やってみたら難しかった「新しい漢字作り」
―― 2015年にあったジュノ・ディアスさん、都甲幸治さんとのトークイベントで、円城さんは「新しい漢字を作っている」ということを話していました。新作の『文字渦』には見慣れない漢字が多数出てきますが、この作品はその時におっしゃっていたアイデアが形になったものなのでしょうか。
円城: いえ、あのトークイベントでしゃべっていたのは、この本の前の連載のことだと思います。当時はその準備をしていたんです。
―― 『文字渦』では、新しい漢字の創作はしていない。
円城: 当初は作る気だったんですよ。でも、雑誌に掲載したり本にするわけですから、新しい文字をつくるとなると新しいフォントを作ってもらう必要があります。準備段階から出版社や印刷所の協力が必要なわけです。
だから今回の本の連載を始める前に、何文字くらい作っていいかと相談したら二百字から三百字くらいは作っていいという了解をもらっていたのですが、内心「そんなに作れないんじゃないか」と思っていました。実際、やってみると自分が考えついたものって案外既存の漢字の中にあったんですよ。
―― 表題作の「文字渦」に出てくるのは既存の漢字かどうかを確認するのも大変そうな漢字ばかりです。
円城: ユニコードの分厚い本と「超漢字検索」っていうアプリを使って確認していました。アプリの方は「大漢和辞典」という15巻くらいある漢字字典まで入っていて、「“人”が四つ入っている漢字」というような条件を入れると探してくれる。
すると大体あったんですよね。そうなると、「あるなら作らなくてもいいんじゃないか」という気持ちになってきて(笑)。だから「文字渦」にある漢字は基本的にはユニコードにあります。ないのは数文字だけですね。基本的にはユニコードにある漢字を、という方針に切り替えました。
漢字を作るのは、やってみると案外難しかったです。無理矢理作ることはできるのですが、そうすると見た目が漢字に見えない。何でも三つ並べてみるとか、手は色々あるのですが、そこまで面白いだろうかという気持ちもあって、それなら既存の漢字の中で変なものを使ったほうがいいなと。
―― それだと出版社や印刷所の負担も軽くなるわけですか?
円城: それが、そうでもないんです。ユニコードの中でもあまりに珍しい字はやはりフォントを作らないといけませんから、あらかじめ書き出しておいて、「今回はこの文字を使いますよ」と毎回原稿を渡す前に知らせていました。
フォントは1日に数文字しか作れないらしいので、締め切り当日に「今回はこの10文字を使ってください」とやってしまうと、おそらく原稿が落ちてしまいます。
―― 今回は断念したということで、新しい漢字作りは次作に持ち越しということになりますか。
円城: どうでしょう。正直あまり必然性が見えない(笑)。漢字を作るのはそれなりにハードルが高いのもありますが、新しい漢字を作らなきゃできないことって何かなと考えた時にあまり思い浮かばないといいますか。
そういえば、H.P.ラブクラフトの「クトゥルフ神話」に出てくる神々の名前を表す漢字を作るというのを考えたことがありますね。「アザトホース」とか「クトゥルフ」という漢字を一文字で作ってルビをふっておいたら面白そうだなと。誰か笑ってくれそうじゃないですか。
―― 個人的にはテキストファイルの中に溢れる英数字の中の日本語の文字列を海に浮かぶ島になぞらえる「緑字」が斬新で好きです。
円城: 僕も好きなんですけど、「何を書いているかわからない」と言われてあまり評判は良くないんです(笑)。
ただ、テキストファイルの仕組みを知っている人はおもしろがってくれるんじゃないかという気持ちはあります。テキストデータに膨大なメタデータがついていて、履歴も管理しているから、テキストを消したり直したりすると勝手に情報が蓄えられていく場合もある。
1文字書き足して、それを消して、ということを繰り返しているだけでもどんどんバイト数が増えるから、結果的に1文字も書いていなくてもワードファイルが重くなってしまうわけです。こういう仕組みを知っている人には「緑字」は想像しやすい話なんじゃないかと思います。
―― 作品の面白さとは違う次元で、アイデアなどでものすごくコストがかかっている短編集だと感じました。
円城: まあホラ話なので、そこまでではないですよ。ただ、「天書」にある「もんがまえ」のある漢字でできたインベーダーゲームのところは手間がかかりました。小説には間違いも正解もないけれど、パズルやゲームやプログラミングは正しくないとツッコミを入れてくる人がたくさんいるので。
そのインベーダーゲームも、やはりユニコードの本から「もんがまえ」の漢字を引っ張ってきて眺めたり、中国古典アーカイブで調べたりしながら作っています。だから、基本的に検索に頼っている。
「こんなものどうやって作ったのか」とよく聞かれるのですが、電子的手段がないと作れないです。
―― 「かな」では、紀貫之の和歌「藤の花 あだに散りなば 常盤なる 松にたぐへる かひやなからむ」をアナグラムにして「カムブリア 爆発の時 散る習ひ 何にか学べ 八千畳なはる」という別の和歌を出現させていますね。
円城: あれも同じです。考えたってできるわけがない。紀貫之の歌集を引っ張ってきて手元のパソコンに置いておいて、「か」「む」「ぶ」「り」「あ」の文字が入っている歌を探して、じゃあ次は「ば」「く」「は」「つ」を探して、というふうに探しながら作っていきました。そこはもう手軽なスクリプトがないとできません。アプリも使って辞書で調べて、コードを書きながら作っています。
文字への偏愛と奇想の書『文字渦』を生んだ円城塔の頭の中
―― 「文字」というテーマは普遍的ですが、身近すぎてかえって強い関心を惹かないものかもしれません。いかに読み手に届けるかというところで考えていたことはありますか?
円城: 基本的には笑ってもらえればいいと思っています。アイデアとしてはもっと過激なものもあって、中国がチベット語の文字コード領域を中国語の文字コードで上書きしてしまう話などを考えていたのですが、怖いからやめました。中国に入国できなくなったりしそうなので。
その点、閻連科(えんれんか)などは、昔の話を書いているから捕まりはしないにしても、中国国内で禁書になるような作品を書き続けていてすごいなと思いますね。文学者として国家権力と戦えといわれたらそういうことをするしかないのかもしれませんが、僕は嫌です(笑)。
―― もともと研究者をされていたということでお堅い方を想像していたので、笑わせようと思って書いていることには驚きました。
円城: よく「笑うんですか?」と聞かれますけど、普通に笑いますし、「笑えるものを書こうと思っている」といつも言っているのですが、なかなか信じてもらえません。
笑えるホラ話を書いているつもりなので、あまり真面目に捉えられても、と思うことはあります。だって、今回の本にしても明らかに変な話じゃないですか。取材で「作品を理解できているかわからないんですけど」と言われたりするのですが、わかるわけないんですよ。書いている方だってわかっていないところがあるんだから(笑)。
―― 今回の作品を読んでも、その笑わせ方が独特すぎて……。
円城: 失笑に近いかもしれません(笑)。でも、ちゃんと読んでくれる人がいるんですよね。
―― テクノロジーの発達によって、私たちが文字を読むデバイスは変わってきています。文字自体が変わっていく可能性もあるのでしょうか。
円城: 可能性はあると思いますが、現状ユニコードが邪魔をしているのは間違いないです。ないと困るのは間違いないですが。ユニコードに則った文字を使っている方が楽だから皆そっちに住み着いている。変わるとしても近々は無理でしょうね。
ただ、歴史を考えると文字自体も変わってきてはいますよね。たとえば書体などはかなり変わっています。現行の日本語用の活字ができてから150年ほどですが、それ以前の文字は普通の人は全然読めないでしょうし、昔の活字も読みにくかった。
それが読みやすく変化してきたわけですが、あくまで「紙」に印刷した時に読みやすいように、という変化です。電子端末にはまた違う形があるのかもしれません。
―― 電子端末向けの文章についてもお聞きしたいです。「新刊JP」はアクセスの半分以上はスマートフォンからなので、スマホで読みやすいような文章を常々考えています。わかりやすいところでは、3行くらい書いたら行間を1行空けて、文章を詰めないようにしたりといったことをしているのですが、作家の方も電子端末向けの文章について考えることはありますか?
円城: 僕は考える方だと思います。小説でいうと「なろう系」は完全にウェブで流し読みするのに特化していますよね。文章は短くて、ほとんどが人間関係に関する文章になる。携帯で読むことを考えると当然だと思います。
ただ、自分がそっち側に乗っていけるかというとたぶん乗っていけないので、どちらかというと「電子書籍化しにくい作品を書こう」とか「紙じゃなきゃいけないものを書こう」という風に考えます。紙の本と電子書籍は紙芝居とテレビみたいなもので、そもそも違うものだと考えた方がいい。
―― もし電子書籍のみで作品を発表するとしたらどんなものを書きますか?
円城: 色々考えて提案するんですけど、採用してもらえないですね。1文字だけ売るとか。
―― 1文字ですか?
円城: あるいは、ものすごく長いものを売りましょうとか。たとえば、物語を自動生成して「百物語」ではなく「百万物語」を作る。大体似たような話なんだけど、舞台とか人が少しずつ違う話を百万話自動生成する、ということを考えたことがあります。
百万話あるから誰も最後まで読めないんだけど、よくよく数えてみると九十九万九千九百九十九話しかないというオチで。
―― 誰も確認できないオチですね。
円城: そういうアイデアを話すんですけど、誰も聞いてくれない(笑)。
話を戻すと、ウェブや電子書籍向けに小説を書くとするとどんなものを書くかについて、真面目に考えたことはあまりないのですが、短いプログラミングコードを書けないと作れない小説を書きたいということは前から思っています。
それはさっきの「百万物語」でもいいのですが、「百万物語」そのものを見せる必要はなくて、「百万物語」を生成するコードの方が小説になりえます。コードが小説になりえるならば、紙に印刷してもおもしろくないでしょう。「Github」に上げる方がおもしろい。「百万物語」を自動生成するコードを小説にするというコンセプトがおもしろいわけで、「百万物語」自体はそんなにおもしろくないのがミソです。
ただ、それをどうマネタイズするのかという問題がありますよね。エロ漫画の広告を貼りつけるか……。
―― エロバナーからの広告でマネタイズする。
円城: エロ漫画とかエロサイトの広告だらけのところに「百万物語」を生成するプログラムのコードが置いてあるって、想像すると意味不明な構図ですよね。ディストピア感がすごい。
―― エロは強いですからね。
円城: 本当です。先日書店で聞いて驚いたのですが、ライトノベルは高齢者にも結構買われているそうなんです。ライトノベルって「欲望直結型」が多くなっているじゃないですか。高齢者の性欲にも応えていたのかと……。こういう話で大丈夫ですか?
―― おもしろいです(笑)
円城: 真面目な話をすると、電子書籍でマネタイズできるところを探しています。でも、誰が読むかっていう話なんですよね。さっきの「緑字」も、文芸誌を読む人がおもしろいと思う小説ではないんですよ。エンジニアの人が読んだらちょっとおもしろがってくれるかなという話なので。
理数系の世界って、数学ネタでもプログラミングネタでもいいんですけど、フィクションを作る余地はたくさんあって、読む人もいるんですけど、作品と読者を繋ぐ場がないというのは感じます。
「長編こそ王道」の出版界で短編を書き続ける理由
―― 円城さんの作品はキャリアを通じてほとんどが短編です。長編を書きたいという気持ちはないのでしょうか。
円城: 全然ないです(笑)短編が好きというのもありますが、長編はうまく書けないというのもあります。まずキャラクターがしっかり立っていないと長編にならないのですが、僕の小説の登場人物は大抵○とか△とか記号的ですし、そもそもあまり人間が出てきません。今回の本だって、主人公はほとんど「文字」ですしね。
どうも文学の世界は「長編こそ王道」みたいなところがあって、短編をある程度発表すると長編の依頼が来るのですが、僕は長編で何を書いていいのか未だにわかりませんし、「1文字だけ売りたい」なんて言うような人間ですから、できるだけ働きたくない(笑)。
―― 短編だけで生活している作家の方は珍しい気がします。
円城: 純文学系の雑誌に掲載している作家は、割と暮らしていけているんじゃないですかね。今後どうなるかわからないですが。自分の場合はデビューしてから不思議と本の売上げは変わらないですし、やっていけています。
―― 円城さんといえば、奥様の田辺青蛙さんも小説家で「作家夫婦」です。自宅で小説の話はされますか?
円城: 全然しません。書く時間も別々ですね。僕は昼間外に出て書くのですが、妻はホラー作家なので「昼間書くと間抜けだ」と言って夜に書くんです。
―― 喫茶店などで書くんですか?
円城: そうですね。人が見ていないと寝てしまうんです。家にいると家事をやってしまったりしますし。
―― 円城さんが人生で影響を受けた本を3冊ほどご紹介いただきたいです。
円城: 最近の本なんですけど、アンソニー・ドーアの『すべての見えない光』はショックを受けたというか、すごいなと思いました。
ドーアって多分、いつの時代のどんな主人公でも書けるんです。「ユニバーサル小説マシン」なんじゃないかと思って、ちょっと怖いくらい。『すべての見えない光』は、第二次大戦中のドイツとフランスを舞台に、出会えそうで出会えない少年と少女を書いた作品で、すごく優れた小説なんですけど、ところどころに「あれっ?」というわからなさがあるんですよね。
戦時の少年少女をあそこまでうまく書けるのはすごいんだけど、世界史としてみると「戦争ってこう書いていいんだっけ?」という恐怖感も覚えます。善悪がちょっとわからなくなる感じがある。
―― 2冊目はいかがですか?
円城: 2冊目はミルチャ・エリアーデの『ムントゥリャサ通りで』にします。ルーマニアの革命と幻想的宝探しを重ねて書いている小説で、昔から好きなんです。何らかの秘密を知っているおじいさんがいて、子どもたちはそのおじいさんが地下にある秘密の帝国につながっている人なんじゃないかということで追いかけているんだけど、政府は政府で謎の活動をしている怪しい人物として捕まえて、自白を強要させるわけです。
だけどおじいさんは半分呆けているような人だから、供述がめちゃくちゃで、しかもその供述が延々終わらない、という変な話。
最後はフリオ・リャマーレスの『黄色い雨』です。これはスペインの寒村でおじいさんと犬が孤独に暮らしているというだけの話。耐え難い孤独の話です。
―― 最後になりますが、円城さんの小説の読者の方にメッセージをお願いします。
円城: メッセージは一つ。「笑ってください」ですね。
取材後記
思いついたアイデアを次々披露してくれた円城さん。どれもユニークで、いつまでも聞いていたかったです。そして、ご本人が「笑えるものを」と語っていたように、どのアイデアもユーモアと笑いを志向するものだった気がします。
小説とは物語を読ませるだけではなく、発想の妙で笑わせ、ページ全体のレイアウトで読者に強烈な印象を与えうるもの。円城作品の魅力が詰まった『文字渦』は、文学の新たな地平を拓いた作品集だと思います。