インタビュー
仕事で伸び悩む人ほど「しなくていい努力」をしている
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『しなくていい努力 日々の仕事の6割はムダだった!』はこれから仕事を覚えていく若手世代にも、指導する上司にも役立つ内容でした。まず堀田さんが考える「しなくていい努力」についてお聞きしたいです。
堀田:「しなくていい努力」と混同されがちな言葉に「報われない努力」というのがあるのですが、両者はまったく違うものです。
サッカーの本田圭佑選手は90分間のサッカーの試合の中で、ボールに触っているのは2分くらいだという話があります。じゃあ残りの88分は何をしているのかというと、他の選手が動きやすくするために囮になったり、相手の選手を引きつけてスペースを作ったり、テレビの画面に入らないところでしっかり働いているんです。
そういう地味な努力を88分続けて勝つこともあれば、負けてしまうこともある。負けてしまったら、その努力は報われなかったということですが、無駄だったかというと決してそんなことはないですよね。
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そうですね。チームが勝つために必要なことだと思います。
堀田:必要な努力を精いっぱいやったんだけど、いい結果が出ないことはビジネスでもあるじゃないですか。これが「報われない努力」で、仕事の現場では必要なことです。
これに対して、「しなくていい努力」は、いってみればサッカーの試合中に野球のバットを振ったりするような、そもそもやっても無駄な努力のことを指しています。「そんなことをするわけがない」と思うかもしれませんが、これに近いことを仕事でしている人って、実は結構いるんですよ。「仕事」という競技に合わない努力をしてしまっているといいますか。
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的外れなことをしていることに、なぜ気づかないのでしょうか?
堀田:一つは会社側の問題です。日本の会社の新人研修って、最初に人事部長が出てきて、「今日から君たちは社会人だから、もう学生とはちがう。勉強ではなくて仕事をしてもらう」と言って新人を脅すんですよ。でも、脅すだけ脅して、「どこが違うのか」という説明はないんです。
現場の先輩に「仕事は何か」と聞いてみても、先輩の説明も「責任があるんだ」とか「厳しいものなんだ」とか、釈然としないものばかりで、結局わからない。となると新人は学生時代にうまくいったやり方で仕事をするしかないですよね。
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社会人になっても学生時代の戦い方を続けているのが「しなくていい努力」が生まれる原因になっている。
堀田:そうです。特に大きな会社に入ってくる人は、学生時代は勉強で勝ち組だった人ばかりでしょう。それが成功体験として染みついてしまっていることがあるんです。
でも、勉強から仕事への転換って、それこそ陸上の個人種目からサッカーに変わるようなものですよ。同じやり方でうまくいくわけがないんです。それで上司や先輩に叱られてしまう。
そこで素直に「すみません」と言えればいいんですけど、それまで勝ってきたものだから、そういう指導を受け入れられずに「理不尽」と感じてしまいます。そう感じているうちは自分に問題があるとは考えませんよね。これは僕自身の経験でもあるのですが。
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勉強は陸上競技の個人種目で、仕事はサッカーというたとえはよくわかります。
堀田:高度成長期は勉強と仕事の性質はある程度一致していたんです。多くの人は学校を出たら製造業の会社に入って、工場で働いていましたから、上司に言われたことを黙々とこなしていればよかった。これって学校の勉強とよく似ていますよね。
でも、今は自分で課題を見つけたり、自分でアイデアを出していかなければいけないわけで、言われたことだけやっていても仕事になりません。仕事というものの性質が、学校の勉強の性質とどんどん離れていっている。それにつれて「しなくていい努力」は増えていきますし、「しなくていい努力」に気づかない人も増えていくと思います。
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「しなくていい努力」の詳細についてもお聞きしたいです。本の中では「コミュニケーション」や「デイリーワーク」「キャリア」など、さまざまなテーマで「しなくていい努力」について解説されていますが、資格取得や留学を「しなくていい努力」としているのは意外でした。
堀田:資格取得のための勉強や留学がかならずしも悪いわけではないのですが、今の風潮として「スタート」と「ゴール」、そして「手段」と「目的」が逆になってしまっている人が多くて、資格取得や留学が「ゴール」であり「目的」になってしまっているところがあります。
本来、資格は、まさにそのビジネスをスタートするための資格を得た、ということにすぎません。たとえば、医師の国家資格を得た人が、医師としてのキャリアをスタートさせます。留学もその後のビジネスに役立てるためのスタート地点であり、その後、その「手段」を使って、現実のビジネスでどのような価値をアウトプットしたかが大事です。。そこを忘れて、資格取得や留学といったインプットばかりに偏ってしまうと、学校の勉強と同じになってしまう。資格も留学も、その先にあるものを考えていないと、「しなくていい努力」になってしまうということは言いたいですね。
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「アウトプット」が大事なのであって、「インプット」ばかり偏るのは「しなくていい努力」であるというのは、私も自戒しないといけないと思いました。
堀田:若手社員に「今日どんな仕事をしたのか」と聞くと「〇〇を調べました」とか「これを準備しました」っていう人が多いんです。企業研修の講師をしていても、こういう人はよくいますね。
インプットは楽しいものですし、インプット自体がダメだというつもりはないのですが、アウトプットのためのインプットだというのは忘れないでいただきたいです。
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「100点満点を目指す」のも「しなくていい努力」だというのも、驚きました。これはなぜなのでしょうか。
堀田:「100点満点」っていう発想って、点数に上限があって、相手がいることを想定していない勉強のような個人競技の発想なんですよね。仕事というのは自分が100点でも、相手がその上を行って105点取ってしまえば、お客様には選ばれません。逆に競合企業の商品が50点なら、こちらは60点くらい取れば勝ててしまう。そこで「100点の新製品じゃないと発売できない」というのは妙な話で、お客さんのためになるならいますぐ60点の商品でも出せばいいのかもしれないのです。自分にとってどうかというより、顧客にとってどうかというのがビジネスであり、提供する価値には先生が設定した上限などありません。。「100点満点」という考え方にはその部分が抜けていると感じているので、本の中でも取り上げました。
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「まず自分の勝ちを考えるから、負ける」というのは、多くの人が当てはまりますね。他者を勝たせるという視点を持たずに自分が勝とうとするのは「しなくていい努力」と言えると思います。
堀田:いい組織というのは、部下が「この課長を部長にしてあげよう」と本気で思って働いているものです。「この上司に課長にしてもらおう」とは考えていません。
もう一つ言うなら、いい上司というのは「自分の部下から社長を出した人」です。どちらも「自分が勝とう」ではなくて「相手を勝たせてあげよう」という視点が必要ですよね。その場では損をしているように見えますが、どういう姿勢で働いているかというのは、周りは見ていますから、いずれ自分も評価される時がくる。「自分が」だけの考え方はもったいないと思いますね。
勉強で「勝ってきた」人ほど危ない
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「しなくていい努力」は、仕事という競技の性質を理解せず、個人競技だった学生時代の勉強と同じ方法で仕事をしていることで生まれるというお話がありましたが、かつては堀田さんも「しなくていい努力」をしていたそうですね。どこでそのことに気づいたのでしょうか。
堀田:気づいたのは30歳過ぎた頃ですね。入った会社がいい会社だったので、今思うと20代の頃から周りにいた方々が注意してくれていたんですよ。
「おまえ、仕事は作業とは違うぞ」とか「お客さんと議論して勝ってもいいことないぞ」とか「おまえ、自分が頭いいと思ってんだろ」とか、よく言われていたんですけど、当時の僕は変にプライドが高かったので聞く耳を持たなかったんです。
そんなふうでしたから、仕事がうまくいかなくて、30歳くらいでメンタルの不調で休職するまでになってしまったのですが、そのケアの過程で認知行動心理学に触れたのが一つの転換点だったと思います。
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認知行動心理学によってどう変わったのでしょうか?
休職明けで会社に戻った時に、それまでの自分の物事の認知を疑ってみようと思ったんです。あいかわらず社内で孤立していて、昼ごはんも食堂で一人で食べていたのですが、ある時に横で先輩と後輩が食事をしていたんですね。
その先輩は後輩の商談にフィードバックをしていて「おまえは頭が良くて口がうまいから、お客さんに反論されると議論になって言い負かしてしまう。議論に勝つと商売に負けるんだよ。学校の勉強じゃないんだから」というようなことを言っていました。
それを聞いてふと、もしかしたら僕も20代の時こうだったのかなと思ったんですよね。仕事で勝てないから休職したと思っていたけど、実はそうじゃなくて、そもそも「仕事はまず自分が勝つものだ」という認知がおかしかったのかもしれないな、と。それがきっかけでしたね。
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「しなくていい努力」に気づくためには、「仕事とはどういう競技なのか」を知る必要があるというお話がありましたが、これは「そもそも仕事とは何か」という問いに行きつきます。もし自分の部下に「しなくていい努力」をしている人がいたら、上司としてはどう気づかせればいいのでしょうか。
堀田:この本にはところどころに、まだ仕事がわかっていない新人が先輩にトンチンカンな質問をして、正されるという内容の4コマ漫画が入っているのですが、この漫画みたいに年長者が後輩に「そもそも仕事とは」ということを話す機会が、現実の仕事の現場ではもうほとんどないんですよね。
こういう会話ってひと昔前は、仕事が終わってから飲みながらしていたんです。それは説教だったり、自慢話だったりもしたのですが、その中から部下は「そもそも仕事とはどういうものなのか」を受け取っていたところがありました。
でも、今は飲み会自体減っていますし、上司や先輩の方もパワハラと言われるのを恐れるので、なかなかこういうことを話せません。だからこそ、今回の本が先輩と後輩、あるいは上司と部下の間で「そもそも仕事とは」ということを話すきっかけになってくれればいいなと思っています。こういうことは一対一で直接話すと「説教」と受け止められてしまいますが、本を読んだ感想を交換したりといったことなら大丈夫だと思うので。
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今の風潮として、大事なことなら飲み会での自慢話や説教の中に散りばめないで、業務時間内に端的に話してくれよ、となるんですよね。
堀田:そうなんです。でも、突き詰めていくと日本の仕事って華道や茶道と同じように「道」になっているところがあるので「見て学べ!」「察しろ!」といったように、そもそものところを言語化する習慣が上司にもないし、そしてとても難しい。すごく大事なことなのに、上司や先輩も端的には話せないんですよ。
それに、もしかしたら、恐ろしいことですが、今の上司も「仕事とは何か」がわかっていない世代になっているのかもしれません。
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「しなくていい努力」をしてしまいやすい人の特徴について教えていただきたいです。
堀田:多くの人がしがちなのですが、特に勉強ができた方、大学まで勉強で勝ってきた方は特に多いかもしれません。こういう人ほど、勉強から仕事へと競技が変わっても、勉強で得た成功体験が手放しにくく、新しい競技への順応が遅れてしまいやすいとはいえると思います。
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最後に、読者の方々にメッセージをお願いいたします。
堀田:今の若い方は、「上司に言われたことをやっていれば、会社が定年まで連れて行ってくれる」という時代ではもうないのだ、ということは、私たちの若いころと違って、逆にしっかりと認識しています。私もそのとおりだと思いますので、であれば、「どこに放り出されても逞しく食べていける自分」を、早く創り上げた方がいいですよね、ということです。
そうなるためには仕事の実力をつけなければいけないわけですが、「しなくていい努力」をしているうちはなかなか実力は伸びていきません。ぜひこの本を読んで「しなくていい努力」に気づいていただきたいですし、「しなくていい努力」に気づくということは、仕事という競技の本質を理解するということでもあります。
いつか誰かに教える立場になった時に「仕事を語れる人」になっていただきたいなと思います。この本がそのきっかけになったらうれしいですね。
(新刊JP編集部)