浅井健一は「ビート」、チバユウスケは「南米」2人の歌詞に見る文学性の違い
2016年1月のTHE YELLOW MONKEY(イエモン)再結成発表に最も胸を熱くしたのは、全盛期だった90年代後半を知っている、現在30代前半~40代前半くらいのロックファンだっただろう。
1990年代後半といえば、今でも語り草になっている、日本のロックの黄金期である。
イエモンだけでなく、BLANKEY JET CITY(ブランキージェットシティ)とTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)がパンク寄りのロックファンの人気を二分していたし、サイケデリックロックを日本人として再構築したゆらゆら帝国は新鮮だった。ナンバーガールもスーパーカーもいたし、くるりも、グレイプバインもいた。
デビュー時期こそ違うが、それぞれの活動時期は重なっていた。それが90年代後半だったのだ。
当時、中学生だった筆者はこれらのバンドをどれも聴いていたが、特に印象的だったのがブランキージェットシティとミッシェルガンエレファントである。演奏はもちろんどちらもこれ以上なく格好いい。でも、それだけでなく、彼らは歌詞がユニークだった。今になって読み返しても、彼らの楽曲の歌詞、正確に言うならば浅井健一とチバユウスケの歌詞からは「文学」の匂いがただよっていたのだ。