インタビュー
誰もが新年迎えたときに「今年こそは飛躍の年に」と語る。しかし、個人にとっての「飛躍」とはそもそも何なのだろうか。
飛躍を遂げる人とそうでない人の差は、自分が成長するための学び方を学び、「気づける力」を意識しているか、していないかにある――そう語るのは、新しい組織開発のコンサルティングを通して12000人以上の企業リーダーを支援してきたチェンジ・アーティスト代表であり、『成長が「速い人」「遅い人」』(日本経済新聞出版社刊)の著者、荻阪哲雄氏だ。
飛躍を遂げるために、ただ「学ぶ」のではなく、「学び方を学ぶ」とは、どんな意味なのか。また、成長のために、なぜ「気づける力」が必要なのか。お話をうかがった。
インタビュー前半となる今回は、「気づける力」の根幹をなすテーマについてお聞きする。
(取材・文:大村佑介)
■「成長が遅い」と認識することが「成長が速い人」になるための突破口になる
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本書は「飛躍の7力(ななりき)」と名付けられた「気づける力のノウハウ」が、わかりやすく体系化されています。「気づける力」を伸ばすために必要なものとは一体何でしょうか?
荻阪哲雄氏(以下、荻阪):組織開発のコンサルティングという仕事柄、多くの人とお会いするのですが、そこで気づいたのが、飛躍する人たちはひとつのポイントを抑えているということです。それは、自らの「職業」と「仕事」とを結びつけています。
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荻阪さんがおっしゃる「職業」と「仕事」の違いとは何なのでしょうか。
荻阪:自分の仕事は話せても、「自分の職業は?」と聞くと口ごもる方が非常に多いのです。「会社員」というのは職業かといえば、違います。「保険会社の部長」は肩書きです。また、「保険会社の人事」は役割、職能です。
だから実は、人は「職業とは何か?」ということを、考えているようで考えていないことが多いのです。100年人生は、「職業」というものを自分で考え、磨きをかけ、誇りを持っているかが問われます。
「職業」を持っているから、皆さんそれぞれ今の「仕事」ができます。そもそも「社会」と自分の接点とは何なのか。「職業」があるからこそ、「仕事」ができて、「社会」の課題解決をして、社会貢献ができるのです。その繋がりを考えると、働く「職場の景色」が変わってきます。
たとえば、作家やライターは、文章を書いて読者を喜ばせる「職業」です。つまり、職業とは、働く存在名なのです。その職業で自分はどのように社会貢献ができるか、社会と関わっていけるか。そこに働きがいや成長の種があるのです。
ゆえに、「職業」という観点から、自分の「仕事」を見つめていくことが必要であり、そこから飛躍の入口は、生まれると考えています。
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現在、荻阪さんは多摩大学で教鞭をとっていますが、「職業」について考える機会がないのは、教育的な背景もあるのでしょうか?
荻阪:そうですね。教える側も教わる側も「基本の知識」と「職業の知恵」の違いについてあまり考えていないと思います。
経験や体験、人の行動を通して、初めて「知恵」というものはつかめます。多摩大学では、教室だけでなく、バイトで働くことや、海外交流の実践を通して、知恵をつかんだという体験を、社会に出る前に、学生自身に身につけさせます。また、その教育の実践をするからこそ、ノウハウとして体系づけられて、ある一つの職業テーマで教育を通して教えることができます。
今回の新刊書籍は、その教育の研究成果として、世に問う本になりました。
自ら知恵をつかみ取る修練を積んできた人生であるかどうか。積んできたけれど体系づけられなければ、自分の言葉で、人に伝えることはできません。そこに現代教育の罠があると思います。
だからこそ「学ぶことを学ぶ」という実践を繰り返し、「気づける力」を身につけていくことが重要なのです。
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学生の方々と接していて「学ぶことを学ぶ」「気づける力」がないと感じることはありますか?
荻阪:そもそも「気づける力」は、誰にも具わっています。「気づく力がある」「ない」の二項対立で考えてしまうと、学び方を学ぶ「気づける力」は育ちません。
私が考える「人間成長」の定義とは、自分が「新たな働きかけをする人へ変わること」です。
例えば、赤ちゃんは生まれたときから、「おぎゃー」と泣いて、自分自身から働きかけをして学び続けます。
それが人間本来の成長の営みであり、誰もが持っている力なのです。それを考えれば、誰にでも気づける力はあり、具わっているのです。
ところが、特に学生は、学び方を学ぶ気づける力が、「自分にある」ということを教わらずに社会に出てしまう。そして、職場で上司が教えられるかというと、それを教えられない時代になっています。
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荻阪さんが考える「飛躍」とはどのようなものなのでしょうか?
荻阪:飛躍というと、大きな夢や目標に向かって飛び越えていくイメージがありますが、私の考える「飛躍」はもっと地に足の着いたシンプルなものです。
今の自分を自分自身の手で超えていくこと。誰かを超えるとかではなく、今の自分自身を超える。それが私の考える「飛躍の定義」です。
その飛躍を遂げるためには、「自分自身を知る能力」と「今の自分自身を超える能力」が必要になります。では、何を考えて、どうすればこの二つの能力がつかめるのか。
私は新しい組織開発のコンサルティングの実践を通して、自分自身が成長を遂げて変わっていくための、重要な働きかけのツボがあることを解明しました。
それは学びを「気づかせる側」と「気づく側」に分けないということなんです。
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それはどういうことですか?
荻阪:つまり、例えば上司だから「気づかせる側」、部下だから「気づく側」と分けるのではなく、上司と部下が共々に「気づき合う」ことで、力へ変わるのです。
そして、そのうえでまず必要なことは、自分自身で「気づける力」をディベロップメント(開発)するということです。これをしない限り、飛躍はありません。
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では、「気づける力」を開発するために必要なこととはなんでしょうか?
荻阪:最初のツボは、自分自身が、成長が「速い人」なのか「遅い人」なのか。その違いに気づくことです。
例えば、「自分は成長が遅い」と認識することで、すべてが始まります。逆に成長のことを考えない人はそれすら持たないのです。
つまり、「成長が遅い」ということを自分で気づけることが、成長が速い人へ代わる突破口になるのです。
――「成長が遅い」ということに対する悩みは、年齢や職位によって違いや特徴はあるものでしょうか?
荻阪:20代の悩みには、仕事でうまくいっていないという「後退のあせり」があります。一生懸命に成果を出しているのだけれど、もっとできている人たちが周囲にいるから、自分が進んでいるように思えない。たとえできていても、それに対して確信が持てないことに特徴があります。
30代になると仕事に慣れて、ジョブローテーションして経験も積んできます。そこから、より周囲が気になってくる。
20代は、進んでいないとあせりながらも、がむしゃらにやっています。30代になると、他人と比較してどっちが先に上に行くかという、よりシビアな目線で周囲が気になってくるわけです。そこにあるのは「嫉妬のあせり」です。
40代になると、会社人生の終着点を見据えて行く末に悩みます。ある産業で強い力を発揮できるプロフェッショナルとして働いている人たちは、ひとつの会社に残り、複業を広げるというケースもあります。これからは、一つの会社、ひとつの仕事で、残り続けるという時代ではなくなってきています。そこで生まれてくる成長の悩みは、自分が脱皮していけないという「変化のあせり」ですよね。
この「あせり」が、仕事でうまくいかない結果が出る悩み、新たな行動が起こせないという悩みの連鎖で、悪循環を引き起こします。
この状況を変えていくには、自分自身で「気づける力」を開発し、成長に向けて動き出すことです。「飛躍の7力」は、日本発の成長メソッドへ体系化したものです。
■師弟が互いに学びあうことで成長は加速する
――本書では、成長が「速い人」と「遅い人」を比較した56の特徴が紹介されています。その中のひとつに「成長が速い人は、師匠を定め、私淑して、智恵を掴む」とあります。師匠を定め、学び方を学んでいく際、曲解した学びや自分にとって都合の良い学びにしないためのポイントはありますか?
荻阪:これには3つの「学び方のツボ」があります。
まず、第1のツボは「曲解した学び方、都合の良い学び方」を変えるために、師匠を選ぶということです。自分の曲解する学び方を「変えるための学び」が必要になるわけです。
第2のツボは、職業の道を学ぶ「知的プロフェッショナルの師匠」がいることを知るということです。
日本には柔道や茶道のように、古来より「道(way)」という考え方があります。それは実践の学び方です。「道の世界」では、言葉だけではなく、人間の存在そのものからも学びます。それは、「後姿」であったり、「眼差し」であったり、「呼吸」であったりします。
プロフェッショナルが世の中にいて、その存在すべてから学び抜き、気づける力を学んでいくということが重要なのです。
3つ目のツボは「我流では知恵はつかめない」ということを押えるのです。
特に若い頃は、我流では曲解・ご都合主義の学び方になりやすい傾向にあります。でも、我流でできるのは一握りの天才だけ。凡人は学びのプライドを捨てないと知恵はつかめません。
そもそも「教えてもらう」と「学び方を学ぶ」は違います。「学び抜こう」ということは受け身ではなく、自立した行動です。自分が目的を持って相手から学ぶときに、学び方を学び抜くことができます。v
もしそれが重要な学びにならなかったとしても、それもひとつの学びになります。「それは重要ではない」と一つ学ぶことができる。「うまくいかなかった学び方」を自分で気づけたということです。
また、師匠を選ぶためには、「自分が弟子になる」という覚悟を持たないとできません。
私は、大学で教えていますが、これからの「師匠」と「弟子」の関係は、古い閉鎖的な関係ではありません。師匠も弟子のことを「師」として学び、一緒に高めあっていこうとする姿勢が必要であり、それが、智恵を掴む「新しい師弟関係の姿」です。
■学びを深める「実践知」と「謙虚さ」
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また、本書の中に「成長が速い人は、目的の達成へ、自分で動く経験を積んでいく」という話があり、そこで AIでは代替できない「実践知」の大切さを説いています。AI時代を目の前にしている今、荻阪さんがもっとも懸念することはなんでしょうか?
荻阪:分からないことがあったら、調べることは当たり前です。でも、調べただけで止まってしまい、現場に行って確かめる、やってみるという行動が少なくなってしまうことを懸念しています。
旅行に行かないで景色の写真を見るのと、実際に行って見るのとでは体験が全然違います。ちょっと知ったら、「はい次」となって深められない。だから、知識があっても智恵になっていかないし、仕事で活かせない。
それは、生身の人間への興味が深まっていかないことにもつながっていきます。
たとえば、私が学生に「○○さんという面白い人がいるから会いに行ってみたら」と語れるのは、相手を知っているからです。生身の付き合いがあるから伝えられる。学生は生身の私を知っているから、「じゃあ行ってみよう」とアクションが起こせる。その相手も生身の私を知っているから、学生の子を本気で相手してくれる。
そこで起きる対話は、インターネットでちょっと関わった人同士が話すのとは全然違います。そういった体験、実践知がなくなり、「学び方を学ぶ」機会がなくなることを懸念します。
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本書後半でたびたび出てくる、「謙虚さ」という言葉が印象的です。これも「学び方を学ぶ」うえで必要な姿勢だと思いますが、「謙虚さ」を持つためにどうすればいいでしょうか?
荻阪:私も含めて人間は、物事が上手くいっていれば驕り高ぶりますから、増上慢な自分をいかに見つめるか。そのことに気づくためには、「謙虚ということを考える」ことが必要になるわけです。
そのためには、まず「自分自身が相手から学んでいるかどうかを振り返る」こと。
誰かと会って、話して、学び、それを別の人にそこで得た学びとして教えられなかったら、それは相手から深く学んでいなかったということになります。
次に、「自分自身の働く姿勢を見つめる」ということです。たとえば、上から目線で話していなかったか、などを常に振り返るわけです。
その上で、次の「自分の成長課題」を、自分の言葉へ変えていくことが謙虚な学び方に繋がります。今の自分を乗り越えていくために、常に次の成長課題を意識する。その課題に向かっていけば、謙虚さを失うことはありません。
――最後に「自分は成長が遅い」と危機感を持っている人にメッセージをお願いします。
荻阪:「自分は成長が遅い」と悩むことは、悪いことではないのです。成長が遅いと感じているということは、素晴らしい成長の種を持っているという証なのです。
「成長なんてどうでもいい。そんな綺麗事より儲けることが大事だ」と、「自分の成長」と「職業の結果」を出すことを切り離している人もいます。確かに所得は大事ですが、人間としての成長がない限り、仕事を通して結果を変えることはできません。
所得格差が話題になっていますが、所得は結果です。その手前に「人間の成長格差」があるのです。
成長する個人、成長する職場、成長することを讃え合う組織文化をつくらない限り、日本の所得格差は解決しない。それは私がこの本に込めた社会の課題を解決する、もうひとつのメッセージでもあります。
自分と社会の接点を見つめることが自分の成長の始まりです。そして、私自身も成長の道半ばです。だからこそ、その道を御一緒に歩んで行きたいと伝えたいです。