構想から完成まで12年!『蜜蜂と遠雷』ができるまで
―― 『蜜蜂と遠雷』を読んで、何通りもの楽しみ方がある小説だと思いました。その一つが主旋律ともいえる「芳ヶ江国際ピアノコンクール」をめぐる人間ドラマです。まずはこの題材を選んだ理由のところからお聞かせ願えますか。
恩田: 音楽を題材にした小説を書いてみたいという思いはかなり前からあって、中でもピアノは私自身習っていたこともあって聴くのも一番好きなので、書くならピアノのものをと思っていました。
そんな時に、静岡の浜松で三年に一度開催されている「浜松国際ピアノコンクール」で、出場者を決めるための書類審査(※)で落とされたピアニストが、敗者復活的なオーディションで勝ち上がってコンクール出場を果たし、しかも本選で最高位に入ったという話を聞いたんです。
これはおもしろい、ということで「浜松国際ピアノコンクール」を取材して、書きはじめました。ちなみに、そのピアニストはその後ポーランドのショパン国際ピアノコンクールでも優勝してしまいました。
※現在は審査方法が変わり、予備審査は書類だけでなく演奏DVDの送付が義務付けられている。
―― モデルとなっているピアノコンクールがあったんですね。
恩田: そうですね、浜松がモデルになっています。「国際コンクール」を名乗るには、「国際音楽コンクール世界連盟」に加盟する必要があるのですが、浜松のコンクールはそのなかでも評判がいいんです。
―― 作中でも書かれていますが、大きなピアノコンクールですと一次予選から本選で順位が決まるまで二週間ほどかかります。その間ずっと予選の演奏を聴いていたんですか?
恩田: 最初から最後までひたすら聴いていました。それと、この小説を構想してから書き終えるまでに12年かかっていて、その間もずっと取材に行っていましたから、浜松のコンクールは全部で4回見ています。
―― コンクールの雰囲気がとてもリアルに書かれていましたが、まさか4回も取材されていたとは。
恩田: 結果として4回になってしまったという感じです。本当はもっと早く終わるはずだったのですが(笑)。
―― もう一つ、この小説には「音楽を解釈する喜び」もありました。作中で、登場人物たちが互いの演奏にイメージを喚起させられて、様々な情景を思い浮かべます。そうした記述を読んでから実際に曲を聴くのが楽しかったです。選曲なども恩田さんが考えたものなのでしょうか。
恩田: 自分で考えたものですが、ここが一番苦しんだところかもしれません。登場人物たちそれぞれの一次予選から本選までの演奏プログラムを作るのにはすごく時間がかかりました。
とにかく曲を聴きましたし、曲と曲の組み合わせや流れもあるので、実際のコンクールのプログラムを参考にしたりもしました。
―― ピアノコンクールを題材に小説を書くには音楽を文章にしないといけません。これはとても難しそうです。
恩田: 「なんでこんなことを始めてしまったのか」と書きながら思っていたくらい難しかったです。
ただ、書き終えてから感じたことですが、頭の中で曲を鳴らすというのは小説にしかできないことなんですよね。その意味では音楽と小説は案外相性がいいのではないかと思います。
―― 風間塵にしろ栄伝亜夜にしろマサル・カルロス・レヴィ・アナトールにしろ、まぎれもなく「音楽の天才」です。これだけ天才ばかり登場する小説は珍しいのではないかと思いますが、それぞれに葛藤していて、同じ天才でもタイプが違うのが印象深かったです。
恩田: コンクールを見ていても、人によって才能の方向は本当に様々ですし、コンクールの序盤だったり終盤だったり、才能を発揮する時期も違うんですよね。同じピアノという楽器なのに、才能にはいろいろあるようです。
―― 恩田さんにとって「才能」とはどんなものですか?
恩田: 努力できることと、続けられることじゃないかと思います。何かを続けるのは大変なことなので、「続けられる」ということ自体が一つの才能だというのはすごく思いますね。
「これまでとは違うことをやらないと」という強迫観念
―― 物語の冒頭に、嵯峨三枝子の友人の猪飼真弓が、ピアノコンクールと小説の新人賞の類似を指摘する場面がありますが、その他にも、恩田さんが「音楽を仕事にすること」と、「小説家のお仕事」を重ね合わせているように思える場面が作中にしばしば出てきます。
たとえば、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの回想にある「聴衆の聴きたい曲とピアニストの弾きたい曲は必ずしも一致しない」というのは読者と小説家の関係にも当てはまるのではないですか?
恩田: 自分についていえば、読者の読みたいものと作家の書きたいものが違う、というギャップはあまり感じることはありません。毎回ちがう雰囲気の小説を書いているので、読者の方々もそういうものだと思ってくれている節があります。
でも、たとえばシリーズものをずっと書いてきて、そのシリーズじゃないと嫌だという読者の方が多い場合は、読者の求めているものと作家の書きたいものが違ってきてしまうことはあるかもしれません。
―― 作中に出てくる「作曲者は自分の作った曲をどこまで理解しているのか」という問いも、小説に引き写してみると大事な問いですよね。
恩田: 作者といえども万能ではないですからね。私は小説は読者のものだと思っているので、どう深読みしてもらっても構いませんし、それぞれに自分なりに解釈してもらえればいいと思っています。「そういう読み方もできるんだ」とこちらが驚くこともよくあるので。
曲は作曲家のものであると同時に演奏者のものでもあるという意味では、確かに小説家と読者の関係に似ているのかもしれません。
―― 毎回作風ががらりと変わる恩田さんの小説ですが、ご自身としても常に作風を広げていきたいという思いがあるのでしょうか。
恩田: 新しい芸風を開拓しないとすぐに縮小再生産に陥るというのはわかっていますから、「これまでとは違うことをやらないと」という強迫観念のようなものは、デビュー当時からすごくあります。
―― 1992年にデビューされてから、25年以上小説家として第一線で活躍されている恩田さんですが、小説家になろうと思ったのはいつ頃ですか?
恩田: 子どもの頃から、いつかは小説家になりたいという気持ちはあったのですが、作家って漠然と「お年寄りがなるもの」というイメージがあって、自分がなるにしても立派な大人になって、それなりに社会人経験を積んでからだと思っていたんですよ。
ただ20代の頃、日本ファンタジーノベル大賞という新人賞の第一回受賞者の酒見賢一さんが私の一つ上だということを知って、この年代でも小説を書いてもいいんだと思ったんです。それで、「じゃあ私ももう書こう」ということで書いたのがデビュー作です。
―― 大学時代は「ワセダミステリクラブ」に在籍されていたと聞きました。当時は何か書いたりはしていなかったんですか?
恩田: 学生時代はまったく書いてないです。当時は作家になるということを現実的に考えていませんでしたし。
それと、実は「ワセダミステリクラブ」にいたのは一瞬なんです。すごく有名なサークルだったので入ってみたのですが、当時はファンタジー小説が全盛で、私が好きだった本格ミステリを読んでいる人はほとんどいませんでした。
―― サークル内にも流行があったんですね。
恩田: ちょうど「機動戦士ガンダム」が人気だった時代で、アニメとかSF、ファンタジーが盛り上がっていました。作家でいうと田中芳樹さんとか。
だから、ミステリを語りたいのに語れる人がいない、という感じで、他のサークルで忙しかったこともあって半年くらいでフェードアウトしてしまいました。
「上手な人は増えたけど…」小説家を目指す人に伝えたいこと
―― 子どもの頃、小説家になるということを意識したきっかけになった本がありましたら教えていただきたいです。
恩田: ロワルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』だと思います。
この本のインパクトが大きくて、そこではじめて「物語には作者がいる」ということと、「この物語を書いた人はロワルド・ダールという外国の人で、それを日本語にする翻訳者という人がいる」ということを認識したんです。
あまりにおもしろかったので、「いつかは自分もこんなお話を書きたい」と思ったんだと思います、たぶん(笑)。
―― それ以降はどんなものを読んでこられたのでしょうか。
恩田: 手当たり次第に何でも読むという感じでした。ミステリやSFも読みましたし、いわゆる文学っぽいものも読んでいました。漫画も大好きでしたから、兄が買ってくる少年漫画を借りて読んだりもしていましたね。
―― 初めて書いた小説でデビューしてしまったことで、後々苦労したことはありますか?
恩田: 二作目を書いている時に、何を書いていいかわからなくなってしまったことはすごくよく覚えています。たぶんそれが一番苦労したというか、自分にとっての大問題だったと思います。
―― その悩みからはどうやって抜け出しましたか?
恩田: 何とかそのまま書いていたのですが、三作目か四作目を書いている時に、ふと「そうか、自分が好きだったものについて書けばいいんだ」と思えたんです。
「子どもの頃に読んで好きだった、ああいう雰囲気の本を書きたい」とか「ああいう読後感のものを書きたい」という風に考えるようになってからは、割と書くネタには苦労しなくなった気がします。
―― 『蜜蜂と遠雷』でいうと嵯峨三枝子のように、恩田さんは小説を書くだけではなく、文学賞の選考委員として新しい作家を発掘する立場でもあります。若い作家に期待することはありますか?
恩田: 心から「これを書きたい!」と思えるものを書いてほしい、ということです。
最近は新人賞であればみんなその賞の傾向を調べて、その賞に合うように対策を練って書いてきますし、テクニック的に上手な人も増えたんですけど、その反面「これは!」という作品が出にくくなっているように思います。
選考委員をやっている身としては「傾向と対策」で受賞しても長くは続かないというということは言いたいですね。
―― 小説を書く人の裾野が広がって、レベルも上がったけど……というところですね。
恩田: そうですね。でも、裾野が広がったからすごい人がたくさん出るかというと、おそらくそんなことはないですよね。
あるプログラマーの本に書かれていたのですが、パソコンが普及して、デジタルネイティブの人が増えても、優秀なプログラマーはやはりひと握りしかいないそうです。小説もそれと似ているのかもしれません。
―― 恩田さんが人生に影響を受けた本がありましたら3冊ほどご紹介いただきたいです。
恩田: 小説家という職業を意識したきっかけということで、先ほどの『チョコレート工場の秘密』は最初にきます。
二冊目は谷崎潤一郎の『細雪』です。何の筋もなくて、何が起こるわけでもないのに、どうしてもこんなにおもしろいんだろうと思ったのを覚えています。
私は「エンタメ至上主義」的なところがあって、話がおもしろくないと小説として読むに値しないとずっと思っていたのですが、『細雪』を読んで、物語の筋のおもしろさとは別のおもしろさがあるんだ、ということに気がつきました。
『秘密の花園』もインパクトが強烈だったので挙げておきます。児童文学なんですけど、主人公がものすごく性格が悪いんですよ。児童文学とか絵本ってだいたい主人公は「いい子」じゃないですか。
だから「こんなに性格が悪いのに主役を張れるんだ」ということに衝撃を受けたのを覚えています。唯一不満なのは、話の後半になるとちょっと「いい子」になってしまうところです(笑)。
―― 最後になりますが、『蜜蜂と遠雷』をまだ読んでいない方々にメッセージをいただければと思います。
恩田: 人生と音楽を愛する方に、ぜひ読んでいただきたいです。
取材後記
ご本人は「だいぶ落ち着いてきました」とおっしゃっていましたが、直木賞受賞決定後の忙しい時期に取材をさせていただきました。
飄々としつつも、熱心に『蜜蜂と遠雷』の成り立ちを話してくださった恩田さん。構想から12年かけて大作を書き上げた熱意にはただただ感服するばかりです。
『蜜蜂と遠雷』は音楽に、そしてピアノコンテストに青春のすべてを賭けるピアニストたちの物語。才能あるピアニストでさえ蹴落とされるスリリングな展開に浸るのも、作中の音楽の描写をじっくりと読み込むのも楽しいはずです。
(インタビュー・記事/山田洋介)