今回の改訂について
―『岩波国語辞典』は今回で第7版となりますが、改訂のポイント・特長を教えていただけますか?
平木「大きく六つのポイントがあります。まず2600語を増補して65000語になったということ。2600語というのは、この規模の国語辞典ではかなり大規模な増補なんです。
それから解説欄を充実させて、言葉の来歴や類義語との違いもわかるようになっています。また、「あかあかと」は言うけれど「あかあかに」は言わないなど、実際に副詞を使うとき後に続く助詞をここまで詳しく解説している点も過去の国語辞典にはなかったことです。他には現代の作例だけでなく、明治期以降の文学作品を実例として掲載している点や、擬音語・擬態語を大幅に増補したこと、文字を大きくしたことが挙げられます」
―今回の改訂の評判はいかがですか?
平木「まだ発売されていないので、書店さんとか取次さんの意見しか聞けていませんが、見た目に関する評判が多いですね。きらきらしたレインボー箔のカバーが女性からの評判がいいというのは耳にしています。書店に行って国語辞典の棚を見ると10種類以上は目にします。その中からどれを選ぶかというところで、見た目は大事なのではないかと思います」
―今回の改訂で削った語もあるということですが、どのような語が削られたのでしょうか。
平木「今回は大体400語ほど削ったのですが、大体は古語ですね。もともと岩波国語辞典は古語まで視野に入れて編集していたのですが、現代語のみを扱う辞典に特化しようということで古語を減らしています。たとえば助動詞の『けり』ですとか『犬追物』(鎌倉時代に始まったとされる日本の弓術)は今回の改訂で削りました」
―改訂によって増補される語というのはどのように決まるものなのでしょうか。
平木「編者の先生を中心として、編集会議で決めます」
―新しく増補する語は、やはり時代に即した語という基準で選ばれるのでしょうか。
平木「新語だからすぐに入れる、というわけではありません。また、古い言葉だからといって、もう収載しないかというとそうでもないんです。例えば、『居敷当』【単衣の着物の尻のあたりに、補強のために裏から当てる布】、『お蚕ぐるみ』【絹の着物ばかりを着ていること。ぜいたくな暮らしをしていること】などという言葉は、今ではあまり使わなくなってしまいましたが、昔の文献や小説を読んでいれば出てくることもある、という視点も持っています。
また『ごち』とか、『コピペ』という俗語も入れます。今回、最後の最後に入れたのが『パンデミック』や『ジャンキー』。『パンデミック』は新型インフルエンザの話題でよく出てきた言葉ですし、『ジャンキー』も酒井法子さんの問題で耳にしました。
増補する語は、その時々のニュースと連動したところもありますが、一時的な流行語は現代用語辞典などに任せればいいところなので、日本語として定着した語だと判断したときに収載されます」
―改訂はどのようなタイミングで行われるのですか?
平木「そうですね…内輪のお話ですと、編集部の体制がうまく整わないことで改訂が遅れることもあります。それと、これは広辞苑の例なのですが、第4版を出した直後にソ連が崩壊して、国名から制度までガラッと変わってしまいました。そんな事情があって4版と5版の間は短いんですよ。内的・外的な事情によって改訂のタイミングは変わります」
―改訂のプロジェクトというのは、始まりから終わりまでどれくらいの時間がかかるものなのでしょうか?
平木「新版を出すときからもうすでに次の改訂の編集が始まっている、といえます。というのは、今回発売する第7版を編集した段階で、さらに改善したい点が出てきていますし、今回は載せることができなかった言葉や新しい言葉はいくらでもあるので。それらをどこかの段階かでプロジェクトを本格的に立ち上げて総ざらいし、改訂作業に入るということになります。本格的にプロジェクトを立ち上げてからですと、3、4年だと思います」
―電子辞書と比較して、紙の辞書のいいところはどんな点だと思いますか?
平木「隣の語だとか、下の段の語まで目に入り、言葉の視野が広がるという一覧性ではないでしょうか。それに、電子辞書ですと、つづりが少しでも違えば、見つけられないこともありますが、紙の辞書なら“大体そのあたりにあるだろう”ということで探すことができます」
国語辞典の編集、という仕事
―辞書の編集部というのはどういったお仕事をされているのでしょうか。
平木「まずは(収載する語の)項目選定があります。その次が選んだ項目について執筆者の方に書いてもらう。一方、すでに収録している項目を見直して、語義を追加したり解説文を直したりする作業もあります。そして、それらの項目の間の整合性をとって行きます。
整合性というのは簡単にいいますと、ある項目のところに『→○○を見なさい』というのがあったときに、それが本当にあるかどうかとか、対義語の間の整合性、解説文中に出てくる言葉がきちんと項目にあって引けるかどうか、ということです」
―それ、ものすごく大変な作業なのではないですか?
平木「はい(笑)大変です。普通の本は書いてもらった原稿を入手したら、それで一段落つくのかもしれませんけど、辞典の場合はその時点ではまだ“前半終了、後半始まり”という感じです」
―辞典の編集をされていると、日々の生活のなかからも“これは載せたほうがいい”というような言葉が見つかるものですか?
平木「はい、日々メモを取ってリストアップしていますよ」
―国語辞典の編集というお仕事の醍醐味はどんな点でしょうか。
平木「大仰なお話をしますと、その世界の全体像が見える、ということだと思います。
つまり、日本語ってこんな言葉でできあがっているんだ、ということを自分の感覚でつかめるということで、そういった仕事はほかにはないのではないかと思います。
専門分野の辞典についても、こういう言葉の集積でこの分野は成り立っているんだ、という全体像を見渡せるというのは一つの快感ですね」
―このお仕事で大事なことは何ですか?
平木「それぞれの項目でいい原稿を作っていくことも大切なのですが、その書いていただいた原稿でどこまでいい辞典にできるかということは、各項目同士の関連付け、項目を縦糸とすると、その横糸を編むことが命だと思っています。」
―それ、ものすごく大変な作業なのではないですか?
平木「はい(笑)大変です。普通の本は書いてもらった原稿を入手したら、それで一段落つくのかもしれませんけど、辞典の場合はその時点ではまだ“前半終了、後半始まり”という感じです」
―岩波書店の国語辞典を愛用されている、という著名人の方をご存じでしたら教えていただけませんか。
平木「あまり知らないのですが佐藤優さん(外交官)が背任容疑で拘置所に入ることになった時に、広辞苑を持っていくか岩波国語辞典を持っていくかということですごく悩んだ、というお話が『獄中記』という本にあります。また、作家の井上ひさしさんも岩波国語辞典を愛用してくださっているようです。皆さんがどの国語辞典を使っているのか、一度会社の宣伝を抜きにアンケートをしてみたいですね」
最近の日本語について
―『言語は生き物』と言われるように、日々変化させていくものですが、最近の日本語に関して、何か思うところはありますか?
平木「言葉は常に変わり続けているものですので、今の日本語が特に乱れているとは思いません。ただ、変化の速度や、その変化が広がる速度は上がったのかな、とは思います。昔は、京都や上方で生まれた言葉が東北や九州に伝わるまでには何十年もかかったと思うんです。しかし、今は丸一日あれば広がってしまいます。
あとは、口語が文字化される場面が増えたのではないでしょうか。例えば『やばくね?』などという俗な言い方が、ここまで広くそのままひらがなで書かれる時代は今まではなかったのではないかと思います。口語がどんどん文字化されることで、論文や新聞はそうは変わらないにしても、小説の文体には影響があるように思います」
―ちなみに平木さんご自身はどんな小説を読まれるのですか?
平木「この間、作家の三浦しをんさんに取材を受けて、それ以来三浦さんの小説を読んでいますね(笑)」
―間違った解釈が広がってしまっている言葉に心当たりがありましたら教えてください。
平木「『流れに棹さす』とか『気の置けない』などは有名ですね。『流れに棹さす』は、川の上を進んでいる船に竿をさすことで更に速くするという意味ですが、邪魔をするという意味で誤用されていることが多いです。『気の置けない』は気軽に話せる、というのが本来の意味ですが、気を許せない、という意味で使われがちです」
―家族や友人がまちがった言葉づかいをしていたら、注意しますか?
平木「そもそも“間違い”とは何かという問題がありますし、会話のたびにいちいち指摘していてはコミュニケーションになりませんので、あまりしませんね。ウンチクとして面白く知らせるようなことはありますが。たとえば『確信犯』という言葉は、宗教的・政治的に正しいのだから、法的には正しくなくてもやる、というのが本来の意味。今は、悪いことだと知っているけどやる、という使い方をされています。本来の意味とは異なっていますが、私も後者の使い方をします。『元の意味とは違う』ということを知るのは大切ですが、意識的にせよ無意識にせよ互いに了解しあっているなら、その場の会話としては、とりあえずはそれでいいのではないかと思います。もちろん文章の場合は別ですけどね」
―最後に『岩波国語辞典』の優れた点を教えていただけますか?
平木「あまり語義番号を細かく振らずに、その言葉の根本的・中心的な意味を、できるだけ全体を包括するように一言で述べている点だと思います。誰にとってもその言葉の意味はこれだろう、といえるような記述となることを追求しています」
(新刊JP編集部/山田洋介)
