解説
東京都新宿区。四ツ谷三丁目と曙橋の駅の間の大通り沿いに、その「食堂」はある。
わずか288円で日替わりランチを提供する『定食酒場食堂』だ。
288円と聞いて、ケチなメニューを思い浮かべる人もいるかもしれない。
だが、「ボリュームたっぷりのおかずや副菜がついて、ごはんはコシヒカリ」「ご飯と味噌汁はお替わり自由」など、その内容はかなり太っ腹なものだという。
壮絶な人生によって形づくられた経営哲学
この『定食酒場食堂』を立ち上げたのが、『ゼロポイント』(秀和システム刊)の著者、天野雅博氏。彼がこのように大胆な策を打ち出せた背景には、その壮絶な半生が大いに関係している。
彼は親の顔を知らない。少年時代を養護施設ですごし、三度の少年院も経験している。最終学歴は「中卒」だ。経歴を理由に、就職を断られたこともあった。
これだけでも充分波乱万丈だが、31歳のときに手を出した「酸素バー」の事業を軌道に乗せることに苦労し、家賃も光熱費も払えなくなった時期があったり、ある企業の社長からの1000万円の投資をふいにしてしまったりと、事業家としてもいくつもの失敗を経験している。
失敗の度に「ふりだしに戻る」ことを繰り返してきた天野氏。実体験を通して強烈な学びとなったのは「ゼロに戻ることは恐いことでも何でもない」ということだ。
「失敗したらしたで、またゼロの位置に戻って、やり直せばいい」。
ごく自然にこう思えるようになった人間に怖いものはない。自分の理想に忠実に、大胆な決断ができるようになるからだ。
事業アイディアを後押しした、「人はゼロで生まれ、ゼロで死ぬ」という思い
『定食酒場食堂』はホームページを持っていない。にもかかわらず、口コミによって連日大盛況となり、現在もその状況は続いている。
順風満帆にも見えるこの店だが、店舗の立ち上げをめぐって天野氏は周囲のほとんどから反対されたという。
某牛丼チェーンですら、どんなに安くても、牛丼一杯400円弱。そう考えると、『定食酒場食堂』のランチメニューの内容と価格は、飲食業界において常識やぶりだ。ましてこれまでの失敗経験もある。反対はむしろ当然だといえる。
だが、天野氏は「人は誰でも、ゼロで生まれ、ゼロで死ぬのだ」という学びを片時も忘れなかったようだ。周囲に何を言われようと、信じたことを覚悟を決めてやること。それが天野氏を成功に導いた。
言うまでもなく、この世でどんなに立派な地位や財産を築いたとしても、あの世へ持っていくことはできない。だが目の前の現実に追われるなかで、多くの人は「ゼロで死ぬ」ことを忘れてしまいがちなのも事実だ。
逆境や失敗を乗り越えてきた人が発するメッセージには、独特の強度がある。新しい世界へ踏み出したいのに一歩を踏み出せずにいる人にとって、本書は背中を押してくれる一冊といえるだろう。
(新刊JP編集部)
インタビュー
原価率50%の「288円ランチ」 ある辣腕経営者の型破りすぎる繁盛法
値段はウソをつかない。
思わずSNSに投稿したくなるほど絶品な高級料理を口にするたび、あるいは激安チェーンで「安かろう悪かろう」なメニューを目の当たりにするたび、この言葉を痛感することはないだろうか。
だが、なかには「値段がウソをつく」ケースもある。
そう思わされるのが、『ゼロポイント』(秀和システム刊)の著者、天野雅博さんが経営する定食酒場食堂による「288円ランチ」だ。
原価率30%が常識とされる飲食業界にあって、原材料にこだわり、原価率50%で提供しているというこのランチ。天野さんはなぜこのようなスタイルでの運営を続けているのか、お話をうかがった。
飲食業界の常識に挑戦 「288円」なのに「安かろう悪かろう」に陥らない理由
――
今回、『ゼロポイント』を読ませていただき、最も衝撃的だったのは、「288円ランチ」のくだりでした。この商売を立ち上げる前は、周囲からかなり反対の声があったようですね。
天野:
ほとんどの人が反対しました。でも、まったく揺るがなかった。なぜなら、僕にはしっかりとした自分の軸があるからです。
――
自分の軸。本書のキーワード、「ゼロポイント」につながるお話ですね。
天野:
そのとおりです。自分の行動に自分で責任をもつ。この覚悟さえできていれば、「失敗したらどうしよう」なんて弱気な考えは浮かばなくなります。
この本に何度も出てくる「ゼロポイント」とは、いわば出発点のこと。「どうありたいか」を真摯に突きつめていけば、自分に合った生き方や、大切にしたい軸が見えてくる。
それらのものが見えてくれば、「自分の生き方を貫くには、どんな立ち位置で、どんな行動を起こせばいいのか」を自然と考えられるようになる。結果、他人に振り回されることがなくなるんです。
これらの思考プロセスを全部ひっくるめて、「ゼロポイント」という言い方をしています。誰でも意識しさえすれば習慣化できるものなので、自分の決断になかなか自信を持てなかったり、迷いがちな人には、ぜひこの言葉を意識してもらいたいですね。
――
いま「覚悟」という言葉が出ましたが、ホームページもパンフレットも一切用意していない、お昼のメニュー日替わりのみ等といった潔さは、覚悟のあらわれなのかなと感じます。
天野:
うちのお店は、「過剰サービス一切おことわり」。お昼どきに来たお客さんから「日替わり以外のメニューはないの?」といわれても、「日替わりしかないよ。それが不満なら出ていって」と平気でいう。
夜なんて従業員の人手が足りないことがほとんどだから、「ビールのグラスはここで、サーバーはあそこに置いてあるから、場所おぼえておいて。お替り欲しくなったら、自分でついで」ともいったりする。
数えるほどですが、うちのお店のルールに従ってくれないお客さんには「もう来ないで」と追い出したこともあります。そういうお客さんほど、数日後にやってきて、「あのときはすみませんでした、入れてください」というのですが(笑)。
飲食業界の常識からすれば、かなり非常識なことをやっているのかもしれません。でも、リピーター率9割で、連日大繁盛しています。
――
実際のメニューを見てみると、お金をかけるべきところには惜しみなくかけていることも伝わってきます。288円ランチの話を聞いて、「安かろう悪かろう」なメニューを思い浮かべる人は少なくないと思うのですが。
天野:
ランチのメニューは原価率50%でやっています。これは業界平均からいって、かなり高く、運営しているほうとしてはかなりギリギリな状態です。
原価率がこんなにも高くなるのは、素材にこだわっているから。たとえば調味料なんて、醤油はノンアルコールのもので1リットル800円、塩もヒマラヤ岩塩で750グラム1000円という、かなり高価な銘柄を使っています。
――
なぜ、材料にこだわろうと思ったのですか。
天野:
まず、自分の子どもに食べさせられないものは、お客さんにも食べさせられないと思ったからです。「安心安全なものを」と思ったら、こういう素材を使わざるをえない。
もっといえば、なぜ食堂を始めたのかという話にもかかわってきますね。「あと50年は続く商売って何だろう?」というところから考えていったら、食堂、それも半径1~2km圏内に住んでいる人たちから愛されるような食堂をつくりたいと思った。となると、「安心安全」は避けて通れないキーワードだったんです。
ちなみに、なぜ50年かといえば、息子のことを考えて。僕は今年で50歳。なので、「自分が生きているうちに叶う夢」には、もうさほど興味がありません。でも一方で、「自分が死んでから叶う夢」はまだ追いかけていたいなという思いがあります。
その意味で、いま小学生である息子に、「生涯をかけてできる仕事」を遺したいなと思った。僕がこの食堂で目指しているのは「昭和の台所」なのですが、息子の代でその夢を実現させてくれればうれしいなと。
――
そうした息子さんへの思いこそが、この商売における天野さんの軸になっていったわけですね。
天野:
逆にいえば、自分なりの哲学さえはっきりすれば、自分の仕事への責任感が生まれるし、覚悟も決まる。そうなると、失敗がこわくなくなるんです。
ところで、トランプは4回もの破産経験があるのに大統領になりましたよね。そう考えると、アメリカに比べれば、日本はまだまだ失敗というものに対する考え方が遅れているなと感じます。世間から「あの人は失敗者だ」と烙印を押されたら、その人が立ち直るにはかなりのパワーが要るので。
人一倍、こういうことを強く思うようになった背景には、僕自身、両親の顔を知らないまま養護施設で育ったし、三度の少年院行きを経験しているし……と、世間が色眼鏡で見たくなる経歴も大きく影響しているかもしれません。
「養護施設育ち、三度の少年院行き、中卒」の経営者が語る 「悩まない」ための仕事術
仕事のやりがいが見つからない、上司とソリが合わない、給与が低い……働いている以上、何の悩みもないという人は、かなり稀だろう。
だが、悩みを挙げはじめたらキリがないのも事実。
ある程度の割り切りをして、まずは手足を動かしているうちに、周囲の自分に対する見方が変わり、結果として悩みや不満が解消されていくということは少なくない。
天野さんは、「養護施設育ち、三度の少年院行き、中卒」という生い立ちの持ち主。そんな彼が、悩まず働くために辿り着いた、ある境地とは。
少年院行きを経験した経営者が語る 仕事やお金の捉え方
――
インタビューの前半で、天野さんの壮絶な半生についても少し触れていただきましたが、文字どおり「裸一貫から登りつめてきた方なんだな」という印象を持ちました。
天野:
中学を卒業した直後、ある炉端焼き屋に就職面接を受けに行ったことがありました。そこで僕に両親がいないこと、少年院に入った経験があることを伝えたところ、あからさまに嫌味をいわれ、就職を断られたことがあったんです。
もちろん、そのときは腹が立ったし、「いくら真面目に働こうとしても、結局、世間はこんなものなのか」と悲しくなった。
でもこの一件があったからこそ、「嫌なことをいってくる人間の下で、自分が悪くもないのに頭を下げながら生きていくのはごめんだ」と心底思い、自分の信念に正直に生きていこうと決心できた。
それ以来、僕は「誰かに雇われて、給料をもらう」という形で働いたことは一度もありません。男性化粧品、酸素バー、ペット保険など、当時はまだ誰も手を出そうとしなかった分野でいち早く起業して稼ぎを得る、ということを繰り返しながら生きてきました。
――
何かアイディアはありながらも、なかなか行動に移せず悩んでいる若者にアドバイスするとしたら、何と伝えますか。
天野:
生き方に迷っている若者からアドバイスを求められたときに、僕がよくいうのは「業務をするのではなくて、働きなさい」ということ。
先ほど、僕は一度も給料をもらった経験がないという話をしました。その結果、自然と身についたのが、この「業務をするのではなく、働く」というスタイル。いわれたことだけをやって良しとするのではなく、生産性を上げ、利益をあげることにこだわる。これが「働く」ということです。
このことだけを頭に入れたら、あとはまず働いてみる。立ち止まっているときほど、人は悩んでしまうものなので。
――
「業務をする」と「働く」の違いについて、さらに詳しく聞かせていただけますか。
天野:
業務をこなしているだけの人と、働いている人。その違いは、自分の意思と行動が一体になっているかどうかによって生まれると思います。どんなに立派な意思をもっていても行動が伴わないなら、それは「働いている」とはいわないのです。
ちなみに僕自身、この食堂をオープンして約1年3ヶ月経ちますが、店からは一切給料を受け取っていません。なぜだと思いますか?
これから何十年と利益を出しつづけられるだけのしっかりとした仕組みを作り上げるにあたり、少なくとも今は自分がここから給料をもらうわけにはいかないと思ったからです。どんな仕組みを目指しているのかは、企業秘密なのでいえないのですが。
そういう形で、周囲のスタッフに自分の意思をあらわしていくことも、重要な行動のひとつだと考えています。
――
ちなみに、天野さんが初めて自分で商売をおこしたのは、いつごろでしょうか。
天野:
小学校4年生のときにはすでに、自分でメロンを育て、同じ養護施設に住む仲間たちに一切れ50円で売っていました。何かを売ってお金を得るという経験をしたのは、このときが最初でした。
――
それは、一般的なお子さんと比べると、かなり早熟ですね。天野さんが、お金との付き合い方で気をつけているのは、どんなことですか。
天野:
言葉にすると当たり前のように聞こえるかもしれませんが、「お金を手にすること」そのものを目的にしてはいけないと思っています。もっといえば、何かをやろうとするとき、それによって得られるお金をどう使うかまでをセットで考えるようにしています。
たとえば、僕はこれまで四冊の本を書きましたが、そこで得た印税のすべてを全国の養護施設に寄付してきました。なぜなら、僕にとっての養護施設は「家庭」だから。つまり、自分の家に稼ぎの何割かを入れるような感覚で寄付しているんです。
――
最後に、ここまでインタビューを読んで来て、「自分のゼロポイントを見つけたいけれど、見つけられそうにない…」と感じているような若者にアドバイスをお願いします。
天野:
そのような人には、「まず遊びなさい」といいたいですね。遊びは人を育てるし、遊ぶことでやりたいことのイマジネーションは増えていく。僕自身、これまでを振り返っても、「やりたいこと」は遊びのなかから生まれてきたという実感があります。
なので「夜遅くに家に帰ったら奥さんに怒られる」とか「タクシーで帰ったら、お金がなくなる」とか後先のことを考えずに、まずは思いっきり遊んでみたらいいんじゃないでしょうか。「今日のエネルギー」は全部使い果たすつもりで遊ぶうちに、何かが見えてくると思います。