《P61-P62》
「僕は、政治家なんて絶対にやりたくないと思っていました。人前でマイクを持ったり、街なかで騒いだり、ああいう恥ずかしいことは絶対にやりたくない、と」
小川さんは淡々と語る人だった。愛想笑いはなく、理路整然としているのに、人を突き放すような冷たさは一切感じさせない独特の雰囲気があった。彼のシンプルな言葉のなかには、相手を説き伏せる情熱よりも、人をいつの間にか納得させてしまう真っ直ぐな一本の筋がある、そんな気がした。
小川さんは一九七一年に香川県で生まれ、パーマ屋さんの家庭に育った。商売人の両親が若き日の小川さんに期待したことは「立派な官僚」になることだった。
日本の政治家は愚かでバカだ。でも官僚は立派だ。だからお前は、ああいう愚かな政治家に一切影響されない立派な官僚になれ、と言われて育ち自治省に入った。けれど、官僚としての勤務が十年近く経ったころ、父親の話していたことに対して疑いを持つようになった、と小川さんは言った。
「政治家が愚かなのは確かです。だけど官僚が立派かというと、官僚は官僚で、天下りだの無駄遣いだの、好き放題やっているじゃないかと。そうなると一体だれがこの日本で、本当に国や国民生活の将来を考えているのか。かじ取りをしている人がどこにいるのかと、すごく疑問に思うようになった。政治家は愚かでバカだと思っていたけれど、そう思っていること自体間違っているんじゃないかと思うようになったんですね」
選挙に行く人、行かない人も含めて、愚かな政治家を選び続けてきたのは私たち国民だった。自分たちで選んだ政治家を嘲わらっている私たちは、政治家と等しくバカだった。そしてその被害は、結局はすべて自分たちのところへとはね返ってくる。そこで小川さんは、政治家をバカにする側から政治をなんとかする側へ回ることを決意した。
「僕は、人間って真面目で、どんな人も一生懸命生きていると思っているんですよ。だから、愚かな政治家と好き勝手やる官僚組織の下でもやってこられた時代があったんだと思うようになった。人口が増え、経済成長がずっと右肩上がりの時代は、そんなに経営判断しなくても、みんなが恩恵に浴することができた。一億総中流。そこで大事なのは、昨日までやったことを今日もやって、今日やったことをまた明日もやること。継続であり、慣性であり、惰性であり。そういう時代なら、好き勝手やる官僚と経営能力を持たない政治家でもなんとかやってこられた」
けれどそんな時代は二十年前に終わってしまった。経済成長は終わり、今や人口はついに減りはじめ、政治は迷走を続けた。時代の変化と正面から向き合うことができないまま、ただ時間ばかりが流れた。