だれかに話したくなる本の話

新刊ラジオ第1434回 「救命救急フライトドクター 攻めの医療で命を救え!」

「患者を病院へ運ぶ」から「医師が現場へ向かう」へ。救命救急は時間との戦いです。一秒でも早く医師が患者をみる。それが命を左右します。攻めの医療の切り札である“ドクターヘリ”を飛ばすこと、命を救うことに全てを懸けた、日本での“ドクターヘリ”の草分け的存在、日本医科大学千葉北総病院救命救急センターの闘いを描きます。

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フライトドクター

“フライトドクター”って知っていますか? 「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」というテレビドラマを見て知った人も多いのではないでしょうか?

日本ではまだ数少ない“フライトドクター”。“フライトドクター”を乗せて飛ぶのが、“ドクターヘリ”。その“ドクターヘリ”の日本での草分け的存在、日本医科大学千葉北総(ほくそう)病院救命救急センターの闘いを描いた一冊を、今日は紹介します。

● 著者プロフィール 著者の岩貞るみこ(いわさだ・るみこ)さんは、 ノンフィクション作家、モータージャーナリスト。 ていねいな取材に裏打ちされた、読みやすいノンフィクションに定評があります。

**ここから引用**  「2011年3月11日、午後2時46分。東北地方の三陸沖を震源とする、マグニチュード9.0という、巨大地震が東日本を襲った。 東日本大震災である。 直後に発生した大津波が、海岸線につらなる市街地を、美しい田畑を、次々とのみこんでいく。  負傷者、多数。  その一報を受け、日本医科大学千葉北総(ほくそう)病院、救命救急センターのドクターとナースが、大量の医療物資とともに乗り込んだのは、ドクターヘリ。  救急の象徴である、赤いストライプの入った白い機体が、上空へと舞い上がり、一直線に北をめざす。  その様子を、熱い視線で見守る男がいた。  日本医科大学千葉北総病院、救命救急センター長、益子邦洋(ましこ・くにひろ)である。  益子には、16年前、苦い経験があった」(次のページに続く)

阪神淡路大震災での経験

 「16年前、1995年1月17日午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生した。  一瞬にして、多くの家屋が倒壊し、駅はくずれ、りっぱなビルさえも倒れた。あちこちで火災が起こり、ケガ人の救出を求める119番通報があいつぐ。  4万人を超える、膨大な数の負傷者。  病院に人が押し寄せた。救急車で運ばれてくる人、自力でたどりつく人、人、人。 病院自体も被災している。水が出ない。停電して機械が動かない。壁にヒビが入り、いつくずれるか、わからないようなところだってある。  施設の整った病院に、ケガ人が集中する。しかし、病院全体がフル稼働しても、対応のできる状態ではない。ドクターやナースの数より、患者のほうが圧倒的に多いのだ。  このままでは、助かる人も助けられない。地震の影響を受けていない病院まで、重症患者を運びたい。なにより、現場で倒れたままの患者を、もっと救いださなければ。  けれど、運べる救急車が足りない。しかも、道ががれきにおおわれ、救急車が走ろうにも走れないのだ。  現場は、大混乱していた。  空を、見上げる。  上空には、テレビや新聞のカメラマンを乗せた報道ヘリが、何機も何機も、うるさいほどのエンジン音をひびかせながら飛びまわっている。  あのヘリコプターで、運べたなら」(P4-P6より) **ここまで引用**

阪神淡路大震災での経験(続き)

阪神・淡路大震災当時、日本にはまだ、ドクターヘリはありませんでした。 緊急に負傷者を搬送するために、ヘリコプターを使いこなすシステムがまったくなかったそうです。 最先端といわれる日本の医療が、大規模災害では対応ができない、そのくやしさが益子医師の気持ちを奮い立たせました。

1999年、日本医科大学千葉北総(ほくそう)病院。 救命救急センター長の益子邦洋(ましこ・くにひろ)医師が、ドクターヘリを飛ばすことにしたとスタッフに告げます。 ただでさえ目がまわるほど忙しく、寝る間もないほどの救命救急センターです。 スタッフからは、 “ドクターヘリを飛ばせば、ドクターがひとり、ヘリに乗ってしまう。あっちこっち飛んで重病患者を連れて帰ったら、救急センターがパンクしてしまう” “ぜったい無理だ” という声があがります。 しかし、益子は、「ドクターヘリは日本の救命救急に、必要なんだよ」(P27)と。 そして益子は、真剣なまなざしで、こう言ったそうです。 「いままで、どれだけの患者が、病院に到着する前に亡くなった?  救命救急は、時間との闘いだ。もう患者が病院に来るのを、待っているだけじゃだめだ。ドクターが病院を出て、患者のもとに行かないといけない。これからは攻めの医療をしないと、命は救えないんだよ」(P27-28)

ドクターヘリの現場

益子の目的はただひとつ。“命を救う”。それだけでした。

こうして、千葉県のドクターヘリは動き出したのです。 しかし、ドクターヘリを飛ばして、それを機能させていくのは並大抵のことではありませんでした。

著者は、日本医科大学千葉北総病院に3年間通いつめ、取材を続けてきたドクターヘリ、フライトドクター、フライトナースの熱い現場を描いています。 奮闘する人々、命をつなぎとめる闘い。 ドクターヘリを社会に定着させ、日本全国に広げていこうとする挑戦。 救命救急にたずさわる人たちのチームワークのすばらしさ、自分の限界を決めず、立ち止まらず、続けるドクター、ナース、ドクターヘリにかかわる全ての人たち。 救急隊からのホットラインが鳴ってわずか3分で、フライトドクターを乗せたドクターヘリは空の上にいます。 出動したドクターヘリは、現場まで時速200キロで一直線に飛び、病院の外ですぐに治療を開始し、ふたたび一直線にもどってきます。

ドクターヘリが活動できるまでには様々な挫折、困難がありました。 そして実際に起きた事故現場、災害現場でのドクターヘリの医療活動の様子も本書の中では伝えています。

ドクターヘリによって救われた命。ドクターヘリがあったからこそ助けられた命。 この本を読んで感じたことは、もっともっとこのドクターヘリが社会で知られ、たくさんのドクターヘリが飛べる体制を日本全国に作って欲しい、そう思いました。

3年間の長い期間、昼夜を問わず取材した渾身の一冊です。

救命救急フライトドクター 攻めの医療で命を救え!

[お知らせ]新刊ラジオ@第2部の無料版をスターートしました。

救命救急フライトドクター 攻めの医療で命を救え!

救命救急フライトドクター 攻めの医療で命を救え!

「患者を病院へ運ぶ」から「医師が現場へ向かう」へ。救命救急は時間との戦いです。一秒でも早く医師が患者をみる。それが命を左右します。攻めの医療の切り札である“ドクターヘリ”を飛ばすこと、命を救うことに全てを懸けた、日本での“ドクターヘリ”の草分け的存在、日本医科大学千葉北総病院救命救急センターの闘いを描きます。