私小説?それとも…山下澄人『しんせかい』のなりたち
―― 山下さんの新刊『しんせかい』には、表題作を含めて2作の小説が収められていて、どちらからも山下さんご自身の体験そのものが書かれているような印象を受けました。単刀直入にお聞きしますが、今回の2作品は「私小説」ですか?
山下: 何をもって「私小説」と呼ぶかにもよりますが、僕としては私小説と呼んでもらってもいいし、そうでなく読んでもらってもいいし、気にしていないです。
―― 表題作の「しんせかい」に関していえば、山下さんが在籍していた富良野塾と思われる場が舞台になっていますが、「すべては作り話だ」という一文もあります。こうなると、読み手としては作品の成り立ちについて考えてしまうわけですが、山下さんとしてはどんなイメージや計画を持って書き始められたのでしょうか。
山下: 計画らしいものは特になかったのですが、「ある時期のある場所での話」というように、明確には舞台と時期を設定せずに書こうというのは決めていました。
作中で起きた出来事にしても、本当にあったこともあるし、なかったこともある。両方が混ざっているところもあります。ただ「本当にあったこと」といっても、あくまで僕の主観です。ただ何をもって「本当」というのかは実はよくわかりません。
―― 今の「出来事」もそうですが、「時間」や「空間」のような小説の構成要素とされているものが、この作品も、もう一作の「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」の方もぼんやりしていて、それが読む心地よさにつながっているように思いました。これは山下さん独特の書き方ですよね。
山下: どうなんですかね。「普通なら小説はこう書く」みたいな基準がどこかにあるのかもしれないけど、そんなものはないんじゃないか。独特と言われてもよくわからないです。そんなに意図的なものではないです。
―― 筋立ても、靄がかかったようです。
山下: かいつまんで書けば「劇的」にはできたと思います。
―― ドラマ性はあえて排している。
山下: 「あれはもういいじゃん」という感覚はあります。
話の語り方ってものすごく上手下手が出るじゃないですか。そうなると話がうまい人ばかり注目を集めて、下手な人には光が当たりませんが、下手っぴいにだって話すべきことがある。そんな思いもあってこんな書き方になったんだと思います。
―― 文章それ自体が読んでいて楽しかったです。全体が一筆書きのようで、つっかえずにするする読めるのが快感だったのですが、これもご自身としては自然書いた結果なのでしょうか。
山下: たぶん、自分なりのリズムがあるのだと思います。書いている時はそのリズムに忠実にやろうとしているんやろうなあ……と。他人事のようですが。
―― そういう書き方をされている方にぜひお聞きしたいのですが、自分で書いたもののジャッジはどうされているんですか?
山下: 僕は書いたものを読み返してジャッジすることはほとんどないんです。今書こうとしていることについては「これはいける」「これはダメな」みたいなことを考えますけど、書いたものを読み返して判断することはない。書き直すということはありますが、それはだけど判断というのとは違う。リズムが違うという感じ。
まちがえて配達された新聞を読んで倉本聰の富良野塾へ
―― 小説を発表するようになって5年ということで、小説を書くこと自体への慣れについてはいかがですか?
山下: 最初に書いた小説はトータルで2年くらいかかったんですけど、書き始めるまでの試行錯誤の時間が長かったんです。始めてはやめて、という感じで1作目を書いた後、2作目からはどれも自分の中では差がありません。ただ「慣れ」はありません。
1作目、2作目、3作目と段階を踏んで慣れていったわけではなくて、「1本目」と「それ以降」。自転車みたいな感じだったと思います。乗れるまでは大変だけど、一度乗れてしまえばあとはもうずっと同じという。でも見たことのない坂とかがあらわれる。道がなくなったり。
―― 山下さんは劇団FICTIONを主宰していますが、脚本の方もそんな感じだったんですか?
山下: そもそも、脚本を書こうなんてまったく思っていなくて、誰かに頼もうと思って周りの人に相談していたんです。
そうしたら、自分で書いてみればええやんと言われて。でも、そんなもの書いたことないから、「できるかなあ」なんて言いながらなかなか書かずにいました。そうこうしているうちにようやく「じゃあちょっと書いてみるか」となって、紙っぺら一枚にちょこちょこと書いて見せたら「書けるじゃん」と。
「じゃあ書けるのかな」って言いながら書いたのが最初でした。書いたところだけを話せばそうですが、それまで十年以上の俳優だけの時間があります。たぶんその時間も書くまでの時間となってる。だから、やっぱり書き始めるまでが長いんです。
―― 「しんせかい」で主人公の山下スミトは、まちがえて配達された新聞に書かれていた募集記事を見て、「先生」が主催する、演劇や脚本を学べる場に応募します。これは山下さんが富良野塾に入ったいきさつと重なるところがあるのでしょうか?
山下: あの話は本当です。「運命」とか言われるからあんまり言いたくないんですけど、たまたま新聞がまちがえて配達されて、それを読んで応募しました。
―― そういったいきさつもあって、スミトは演技や脚本へのモチベーションがそこまで高くなく、他の塾生と比べるとどこか冷めているわけですが、これもご本人と重なりそうですね。
山下: 何の目的もなく応募したかというとそんなことはなくて、自分ではそんなに冷めているとは思っていませんでしたけど、周りと比べるとテンションは低かったかもしれません。
熱くなるタイミングがわからなくて、どこでどう熱くなればいいんだろうと考えているうちに終わってしまう感じでした。それでも、今振り返って「あの時、熱かったな」と思う時期はありますけど。
―― それまでも、特に演劇を志していたわけではなかったんですか?
山下: 演劇をやりたいとは思っていなかったです。だいたい劇を観たこともありませんでしたから。
―― そんな人がなぜ応募してしまったのか……。
山下: 高倉健やブルース・リーはかっこええなあと思っていました。あったとしたらそれだけ(笑)。
俳優がどういうものかとか、俳優をやっていくことがどういうことかっていう情報を何も持っていなくて「俳優=ブルース・リー」だと単純に思っていました。それくらい何も知らなかった。だから応募できたのかもしれません。
―― 富良野塾での2年間は、今思い出すとどんな思い出ですか?
山下: いやあ……。それを簡単に言われへんから小説で書いたわけで。というか富良野塾の話のようになってますが、だいたいこれ「富良野塾の話です」とはいってません。
―― 小説の方からは、農作業ばかりしていて演技や脚本の授業はあまりない印象を受けました。
山下: 書いてないだけで授業はあったんですよ。ただ基本は農作業だったから、僕の方も当時「農作業しかしてないやん」と思ってましたけど。て、完全に富良野塾の話になってますが。
「主体的に何かやったことなんて一度もない」
―― 富良野塾を2年で卒業して、すぐに劇団を立ち上げたんですか?
山下: いや、自分で劇団をやるまでに10年くらいかかっています。20代がほぼまるまるそこにあたるんですけど、ただの売れへん俳優でした。舞台に出たり、ちょこちょこテレビに出たり、という感じですね。「おもろないな」と思いながらやっていた気がします。
―― その暮らしを10年というのは、かなり辛そうです。
山下: 就職して普通に働くのが嫌やったんです。バイトはしてましたけど、なるべく働きたくなかった。「俳優になりたい」より「働きたくない」の方が断然強かったから、辛いというのはあまりなかったと思います。
―― しかし、その状態から自身で劇団を立ち上げるには、かなりのエネルギーが必要だったのではないですか?
山下: 成り行きです。誰かがやろうって言うから「じゃあやるか」となったんですけど、始めたら言い出した奴が辞めてしまって、あたかも僕が言い出しっぺで始めたようになってしまった。
―― 自身が主体的に立ち上げたわけではなかったんですね。
山下: 主体的に何かやったことなんて一度もないです(笑)。富良野塾を受けた時だけかもしれない。
―― 劇団FICTIONは何年くらい活動しているんですか?
山下: ここ5、6年やってないけど、もう14、5年になりますね。自分から何か始めることはないけど、始めたら続けるんですよ。何でもそうで、始めてしまうと今度はやめるのが面倒くさくて続けるっていう。
―― 主体性って世の中的に「いいこと」だとされているじゃないですか。
山下: ああ、はいはい。
―― そういうものとはまったく逆の生き方をされているという。
山下: 主体性はないですね。他力本願です。たぶん主体性を信用してないんだと思います。どこかで「ほんまかよ」と思ってる。
―― 演劇の方でも、ものすごく燃えていて主体的に動く人は苦手だったり。
山下: 苦手とか好きじゃないってことはないですよ。向こうがこっちを嫌う(笑)。「もっとちゃんとやれよ」と。
―― 子どもの頃読んでいた本で、今も好きな作品はありますか?
山下: 『ハックルベリー・フィンの冒険』がすごく好きで、今でもたまに読みます。最初は『トム・ソーヤーの冒険』を読んだんだけど、あれは嫌いだった。トム・ソーヤーという人物が小賢しくて嫌だったんです。でも、ハックルベリーはいい奴でしょ。
子どもの頃は喘息持ちやったから、発作が出ると動けないんです。だから図書室にあった本ばかり読んでいました。あとは江戸川乱歩とか。
―― ポプラ社の、ちょっと怖い挿絵が入っているシリーズですよね。
山下: そうです。あの挿絵は今でも見ると心が沸き立ちます。
―― 人生で影響を受けた本がありましたら3冊ほどご紹介いただきたいです。
山下: 今言った『ハックルベリー・フィンの冒険』と、保坂和志さんの『プレーンソング』ですね。『プレーンソング』は最初の小説を書いている時か、書く前かに読んで、「こういう小説もアリなんや」と思いました。
これなら、自分にも書けそうだし、書けるかどうかは別として、こういう小説なら読むわと思ったし。すごく好きな小説です。
あと一冊は、ウィリアム・サロイヤンの『人間喜劇』。これは小島信夫さんが訳したもの限定です。
―― サロイヤンはどんなところが好きですか?
山下: 書斎とかじゃなくて、地べたで書いている感じがするところですかね。誤解を受けそうな言い方やけど「頭悪い感」がすごくいい。自分もそうやから親近感がわくのかもしれません。
僕は学校もろくに行っていないから、「小説なんてものは大学に行っている奴だけが読んだり書いたりするもの」だと白けた感じで見る一方で、「そうじゃないよ」とにじり寄ってくるものも嫌いでした。サロイヤンはどちらでもなかったんです。
―― 今後の執筆予定などがありましたら教えていただきたいです。
山下: 「別冊文藝春秋」で『ほしのこ』という小説の連載がはじまって、今はそれをやっています。隔月50枚と量が多くて、2回目にして枚数は届きそうにありませんし、このペースで続けられるのか自信がないのですが。
―― 主体性を信用していないとおっしゃっていた山下さんにこんなお願いをするのも変なのですが、最後に今後の抱負をお願いします。
山下: 元気に長生きしたい(笑)。これは本当にそう思います。
―― ありがとうございました!
取材後記
「私小説なのかどうなのか」という問いはけむに巻きつつも、作品のついて、小説を書くという作業について、丁寧にお話してくれた山下さん。小説の書き方も、物事を眺める視点も独特で、取材中は終始驚きの連続だった。
「私小説なのか」という問いは、「YES・NO」で答えられるようでいて、実はとても漠然とした質問だったのかもしれないし、少なくとも作品の魅力にとってもどうでもいいことだ。
私としても、主人公の名前が「山下スミト」でなかったとしても、舞台が「富良野塾」でなかったとしても、この小説が本当におもしろいということは言っておきたい。
(インタビュー・記事/山田洋介)