【まえがき】科学の感動
人間の脳というのは不思議なもので、たった一つの経験が大きな影響を残し、人生の行く末を変えることがある。
私にとっては、小学校五年生くらいの時に読んだアルベルト・アインシュタインの伝記がそうであった。同じ頃、四次元時空の話や、相対性理論の話についても読んだように思う。子どもなりに、深い感動があった。「世の中で、アインシュタインほど偉い人はいない」と思い定めるようになった。
人を変えるきっかけになるのは感動である。私は、アインシュタインとの出会いを通して、科学者を志すようになった。もともと小学校に上がる前から昆虫採集をして、自然に関心を持っていた。アインシュタインという人間と、彼がつくり上げた理論を知って、「科学者になりたい」という私の決意は動かぬものとなったのである。
昨今、社会の科学離れとか、子どもたちの理科離れということが言われる。だが、私自身の以上のような経験に即して考えると、「感動」があれば、そのような現象は起こるはずがない。
科学の感動。それは、世界がこれまでとは違った場所に見えることである。私たち自身の存在、私たちを取り囲むものたちのあり方について、より深い見方ができるようになる。
アインシュタイン自身、「感動するのをやめた人は、生きていないのと同じである」という言葉を残している。ここでアインシュタインが言っている「感動」とは、この宇宙を支配している法則にふれることで私たちの心に起きるさざ波のことであろう。それは、発見する歓びであり、創造へと向かう衝動である。
科学が明らかにするこの世界の真実にふれて、私たちの心は戦慄(せんりつ)する。生きることの意味が、より深いところで確認できるようになる。少々の困難ではへこたれない、前向きに生きる力が湧(わ)き上がってくるのである。
この世に感動の素(もと)はさまざまある。仕事がうまくいって成功するのもひとつのきっかけになるだろうし、人にほめられるのも感動の素になるだろう。しかし、私の知る限り、科学の真実を理解した時、とりわけ、それを数学的形式の本質においてつかんだ時ほどの深い感動はない。一つの科学的真実の感触をつかむことで、一生自分を支えてくれるほどの感動を得ることができるのである。
私は、時おり周囲の人に「なぜそんなに元気なのですか」と聞かれる。私が元気な理由の一つは、子どもの頃、科学の真髄にふれたことにあると思えてならない。元気になりたい人は、科学について学べばよい。アインシュタインの相対性理論ほど、格好な教材はない。
アインシュタインこそが、「物理学の世紀」とも呼ばれた二〇世紀の物理学の革命の起爆剤になった人であった。「奇跡の年」と呼ばれた一九〇五年。アインシュタインは、量子力学、統計力学、相対性理論という、その後の物理学の発展の基礎となった三つの大きな柱を、一人で打ち立ててしまったのである。
アインシュタインの人生は、大いなる勇気の物語でもある。落ちこぼれて大学に残ることもできず、特許局で町の発明家の話を聞きながら、こつこつと研究した。アインシュタインは、決して将来を嘱望(しよくぼう)されたエリートではなかった。むしろ、はみ出し者であり、ドロップアウトした人であった。そのような若者が、世界の見方の革命を起こしてしまうのだから、科学という営みは面白い。
この本は、何よりもアインシュタインの相対性理論についての本である。その革命の真髄にふれることが、一生を支えてくれる感動につながるのである。
そしてこの本は、アインシュタインその人に関する本でもある。青年アインシュタインが、将来の不安に耐えながら、いかに革命を成し遂げたか。アインシュタインのどのような生き方が、大きな成果へとつながったのか。その生きざまにふれることで、私たちは科学の感動を取り戻すことができるだろう。
科学離れ、理科離れの原因は、感動を見失ったことにある。私たちは、科学の感動を取り戻さなければならない。それは、経済合理性のかけ声の下、「役に立つ」ことを目ざす実用の研究の中にあるのではない。むしろ、何の役に立つのかわからない、難しい問題を追求する暗闇の時間の中に、科学の感動は隠れている。
私が愛してやまないアインシュタインの精神。その素晴らしい理論。感受性のある人ならば、その真髄にふれて、思わず叫ばずにはいられないだろう。
この宇宙はこんなにも精緻(せいち)にできている!自然の法則は素晴らしい!!そして、その法則を理解できる理性を持った人間もまた素晴らしい!!!
人間に対する、何よりも自分に対する信頼を取り戻すために、さあ、アインシュタインの理論を学ぼうではないか。
■「ロックンロール」としての科学
「アインシュタイン力」とは何か
二〇世紀を代表する人物を一人あげるとしたら、誰だろう。アメリカの週刊誌『タイム』は、アルベルト・アインシュタインを選んでいる。
二〇世紀は激動の世紀だった。同誌が一九二七年から毎年発表している「パーソン・オブ・ザ・イヤー」にも、数々の著名人が登場してきた。
初の大西洋単独無着陸飛行に成功した飛行家リンドバーグから、第二次世界大戦時のアメリカ大統領ルーズベルト、自動車会社クライスラー創業者クライスラーと続く。人ではなく、「コンピュータ」「危機にある地球」が選ばれた年もある。
そういう中から一人を選ぶ。二〇世紀をエンターテインメントの世紀と考えれば、チャップリンやミッキーマウスにも資格があるだろう。戦争の世紀ととらえれば、ヒトラーも候補になり得る。彼らを抑えてアインシュタインが「一〇〇年に一人の人物」に選ばれたのには、理由がある。
一つはもちろん、物理学に革命をもたらした功績だ。
ニュートン力学では説明のつかない矛盾を前に立ち往生していた物理学の世界を、一変させた。アインシュタインが発見した相対性理論(特殊相対性理論と一般相対性理論)は、量子力学と並んで、現在の物理学の基礎である。この二つが登場しなかったら、原子力やスペースシャトルといった技術も、今とは違う発展の仕方をしたかもしれない。アインシュタインは、多くの学説やハイテク製品の源流となった人物なのである。
しかし、それだけでは「世紀を代表する科学者」ではあっても、「世紀の人」とは言えないだろう。
アインシュタインが選ばれたもう一つの理由は、影響力の深さと広さにある。
彼は、科学者だけでなく、世界中の芸術家や文学者にまで影響を及ぼした稀有(けう)な存在なのだ。
生き方や考え方が、独裁政治や戦争といった人類の悲劇に抗する精神的な支柱となっている。その独創性から精神の自由、ユーモアのセンスに至るまで、アインシュタインの輝きは多くの人に光を与えてきた。
私が小学生の頃にアインシュタインの伝記を読んで科学者を志したのも、その小さな表れだろう。長い間にわたって、アインシュタインは私にとってのヒーローだった。アインシュタインの伝記を読んだ時に、私は「アインシュタインこそがこの世で一番偉い人だ」と確信してしまったのである。
世の中には「アインシュタインがいなくても、特殊相対性理論は数年遅れで誕生したはずだ」と言う人がいる。
確かに、頭のよさや、数学、物理学の才能などの点で、アインシュタインと同様か、それ以上の科学者はいたと思う。実際に相対性理論発見の手前までいった科学者も存在している。
しかし、そんな科学者たちの誰一人として「アインシュタイン」にはなれなかった。変革はできても、革命をもたらすことはできなかった。彼らは、権威や世間に従順だったからだ。体制や組織の中で頭角を現し、出世していくことに価値を見いだしていたからである。
世の中の価値観を疑わず、それに合わせる仕事をするのは、悪いことではない。ただ、そういう生き方や考え方の中で生きている限り、革命を起こすことは不可能だ。
アインシュタインの天才性は、権威や世間とは無縁に生き続け、批判的に考え続けたことにある。単に、数理的な思考の才能だけではない。
そう考えれば、アインシュタインの生き方、その理論について学ぶことの意味が広がる。アインシュタインのように生き、考えることで、偉大な仕事をすることが可能になるのだ。アインシュタインの天才性は、数学や物理の才能以上に、生き方そのものにある。ほとんど一人で相対性理論の体系をつくり上げた天才であるが、その天才性は、生き方から生まれている。