?
西崎 「多くの作家が言っていることですが、空想的なものであればあるほど実感がないとだめかもしれませんね。一般論として、細部の描写とか、空想内での論理はきちんと通すとか、そういうところにはかなり気をつけないといけないでしょう。緻密な作業ができないとファンタスティックな小説は書けないかもしれません。あるいはものすごく読みにくい小説になるかな。ぎりぎりのところにあるものは書いてみたい気もするけど」
―この作品で描かれている世界を作りあげるためにどのような要素が必要でしたか?
西崎
「モデルではないですけど、現実と空想的な要素がうまい具合に混じり合っているような小説ってこれまでにもたくさんの人が書いているんですよ。特に70年代くらいからのアメリカ文学にはすごく多くて、そういう意味でこの作品は新しいものではないんです。
それらを参考にしたわけじゃないけれども、そういうものを読んできているので、知らないうちに血となり肉となっているというのはあります。 だから、そんなに奇抜なことをやっているつもりはないですが、アメリカ文学なりイギリス文学なりの、リアルなものとファンタスティックなもののハイブリッドのような作品を読みつけてない人は、この作品を読むとちょっと驚くかもしれません。そういう人たちのために、ディテールをよりリアルにしておこうというのは考えましたね。構成も普通の小説より多少こみいってますし」
―確かに、僕もその手の小説をあまり読んだことがなかったので、最初は少し違和感がありました。徐々に慣れていきましたが。
西崎
「予備知識がなければ、そういうハイブリッドの小説は、最初は現実と地続きの世界だという意識で読み始められると思うんですけど、この作品もタイトルや最初の部分でそういう状態が発生するので、どこかでそうした違和感は生じるはずです。
この作品に限らず空想的な話というのは、たとえば“言葉を話す馬”が出てきた時点で読者の対応は分かれると思います。『馬がしゃべるなんてありえない』とそこで読むのをやめてしまう人と、逆に『馬だってしゃべるかもしれないな』と思って興味を覚える人。作者としてはそこで本を置いてもらっては困るわけです。だから、違和感を持った人にも読みつないでもらう工夫は必要ですよね。
具体的には、“言葉を話す馬”が出てきたところで拒否反応を示した人たちに対して、“その馬は○○種で、イギリスの○○という町で生まれて、普通よりは小柄”みたいなことを書くことで、本を置くことを引きとめられるというのは多少あると思います。そうやって読み進めるうちに空想と現実の交じり具合が読んでいて面白くなってくる。だから、空想的なものの最初の提示の仕方っていうのはすごく大事なんじゃないかな」
■ 翻訳をしていなかったら、自分の作品は今のようにならなかった。
―執筆時に悩んだ箇所はありますか?
西崎 「複雑は複雑なので、細かい部分の整合性で悩んだところはありますね。完全に整合するというのは現実でもあまりないことだと思うので、完璧に整合させようとは思っていなかったのですが。それでも、たとえば主人公が橋まで行く時間はどれくらいかかって、その間にどれくらいのものが盛り込めるか、とかそういう小説の細かい作法のところでは考えました」
―展開などはいかがでしたか?
西崎 「書き始めた時点で結末は頭にあったので、始まりと結末の間にどんなものが挟まれるのがふさわしいか、どんなことが起こるかという風に考えていきました。だから最終的にどうなるか、ということで悩むことはなかったですけど、途中どんなことが起こるかということで詰まるのはありましたね。ただ、二、三日放り出していれば新たなアイディアがどこかしらからやってくるので、そんなにすごい苦労はしなかったです」
―西崎さんは小説以外にも翻訳や音楽活動もされていますが、そういった小説以外の活動が小説のアイデアとして生きることはありますか?
西崎 「ありますね。翻訳ってすごく深い読書で、20行の文章を訳すのに半日かかったりします。その間ずっと、この文はどういう意味か、作者はどういうことを考えているのかと考えます。そういうところで、翻訳は作者と一体化するためにものすごく深く、時間をかけて行う読書という側面があって、その行為から影響を受けたり、自分なりの発想へと誘われるところはあります。すごくプラスになっていると思いますし、翻訳をしていなかったら、自分の作品は今のようにはならなかったでしょう」
―逆に、小説の執筆が翻訳に活きることもありますか?
西崎
「翻訳は作者があることですからね。あまりにも翻訳に自分が出すぎると、それはちょっとまずいです。結果的には出てしまうものなので否定はしませんが。
ディケンズを10人が訳したら、10人のディケンズができてしまうはずなんですけど、建前として十人十色ではまずい。でも、訳者それぞれ解釈力も感覚もさまざまだし、時代も古いので英語自体も文化的にも完全な解釈というのは多分できない。小説の読み方もそれぞればらばらですしね。 翻訳の場合は、作家の文体に合わせて訳し分けるように心がけています。個人の限界として、深いレベルでの文体の書き分けって二つか三つだと思うんですけど、僕もそれくらいはできるようにとは思っています」
―先ほどおっしゃっていた、この作品の“ファンタジックな”部分として描かれているディスティニーランドには白の国と、黒の国がありますが、それぞれ何を象徴しているのでしょうか?
西崎 「夜と昼っていうのはあるのかなと思います。でも、実はあまり二元論にはしたくなかったんです。黒と白だけでなく青や緑のディスティニーランドがあってもいいと思っていた。要するにトワイライトがあるわけで、中間があるわけですから。ただ、その形でバリエーションを増やしても、書く方も読む方も煩雑になるだけかなと思って、象徴的に“光と影”にしたところはありますね」
―最後まではっきりとわからずに終わるのが「雲マニア」です。あのようなキャラクターを登場させるのにはどのような意図があったのでしょうか。
西崎
「『雲マニア』についても、説明しようと思えばできるかもしれないです。ただ、人でも物でも、全体を知ることってできないと思うんですよ。一部分を見て、これは何かと想像することしか、実は私たちはできない。親でも友達でも兄弟でも“こういう一面があったのか”っていう新しい発見が何年付き合っても出てきますよね。それを考えると、自分の受けた印象で作っている全体像って、それほど確かなものではないんだろうなと思うんです。
僕は日本人ですけど、アメリカやイギリスの文学や音楽とか文化に触れているから、日本人的じゃないところもある。青森生まれだけどりんごがすごく好きかというとそうでもないし(笑)
与えられた枠組みから何かしら外れてしまって規定できないのだったら、要素から、つまり見えているところから少しずつ描写して、あとは自由に想像して読んでもらうほうがいいのかなと思いました。ゆみに町で何が起こったか、雲マニアとは何をしようとしていたのか、というのは、端々に見える断片的な描写で想像してほしいですね」
■ 自分なりの『白鯨』を書きたい。
―最近の読んだ本で面白かったものはありますか?
西崎 「最近資料以外の本を読む時間があまりなくて(笑)
でも、日本ファンタジーノベル大賞を取った小田雅久仁さんの『増大派に告ぐ』っていう本を今年に入って読んだらすごく面白かったです。これはおすすめですね。ある傾向を持った人間には決定的な本に思えるでしょう。
あとは柳田國男の『海南小記』。とにかくたくさんのフィールドワークをしていて、そこの民族や物語に関する本なんですけど、日本の旅行文学の中では最高の作品だと思います。柳田國男というと『遠野物語』なんだけど、あれは物語に焦点があります。『海南小記』は、それを集める人間のことが書かれているかな。
もう一つは漫画で、市川春子さんの『25時のバカンス』。市川さんは、前作の『蕃東国年代記』の表紙を書いていただいた方なんですけど、すごく知的な方で感覚も鋭いです。僕の一番好きな系統の少女漫画を書く方ですね。似たものが思いつかない作家さんで、圧倒的と言っていいと思います」
―今は読書する時間はあまり取れていないんですか?
西崎
「壊滅的に取れてないです。寝る前に15分くらい読むだけですね。まともに読めるのは年に数日です。参考資料は読むんですけど、それは拾い読みみたいになっちゃうし。やっぱりインプットの量が少なくなるとアウトプットにも影響するだろうから、たくさん読みたいんですけどね。
読書ということでいうと、北野勇作さんも言っていたんですけど、書き始める時に呼び水になるような本を読んで、それから書くということもありますね」
―呼び水になる作家さんはいらっしゃいますか?
西崎 「好きな翻訳者の平井呈一さんの訳を読んでから、怪奇小説の翻訳を始めることはよくあります。幸田露伴もそうですね」
―次回作の予定がありましたら、教えていただけますか。
西崎 「自分なりの『白鯨』みたいな小説を書こうと思っています。6月くらいに筑摩書房から連作短篇集が出ると思うので、4月くらいから書き始める予定です。最低でも400枚、できれば500枚くらいの、自分としては長めのものにしようと思っています」
―最後に、読者の方々にメッセージをお願いします。
西崎
「ゆみに町のなかにも書いていることなんですけど、現代小説の要素には。詩と写実的小説と物語の3つがあって、その3つのバランスで成り立っているという気がします。詩の要素が強い小説が好きな人もいるでしょうし、物語が突出している小説が好きな人もいると思うんですけど、写実的小説好きの人にも、詩好きの人にも、物語好きの人にも読んでほしい。
その3つを統合してみたいというのが希望としてあって、それはこの作品でできるんじゃないかと思ってやってみました。だから、自分の嗜好みたいなものを、とりあえず脇において読んでくれたらありがたいですね。
僕は子どもの頃から押入れの中とか机の下などの閉ざされた空間が好きだったんですよ。小さなものの中にいると、ある種充実した気持ちになります。そういった好みもあって今回の「町」というテーマが気に入ったということがあります。「ゆみに町」も小さなところの閉ざされた空間であって、箱庭みたいなところなので。
でも、閉ざされていることによって逆に外の世界を暗示するということもありますよね。結局、枠のなかに全て入りきれるものではなくて、入りきれたとしても、そこには無理が生じます。それに、閉ざされた枠から逸脱していくものっていうのはほとんどの場合重要なものです。この作品の場合も、本のなかに書かれたものも重要なんですけど、書かれていないものの方も同じくらい重要なんじゃないかなと思うので、書かれていないものも書かれていない言葉も想像して読んでみてほしいなと思います。
語りえないことについては沈黙しなければならない、という有名な命題があるし、東京の中心には空虚があると言った人もいます。確かにそれはそういうことだと思うのですが、ただ語りえないということによって、そのことには言及ができるんですよね。中心にある空虚が見えなくても、周辺にある建物の作る線で空虚の形が推測できるかもしれない。20世紀の初めくらいから小説はすごく悩んできて、いや小説だけじゃなくて、文化的なジャンルはすべて悩んできて、それは意味や価値を模索してきたから当然の悩みでもあったような気がします。その悩みに対するとりあえずの返答として、僕はリファレンスということを言いたいと思っています。経験や参画ではなくリファレンス、参考や言及と言い換えてもいいんですけど、20世紀からコラージュ、暗喩、引用、サンプリング、マッシュアップといった語が生まれてきましたが、それはつまりはリファレンス・参考・言及ということを旨に世界に対するということではないかと思っています。つまり、何かにアクセスすることよりもアクセス可能であることを重んじるような姿勢というか。ああ、だいぶ本の話から外れてしまいました」
■ 取材後記
西崎さんへの取材は二度目でしたが、前回同様に作品について、たとえ話を交えてとてもわかりやすく解説していただきました。「最近読書をする時間がない」とおっしゃっていましたが、西崎さんの作品が過去の膨大な読書量に支えられていることは明らかで、『ゆみに町ガイドブック』への理解が深まったとともに、読書欲を掻き立てられた取材でした。 (取材・記事/山田洋介)
■西崎 憲さん
1955年、青森県生まれ。作家、翻訳家。2002年、『世界の果ての庭』で第14回日本ファンタジーノベル大賞受賞。著書に『蕃東国年代記』。訳書に『エドガー・アラン・ポー短篇集』『ヘミングウェイ短篇集』他。
解説
作家の「私」からみたゆみに町、雲マニアの謎の行動により危険な状態に陥ったゆみに町、片耳のプーさんが走るゆみに町。現実とファンタジーが入り混じり、物語は緊張感を増していく。日本ファンタジーノベル大賞受賞作家による傑作長編。■インタビューアーカイブ■
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