―まず、日本の地下水がここまで海外資本の手に忍び寄られているとは思いませんでした。以前にニュース番組でこうしたことが起きているということは見たことがありましたが、日本人はまだこのことに無関心であると思いますが、橋本さんはどのようにお考えですか?
『多くの人は、水や食料を商品として考えることはできても、実際にその水がどこからやってくるのか、食料がどこで生産されているのかをリアルにイメージすることができなくなっています。
水道水、ペットボトル水、宅配水など、生活していくのに水は欠かせませんが、それらは蛇口から出るものであったり、スーパーで売られているものであったり、軽トラックで運ばれてくるものであったり、いずれも商品です。消費者が商品に求めるものは価格と品質のみ。生産過程にはたずさわっていないので水源のことは考えません。水源地の買収、水源の枯渇とメディアで報じられても、遠い国の出来事のようにしかとらえられない。じつはここに危機の本質があります。』
―この水資源の危機は、単なる海外資本の進出というだけの話ではなく、日本における農村の衰退やコミュニティの崩壊、さらには先祖伝来の土地を守るという伝統的価値観の消失といった、構造的な問題も含んでいるように感じますが、橋本さんはどのようにこの危機の要因を捉えていますか?
『海外資本が買うと言われますが、見方を変えれば売っている日本人がいるということ。林地が売られる原因の1つは林業の低迷です。日本の木材自給率は2割。外国産材があふれ、生産コストや人件費がかかる国産材の需要は減少し、林業は商売として成り立たなくなりました。そのため山を手放したいという地主が増えました。
収益は生まず、管理費用と税金だけがかかる林地は地主にとって重荷です。「外国人だろうと日本人だろうと買ってくれるなら誰でもいい」「水が欲しいというのなら水はある。外資だって金さえ出してくれるなら売ってしまいたい」と言い切る人もいます。
森は保水機能、浄水機能をもち、地主だけでなく周辺地域によい影響をもたらす共有資産ですが、そうした見方がされることはありません。』
―橋本さんがジャーナリストとして取材や調査をするなかで、日本人が持っている地下水や水源に対しての価値観の変化を感じることはありますか?
『水の安全性を求める一方で、持続的な水利用という視点が欠落しています。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、地下水利用は活発になりました。地下水は、水資源として安定していますし、取水が容易で費用が安い。
そして放射性物質の影響を受けにくい。地表が放射性物質に汚染された地域でも、放射性物質は地表数センチのところに止まっているため、深いところにある地下水は影響を受けにくい。地下水が直接汚染されない限り、表流水よりも安全だといえます。
震災後の1年で掘られた井戸は2万本と推計されています。個人による地下水利用が増加したこともありますが、企業の地下水利用、既存ボトル水メーカーの増産、ボトル水事業への新規参入も増えました。2011年のペットボトル水市場は、生産量317万2207キロリットル(前年比26%増)、販売金額2347億5200万円(同26・72%増)と量も金額も大きく伸びました。
外国資本が森林を買収、水資源に近づいていることはメディアで報じられていますが、既に、中国富裕層向けの宅配水事業が始まっていることはあまり知られていません。中国資本の水源地買いには神経を尖らせるマスコミも、日本企業が水源地を購入、外国に持ち出すことには寛容です。
これだけ地下水利用が活発になると「枯渇しないだろうか」という懸念が当然起こりますが、地下水量は把握されていません。自治体で地下水量のデータをもっているところは、ごくわずかです。』
―現在、中国やシンガポールが日本の水源を狙っているとありましたが、今後、日本へ触手を伸ばす海外諸国や海外資本は増えていくのでしょうか。
『「水源地を買収したからといって、地下水をポンプで汲み上げ、輸送するには莫大なコストがかかる。だから外国資本が林地を買ったからといって、それは水目的ではない」「水はコストをかけて輸送するより領海の海水を淡水化した方が安く、安定供給できる」という見方があります。
外国資本が林地を買い、水を汲み上げたとしても、それをどのように運ぶかがポイントになるのですが、じつは思わぬ方法で水を運ぶことができます。土地を購入して水資源を奪うという意味は、水を運びだすとは限らない。そこで農業をして、できた食料を運び出すという方法があります。
エチオピアでは未開発地が中国など外国資本に次々に借り上げられています。国内で未開発の耕作適地は6000万ヘクタール。日本の国土の約1・6倍です。50~99年の長期契約で、借地料は1ヘクタール当たり年間10ドル程度。ですが農産物は輸出用で、地元農民の口にはほとんど入りません。エチオピア国民の1割に相当する800万人が現在も食料支援に頼って生きています。これはエチオピアのなかに中国ができたのに等しいのです。
外国資本が日本で農地を購入する可能性もなくはありません。日本の農地は狭く、大規模集約型の農業には適さないとして、いまは注目されていません。しかし、深刻な水不足になればどうでしょう。広くて水のない土地と、狭くて水が豊富にある土地で、どちらが農業生産に適しているか。
そこで地下水を汲み上げ農業を行い、自国に食料を輸送します。それが大量の水を効率よく奪う方法だからです。地域にとって農地を失うことは、単なる生産の場を失うことではありません。共同体を失いことでもあります。地域の人間関係が消え、そこに育まれた文化が失われます。』
―橋本さんは本書で地下水を管理する法律がないことを指摘していますが、これまでの地下水の管理はどのように行われてきたのでしょうか。
『よく外国人に「日本で土地を買うと地下水が好き放題くめるというのは本当か」と聞かれます。「好き放題というわけではないけれど、土地所有者に地下水利用権がある」というと、とても驚かれます。
民放第207条に「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」という規定があります。つまり、法的には土地の所有者に、その地下にある水の利用権があると解釈されています。
地下水はこれまで「私のもの」と解釈されてきました。昭和13年の大審院の判決では、「土地の所有者はその所有権の効力として、その所有地を掘削して地下水を湧出させて使用することができ、例えそのために水脈を同じくする他の土地の湧水に影響を及ぼしても、その土地の所有者は、前者の地下水の使用を妨げることはできない」
とされています。でも、当時は手掘りの井戸で小規模な取水しかできなかった時代です。揚水技術の発達した現代と状況は明らかに違い、これを拠り所にするのは時代錯誤といえます。それに地下水は、地面の下に止まっているものではありません。地下水は地下を流れる川なのです。だから土地所有者のものであるという考え方は、実態と違っています。
たとえば飲料水メーカーの取水口があるとします。このメーカーは自分の土地の下にある自分の水を汲み上げているわけではなく、自分の土地の下を流れるこの地域の共有物を汲み上げていることになるのです。』
―では、日本の地下水や水源の保護に対して、国や自治体はどのような対策を講じようとしているのですか? また、様々な利害関係が発生するかと思いますが、そういった問題をどう乗り越えようとしているのでしょうか。
『地下水を「私のもの」ではなく「公のもの」とすることでしょう。地下水を地域の共有財産とし、届け出や許可がなければ利用できないような仕組みが必要です。
この点で、宙に浮いている法案が2つあります。
1つは、自民党の高市早苗衆院議員が中心となってまとめた「地下水規制法案」。地下水を「公共の利益に最大限に沿うように利用されるべき資源」とし、国土交通相が規制地域を定め、保全に必要な場合に地下水取水の禁止や制限ができるというものです。
もう1つは、水循環基本法です。当初の法案では、地表水だけでなく地下水、海水などをすべて「公水」と定義し、「水循環庁」をヘッドとして、流域自治体が統合的管理することが目的でした。しかし、地下水を大量に使う産業界の反発、所管法令との整合性を理由に疑義を唱える各省庁、さらには民主各部門会議からも異論が相次ぎ、強制力を強めた水の統合管理を目的とした法案を断念しました。
国が手をこまねいているのにしびれを切らした自治体は独自に条例整備をはじめました。条例は大きく3タイプに分けられます。①土地取引の「見える化」をねらったもの、②地下水の取水を届出制あるいは許可制にするもの、③地下水かん養をうながすもの。これらが単独、あるいは組み合わせてつくられています。
「国の動きは待てない」と独自に一歩を踏み出した自治体がある一方で、国の顔色をうかがいながら、動きのとれない自治体もあります。条例を自分たちでつくるよりは、国の法整備を待っているのです。
自治体の担当者を悩ます問題が3つあります。1つ目は、条例が適正かどうか。不当な条例をつくって、行政訴訟などのトラブルが起きるのは避けたいのが本音です。2つ目は、自治体内が必ずしも一枚岩でないこと。地下水保全を第一に考えるグループがある一方で、地下水を資源として販売したいグループがあります。3つ目は自治体と自治体の調整。たとえば県条例と市町村条例がある場合にどう整合性をとるか、近隣自治体と考え方が違う場合にどう調整をつけるかなどに頭を悩ませています。
なかでも1つ目の「条例が適正かどうか」は大きな問題です。「いきすぎた規制をつくって行政訴訟になるのがいちばん怖い」という自治体の担当者は多いですし、なかには、「どこかの自治体が訴えられればいい。最高裁判決が出れば、ここまでの規制は白、それ以上は黒とわかる。いまはすべてグレーゾーンなので、どうしていいかわからない」という声もあります。毒味は自分でしたくないというのが本音でしょう。』
―今後対策を講じようと考えている自治体に求められていることは何だと思いますか?
『地下水保全の条例は、地下水盆、地下水脈を共有する自治体連合で1つのルールをつくるのが望ましい。地下水は市町村境を越えて流れるからです。ここでのポイントは、地下水を保全したい自治体がある一方、水を販売したり、飲料メーカーを誘致して税収を確保したいという自治体があることです。長野県では、松本、安曇野、大町、塩尻の4市が、地下水の保全について連合体をつくって検討していますが、4市の足並みが揃っているわけではありません。地下水保全を掲げる安曇野市、地下水利用したい大町市と方向性に明らかな違いがあります。今後、長野県が調整しなくてはならないでしょう。』
―本書では地下水の保全に対して、日本の伝統的な農業(稲作)の重要性を指摘しています。この本を読むまで、田んぼが地下水のかん養に密接に結びついているとは思いませんでしたが、こうした事実を知らない人も多いのではないでしょうか。
『熊本では「ごはん1杯、地下水1500リットル」と言われます。これは、ごはん1杯分の米を育てる間に、田んぼから地下にしみ込む水が1500リットルあるということです。
田んぼに張った水は少しずつ地下にしみ込みます。しみ込む量は土壌によって違いますが、平均的には1日2センチ程度。1ヘクタール(100メートル×100メートル)当たり200トンの水が地下にしみ込んでいきます。稲作期間を100日と考えると、1ヘクタール当たり2万トンの水が地下へしみこんでいきます。
日本は減反政策によって田んぼを減らしてきましたが、田んぼの面積が減るということは、地下水が減るということです。
1969年には317万ヘクタールの田んぼがあったということは、1年間に地下にしみ込んだ水は634億トン。それが2011年は157万ヘクタールに減っているので1年間に地下にしみ込んでいる水も314億トンと、320億トン減ったことになります。失われた地下水320億トンの水を、仮に1リットル100円のペットボトル水として売ったとすると3200兆円です。3200兆円が減反政策によって消えたといえるのかもしれません。
田んぼをコメを生産する場とだけとらえるのは間違いです。森と同じように、地域に水を涵養する共有財産なのです。』
―近い将来の地球の水源をめぐる争いはどう変化していくと思いますか? また、自国の地下水を守るために私たちに何ができるのでしょうか。
『人口増加にともない水需要は今後ますます増えるでしょう。とりわけ食糧生産する水が不足します。マギル大学ブレース・センターで水資源マネジメント研究に従事する研究者たちは、2025年の世界の食料需要予測に基づき、食料生産を増やすためには2000km3の灌漑用水が必要と試算しました。これは、ナイル川の平均流量の24倍です。
また現在の水使用パターンを前程とすると、2050年の世界人口が必要とする水の量は、年間3800km3になる。これは現在、地球上で取水可能とされている淡水量に匹敵します。つまり人間だけが地球の淡水を独占しないととてもやっていけないというわけです。
こうしたなかで水の問題はますます深刻になるでしょう。
解決方法は、地理的条件、環境などによって変わりますが、日本の場合、降った雨を地下水として地中に蓄えることが重要になります。
その点で気になるのが、コメの消費量が下がっていることです。総務省の家計調査で2011年の1世帯当たりのコメの消費額が、パンに追い越されました。コメを食べなくなった、しわ寄せは農家を直撃します。農家はコメ作りをやめ、田んぼは減っていく。それが日本の地下水を減らすことにつながります。もう1つ重要なのは、日本の食料自給率は約4割で、残りの6割は海外からの輸入に頼っていることです。農産物をはじめとする食料生産には大量の水が必要で、食料を輸入するということは、本来国内で生産していれば必要とされる大量の水を、食料を輸出している他国で消費していることになります。日本国内での水の消費を肩代わりしてもらっている。パン(小麦)は多くを輸入に頼っているが、小麦を育てるために枯れてしまった地下水がいくつもある。パンを選んだことで、2つの地域の地下水を減らしてしまったといえるでしょう。地球の海水面の上昇はなぜ起きたのか。理由はいくつかある。よく知られているのは、温暖化によって氷が融けたこと、海水が温まって膨張したこと。それ以外にもう1つ理由があるのです。それは人間が陸の水を過剰に汲み上げ、海に流したこと。日本が小麦を輸入しているアメリカ中西部の穀倉地帯から汲み上げられた地下水は、地球の海水面を1ミリ上げたといわれています。』
―『日本の地下水が危ない』を通して、どのようなことを読者の皆さまに伝えたいと考えていますか?
『本書では、水源地をめぐるさまざまな動きをレポートしています。この問題はメディアでは「外国資本の水源地買収」という見方でしか報道されません。ですが、あなたの生活に大きく影響する別の問題が起きています。水の問題は、生活の問題です。なくなったり、汚れたりすると、生活の基盤が崩れてしまいます。私たちの生活を守るという意味でも、ここに書いたことを多くの人に知ってもらいたい。求められるのは、「水は自分たちで確保しなくてはいけない」「水は自分たちで保全しなくてはいけない」という住民の強い思いであり、それが外国資本や企業によって水が収奪されることへの備えになります。水が抱える問題の奥深さは、法律や規制だけではどうにもならないのです。』