本書の解説
賃金が上がりにくいと言われているなかで、自分の給料に不満を持つ人が増えていることは想像に難くない。
特に中小企業は一般的に大企業よりも賃金が低く抑えられがちである。
『小さな会社の〈人を育てる〉賃金制度のつくり方 「やる気のある社員」が辞めない給与・賞与の決め方・変え方』(山元浩二著、日本実業出版社刊)によると、従業員100人未満の中小企業の平均年収は379万円。
これは東証一部上場企業の従業員の平均年収665万円はおろか、従業員1000人以上の企業の平均年収である500万円と比べてもかなり低い。
中小企業でありがちな「賃金の不満」のまちがった解決法
中小企業の経営者からすると、これは深刻な問題だ。
ただでさえ人手不足に悩まされる中で、賃金に不満を持った従業員に転職されれば、残された従業員にかかる負荷は上がり、いずれは業績に跳ね返ってくる。
こうした事情から、それまで経営者が独断で決めていた給与制度を改め、従業員に納得感のある賃金制度を導入しようと考える経営者は多い。しかし、ちょっと待ってほしい。「いきなり賃金制度導入」はかえって従業員のモチベーションを下げ、生産性を落としてしまうという失敗の元なのだ。
「賃金に対する不満は賃金制度で解決できる」はまちがいである
本書の著者、山元浩二氏によると、給与制度や賞与支給基準を含めた賃金制度には3つの誤解がある。その1つが「賃金に対する不満は賃金制度(=給与・賞与を支給するためのルール)を設けることで解決できる」というもの。これは実はまちがいだ。
例として賞与のケースを見てみよう。
従業員が賃金について不満を持っていることを察知した経営者は、業績や個人の成績に応じて賞与を支給する制度を作るという対処をしがちだが、制度を作ってもルールに添って賞与の額を決めるのに必要なはずの「評価基準」がないというパターンは多い。
これでは賞与額が経営者の「総合的判断」に委ねられることになるため、従業員同士で「あいつより会社に貢献したのに、どうしてあいつの方が賞与がいいのか」ということになりやすいのだ。これではかえって従業員は不満を溜め込むことになってしまう。
従業員の賃金への不満を解消するのに必要なのは、ただ賃金を上げることではない。誰もが納得する評価制度がないと、賃金を上げても従業員の不満は解消しないのだ。
「社長の判断で賃金が決まる」が必ずしも悪いことではない理由
一方で、経営者が社員一人一人を総合的に評価して賞与を決めることは必ずしも悪いことではない。これが賃金制度にまつわる二つ目の誤解である。
会社が給与や賞与を決めるための評価基準を作って運用を始めると、これまで経営者だけが行ってきた人事評価の仕事は現場のリーダーに引き継がれることになる。当然、これまでやってこなかったことをやるのだから、たとえ評価基準がしっかりと作りこまれたものであっても、リーダーたちの評価スキルが追い付かない。こうなると、やはり従業員たちは納得できず不満を溜め込むことになってしまう。
特に中小企業の場合は、評価者となる中間管理職のスキルアップがなされるまでは、「社長の判断で賃金が決まる」状態の方がまだ従業員の不満は少ないのだという。
社員のモチベーションは賃金制度では保てない
賃金制度についての誤解の3つ目は「賃金制度で社員のモチベーションをあげることができる」である。本書によると、これもやはり正しくない。
賃金によるモチベーションアップには持続性がないのに加え、この方法で従業員のモチベーションアップを目指す会社は利益を常に人件費に費やし続けなければならない。原資の限られた中小企業ではそもそも難しいやり方だ。
そもそも、モチベーションアップに効く要素は、賃金以外の方が多いはずだ。たとえば、「会社の発展や将来性への期待」「自己成長の実感」「目標達成の充実感」「まわりからの称賛」「お客様からの感謝のことば」「仕事を通じた貢献意識」などが考えられる。しかも、これらの要素でモチベーションを上げる仕組みをつくることにほとんどお金はかからない。本来、真っ先に着目すべきなのだ。
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ここでは「賃金制度」にまつわる誤解を紹介したが、賃金制度を従業員のやる気を引き出し業績アップにつながるものにするためには評価制度が不可欠で、評価制度を作るには「会社をこうしたい」という経営者のビジョンが必要になる。
本書では、そのビジョンの策定から、評価制度の策定、そして賃金制度の具体的な策定と運用法まで紹介しており、人材不足や生産性の低さに悩む中小企業経営者に強い示唆を与えてくれるはずだ。
(新刊JP編集部)
インタビュー
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『小さな会社の〈人を育てる〉賃金制度のつくり方 ~「やる気のある社員」が辞めない給与・賞与の決め方・変え方~』についてお話を伺えればと思います。今回の本は中小企業の賃金をテーマにしていますが、中小企業の経営者が自社の課題として「賃金の低さ」を自覚しているケースは多いのでしょうか。
山元:多いとは思います。ただ、今回の本の中で「従業員100人未満の中小企業の平均年収(379万円)」「従業員1000人以上の企業の平均年収(500万円)」「東証一部上場企業の平均年収(665万円)」を数字データで出しているのですが、こういった数字を踏まえて問題意識を持っている方はあまりいないでしょうね。
経営者同士で横のつながりがありますから、交流のある経営者同士で話して給料の話が出た時に「あそこはあのくらいだから、うちはちょっと低いのかな」というように認識している程度だと思います。
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経営者同士で給料の話はよく出るのでしょうか。
山元:出ると思いますよ。ただ、実態を正直に話しているかはわかりません。少し盛ったりするかもしれませんね(笑)。
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山元さんは中小企業を対象に組織生産性を高める社内制度づくりをテーマにした著書で知られています。今回の本で賃金制度を取り上げた理由を教えていただければと思います。
山元:これまでに経営計画や人事評価制度についての本を書いてきましたが、いずれもゴールは「人材の成長」でした。ただ、最終的には成長が賃金に反映される必要がありますので、今回はそのための仕組みづくりをテーマにしています。
前回の本を読んでくださった方からも、賃金制度について教えてほしいという声が多かったのも理由ですね。
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従業員みんなが納得する賃金制度を作る難しさを痛感する内容でした。賃金制度導入で起こりうる失敗例を教えていただければと思います。
山元:コンサルタントとして駆け出しの頃はクライアント企業の社長のニーズに応えるだけでしたから、「従業員が賃金に不満を持っているから賃金制度を導入したい」と言われたらその通りに賃金制度だけを作って導入していたのですが、そのほとんどが失敗に終わりました。賃金制度だけをいきなり導入してしまうと、従業員がかえって不満を溜めてしまうんです。
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なぜでしょうか?
山元:昇給の仕組みだけをつくっても、昇給させるかどうかという評価のための仕組みがなかったり、あっても不透明だったからでしょうね。評価をする現場のリーダーの評価スキルが育っていなかったというケースもあったはずです。
こうしたものが揃わないうちにいきなり賃金制度を導入すると失敗しやすいんです。
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そもそも賃金制度がない会社もあるんですか?
山元:あります。制度自体が存在しない会社もありますし、一応就業規則に賃金表があるものの実態とかけ離れているという会社もあります。小さい会社だと査定をする人事・総務部がなかったりすることもありますし。
たいていは社長がそれぞれに対して、今貰っている給料をベースに「今期はがんばったからこれだけ上げよう」とか「賞与は前回この額だったから今回はもう少しあげよう」とか一人で決めているケースですね。
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そういう状態が長く続くと従業員から賃金を決めるルールを作ってほしいという要望が出るのは予想できます。
山元:そうですね。それで社長の方も「それならルールを作ればみんな納得するだろう」といきなり賃金制度を入れてしまうわけです。ルールさえ作れば自動的にみんなの給料が決まるから自分も楽だろうという考えもあるでしょうしね。
ただ、賃金を決めるルールは各従業員の評価が公平であってはじめて意味を持つものです。そこをまずは理解する必要があります
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賃金制度の前にまずは評価制度をというお話はよく理解できます。ただ、評価制度は会社のビジョンとベクトルが揃っている必要があるということも書かれていました。ビジョンについては中小企業経営者の中には考えたことがない方も少なくないのではないかと思うのですが、どのように自社のビジョンを決めていけばいいのでしょうか。
山元:ビジョンとは「会社が5年後、10年後にどうなっているか」というものです。経営者の方は、過去の経験に縛られず、それまでのしがらみや今の顧客の状況、業界の動向はひとまず脇に置いて考えていただきたいです。
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業種や業界に関わらず、今回の本で書かれている手法は使えるのでしょうか。
山元:使えます。大きな会社は評価制度にしても賃金制度にしてもすでにあるでしょうから、中小企業の方々に使っていただきたいですね。
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賃金制度は業績向上に結びつくものなのでしょうか。
山元:そうですね。これまでにお話ししてきた評価制度や経営計画、会社のビジョンや理念が定まっているのが大前提ですが、それらがあるのであれば賃金制度は業績アップに結びつくものです。
逆にいえば、評価制度上の評価が上がっているということは、社員それぞれが成長して会社の業績も上がっているということですから、それが賃金に反映されるということです。
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経営理念の策定からスタートして、ビジョンを定め、それに準じた評価制度と賃金制度を作り、最終的に業績アップに結びつくまでにはどのくらいの時間が必要になりますか?
山元:それは会社の規模やそれまでの取り組みによっても変わってきます。今おっしゃったような仕組みを通じて成果が出たと言えるまでには3年くらいはかかると思います。
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以前お話を伺った時、評価制度は従業員皆が納得できるものにするためにトライアルをしたり、何度も改善を重ねていくことが大事だとお話しされていました。賃金制度にも同じことが言えるのでしょうか。
山元:評価制度については、トライアルやアンケートをして、最終的に皆が納得するものにする必要があるのですが、ここである程度の納得度が得られていれば、賃金制度のところで不満が出ることは少ないと思います。
評価制度ができるということは、どうすれば給料が上がっていくかが明確になるということです。評価制度に基づいた賃金制度によって一時的に給料が下がってたとしても、なぜ下がったのかがわかりますし、自分のやるべきことは明確になりますから、それでモチベーションが下がることは少ないはずです。
また、この本の手法では、評価が実際に給料に反映されるまでに一定の猶予時間を設けますからその間に評価が下がったポイントを改善することができます。
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賃金制度の導入がうまくいくどうかは、評価者の評価スキルがポイントになると思いました。たとえば、評価者間の評価スキルのばらつきによって従業員が不公平感を持ってしまうことも考えられるかと思います。複数人いる評価者のスキルを一定に保つためにどんなことが必要になるのでしょうか。
山元:人間が評価する以上、完全に公平になることはないかもしれませんが、どちらかというと重要なのは評価をされる従業員の側が納得するかどうかです。
いかに評価者が部下に対して真剣に取り組んで、本人の成長のために支援をしているかが見えれば、部下としても信頼してついていこうとなります。だから、客観的に見て公平かどうかよりも、意識の問題というところが大きいと言えるかもしれません。
とはいえ、「〇〇さんの下についたからラッキー」「△△さんの下は嫌だ」となるのは問題ですよね。私たちがコンサルティングに入った企業では、評価者それぞれに対して評価制度と照らし合わせながら判断根拠をヒアリングしてフィードバックしていきます。賃金制度を導入する場合、こうした取り組みはやっていった方がいいでしょうね。
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本書の読者となりうる中小企業経営者の方々にメッセージをお願いいたします。
山元:自分の会社の社員の生産性を上げて、会社を成長させ、業績をアップさせ、そしてその分はきちんと給料に反映させていくようにかじ取りをしていただきたいです。
自分の会社の社員の平均給与や平均年収が業界全体でどの位置にあるとか、同規模の会社と比べてどうかなどを分析している中小の社長は少ないと思いますが、そういったことを調べてみるのもよりよい経営を考え直すきっかけになるのではないかと思います。
(新刊JP編集部)