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新旧時代の寵児 江副浩正と堀江貴文~リクルート事件とライブドア事件から見る2人の共通点~

江副浩正

堀江貴文

事件発覚時の年齢
52歳 34歳
創業から事件発覚までの年数
28年 11年
事件発覚のきっかけ
子会社であるファーストファイナンス問題が発端 子会社であるマネーライフ問題が発端
事件概要
リクルート事件とは
戦後最大級の汚職事件(贈収賄事件)といわれる。1988年6月18日、朝日新聞のスクープ報道によって発覚。その後、朝日新聞社をはじめとした新聞各社の報道を中心に世間が過熱していく。報道内容は値上がりが確実であった株式会社リクルートコスモス(現在はコスモスイニシア)の未公開株が、政治家や官僚、財界人らに「賄賂」として贈られていたというもの。この事件によって国民の政治不信を起こし1993年の「55年体制の崩壊」などに結びつくなど、その後の日本政治の大転換をもたらすきっかけとなった江副氏には最高裁で懲役3年執行猶予5年の有罪判決が下るが、これは裏を返せば最高裁が「未公開株は確実に儲かる」ことを認めたことになり、議論を巻き起こした。
ライブドア事件とは_
ライブドアと、当時子会社であった「ライブドアマーケティング」(現メディアイノベーション)の事業行為に、証券取引法に抵触する違反行為があったとされる事件の通称。具体的な容疑は「偽計及び風説の流布」と「有価証券報告書虚偽記載」の2つ。
リクルート事件と同様に、東京地検特捜部が主体となり事件を「勃発」させ、メディア報道を過熱させることにより世論誘導を引き起こし捜査を進めるという「劇場型捜査」の事件としてあまりにも有名。この事件と報道により「ライブドア・ショック」と呼ばれる株式市場の大暴落を引き起こす結果となり、当時、株価が上昇し景気が回復しつつあった社会に多大な影響を与えた。
検察庁(検事)についての見解
「リクルートでは、社員の男女関係などまったく問題にしない。男女関係のことから調べる検事の感覚は”時代遅れだ”と私は思った。」

「逮捕して無罪か有罪かを取り調べるのが検事の役割のはずだが、実際は、裁判で有罪にするための調書を取るのが検事の仕事となっていることを身をもって知った。」

「検察はメディアに情報を提供しながら、その見出しや内容に自らも翻弄されているよに思えた。」

「特捜はメディアが大きく報道することを立件する。」

「本書では、検察に対して非難めいたことを書いてはいるが、私としては、取調検事個人への恨めしい気持ちはまったくない。厳しい取り調べは取調検事の職務意識から発したことと思っている。検事はいずれも職務を忠実に実行された人々であり、陰湿なところのない分かりやすい人たちであった。」

「問題は、取調べが密室で行われていて、取調状況のすべてが可視化されず検察官調書に重きがおかれる現行の司法制度にあると私は思っている。」

(著者 リクルート事件・江副浩正の真実より)
「検察庁は恐ろしい機関だ。 なぜかというと、検察庁は起訴できる唯一の機関である上に、捜査権限を持っているからだ。 つまり検察庁は捜査、逮捕、起訴までできる、国内唯一の機関なのである。 捜査、逮捕、起訴を同時にできるということは、 自分たちが捜査した事件は面子にかけて起訴してしまう可能性が高いとうことだ。 検察が捜査、逮捕、起訴すべてを行える現行制度を改革すべきだと思っている。 なぜなら現行制度の下では、私の事件のように、検察が面子を賭けて無理やり事件化し、 起訴に持ち込み99%の有罪実績を元に裁判所を丸め込む、という事態が起こり易いからだ。」
(著書:徹底抗戦/集英社 より)

「自分たちが世の中の白黒を決めるんだ!という強烈な意思(彼らは正義感だと思っていますが)があるのだと思いますね。」
(六本木で働いていた元社長のアメブロ より)


『検察官の気持ちもわからんでもないのよ。 彼らは彼らなりの正義で時間当たりで人一人が稼げるお金の額に上限がないといけないと思っているんですよね。 そういう風に法律を変えたいんだけど、まあそんなことしたら経済がひっくり返るから法律は改正できない。 だから実力行使しかないとおもっているんでしょう。 だけど、それは罪刑法定主義の原則を揺るがすもの。 立法は立法府で国民の選んだ議員が行わなければならない。 これは三権分立の原則。検察官が、実質的下部機関である刑事裁判所を利用して法律と同等の 「判例」を作らせたり、マスコミを操作して世論を動かし、立法府に圧力をかけるというやり方は間違っていると思う。』
(六本木で働いていた元社長のアメブロ より)

『可視化だって、結局運用するのは権力側なんだからさ。いくらでもインチキできるっしょ。任意捜査とかの時はどうすんの?結局弁護士を同席させて弁護士に記録を取らせることを容認すべきである。拘留中だろうが、弁護士が同席することに何の問題があるのだろうか?不当な違法捜査さえしていなければ、正々堂々と取り調べができるはずである。可視化よりも弁護士同席だ。』
(六本木で働いていた元社長のアメブロ より)
拘置所での生活・取調べについて
「拘置所で一番つらいのは、身体を動かせないことである。房内では、朝の運動と、午後三時のラジオ体操の時間(取調べ中はできない)以外はじっと座ってなければならない。運動しないと脚力が落ちる。胃腸が働かなくなる不安もあった。」

<取調べ状況>
*取調室内において、再三にわたり、大声で怒鳴られたり、人格を侮辱する発言を受けた。

*取調べのさい検察官の意に反する供述をすると、甲検察官は、突然、書類を机上に叩き付けたり、定規で机上を叩いたりした。指にけがをするのではないかとおそれて私は手をひっこめた。

*ボールペンを私の眼前まで近づけ振り回すなどし、逃れようとすると私の後頭部を甲検察官が手で押さえてボールペンを瞳近くまで突き付けた。

*私が腰掛けていたスチールパイプ製の簡易な椅子を、突然。足で蹴りつけられた。そのため、私は椅子から床に落ちて尻餅をつかされたこともあった。

*取調室の壁に向かわせて顔が壁に着くほどに接近させて、直立させられ、そのまま立っているように命じられた(中略)

*取調べのさいの恐怖心と、夜遅くまでの長時間の取調べによる疲労のため、房に戻されてからも寝つかれず、睡眠不足状態となった。

*乙検察官に交代してからも夜間に及ぶ取調べが続き、不安、動揺と疲労の蓄積のため、作成される調書に対する吟味を十分に行うことができない状態に陥っていた。

(著書 リクルート事件・江副浩正の真実より)
『とにかく独房にいてつらいのは、人と話せないことだ。もちろんそれ以外にもいろいろある。部屋のトイレがむき出しである、というのも人にとってはつらいかもね。私は慣れたけど。それと、時計がないのも意外につらい。逮捕された頃の日の出は六時くらいだったのだけど、だんだん早くなってきて、どうしても目が覚めてしまって。つらくなった。』

『弁護士が面会に来た。その日は特別に二枚の色紙を持ってきてくれた。その色紙には・・・・・・ライブドア社員たちからの応援メッセージがびっしりと書き込まれていた。 いつも以上に精神的に追い込まれ、孤独で感傷的になっていたのかもしれない。生まれて初めてか、あるいは少年時代まで遡らないと思いだせないほど、号泣した。嗚咽した。』

「時計がないのも意外につらい。逮捕された頃の日の出は六時くらいだったのだけど、だんだん早くなってきて、どうしても目が覚めてしまって、つらくなった」

(著書:徹底抗戦/集英社 より)

江副浩正氏について言及
「逮捕された年齢、逮捕されるまでの時間は大分違うし特に前段の彼の苦悩は相当だったようだ。睡眠がとれず食事はのどを通らず。私は強制捜査から逮捕まで一週間程度だったので、彼ほどは追い詰められなかったし、自殺衝動のようなものも無かったが、彼ほど長い間不安定な立場に立たされていたらどうなったか分からない。

拘置所に入ってからも彼は大変のようであった。 私の場合は新しく作られた建物だったので寒さもそれほどではなかったし、取調べも社会問題化したことを受けたからなのか、取調べ中に壁に向かって立たされることは無かった。もちろん、入所時にケツの穴にガラス棒を突っ込まれることも無かった。

こういう改善は、先人達が多くの人権侵害を受けて改善を求めて闘ってくれていたからであろう。」
(六本木で働いていた元社長のアメブロ より)
メディアについて
「いったんマスコミの批判の対象になると、そこと少しでもかかわりを持っただけで攻撃を受け、普段は問題にならないことが糾弾される。」

「メディアが捜査官で、検事が取調官。そのような構造は、司法の効率を上げるという点ではよいかもしれない。だが、検察がメディアを頼りに立件しているため、メディアが”第三の権力”となっていることを私は身をもって実感した。」

「メディアは倫理上の罪も区別せず報道する。」

「広告情報誌事業のリクルートと私の知名度があがっていったことが、メディアにとって「叩きがいがある」と思われていたことも、執拗な報道が続いた要因の一つであったと思う。」

(著書 リクルート事件・江副浩正の真実より)
「保釈直後、私が勾留されていた間のニュース記事を一気に読んだけれど、それはもう暗澹たる気持ちになった。逮捕容疑はともかくとして、それ以外にあるわあるわ、いい加減な報道の嵐。」
(著書:徹底抗戦/集英社 より)
保釈後について
『門を出ると、入ったときと同様、私は激しいフラッシュを浴びた。日野弁護士にカメラマンを遮ってもらい、やっとのことで車に乗った。車が走り出すと、テレビ局の車が何台か、すぐあとをつけて来た。上空ではヘリコプターが追いかけてくる。検察庁が事前にメディアに知らせなければ、ヘリコプターが飛ぶはずがない。私は、「またもさらし者にされた」と悔しい思いだった。』

『保釈の翌日から、私は言い知れぬ孤独感にさいなまれた。<中略>逮捕前と同様に、再び「いっそ死んでしまいたい」との自殺念虜に陥った。』

『加藤先生に診てもらったところ、「拘禁反応鬱状態」と診断された。』

『保釈後、下の娘はしばしば私を訪ねて来て、気落ちしていた私に「お父さんは必ず社会復帰できる」と繰り返し、激励してくれた。<中略>そうやって娘と共に過ごすことで、私は次第に自分を取り戻していった。』

(著書 リクルート事件・江副浩正の真実より)
『「堀江被告の保釈が認められました」おお、まさかラジオ中継で自分の保釈を知るとは思わなかったよ・・・。外に出たら、もうこれがお祭り騒ぎ。ヘリは10機以上旋回していた。家に帰ると、弁護団の人たちが、コンビニの寿司とビ-ルを用意して待っていてくれた。感激!次の日、誰もいなくなった部屋に一人でいると、寂しさがあふれてきた。
(私には仕事もないし、これから厳しい裁判が待っているのだ・・・)』

『保釈されたのは良かったけれど、連日マスコミが六本木ヒルズ周辺に張り込んでいたし、この一連の出来事によって対人恐怖症になっていたから、私はずっと家の中にこもっていた。』

対人恐怖症の克服へ
『保釈から一ヶ月ほどが経ったころ、サーフィンに誘われた。それまで波乗りなんてやったことがなかったのに、である。最初はおっくうがっていた私なのだが、一度波乗りをしてみたら一編に認識が変わった。海はすばらしい。波に揺られていたら事件のことも忘れられた。サーフィンは予想以上に体力を消費するので、食事も美味しくなった。しばらくの間、週1ペースで海に行っていたと思う。サーフィンのお陰で、新たな交友関係も広がっていった。』
(著書:徹底抗戦/集英社 より)