第18回の今回は第143回直木賞を受賞した中島京子さんです。
受賞作『小さいおうち』で中島さんが描きたかったこととは一体なんだったのでしょうか?
■ 受賞の日は朝からそわそわ
―まずは直木賞受賞おめでとうございます。
すでに様々な取材で答えていることかとは思いますが、受賞の報せを受けた時のお気持ちをお聞かせ願えますか。
中島 「当日は家で待っていたんですけど、受賞の報せをもらってすぐ姉とか母に連絡したんです。でも担当の編集者さんからも電話がかかってくることになっていたので、あんまり長い時間しゃべれないからと、すぐに切ったんですよ。そんなことをしているうちに、本当に受賞の電話が来たのかどうかが不安になってきちゃって(笑)一人で待っていたこともあって朝から考えすぎていたので、実は妄想だったんじゃないかと一瞬疑ったんですが、幸いすぐに編集者さんからおめでとうございますっていう電話があったので、ああ本当だったんだって思いましたね」
―ご家族の反応はいかがでしたか?
中島 「電話をかけて受賞したことを告げたらすぐ“じゃっ”みたいに切ったので向こうもびっくりしていましたが、喜んではくれていました」
―ご自宅で待たれていたとのことですが、やはりそわそわするものですか。
中島
「朝からそわそわしっぱなしでしたよ。そういう姿を人に見せたくないがために家で一人で待っていたので、もう朝から十分にそわそわして…。
気が紛れるから、ということで午前中は掃除をして、でもそんなに広い家じゃないのですぐ終わってしまい、午後はやることがないのでお風呂に入って、いつもより丁寧にブローしたり化粧したりしたんですけど、でもそうやって待っていて受賞できなかったら悲しくなるから半分しか着替えず(笑)あとはネットを見たりとか、ロクなことしてないですね」
―受賞前後でやはり生活は変わります?
中島 「直木賞を受賞したことで、という取材とか、エッセイの依頼が立て続けに入って、日常業務とはちょっと違うタイプの仕事がわっと押し寄せたので、それは驚いていますね。でも、生活自体が変わって食べるものがいきなりゴージャスになったりとかはないですよ」
―知らない親戚から電話がかかってくるとか…
中島
「そういうのよく聞きますよね。知らない親戚はないですけど、長い間音信不通になっていた友達とか、仲間内でほとんど失踪状態みたいになっていた友達から連絡があったりしたので、それは良かったです」
■ 「『小さいおうち』は戦争を経験した方々が生きているうちに書きたかった」
―直木賞受賞作『小さいおうち』は昭和初期~終戦直前までを東京の家庭で女中として過ごした女性の手記を中心に物語が進んでいきますが、本作を構想する際の最初のひらめきはどのようなものだったのでしょうか。
中島 「最初は女中さんが語り手の話を書きたいと思っていましたね。女中とか家庭教師とか小間使いとか、家庭に深く入り込むんだけど家族ではない人が語り手となっている小説が昔からあって、好きだったんです。それで自分でもやってみたいな、と思ったのが最初だったと思います」
―中島さんは昨年も『女中譚』(朝日新聞出版/刊)という連作小説集を出していますが『女中』というお仕事や役割に特別な思い入れがあるのでしょうか。
中島 「そうなんですよ。女中さんが語り手の話が書きたいと思って資料を当たっていたんですけど、『小さいおうち』で書いたような、都市部のサラリーマン家庭で核家族という小ぢんまりとした家庭に女中さんが一人いるという形式は大正時代にならないとできてこないんです。そうやって時代が限定されてきて、さらに資料を探すと、いろんな小説家が“女中小説”を書いているので面白くなってしまって、そういったもののパロディみたいな感じで書いたのが『女中譚』ですね」
―今おっしゃったような“女中小説”というのはどのような方が書いていらっしゃるのでしょうか。
中島
「“女中小説”というジャンルがあるわけではないんですけど、昭和の初期くらいだと多くの家に女中が入っていたんですよね。特に東京で暮らしている文士の家などには。だから普通に女中さんがどの小説にも何となく入っていたりします。
代表的なもので言えば谷崎潤一郎の『台所太平記』などがあります。これは歴代谷崎家に勤めた女中の話ですね。あとは太宰治の『津軽』も。あれは太宰が子どもの頃に世話になった女中ですから時代的にはもっと前なんですけど、女中さんとの特別な思い出が書かれていたりとか。他にもたくさんありますよ」
―本作を執筆する際に意識したことがありましたら教えていただけますか。
中島
「この話はおばあさんの手記という形で始まるんですけど、そのタイプの小説を書いたことがなかったので、おばあさんが昔を思い出して語っているということは意識していましたね。
日記というものは人に見せるものではないので社会的責任もないし、だからこそプライベートなことも書くことができます。そのうえで、すごく辛くて嫌なことなら書かない、というような操作が行われながら書いているんだろうな、というところも意識しながら書きました。
それと、当時の人がどう感じたか、どう考えたか、どういう情報から物事を判断していたか、ということを知りたかったし書きたかったので、後付けの知識ではできるだけ書かないようにして、その時代に書かれた新聞記事や婦人雑誌の投稿欄などから当時の人々の声をできるだけ拾いたいな、というのはありましたね」
―当時の描写がすごくリアルですもんね。
中島 「ありがとうございます、うれしいです」
―膨大な量の資料をお読みになったのでは、と思ったのですが。
中島
「膨大というほどではないですよ。資料自体は読み始めたら埋もれて何年も出てこられないくらいの量がありますけど、それを全部読みこなして、ということはないです。
ただ、その時代の文献に当たるということはこれを書く時にやろうと決めていたことだったので、当時の新聞の縮刷版とか婦人雑誌、作家の日記など、できるだけ当時の人々の生の声が聞けるような資料に当たりたいと思いました」
―本作のように、ご自身が生きている時代とは異なった時代の物語を書くことは勇気が要ることではなかったですか?
中島
「確かに、この時代は生きて体験した方もたくさんいる分、勇気は要りますよね。書いた後で“全然違う、何にもわかってない”と怒られることを想定しながら書くことになるので。でもそれはどうしても起こってしまうことですし、個人の体験って本当にバラバラなんですよね。同じ時代を生きていても、どこで、何歳で、どういう階層かによって体験は全然違うんです。
例えば作家の深田祐介さんってすごいお坊ちゃんだったんですって。この辺り(取材場所の文藝春秋社がある千代田区近辺)に住んでいて。それで面白かったのが、昭和19年のお正月に家族でスキーに行っているらしいんです」
―戦争真っただ中の時期にスキー!
中島 「そう、すごくいいものを食べちゃったりして。そのことを本に書いていらしたんですけど、それを俳優の池部良さんが“自分が南方戦線で辛い思いをしている時にお前はスキーに行っていいもの食ってたのか”って言ったっていう話が書いてあったんですよね。場所や年齢や階層によってそのくらい体験が違うので、ちょっと仕方がないというか、“こんなのは真実を捉えていない”と怒られても“これはこれで”と思ってくださいというのが一つと、そういう風に言う人がいたとしても、戦争を経験された方々が生きているうちに書きたかったんですよね。そういう人達が読んでくれる間に」
―僕自身、作中に現代の大学生として登場する健史と年齢が近く、戦争に対するイメージも、彼が抱いていたものとほとんど一致したのですが、中島さんが持っていた戦争のイメージはどのようなものだったのでしょうか。
中島
「やはり教科書やテレビのドキュメンタリーとか、8月になると突然やりだす戦争特集のイメージが強いので、健史が主人公の手記を読んだ時のように『戦時中がこんなに能天気なわけがないだろう』というものでしたね。当時の資料を読んでも『何でこの人たちはぼんやりとして楽しそうなの?』というのはありました。
もう一つ、私の世代だと祖母とか叔母に何となく聞いている話があって、それは今回当たった資料に近い、のほほんとしたところがある話でした。そういったイメージの噛み合わなさを自分の中で一度整理して知っておきたいと言う気持ちもあって、この作品を書きながら考えたというところがあります」
■ 「あらゆる意味で、小説家になる前に仕事をしていて良かった」
―中島さんはかつてフリーライターとして活動されていたそうですが、そこから小説家になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
中島
「小説家になりたいという漠然とした思いはずっと昔からあったんです。でも、具体的に賞に応募したり、というのはあまりやっていなくて、それよりも大学卒業するから就職しなきゃ、お金も稼がなきゃというのがありました。
紆余曲折を経て出版社に勤めたりフリーライターになったりするんですけど、根っこのところではすごく書きたかったんです。
ずっと社員編集者をしていて、編集者としてのキャリアもできてくるんだけど、それにつれて“書きたいものがあるんだけど”という自分の気持ちはどんどん委縮して小さくなってしまって、それで30代のはじめくらいに決意してアメリカに行って一年間ぼんやりした後、帰ってきて書いたのがデビュー作なんですけど」
―ライターや編集者時代の経験が小説家としての活動に生きているという感覚はありますか?
中島 「編集者の視点が生きているかどうかはわからないですけど、小説であっても小さなレストランの紹介記事でも、書き終えた後に読者の視点で読み直すことって必要ですよね。そういう意味では編集者をやっていたのは良かったんじゃないかと思いますし、ライターはいろんなところに取材にいくわけで、その中には自分の興味のないところもあるわけじゃないですか。そんな取材で思わぬ拾いものがあったりもしますし、あらゆる意味で自分は小説家になる前に仕事をしていて良かったと思っています」
―自分も含め、ライターは肝に銘じておかなければいけませんね。
中島 「(笑)別ネタでも使えるって思っていると嫌なことも嫌じゃなくなりますよね」
―好きな作家がいらっしゃいましたら教えていただけますか?
中島 「たくさんいるんですけど、好きな作家って聞かれると恥ずかしいんですよ(笑)なんでだろう…それで答えていたら“あの人も言えば良かった”ってなるし…なんか照れ臭いんですよね」
―では、最近読んで良かった本はありますか?
中島 「今読んでいるのが奥泉光さんの『シューマンの指』。奥泉さんが好きなんですよ。歴史を扱われることもあるし、ミステリーっぽさが入っていたりとか、すごく仕掛けのある小説を書かれるのでとても触発される作家さんですね」
―これも答えるのが恥ずかしい質問かもしれませんが、人生で影響を受けた本がありましたら3冊ほど教えていただけますか。
中島
「影響を受けた3冊は恥ずかしくないんです(笑)一冊は『鏡の国のアリス』。『不思議の国のアリス』も好きなんですけど。角川文庫の、岡田忠軒さんが訳されているものがすごく好きでした。あれって言葉遊びみたいなもので、翻訳が難しいんじゃないかと思いますし、他の翻訳者さんも、“いや、俺のが一番”って思っているでしょうし、それぞれに良さはあるんでしょうけど、私は最初に読んだのがそれだったので。
あと、カズオ・イシグロの『日の名残り』。これは執事の語りで物語が進むんですけど、私の今回の小説にはすごく影響を与えていると思います。
それと、ニコライ・ゴーゴリの『外套』もすごく好きです。身分の低い貧乏な役人が自分のボロボロの外套を新調することにする話なんですけど、何とも言えない可笑しさと可哀想さがあって好きなんですよね」
―今後も物語を創っていかれるかと思いますが、どのような作品を書いていきたいと思っていらっしゃいますか?
中島 「密かに野心はあるんですけどね。あんまり大風呂敷を広げても…って思うと何にも言えなくなっちゃうんですけど(笑)ただ、小説っていろんなことができるものだと思うんですよ。書き方やテーマにしても。だからやってみたいことはたくさんあるんですけど、自分の努力が必要になってくるので、できるかどうかは今後の自分の課題としてありますね。まだ体力的にもできると思うので色々やってみたいと思います」
■ 取材後記
直木賞受賞直後ということもあり、お忙しいなかでも丁寧に取材に応じてくれた中島さん。好きだとおっしゃっていたカズオ・イシグロ、読んでみます! (取材・記事/山田洋介)■中島京子さん
一九六四年東京都生まれ。出版社勤務、フリーライターを経て、〇三年『FUTON』でデビュー。〇六年『イトウの恋』、〇七年『均ちゃんの失踪』、〇八年『冠・婚・葬・祭』がそれぞれ吉川英治文学新人賞候補になるなど、高い評価を受けている。著書に『
さようなら、コタツ』『ツアー1989』『桐畑家の縁談』『平成大家族』『女中譚』など。
ほかエッセイ集に『ココ・マッカリーナの机』がある。
■インタビューアーカイブ■
第81回 住野よるさん
第80回 高野秀行さん
第79回 三崎亜記さん
第78回 青木淳悟さん
第77回 絲山秋子さん
第76回 月村了衛さん
第75回 川村元気さん
第74回 斎藤惇夫さん
第73回 姜尚中さん
第72回 葉室麟さん
第71回 上野誠さん
第70回 馳星周さん
第69回 小野正嗣さん
第68回 堤未果さん
第67回 田中慎弥さん
第66回 山田真哉さん
第65回 唯川恵さん
第64回 上田岳弘さん
第63回 平野啓一郎さん
第62回 坂口恭平さん
第61回 山田宗樹さん
第60回 中村航さん
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第58回 田中兆子さん
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第56回 小山田浩子さん
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第53回 京極夏彦さん
第52回 ヒクソン グレイシーさん
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第43回 綿矢りささん
第42回 穂村弘さん,山田航さん
第41回 夢枕 獏さん
第40回 古川 日出男さん
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第38回 西崎 憲さん
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