「事実は小説より奇なり」は本当 物語の方が案外その中の「現実」は整っていたりする。
―― 新刊『湖畔の愛』は、真面目なタイトルとは対照的に独特のとぼけた味わいが特徴的です。この作品に限らず、町田さんは文学の「王道」とは違ったところで文学をやっているイメージがありますが、町田作品のルーツはどんなところにあるのでしょうか?
町田: 影響を受けたということでいうと、筒井康隆さんとか野坂昭如さんの小説が好きでよく読んでいました。そこからさらに辿ると織田作之助。もっとさかのぼっていくと井原西鶴あたりに行きつくと思います。
井原西鶴はもともとは俳諧師ですが、談林、阿蘭陀流と言われ、その後の俳句に繋がる本流からは外れていきます。こういう流れに影響を受けてきたということで、僕の小説も主流から外れた印象を与えるのかもしれません。
―― 『湖畔の愛』は、ひと癖もふた癖もある登場人物たちが繰り広げる、恋愛あり笑いあり、ほろりとくる場面ありの連作短編集です。展開がスムーズでどんどん先に引っ張られていく感覚を持ったのですが、書いていて「この後どうしよう」と困ったりすることはありましたか?
町田: それぞれの短編はせいぜい50枚程度でしたから、ある程度見取り図や設計図を作って、その中でどれだけライブ感を出せるかということを考えていました。あらかじめ決めておいた部分が大きかったので、困ることはありませんでした。
―― ライブ感とはどういうものですか?
町田: ある程度のことをあらかじめ決めてから書く一方で、書いているその時におもしろいことを新しく思いつくこともあります。「前もって用意した器」に「今思いついたこと」をいかに盛り込むかというのが、僕の考えるライブ感です。
―― 「文学の本流から外れている」というお話がありましたが、意図的に本流から外れたり、本流に逆らおうという気持ちがあるんですか?
町田: そういう気持ちはないです。というのも、一般的なイメージとしての「文学的」というものは、もはや文学ではありません。文学の本質ではないし、本流でもない。それはやっている人であればみんな知っていることです。
だから、一見すると、「イメージとしての文学」「文学の本流」に見えるけど、実は違うことをやっている人もいるし、あからさまに違うことをやっている人もいます。つまり、やっている人にとっては文学の一般的なイメージも本流の文学もどうでもいいことで、そういうものに逆らっても意味がないですよ
―― 二編目まで出てきていた「スカ爺」という存在感のある愉快なキャラクターが、次の話では唐突に死んでいたり、ダイナミックな展開が痛快でした。こういうことは町田さんしかやらないんじゃないかと。
町田: 物語であまりこういうことが起きないのは、読者がついてこれるように作者がある程度の形を作るからです。でも人が突然死ぬというのは、現実世界では結構あることですよね。
現実は納得いかないもので、時にめちゃくちゃです。「事実は小説より奇なり」という言葉は本当で、物語の方が案外その中の「現実」は整っていたりする。極端に言えば「水戸黄門」のように、悪人が弱者をいじめているのを見て、正義の味方が成敗するという話で、見ている人はすっきりするようなストーリーですが、現実はそうじゃないでしょう。
「物語」と「現実」のどちらに寄せて書くかは作者によって様々で、どれが正しくてどれが間違っているということはありませが、僕は自分の小説を自分達が生きている現実の方に近いものにしていきたいと思って書いているので、急に人が死んだりすることも時には起きるんです。
―― 舞台となっている「九界湖ホテル」に客としてやってきた老人のセリフがまったく意味がわからないことにまず驚かされました。どこかの方言じゃないかと思って読み直してもやっぱりわからない。
町田: 「コミュニケーション不全」は今あちこちで起きているのでああいう場面を入れてみました。
日本語の痕跡を残しつつ意味のわからない文を書くのって案外難しくて、ただでたらめに書くのではなく、いろんな言葉をサンプリングして、適宜バランスを取りながら書いています。
―― 個人的には、大雨でホテルに降り込められた客と従業員が、悲しませれば雨が止む「雨女」に対して残酷な言葉で罵倒する場面の会話が好きです。
町田: 物語を作ろうとすると、どうしても登場人物が物語に沿ったキャラクターになって、そのキャラクター同士の整合性を求めてしまうことで会話が不自然になりがちなので、今回の本ではキャラクター同士の整合性を一度外して書きました。だから会話とかセリフの部分は、ある意味で爽快なものになっていると思います。一見不条理だけど、爽やかな不条理といいますか。
伝説的バンド「INU」解散の理由
―― 町田さんといえば、パンクバンド「INU」のボーカリストとしても知られていますが、今回の作品の中にも「頭のなかはpretty vacantな若い兄ちゃん」「プロをなめろ」など、パンクロックの精神を感じさせる一文がいくつかありました。音楽活動を始めた頃のお話をうかがいたいのですが、元々反骨的な気質があった方なんですか?
町田: そんなことはないです。始めたのは16歳くらいの時だったのですが、当時パンクバンドをやっている人は、そんなに上手じゃなくて勢いだけでやっている人たちが多かったので、これだったら自分でもできそうだと思えたんです。
ただ、実際に始めてみると勢いだけではもたない部分があって、自分のバンドも含めてすぐに解散したり低迷したりというケースが多かったです。
―― 「INU」が解散したのも、勢い以外のところで技術が伴わないというのが理由にあったのでしょうか。
町田: 技術的な問題というよりは、勢いがなかなか持続しなかったんだと思います。そもそも「一回やったらおしまい」というところがあったので。ロックは一度で全部出し切ってそれで終わりというのが本質的にありますから、形骸化せずに継続するのは難しいことです。
―― 特にパンクロックは、概念として継続が想定されていないような気がしますね。
町田: 「パンクロックはこういうものだからこうしよう」ということではなくて、事後的に思い返してみると、だいたいみんなそんな感じだったよね、ということです。
「パンクとは」というのを最初に考えて、その概念にしたがって活動するのはもっとも「パンク」ではないことですからね。だからそういうことはあまり考えたことがなかったです。
―― 「INU」が結成されたのは、日本にパンクロックが入ってきた直後の時期です。初めて触れたバンドやレコードについてお聞きしたいです。
町田: どうだろう……。当時は今のように情報がリアルタイムで入ってこなくてタイムラグがあるかもしれませんが、私が初めて国内盤として知ったパンクはラモーンズだったんじゃないかな。
輸入レコードショップに行けばもっといろんなバンドのレコードがあったはずですが、僕は田舎の高校生でしたからね。そういうところには行けませんでした。
―― 自分でもバンドを始めるとなると、相当強いインパクトがあったんじゃないですか?
町田: そうですね。それまでにあった、たとえば「イエス」とか「ピンクフロイド」とか「ローリングストーンズ」のようなバンドもいいんだけど、完全に形ができあがっているような印象でした。
でも、パンクは粗削りで未完成で、さっきの話ではないですが「キャラクターが唐突に死ぬ」みたいなこともアリなような、皆が何となく「こうしなきゃ」と思っているルールや慣習、伝統が全部打ち破られている感じがしたんです。「こういうのもアリなんだ」と思いましたし、自分もやってみたくなりました。
十代でいろんなものに影響されやすい年頃だったというもあると思います。中原中也がダダイズムに衝撃を受けて、傾倒するようになったような感じかもしれませんね。
「どうなる」とか「どうなりたい」とかは考えたこともなかった
―― 最近では、音楽や演劇など他分野の方が小説を発表して話題になることが珍しくなくなってきていますが、町田さんはその先駆けの一人です。ミュージシャンとしてデビューして、その後俳優としても活動されていましたが、小説を書いてみようと思ったのはなぜだったのでしょうか。
町田: もともと文章で何かを表現するのが好きだったんです。音と文章ということでいうと、音は好きだし歌うのも好きなんですけど、やれることの多さという意味で文章の方に可能性を感じていたというのがあります。
音楽というのはある種の制約で、何か文章的なアイデアを思いついても「メロディに乗らない」とか「リズムに乗らない」ということがありえます。あるいは、凝った表現をしても視覚情報がないから伝わりにくいこともある。
そういう制約が全然ないところで文章だけを自由に書いていいというのは魅力的でした。実際やってみたらすごく楽しかったので、それから10年くらいは文章に専念しました。
―― 歌詞という表現方法に制約を感じていた。
町田: 制約といえば制約ですが、歌詞というのはそういうものですからね。だから制約があるから不自由だとか嫌だとか思っていたわけではないです。
―― バンドマンから俳優、そして小説家と、これまで様々な活動をされてきた町田さんですが、若い頃「こうなりたい」とか「こんなことをやりたい」といったビジョンを持っていましたか?
町田: ビジョンと呼べるものはなかったですね……。その都度おもしろそうなことをやって、全部出たとこ勝負でした。「どうなる」とか「どうなりたい」とかは考えたこともなかったですし、それは今もそうです。
―― 初めて小説『くっすん大黒』を発表してから20年以上小説家として第一線で活躍されています。小説を書き始めた当時と今とでご自身に変化はありますか?
町田: 単純に一つのことを20年やっていれば、多少は色々なことがわかってくるというのはあります。だいぶ思っていることに近いことができるようになってきましたし。
―― 昔は思ったことをうまく表現できないことが多かったんですか?
町田: 当時は文章を書いて何か表現するというのではなく、書くこと自体が目的でしたからね。
実は今もそういうところがまだありまして、書いている時の自分の精神状態に意味があるのであって、書いたものがおもしろいかどうかは次の段階の話だと思っています。ただ、経験を積んだことで、「書いている時の精神状態」と、読んでくれた人の反応も含めた「書いたものがおもしろいかどうか」の関係性が見えてきたというのはありますね。
書き始めた頃は、その関係がわからないまま「おもしろいと思うんだけど、果たしてこのまま書き進めてもいいんだろうか」とか「小説を書けと言われて書いたが、果たしてこれは小説になっているんだろうか」と考えることがよくありました。
―― 町田さんが人生で影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただきたいです。
町田: 筒井康隆「脱走と追跡のサンバ」、勢いと脈絡のなさに魅力を感じて何度も読みました。大江健三郎「日常生活の冒険」文章そのものの硬質な雰囲気とにもかかわらず溢れる情緒。狂おしい人間の感情に魅了されました。木津川計「上方の笑い」東京で暮らし始めたときに読み、自分の根底にある大阪の笑いについて学びました。その他にも多くの本から影響を受けています。
―― 最後になりますが、町田さんの本の読者の方々にメッセージをお願いいたします。
町田: 今回の本は、人間の本音に迫りました。頭では思っていても普通は口には出さないよということをあえて書いた、建前を外した世界を楽しんでもらえたらうれしいです。
取材後記
町田さんの創作への姿勢と小説観を、一端ではあれど聞き出すことができたのかなと思える取材でした。
特に「物語の方が案外その中の現実は整っている」というところが新鮮で、「小説用の現実」「小説の登場人物用の人間」という、物語の都合に合わせた出来事や人物を思えばけっこう目にするものです。
「人間の本音に迫った」と町田さんが語る『湖畔の愛』。荒唐無稽かと思いきや、実は読んでみると普段心の中で思っていることが忠実に再現された「リアル」な小説。笑いながら、泣きながらぜひ楽しんでいただきたいです。