浅井健一は「ビート」、チバユウスケは「南米」2人の歌詞に見る文学性の違い
■ブランキーの歌詞にただよう「ビートニック」の香り
ブランキージェットシティの楽曲の大半は、ギター&ボーカルの浅井健一によるものだ。キャリアの初期から、浅井の歌詞には「物語」があり、音楽なしに読んでも映像が浮かぶものが多い。
Baby 砂嵐が そこまでやってきてる
早くゴーグルを着けなよ
あまりに強い風が 吹いたら
2人は ひとたまりもないけど
(「Fringe」より引用/アルバム『SKUNK』収録)
これはブランキーの5thアルバム「SKUNK」に収録されている「Fringe」歌詞だが、自分の内から湧き出たものを歌詞にしているというよりは、物語のワンシーンであったり、その登場人物と思われる人のセリフだったりと、歌詞の世界の外側にいる「物語の作者」の存在が印象付けられる。
つまり、浅井は自分の内面を歌うボーカリストではなく、自作の物語を歌で語り聞かせるボーカリストであると言っていい。
■「ビート・ジェネレーション」の影が見える歌詞
浅井の歌詞のこの傾向は、ブランキージェットシティ解散後の活動にも当てはまるのだが、もう一つ特徴がある。
「カマロ」「ポンティアック」「マールボロ」など、歌詞で描く風景に「アメリカ」があることが多いのだ。そして、それらを背に「車泥棒」や「ローラーを履いた新しいスタイルの不良グループ」や、「勤め先のレストランの金を盗むチャド」など、アウトローや社会の中の敗者の物語が語られる。
小説に通じている人なら、これらのキーワードに思い当たる節があるのではないか。浅井の歌詞からはジャック・ケルアックやチャールズ・ブコウスキーといった「ビート・ジェネレーション」の影が感じられるのである。