初の小説が芥川賞 『火花』の後で感じた重圧
―― 又吉さんの新作『劇場』について、発表前から「恋愛小説」だと報道されていましたが、読んでみると単純にジャンル分けできない作品だと感じました。
又吉: 確かに恋愛の要素はありますけど、ある意味『火花』よりも表現者の内面に踏み込んだ内容でもありますから、「恋愛小説」と言い切っていいのかは難しいところです。
でも、どこかのタイミングで、次の小説はどんな感じのものになるかと聞かれて、自分で恋愛小説だと言ってしまったんですよね(笑)。誰かが言い出したんじゃなくて僕がはじめに言ったんです。
ただ、日常生活で恋愛だけしている人はいないと思いますし、恋愛以外のことが恋愛に影響を与えることもありますから、恋愛を小説で書こうという時も、他の要素が色々入ってくるのは自然なことなんじゃないかと思っています。
―― 恋愛以外の要素の一つとして、前作『火花』から、又吉さんは「表現者の自意識」を書いたら天下一品という印象です。今回、様々な表現者の中でも「劇作家」を主役に据えた理由をお聞きできればと思います。
又吉: ミュージシャンですとか詩人ですとか、表現に携るいろいろな人でいくつか試してみたんですけど、「上京して家族とは別々に暮らす二人が恋愛をする」という今回の設定を考えると、感覚的に劇作家が一番いいのではないかという気がしました。
上京しているからには、それぞれに「東京に存在していないといけない理由」が必要になるわけですが、沙希は学生だからいいにしても、そうでない永田は何かやっていないといけません。
じゃあ何をやるのがいいのかなと考えた時に、「恋愛」と一番いい組み合わせは「演劇」じゃないかと思ったんです。本当に感覚的にそう思っただけで、自分でも理由がわからなかったんですけど、書きながら「だから劇作家だったんだ」と納得したといいますか、今は自分なりに必然性を感じています。
―― 書きはじめたのは、『火花』よりも前だったとお聞きしました。
又吉: そうですね。2014年の夏くらいに最初の50枚か60枚を書いて、中断を挟んで去年再開して、今年の頭くらいに書き終わりました。『火花』を書いたのはその中断の間です。
―― となると、中断の前後で又吉さんの状況は一変したと思います。再開するにあたって難しさがあったのではないですか?
又吉: 舞台に立ったことのない芸人が、初めて舞台でお客さんにネタを見せるといった感じで『火花』を発表したのですが、反響がすごく大きかったので、『劇場』に戻った時はちょっと複雑に考えてしまったところはあったかもしれません。
そこまで書いていた50枚ほどの原稿を読み返して「これじゃちょっと難しすぎるかもしれない」ということで、別のパターンで書き直してみたり、試行錯誤していたのですが、途中で「そういえば、僕は子どもの頃から誰にでも好かれるような人間ではなかったな」と思い出した。
『火花』で急に注目されるようになって、色々な人の期待に応えようとしすぎていたんだと思います。でも、全員の期待に応える能力なんて自分にはありません。
もちろん、人に読んでもらうものなので努力するのはあたり前ですけど、結局は自分の思うものを作るしかありません。そう考えるようになってからは普通に書けました。
―― 「努力」とはどんなことですか?
又吉: 僕も本が好きなのであれこれ想像するのですが、書店の棚に僕の本が並んでいるのを見て「これが又吉が書いた小説か」といって手にとって読んでくれたお客さんが「何だか難しいな」と思ったとしたら、作者としては残念に思うはずです。だから、読みやすくなるようにできる限りのことはしたいと思いました。
ただ、僕は書きたいものが決まっていて、解体して単純なものに置き換えることはできません。僕が好きなことや、自分が考えていることを書くというスタンスは変えられないところなので、それが複雑だったり難しいことだったりするなら、簡単にしたり単純にしたりするのではなく、そのもの自体をどう伝えるかを工夫しようというのはありました。
小説家と芸人 又吉直樹はこれからどこに向かうのか
―― 『劇場』の登場人物は、主人公の永田を筆頭に皆特徴的ですが、永田の恋人の沙希の人物像が特に丁寧に作り込まれていると感じました。
又吉: そうですね。作中の描写はあくまでも「永田から見た沙希」なので、結局のところ本心はわからない。
沙希は永田の全てを受け入れる時とそうでない時があるんですけど、それは二面性ということではなくて、本能的にというか、自然にその瞬間に反応している人物として書きました。
―― 劇団を抜けることで永田と袂を分かった青山も印象的なキャラクターでした。長く近い場所にいたことで、互いに相手が一番言われたくないことを知っているから、言い合いになると「両者血まみれ」になってしまう。こうしたことは芸人同士でもあるのでしょうか?
又吉: めったにないでしょうね。ただ、同業者同士ですから、相手が言われて嫌なことはわかるっていうのはあるかもしれません。
―― その青山にライティングの仕事をもらうようになるあたりから、永田は少しずつ人間としても劇作家としても社会性を身につけていきます。個人的には作品前半の「自分の考えが全て」という頑ななタイプの表現者だった永田が好きですが、又吉さんはいかがですか?
又吉: 僕も前半の永田のようなスタンスの人は好きですよ。でも、永田に限らず18歳とか20歳くらいの頃は「お金は二の次で、とにかく好きなことをやるんだ」と思えていた人も、年齢が上がって周りが結婚したり、子どもが生まれたり、どんどん「大人」になっていくのを見ると、そうとばかりも言っていられなくなってくる。
「周りが変わっているのに、自分だけがいつまでも同じことをやっている」っていう恐怖感は永田にもあったはずで、だからこそ「生活変えな」ということで、かつて自分に暴言を吐いて去っていった青山からでも仕事をもらうようになるわけです。
それはみじめなことなんだけど、もし永田が「自分だけ周りから取り残されていく」という恐怖心を持たないタイプだったら、そもそも演劇を作れないんじゃないかとも思います。
そういう意味では、後半の永田は表現者としてダサいかもしれません。でも、ダサいからこそ共感できるということもあると思いますし、人間として根底にあるものが変わったわけじゃない。だから前半の永田も後半の永田も好きですが、確かに前半の方が可愛げはあるかもしれませんね。
―― 永田については夢を追う人にありがちなずるさがリアルでした。沙希は相手のどんな面も受け入れる包容力のある女性ですが、永田が「売れない劇作家」のままでは手に入らない、「人並みの生活」を夢見ているところもあります。そして、永田はそれに気づいていながら見て見ないふりをしている。
永田にとってこの状況はとても苦しいものですが、もし後輩の芸人に永田のような人がいたらどんなアドバイスをしますか?
又吉: これはアドバイスのしようがないですよね……。永田でいうなら、自分なりの方法で戦おうとしていて、演劇を続けることに迷いはありません。そして、もしその戦いに勝って、劇作家として食べていけるようになったら沙希と結婚するかもしれない。少なくとも売れたからといって沙希とのことをなかったことにしようとは思っていないはずです。
そういう姿勢でやっている奴に「おまえたぶん売れへんから諦めや」とは言えないでしょう。永田は不器用な人間ですから、「もう少し相手のことを考えてあげて」とでも言って、演劇に費やす力を他のことに向けさせたら、演劇のクオリティは下がるでしょうし、クオリティが下がれば世に出るチャンスはさらに減っていく。そうなるとさらなる地獄が待っているわけですから、「もうお前の信じた道を突き進め」としか言えないですよ。
―― 二人の生活はいいことも悪いこともありつつ淡々と描写されますが、年齢を告げる沙希のセリフで過ぎ去った時間の長さにハッとさせられます。
又吉: この小説は当初長くても原稿用紙300枚くらいに収めようと思っていたんですけど、冒頭の永田と沙希が出会ったところの数日を書くだけで50枚くらいになります。
作中の時間は主人公の永田が感じている時間なので、長く感じることもあればすごく速く時間が流れることもある。そのあたりの時間の濃淡は気にして書いていました。
―― 永田もそうですが、又吉さんも芸人として世に出る前から、小説を書くようになった今に至るまで、色々な人に色々なことを言われてきたはずです。これまで言われて一番傷ついたことはどんなことですか?
又吉: いろいろありますけど、普通の悪口みたいなのはさほど傷つかない気がします。この間も「おまえはただの気持ち悪い奴だ」って書かれた葉書が送られてきて(笑)。
―― 直球の悪口ですね…。
又吉: そういう悪口には、もちろん「なんやねん」となるんですけど、それ以上のことは思わないんですよね。「なんでそんなことをわざわざ葉書に書いて送ってくんねん、めんどくさいやろ」って思って終わりなんです。
傷ついたことは何だろう……。吉本の養成所時代の同期に、すごく派手な髪型をした奴がいたんですけど、そいつに「まったんみたいな奴が(構成)作家になるんやろな」って言われた時は傷ついたかもしれません。
確か入って三カ月くらい経って、ひととおりネタ見せが終わったくらいの頃だったと思うんですけど、それを言われた時に、芸人に向いてないと言われたように感じたんですよね。
そいつが天然な奴で、悪気なく思ったことを言っただけだと思うんですけど、芸人として舞台に立ちたいと思って吉本に入ったのに、すぐにそれを言われてショックだったのを憶えています。もちろん、芸人と構成作家どちらが上という話ではなくです。
―― 芸人でありつつ小説が高く評価された又吉さんですが、今後どんな方向に行きたいという抱負はありますか?
又吉: ここからどうなるのか自分でもわからなくて、目の前の仕事に全力をぶつけることだけを考えています。それは今回なら小説でしたし、次は9月に大きいライブをやろうかと思っているのでそれですね。
そうやって、目の前のことに全力を注いだ結果、良ければ仕事は増えるし、ダメだったら減る。それを繰り返していくしかないと思っています。でも、もし綾部が大スターになって帰ってきてくれたら、また別の道があるかもしれません(笑)。
取材後記
ぽつりぽつりと、しかし一言ひとことを考えに考えて話す姿は、テレビで見て想像していた又吉さんそのままでした。
「劇場」の成り立ちから、執筆中の悩み、物語を読むうえでポイントになる場面など、深いところまで丁寧に話していただいたことに感謝です。次作も楽しみにしています!