第31回は、最新刊『ジェノサイド』が注目を集めている高野和明さんです。
謎の死を遂げた父が遺した不可解な遺書を手掛かりに、日本・アメリカ・コンゴを巻き込んだ大きな謎に立ち向かう、創薬化学を学ぶ大学院生・研人。
この壮大なスケールを持つ傑作長編ができるまでの軌跡を伺いました。
- 1. 着想のヒントを得たのは25年前
- 2. コンゴの状況を知って「戦争」というテーマに正面から取り組もうと思った。
- 3. 「スピルバーグ『未知との遭遇』を70ミリで観て、ショックのあまり発熱した」
- 4. 取材後記
■ 着想のヒントを得たのは25年前
―本作『ジェノサイド』を拝読しました。これは大傑作だな、というのが個人的な感想ですが、これだけ骨格の大きな小説ですと、取材も含めてかなり時間がかかったのではないですか?
高野 「この物語の初めのヒントを得たのは二十歳の頃だったので、もう25年くらい前になりますね。ただ、そのアイデアが具体化され始めたのは2000年代に入ってからです。いつも複数のアイデアを持って考え続けていて、何かの拍子に、そのうちの一つがまとまって作品になっていきます」
―今おっしゃった“ヒント”と重複するかもしれませんが、本作を構想する際の最初のとっかかりはどこにあったのでしょうか。本作の入り組んだ物語の中で、最初のアイデアはどの部分に生きているのかが気になるところです。
高野 「二十歳の頃に読んだ立花隆さんの『文明の逆説 危機の時代の人間研究』に、ある生物進化の可能性について書かれた一節があって、それを読んだ時からこれを使って話ができないかと思っていました。ただ、あれこれストーリーを考えたんですけど、あまり面白くならなかったんです。それに設定自体がナンセンスなんじゃないかという疑問もあって先に進めなかったんですが、2000年代に入って生物学の新しい知識を得たり、アメリカの情勢が騒がしくなってきたりと、色々な条件が組み合わさって作品にすることができました」
―具体化され始めてから数えても10年かかっているんですね。他の作品もやはり、長い間アイデアを温め続けて生まれたものなのでしょうか。
高野 「10年かかるというのはそんなに珍しいことではないです。何となく考えている、という期間が長いので。例えば『幽霊人命救助隊』もやはり10年かかりましたし。『13階段』は短くて2年くらいでしたが…」
―資料といえば、本作にはホワイトハウスの中の力関係や、会話などもリアルに書かれていますが、ああいったシーンは文献を読んだだけで書けるものなのでしょうか。
高野 「この作品の場合は、ノンフィクションを片っ端から読みました。イラク戦争を題材にした本がたくさん出ていて、そういうものを読んでいくと、徐々に彼らの言葉づかいや思考の様式がわかってくるんです。現実そのものではないでしょうけど、少なくとも作品のリアリティを確保する上で、この世界を掴んだ、書く素養が身についたと思える段階があるんですね。逆に言うと、描く世界を掴めるまで、資料を読んだり取材をしたりします」
―執筆前にプロットを作られたかと思いますが、本作のように1000枚を超えるような長さですと、プロット通りに執筆を進めることも難しかったのではないですか?
高野 「当初は700枚くらいの予定で始めたんですけど、最終的にかなりオーバーしてしまいました。実感としてわかったのは、現代の東京を舞台にした話だったらそんなに枚数はかさまないんですよ。しかし今回の作品のように、一般には馴染みのない世界を舞台にすると、その説明から書き込まないといけません。そういうところでどんどん枚数がかさんでしまったというのはありましたね」
―執筆中に行き詰ったことはありましたか?
高野 「どこで詰まったのか思い出せないのですが、何カ所もありましたよ。2週間くらい、原稿を書く手が止まってしまうような大きな停滞が、5・6カ所はあったと思います」
―どうやってその停滞状況を打破したのでしょうか。
高野 「一回はカラオケボックスに缶詰めになりました(笑)。ノートパソコンを持ち込んで、他にやることのない場所で強引に書くんです。隣の部屋ではアニメソングを歌っていて楽しそうでした(笑)。あとはワープロソフトを変えてみたこともありました。普段は「一太郎」を使っているんですけど、どうしても行き詰ったときは、テキストエディタという軽いソフトに変えて無理矢理書くとか。いろいろやりましたけど、しかし結局は考え抜くしかないんですね。停滞の原因は何なのかを一所懸命に考えて、解決策を探るしかないです」
■ コンゴの状況を知って「戦争」というテーマに正面から取り組もうと思った。
―物語の主な舞台の一つとしてコンゴを選んだ理由をお聞きしてもよろしいですか。やはり本作で描かれている“新種の生物”が現実に生まれる可能性が高いから、ということでしょうか。
高野
「そうですね、考証を踏まえた上で、実際に起こりそうな場所を考えました。最初にコンゴ民主共和国という舞台を設定したのですが、この国についての知識が全然なかったんです。コンゴ共和国と混同していたくらいで。
そこで、どんな国だろうと思って調べたら、大きな戦争が行われていました。“戦争”というテーマは他の作品で扱おうと思っていたのですが、コンゴの状況を知って、この作品で“戦争”という問題に正面から取り組もうと思いました」
―本作は、今おっしゃった“戦争”であったり、“人間の倫理的な限界”“先進国から見た途上国”など、単なるフィクションでは片づけられないほど数多くのテーマを含んでいます。これらの中から高野さんが最も描きたかったテーマを一つ選ぶとしたら何になりますか?
高野 「それは特にないです。逆に、色々な読まれ方をする本だろうと思いますので、読んでくださった方々がそれぞれ何かを考えたり、感じ取っていただけたら嬉しいです」
―何かを伝えたいというよりは、どう読まれてもいいからとにかく楽しませたいというスタンスで書かれたのでしょうか。
高野 「そうですね。これは娯楽小説ですので、楽しんでいただければと思います」
―本作で可能性を示唆されている「新種の生物」について高野さんご自身はどう思われますか?
高野 「ネタばれになってしまうので詳しくは言えませんが、こうした生物が突然に現われる可能性は低いものの、完全には否定できないような気がします。素人考えかもしれませんけど、分子生物学の分野は、まだまだ山のように謎が残っていますから」
―執筆する際に一番苦心した点はどのような点でしょうか。
高野
「全部です…(笑)。資料調べや取材も大変でしたけど、一番はやはりストーリーですね。
複数の主人公がそれぞれ別の動きをして、お互いに影響を与え合うというストーリーだと、展開が複雑すぎて読み切るのが大変なんです。
特に後半では3つの場所で3人の主人公が別々の動きをしますから、少しでも読み抜けがあると、物語の整合性に問題が出てきてしまう。場面によっては、地球上の三カ所で同時に起こっていることを並行して描くということもしていますし。
普通のミステリーですと、細かい謎を追うことでストーリーを繋いでいくんですけど、この作品でそれをやると煩雑になるだけので、物語全体をなるべく太い線で描き出すようにしました。ストーリーそのものを掴んで、ダイナミックに動かすという感じです。とにかく簡単に、単純に、ダイナミックにストーリーを語っていく」
―高野さんといえば、小説家としてデビューする前は脚本家として活動されていたそうですが、小説を書き始めたきっかけはどんなものだったのでしょうか。
高野
「プロの脚本家の世界って、プロデューサーやディレクター、俳優のマネジメント会社などの意見の調整係になってしまうことが多いんですよ。よほどの大物にならない限り、脚本家が自分でオリジナルの話を作って、それがそのまま映像化されるということはないんです。
で、そんなこんなで100パーセント自分の作品で勝負したいという創作的な欲求不満が溜まっていった、というのが一つあります。
そもそも脚本家をやっていた最大の理由は、映画監督になりたかったからなんです。1980年代までは、「監督は脚本を書けなければならない」という日本映画界の良い伝統がまだ生き残っていました。しかし90年代に入り、脚本家をステップに映画監督への道を模索しても、一向にその道は開けてこない。オリジナル企画を出しても、「原作ものではない」という理由で却下される。それなら原作を書いてしまった方が早いと思ったんです。あとは脚本家では食べていけないというのもありましたね」
―映画監督志望だったということですが、本作『ジェノサイド』を映画化してみたいと思ったりしますか?
高野
「小説家になってからすぐに考えを変えたんですけど、やはり小説は小説ですので、映像では表現できないようなものを、と思って書いていますね。
『ジェノサイド』を映画化したらどうか、とよく言われるのですが、これをこのまま映画化したら、本当にしょぼいアクション映画にしかならないと思います。全編を映像にして思い浮かべていただけるとすぐに分かると思いますが、現象面として描かれていることは、実は大変に地味なんです。戦闘場面も、小規模なものが二カ所しかありませんし。
それを言葉の力を借りて緊迫感を盛り上げたり、キャラクターの感情面を大きく動かしたり、あるいは映像では表現できない人類史のようなファクターを盛り込んで壮大さの方向に持って行っている。重要なことはすべて活字で表現されているんです。
道義上、映像にできない場面もたくさんありますが、それは小説という形式を意識して敢えてやったことです。人間が現在も行なっている残虐な行為は、あまりにも残虐すぎて映像では映し出せない。活字でやるしかないんです」
―高野さんと映画の出会いについて教えていただけますか。
高野 「小学2年生の時にスピルバーグの『激突!』を観て、映画に取りつかれたんです。その後、3年生の時にブルース・リーのブームが来たんですけど、自分の家に8ミリカメラがあることに気づいて、これを使えばカラテ映画を撮れる!と思ったのが映画監督への第一歩でした」
―今も映画を撮りたいという気持ちはあるんですか?
高野 「今もありますね。一番やりたいことです」
―高野さんにとって、面白い小説とはどのような小説ですか?
高野 「まずは一気読みできること。そのためには面白いストーリーと、生きているキャラクターが必要です。この二つは、最低限の品質管理基準として自分の中に持っています。ただ、こればかりは著者が面白いつもりでも、読者につまらないと言われたらおしまいですけれど。なるべく楽しんでいただけるように努力はしています」
―では、面白い映画とはどんなものだとお考えですか?
高野 「それはたくさんありすぎて一つの類型には括れないです。スピルバーグも好きだし、ブルース・リーも好きだし、黒澤明も好きだし、師匠の岡本喜八監督の作品も大好きですし…。ただ、映画も小説も本物と偽物があって、本物のふりをしている偽物があるんですよ。それは受け手が個々に判断するしかないんですけど。よくあるのは、人間の愚かさを描こうとして愚かな人間しか描けていないというものですね。作り手の側は、普段受け手として何を本物と判断するかによって、作り手としての格が決まってくると思います」
―高野さんは映画だけでなく、本もかなり読まれていたとのことですが、好きな作家の方はいらっしゃいますか?
高野 「小学校のころは中岡俊哉さんと南山宏さんの本が好きでした。怪談や超常現象ものを子供向けに書いてくれていました。中学に入ってからは、コナン・ドイルや筒井康隆さん、高校生になってからは大佛次郎さんが好きでしたね。その他には、順不同で横溝正史さんに佐々木丸美さん、エーリッヒ・ケストナー、ジェフリー・アーチャー。小説家ではないですが、立花隆さん。あと、脚本家時代に宮部みゆきさんの作品に触れて、自分も小説を書いてみたいと思うようになりました。最近では、桜庭一樹さんの本をずいぶんと読んでいます」
―こちらも、好きな映画の方も教えていただければと思います。
高野 「師匠の岡本喜八監督を除けば、やはり筆頭はスピルバーグですね。自分の人生はスピルバーグ映画とともにあるといってもいいくらい。『激突!』で映画にのめり込み、『ジョーズ』を観て映画監督になろうと決意し、中学1年生の終わりに『未知との遭遇』を70ミリ上映で観て、ショックで発熱しましたから(笑)。 クライマックスの場面で全身に寒気が走って、家に帰ったら熱が出ていて、一週間学校を休みました。すごい衝撃でした。あれは知恵熱だったかも(笑)」
―作家として目指す場所はありますか?
高野 「やっぱりエンターテインメントを書いていきたいと思っています。本の中にのめり込んでしまうほど夢中になれる小説というのは確かにあるんです。目指しているのは、そういう作品です」
―今後の執筆活動について教えてください。
高野 「『別冊文藝春秋』で連載をする予定ですが、まだ中身を詰め切れていないので、しばらく考えます」
―高野さんの、執筆のモチベーションはどんなことですか?
高野 「アイデアを思いついた瞬間の興奮です。その興奮は、原稿を書いていて大変な時はどこかに行ってしまったりもしますが、呼び起こそうとすればすぐに呼び起こすことができます。今回の作品で、科学者の味わう興奮とか陶酔感を描いた場面がありますが、アイデアを思いついた瞬間もあんな感じで、ふわふわした快感があります。面白いのは、アイデアが意識に上るよりも先に、その快感が広がることです。そのまま快感に浸っていると、ひらめいた内容が意識に浮かんでくる」
―高野さんの人生に影響を与えた三冊を教えてください。
高野 「ウィリアム・ピーター・ブラッティの『エクソシスト』と、宮部みゆきさんの『魔術はささやく』『火車』ですね。この三冊が、自分を小説の世界に導いてくれました」
―最後に、読者の方々にメッセージをお願いします。
高野 「『ジェノサイド』を読んで、楽しんでいただければ本当に嬉しいです」
■ 取材後記
これだけの傑作を書いた作家ということで、緊張して取材に臨んだが、実際にお会いした高野さんはとても気さくな方だった。映画だけでなく本に関しても造詣が深く、作り手としてのエンジンの大きさを感じずにはいられない。ちなみに、インタビューの中で高野さんが語っていた「新種の生物」こそが、本作の最大のキーワードとなっている。それが何を指すのか、是非とも読んで確かめてみてほしい。 (取材・記事/山田洋介)
■高野和明さん
1964年生まれ。2001年に『13階段』で第47回江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。著書に『幽霊人命救助隊』、『夢のカルテ』(阪上仁志との共著)など。自著のドラマ化『6時間後に君は死ぬ』では脚本・監督も務めた。
解説
残された不可解な遺書を頼りに父の死の真相に迫る、大学院生・研人。不治の病に冒された息子を残してバクダッドでの任務に就く元・グリーンベレーの警護隊員イエーガー。
二人を待ち受ける数奇な運命とは?
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
第59回 和田竜さん
第58回 田中兆子さん
第57回 湊かなえさん
第56回 小山田浩子さん
第55回 藤岡陽子さん
第54回 沢村凛さん
第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
第51回 近藤史恵さん
第50回 三田紀房さん
第49回 窪美澄さん
第48回 宮内悠介さん
第47回 種村有菜さん
第46回 福岡伸一さん
第45回 池井戸潤さん
第44回 あざの耕平さん
第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
第39回 クリス 岡崎さん
第38回 西崎 憲さん
第37回 諏訪 哲史さん
第36回 三上 延さん
第35回 吉田 修一さん
第34回 仁木 英之さん
第33回 樋口 有介さん
第32回 乾 ルカさん
第31回 高野 和明さん
第30回 北村 薫さん
第29回 平山 夢明さん
第28回 美月 あきこさん
第27回 桜庭 一樹さん
第26回 宮下 奈都さん
第25回 藤田 宜永さん
第24回 佐々木 常夫さん
第23回 宮部 みゆきさん
第22回 道尾 秀介さん
第21回 渡辺 淳一さん
第20回 原田 マハさん
第19回 星野 智幸さん
第18回 中島京子さん
第17回 さいとう・たかをさん
第16回 武田双雲さん
第15回 斉藤英治さん
第14回 林望さん
第13回 三浦しをんさん
第12回 山本敏行さん
第11回 神永正博さん
第10回 岩崎夏海さん
第9回 明橋大二さん
第8回 白川博司さん
第7回 長谷川和廣さん
第6回 原紗央莉さん
第5回 本田直之さん
第4回 はまち。さん
第3回 川上徹也さん
第2回 石田衣良さん
第1回 池田千恵さん