ラック・マネージメント会報誌
「人間関係」の大切さ


司会者
『幸せな経済自由人』になるための第一歩は、自分の最も深いところで感じていることに正直に生きる、すなわち本当にやりたいことをやって生きていくために、人生のある時期に立ち止まって、自分自身を深く見つめ直す時間を持つことが大切だということですね。

ところで、本田健さんの新刊「幸せな経済自由人という生き方」という文庫本の中で、『幸せな経済自由人』は、4つの分野をマスターした人だということで、「人間関係」と「ビジネス」と「お金」と「願望達成の力」をあげていらっしゃいます。この中で、「ビジネス」や「お金」の前に「人間関係」を挙げていらっしゃるというのは、何故なのでしょうか。
本田健
いい質問ですね。それは、ビジネスでもお金でも、「人間関係」が上手な人は、チャンスをもらえたり、ピンチの時に助けてもらったりして成功しやすいからです。

物を買うのも、仕事をするのも、誰かに何かをしてあげるときも、感情によって人は動きます。どうせなら、好きな人から買ってあげたい、好きな人と取引したいと、誰でも思いますよね。ビジネスで素晴らしい業績をあげていても、感情的に成熟していない人は、いずれダメになってしまいます。それは、「人間関係」に疎いと、家族やスタッフや取引先、あるいは顧客とうまく心を通わせることができず、応援してもらえないからです。
松永修岳
その通りですね。自分以外の人たちとうまくやっていくことができない人に、『成功』や『幸福』は起こり得ません。それゆえに、人生において最も重要なものは『出会い』です。自分を引き上げてくれる人、自分の夢の実現を助けてくれる人、自分よりも能力が高く、高い志と勇気を持っている人、自分よりも心が広く、精神力が強い人。こういった人との『出会い』が必要です。そして、その『出会い』が起こったなら、それを大切に育むことは、もっと重要なことです。

「人間関係」が大切であるということを別の観点から述べるなら、情熱的な人と関わらない限り何も生まれないからである、とも言えます。やはり、「熱い人」と付き合わないといけません。いつも自分に水をかけるような、自分の情熱の炎を消してしまうような人と付き合っていると、生命活動の質が低下してしまいます。生命活動とは、まさに「燃えている」ということだからです。
本田健
おっしゃる通りだと思います。今の世の中は、夢を見つけにくいですし、情熱的に生きる人は暑苦しいと思われるような、そんな風潮さえありますよね。そういう意味では、大好きなことをやって情熱的に生きるということは、やはり、周囲からの風当たりも強いではないですか。だから、情熱の炎を持っているけれども、その炎が消えかかっている人の方が、たぶん大多数だと思うのです。

松永先生のような方が、自分のやりたいことをやって情熱的に生きることが大切だ、というメッセージを世の中に発信されたら、気持ち的に救われる人も多いと思います。今から伸びる可能性がありながら、情熱の炎が消えそうになってギリギリのところで生きている人たちには、ぜひメッセージを送っていただきたいです。
松永修岳
たとえ自分の炎が小さかったとしても、より大きな炎を持っている人たちと同化すれば、大きくなるわけです。どんな人も一人では弱いのです。一人では成功はしないということです。だからこそ、志を同じくし、お互いに助け合っていけるような人たちと人間関係を育むこと、信頼関係を深めていくことが大切なのです。

人生は、「何を知っているか」ではなく、『誰を知っているか』で運命が決まります。多くの人は、自分が努力しさえすれば目標を達成できると思っていますが、そうではありません。自分の夢や目標の実現を応援してくれる人、手助けしてくれる人を、どれだけ知っているか。そのたちと、どれだけ信頼や友情と育んでいるか。それが人生の結果を決めます。
司会者
ところで松永先生は、本田 健さんの「幸せな経済自由人という生き方」という本を読まれてどんな感想をお持ちですか。
松永修岳
本田 健さんが提唱されている『幸せな経済自由人』という生き方は、まさに「経済の病」を救う道であり、実はそれこそが空海の伝えたかった『密教』の道でもあるのです。

私が『密教』を探求した理由は、「煩悩を嫌うべきに非ず」という、空海の言った言葉にあるのですが、空海は、「煩悩」に『感謝』を与えれば『貢献』が生まれる、「煩悩」に『愛』を加えてやれば人は『努力』するようになる、「煩悩」に『知性』を加えたら、人は『エネルギー』を生み出してクリエイティブになると考えていたのです。そういう見方が空海の視点だったのです。

「煩悩」に蓋をしたところで消えません。ならば、積極的に活用しましょうと。「欲望」を活用し、自己救済だけではなく、他者救済にも向かうように仕向けるというのが、『密教』のアプローチなのです。
本田健
素晴らしいですね! 空海の思想を、現代社会に生きる我々が活かせるような、21世紀版の「空海解説本」のようなものを、ぜひ書いていただきたいです。
松永修岳
そうですね、『空海密教経済学』とも呼べる知の体系があります。例えば、「四国八十八カ所巡り」などは、それを具現化した良い例ですが、1200年以上も続いているという世界にも例を見ない優れたビジネスモデルを作ったのが空海なのです。

「経済」に対する空海の考え方、空海が「経済」というものをどうとらえていたのか、ということを書くと面白いと思うのです。空海は『密教』を通して、当時の最先端の科学、すなわち天文、地理、医学、土木建築学などの専門的な知識を持ち帰ったわけです。単に「宗教」というとらえ方ではありませんでした。「経済の病」を癒し、「身体の病」を癒し、「精神」の次元を高きへと引き上げる、総合的なライフサイエンスであり、人生の諸問題を解決し、苦しみを取り除くための具体的な処方箋でもあったのです。
「大好きなことをして生きる」 ということの本当の意味


司会者
では、話題を変えて次の質問に進みたいと思います。

これは、私自身もそうですし、きっとこの会報誌の読者の方々もとても興味のあることだと思いますのでお尋ねしたいのですが、大好きなことをやって情熱的に生きていても、うまく行く人と行かない人がいます。それは、松永先生がご覧になっていて、何故だと思われますか。
松永修岳
第一に、勘違いですね。自分が好きなことと、能力を発揮することが違う人がいるのです。好きなことと、能力を発揮できることが同じ線上にある人と、そうでない人がいます。例えば私は学生の頃、音楽が好きだったので、音楽家になりたかったのです。それで、大学生の時にダニー飯田さんの所でアルバイトをさせてもらっていたわけです。ダニー飯田さんという方は、坂本九さんが入っていた「ダニー飯田とパラダイスキング」のリーダーだった人です。しかし、私は音楽の道では、社会の役に立てないと感じていました。その道よりもやはり、自分の道は修行の世界で人の幸せを祈ることであり、それが自分にとっては最も人に貢献ができるだろうと。だから、好きな道を選びませんでした。自分が最も人の助けになれるとしたら、この分野だろう・・・という道を進んで行ったわけです。

滝に打たれたり、断食したり、山を何十キロも歩いたりと、ある意味においては大変な世界ですし、常に孤独感と5分先には死ぬかもしれないという絶体絶命感の中にいたわけですが、それでも挫けることなく、やがてはだんだんと意識が深まって来て、自らの天職を確信できたわけです。明らかに自分の好きなこととは違っていたのですが、それでも、自分が一番役に立てる分野にいたわけです。

好きなことと、本当に才能を発揮して貢献できる道が一緒の人もいるし、違う人もいるのです。好きなことをやっていてうまく行かない人というのは、まさにこの点の理解がないことに原因があるのだと思います。
本田健
私から見ると、先生の場合は好きなことではないものを選択されたわけですが、それでも不幸になっていませんよね。
松永修岳
そうです。それが自分にとっては、最高に幸福になる道だったわけです。
本田健
そうすると「好きなことで楽なこと」ではないけれども、「自分が最も喜ぶことができる、厳しいこと」を選択されたのではないのかと思います。

先生は、気分的に好きとか嫌いとかいうような低いレベルのことではなくて、精神世界的な言葉で言いますと、魂が喜ぶこと、すなわち『最高善』の為に生きようとされたのだと思います。そういう意味では、松永先生は、好きなことの中で一番レベルが高いことを結果的に選ばれたんだと思います。
松永修岳
そうです。魂が欲することを選んだのです。
本田健
私はこれまで、ライフワークを生きて幸せに成功している人たちをたくさん研究してきたのですが、「好きなことで簡単なこと」とか、「好きなことで楽なこと」ではなくて、『すごく好きなことで最も厳しいこと』にチャレンジした人が、最も成功すると感じています。
松永修岳
心が好きなことと、魂が好きなことは違うのです。一般の人たちは、ある意味において、肉体レベルで好きなことを選んでいますね。
本田健
そうなんです、その辺りの微妙な違いがとても大切なんです。好きなことを選択するということは、ある種のレベルの高さが要求されると思うのです。それが多分、「志」とも関係があると思うのですが・・・。

一流のスポーツ選手でも、面倒くさいけれどトレーニングをするとか、作家が苦労しながら文章を書くとか、それぞれの分野でプロとして活躍している人は、皆それなりにしんどいことをやっているんだと思います。でも、その仕事を魂の欲するレベルからやっている人は、しんどいことが全然苦にならないようです。


先生は大変な修行をなさったそうですが、苦にはならなかったのではないでしょうか。
松永修岳
そうですね。全然、苦にはならなかったですね。
本田健
ということは、大変だけれども、魂が欲するからこそ、その道に進まれたんだと思います。単に好きだった音楽の道でミュージシャンになるよりは、人生を通して見たときに、はるかに満足レベルが高かったのではないでしょうか。
松永修岳
その通りですね。頭の中で考える好きなことをやるというよりも、ハートの深いところで感じる好きな道を選択したわけです。だから、頭の中では抵抗しているわけですが、深いところでは喜びを見いだしているのです。
本田健
『最高善』を生きるためには、自分の中の最も深いところにアクセスしなければならないのですが、普通の人にはそれはなかなかできない。でもそれができている人は、一流の世界で成功しているわけですね。

イチローだって、単に好きなことというだけで野球をやっているわけではないと思うのです。やはり、ある種のエクスタシーを感じるような「仕事の美学」の世界に入っているからこそ、苦しかったり、大変だったりしても乗り越えていけるわけですよね。
松永代表
魂の好きな世界が、進んでいくべき世界だと思います。魂の栄養は『愛』なのです。基本的に人が好きとか、花が好きとか、生命を愛する人達というのは、きっと魂が一番望むところの仕事を選択すると思うのです。
本田健
松永先生が、それだけ一流の人たちに支持されているのは、単に風水や密教の知識が豊富だからというだけではないと私は感じています。優しさというか、深みというか、どんなことがあってもこの先生なら応援してくれるという印象を周りに与えているからではないかと思います。

これからのますますのご活躍を楽しみにしています。
書誌情報
運の管理学
人生に「結果」をもたらす幸せの方程式
著者名:松永修岳
出版社:講談社BIZ
価格:1,470円
ISBN-10:4062821257
ISBN-13:978-4062821254