話題の著者に聞いた、“ベストセラーの原点”ベストセラーズインタビュー

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ペインレス

『ペインレス』

  • 編集: 天童荒太
  • 出版社: 新潮社
  • 定価: 1500円+税
  • ISBN-10: 4103957034
  • ISBN-13: 978-4103957034

『ペインレス』著者 天童荒太さん

出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。

第101回となる今回は、新刊『ペインレス』を刊行した天童荒太さんの登場です。
家族狩り』『永遠の仔』『悼む人』など、これまで数々の大作を執筆されてきた天童さんですが、この『ペインレス』はかつてないほどに挑発的な作品。

心の痛みを感じない女と、身体の痛みを失った男。そこに愛は生まれるのか? アブノーマルな性愛を織り交ぜながら繰り広げられる、「実験的」とも思えるドラマの中に、人間が進みゆく未来が散りばめられているかのようでもあります。

今回は、構想20年のこの長編小説について、天童さんに語っていただきました。
(聞き手・文・写真/金井元貴)

抱いていた危機感と「心に痛みを感じない」人間を描くということ

著者写真

――  まず小説の内容についてお話をうかがう前にお聞きしたいことがあります。2015年に出版された新書『だから人間は滅びない』で、天童さんは「人々の孤立に対して危機感を抱いている」ということをおっしゃっています。この作品はちょうどその頃に『新潮』で連載されていましたが、新書で書かれていた危機感をこの作品にも投影されているのですか?

天童: その危機感はバックボーンとしては存在しています。新書では、その危機感の中で滅亡に向かう孤立から抜け出そうとしている人たちと対談をしたわけですが、今なお人々は孤立していて、自分の痛みには敏感だけれど、他人の痛みに理解を及ぼすことができていません。ハリネズミのようになって、他人を傷つけてしまうことさえある。

だから、私は痛みを訴える人に対して、「なぜ自分だけ痛みを抱えているような振る舞いをするのか」と腹立たしささえ感じます。それはずっと蓄積していますね。

――  主人公である麻酔科医の野宮万浬(まり)と、キーパーソンとなる藤都亜黎(あれい)は、心に痛みを感じませんが、この2人は絶対的な孤独を纏っているようにも感じます。天童さんはこの2人をどのような存在として描こうと考えたのですか?

天童: 私にとって執筆の時間は、痛みというものを元にして世界観を深めていく時間でした。そして、痛みがない人間を通して見たときに、人類が誕生してから今に至るまでの歴史が、痛みからの脱却を元にしてつくられてきたのではないかという仮説が浮かびました。

私たち人間が共通して持っている「痛み」を避けるために、掟やルールが生まれ、常識が生まれ、痛みを与えるようなことをした人間には罰を与えるという目的で法律が生まれ、秩序がつくられてきた。「痛み」を遠ざけて平穏に暮らそうという共通理解を元にして文明は発展してきたわけです。

一方で、私たちの脳は「痛み」を感じながら、その「痛み」の裏打ちとして崇高な「愛」を発明しました。「愛」と「痛み」は表裏一体です。愛するものを失ったり、奪われたりしたときには私たちは「痛み」を感じ、それが「怒り」に変わって攻撃となり、暴力の連鎖が生まれ、核の所有や化学兵器の製造がなされるようになった。ボタンを一つ押せば世界は滅びてしまう。そんな世界になっているわけです。
「痛み」を軽減するものと与えるもの。この2つが同時に発展してきたのが私たちの歴史です。ただ、それゆえに限界に来ているのではないかと思うんですね。

今、人々は誰もが平和に飢えずに暮らしていける世界がやってくることを信じていません。むしろそれは現実的ではないと言われる。私がその問いに対して向き合ったときに出した答えは「今の人間では無理なのではないか」というものでした。

――  「今の人間」では無理である。

天童: そう、今の状況では難しい。けれど、ホモサピエンスの脳はこれまでずっと進化してきたわけで、ここが到達点ではないはずです。今が最高であると考えるのは、合理的ではありません。
とすると、この滅びに向かっている時に突然変異的に新たな脳が誕生する局面があるのではないか。それを表現しようと思ったんです。

――  それが「心に痛みがない」という特徴を持った2人だったわけですね。

天童: 人間の限界の壁を飛び越える存在としての「ペインレス」の比喩として生んだのが野宮万浬という人間でした。旧来の「痛み」を前提にして造られた世界の中で、「痛み」を感じない万浬は文化を楽しむこともできないし、社会規範も意味をなさない。この世界は虚しさしかない。だから、彼女は孤独なんです。

亜黎は万浬の「モデル」となった人間です。世界で最初の「心に痛みを持たない人間」が万浬ではなく、その前にも同じような人間がいた。もちろん亜黎だけではなく他に何人もいたはずです。でも、知性が足らず「自分は社会に合わない人間だ」と自殺をしたり、苛立たしさから犯罪に走った人もいたでしょう。亜黎もそうした人間たちの一人でした。

では、彼と万浬の大きな違いはどこか? それは支える人間の存在です。亜黎にはいなかった。だから虚しさの中で自分に追いついてくれる次の世代の存在を探していたわけです。
一方で万浬は陸子という祖母の存在があったから、知性を身に付け、自分がおかしいのではなく、この世界が遅れているのだと理解することができた。そして次の世界に向かおうとしている。その長いプロセスがこの小説で描かれているというわけです。

天童荒太が見据える「人工知能」というテーマ

――  読者は、万浬や亜黎がいる世界とは大きな壁があることを強く感じると思います。そして実際に彼らも作中で「生きている世界」を分けて考えています。

天童: 理性と知性によって、この先何が必要かを考えられる脳にならなければ、我々の生存はありえないと気付いた人間にとって「愛」は壁なんです。でも、心に痛みを感じる人間は「痛み」と「愛」は表裏一体であり、それを捨てることはできません。その壁はとてつもなく高いし、私自身も越えられない。私は森悟(身体に痛みを感じないもう一人の主人公)側の人間ですから。

先ほども言ったように「ペインレス」というのは比喩的表現です。旧来、愛と呼ばれてきたものは実は自己愛であったり、自己中心的な欲望かもしれない。それを乗り越えて、本当に必要なものは何かを絶対的な理性と知性で考え抜ける脳にならなければ、この先人類が生存していくことは無理ではないかという感覚を私も持っているし、この物語を通して彼らが教えてくれたことなんですね。

――  この2人の存在は今後起こるであろう、人工知能の発展の話にもつながると思います。人工知能は愛があるように振る舞えうことができるけれど、実は愛は存在しない。その未来を見通した天童さんに圧倒されます。

天童: 人工知能というテーマは私の中で深く根を据えています。そして、人工知能というものが、今後、本格的に導入されていかなければ、人間の世界は存在し得ないだろうという危機感もあります。

今の世界の状況を見れば、それは明らかですよね。感情的に愚かな選択をしているリーダーに対して、一定数は何も考えずにOKを出している。言うことをそのまま鵜呑みにしている。そうでなくても、早く沈みそうなリーダーよりもゆっくり沈みそうなリーダーを選んでいる。ゆっくり沈みそうな方を選ぶしかないという悲鳴も聞こえます。

だから、究極的に合理的な判断ができる人工知能に5年後、10年後、あるいは長いスパンで本当に必要なものの選択を委ねる。もちろん、犠牲も生まれるでしょう。でも、これから先、人類が存続することは人工知能の力をもってしかありえないでしょう。

では、そのときに人間という生命体が持っている生殖が、愛による生殖でなくなれば、何をもって人間は生存し得るのだろうか。かつて、ロシアがソ連だった頃、赤ん坊をある特定の男女の子供ではなく、「国家の子供」として他者が育てるという政策を進めました。ところが愛情が足りず赤ん坊たちはみな死んでしまったという事実があります。

つまり、人間は愛情がなければ生き物としての生存はありえない。それは人工知能が直面する生命体との相克でしょう。それは次の小説のテーマになるでしょうけれど、そういう問題が起こることは間違いないです。人工知能のことまで見据えていただけたのは嬉しいですね。

著者写真

――  今のままだと沈むのが早いか遅いかでしかリーダーを判断できないという話は非常に頷けます。実際この小説でもその部分のせめぎ合いが見えてきますね。

天童: 今のままなら人間では滅ぶでしょう。でも、私にとってはそれが希望なんです。今の人間には無理だよというのは、希望のない言い方になるけれど、そこに達したい。今の状態では無理だけれど、そうではない状態にいければ存続しうる可能性がある。そこにいこうよ、と。

――  この『ペインレス』は20年間の構想の末にできた物語です。20年前というと、1995年に阪神大震災と地下鉄サリン事件があり、それから2001年の9・11、さらにイラク戦争からリーマンショック、アラブの春、東日本大震災、イスラム国と国内外で大きな事件が起き続けました。そうした世相に影響された部分はありましたか?

天童: それはすごくありますね。1995年の前、『家族狩り』を執筆しているときから感じていたことがあります。つらい事件や悲しい出来事が起きた時、「みなで共有して考えていこう」という風に社会は動かず、「その人が悪い」「その人の家族のせい」「生まれや育ちのせいだ」という風に個人の責任を強く問う流れがありました。

それは、事件を起こした人を社会で抱えるのは厄介で、社会全体で考えて環境を整えるよりは自己責任だと言って突き放したほうが楽だからです。この20年はそれがどんどん進んでいった時代だったと思います。

それが進んだために、自分の痛みを他者に打ち明けられない世界になり、痛みを覚えることは生きていくうえで当たり前なのに、痛いという表情をできなくなった。暗そうな顔をすると、輪に入れなくなる。その痛みが重くなり過ぎると、自殺というところまでいってしまう。そういう世界になっていると感じることは多々あります。

――  「自分たちは傷つけられた。あいつらが悪い!」という思想は確かにここ近年顕著に見られます。

天童: テロでたくさんの人が犠牲になりました。その場は深い悲しさをまとっているはずなのに、悲しみを深く悼み、「我々はなぜこうなったのだろう」と自省して人の命を奪わない世界にいくにはどうすればいいのだろうと考えるのではなく、「命が奪われた!攻撃しろ!」という姿勢になってしまう。しかも日本もヨーロッパも含めてそういう意見が大多数になりました。

こうした状況の中で『悼む人』という物語が出てくるのですが、それは「この世界は本当に人の命を大事に思おうとしている世界なのか」「理性を働かせない世界がどうして生存可能なのだろうか」と常に感じていた疑問が反映されたものです。また、『歓喜の仔』『ムーンナイト・ダイバー』もそこから出てきた物語です。

ただ、今回の『ペインレス』は、今この作品を出さないといけないということよりも、自分の感じ方が高まって、自然に出てきた物語だという感覚が強いです。今、一番「痛み」ということに対してセンシティブでありながら鈍感でもあるという状況で、ちょうど生まれた。

――  必然的に作られた物語だった。

天童: 作るというよりは「生まれる」ですね。それは他の作品もそうですが。

――  『ペインレス』のもう一人の主人公ともいえる森悟。こちらはテロに巻き込まれて肉体的な痛みを感じなくなってしまった青年です。ところが彼は心の痛みに対して人一倍敏感ですが、彼に託したものとはなんですか?

天童: いうなれば、自分を含めての旧世界の代表者ですね。旧世界の代表として、この世界の醜さや欲望、綺麗事ではない部分を知っている存在として彼を表現しました。

確かにこの世界は滅びるかもしれないけれど、この世界の愛おしさも知っている人間として、万浬と向き合う。暴力の連鎖と欲望に支配されている世界の中で、理性的にも知性的にもなれない部分は確かにある。それでも愛以外に私たちは何を大事にすればいいんだ? という自問を含めて、旧世界に留まらざるを得ない人間の主張や悲鳴を表現しうる存在です。

――  森悟には共感を抱けます。それは私たちが向き合っている壁に対する想いを彼が体現しているからではないかと。

天童: 作者である私自身も彼には共感を抱いています。でも、自分は壁を超えてゆけるとは思っていないし、万浬に対しては憧れを持って見ている部分がありますね。

――  万浬の描き方はかなり突き放しているというか、客観的ですよね。人の傷に徹底して寄り添うこれまでの登場人物とは真逆の存在ともいえるというか。

天童: 例えば『永遠の仔』ですと、彼女たち3人の感情に自分が深く潜っていき、3人の子どもの感じかたの波のようなものを表面に浮かび上がらせることによって、読み手による感情移入と共感によって前に進むという物語でした。これは非常に特別な形で、(通常の作品以上に)より激しい信仰的な読者を持つような構造になっています。

今回の主人公である万浬は心に痛みを感じないし、人間の感情の部分を本当には理解しない。それが彼女がこの世界にいる意味であり、彼女自身も価値を感じている部分である。そうすると、『永遠の仔』のように感情移入によって物語を進めることはできないわけです。一切の彼女への感情移入を排したうえで物語を進めるときに、読者に別のページをめくってもらうための技術が必要です。その普通とは違う物語を進行させる技術をビルト・インして、この物語を表現したということですね。実はかなり難しい作業でした。

「セックスそのものを強烈に書きたかった」

――  天童さんの読者にとっては極めて挑発的な小説だと思います。私個人としては、物語の進むスピードにその部分が出ているように感じました。森悟や美彌の語りの部分はすごくスピードに乗って読めるのに、万浬の部分はとにかく考えながら読まないと前に進めない。

天童: それはすごく意識的に書いています。例えば美彌の語りの部分は旧来の物語の進行技術を使っているので、読むスピードは速くなると思います。ただ、一方でアブノーマルな世界の中に入ってもらい、その中で旧来の人間の限界を越えられる存在になれるかという問いを読者に投げかける構成を取っているので、コインの裏表のように万浬が何を求めて生きているのかが読者に見えてくれば、と考えながら表現をしていました。

――  また、本作では「セックス」がシンボリックに使われています。

天童: セックスはシンボルとして置いたのではなく、セックスそのものを強烈に書きたかったというのが実はこの作品の原点なんです。

表現者として、エロスとタナトスは最も重要なモチーフの一つであり、最も大きな問題なんですね。もちろん、セックスを避けて、クラシカルな物語を通ってエンターテインメントとして成立している作品はたくさんありますし、それは全く問題ありません。私自身もそうした物語を書いたことがあります。
ただ、今回は自分にとって新しい表現にチャレンジしたい。あるいはチャレンジできる立場にあったので、旧来の価値観とは違うものを表現すると同時に、エロティシズムというものを表現してみたいと思っていました。

最初は肉体に痛みを感じない人間と、心に痛みを感じない人間を出会わせたときに、愛の物語は生じないけれども、性愛の物語なら成立するのではないか。この2人は、性愛の喜びとはなんだろう、セックスの価値はどこにあるのだろうということを探っていくだろうと考えていました。
そして、セックスによって帯びる快楽は脳による分泌物の快楽ホルモンに依るものだと分かっていながら、実際に肉体同士の接触をどう快感としてとらえるか、つまり医学とロジックと肉体がそこで絡み合う、新しいエロティシズムが表現できると思ったんですね。

世界の誰も書いていないエロティシズムを自分が書けるということが、この作品を書くときの最大のモチベーションでした。

――  「誰も書いたことのないセックスが書きたい」というモチベーションですね。

天童: そうですね。三島由紀夫も谷崎潤一郎も書いていない。マルキ・ド・サドもギヨーム・アポリネールも表現していない。世界のどんな作家も書いていないセックスが書けるとすれば、それは作家としての一つの喜びです。その後に痛みによる世界、人間の限界といった部分に発展するわけですが、最初はセックスです。

――  本作にはアブノーマルなシーンも含めて様々なセックスが出てきます。セックスシーンを描いているときはどのような感情なのですか?

天童: 本作については、初めての表現を書いているという点でワクワク感がありました。気を付けたこととしては、とにかく想像力を働かせるということですね。そうでないと、どんな行為をしているのかよく分からなってしまうので(笑)。非常に知的な作業でしたし、性的な興奮が自然に高まるような表現ができていたので、エキサイティングでしたよ。

――  天童さんが今、興味を抱いているトピックを教えてください。

天童: 『ペインレス』でも表現していることですが、人類が危機的状況にあるかもしれないのに、みなが目を瞑ってしまっている状況が国内外問わず蔓延しているように感じます。
感情に流されてしまって、物事を冷静に見極められない。世界的視野で見ることができない。それがずっと続いていて、本当にこれでいいのか?と疑問を抱いています。

――  その問題意識はこれまでもずっと持たれていますよね。

天童: そうなんですが、事態はどんどん悪化しているように見えますし、悪化すればするほど、目を瞑る人も増えているように感じます。おそらくはそれこそが人間の限界ではないかと思うんです。
ただ、表現者として、そうした状況をブレイクスルーする表現をどう生み出すか自分自身に問いかけていますし、そういう表現をしていきたいと思っています。『ペインレス』はその一つですし、先ほどご指摘くださった人工知能と生命体の相克は今後のテーマになりますね。

――  この「ベストセラーズインタビュー」では、毎回影響を受けた本を3冊ご紹介いただいております。天童さんにも選んでいただきたいのですが、いかがでしょうか?

天童: まずはドストエフスキーの『白痴』をあげたいかな。これは究極の三角関係が描かれていて、その美しさが私の『永遠の仔』に引き継がれていったというところがあります。自分の中では意識していたわけではないのですが、振り返ってみるとあの三角関係の美しさは『白痴』から来ていたものだと思いますね。

2冊目はヴィクトール・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』です。『夜と霧』の方が著名ですが、この作品はすごく良いです。もう一冊は『ペインレス』関係で、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』。これもすごい作品です。この3冊でしょうか。

著者画像

――  では最後に『ペインレス』について読者の皆様にメッセージをお願いします。

天童: 自分のこれまで考えてきた思想と得た技術を全て吸い込んだ、表現の一つの極北まで到達しているのがこの『ペインレス』であると思います。

――  ぜひ多くの方に読んでいただきたい作品です。ありがとうございました。

取材後記

取材前は天童さんに寡黙なイメージを持っていたのですが、丁寧に、分かりやすく、そして時折笑いを織り交ぜながら、新作『ペインレス』についてたくさん語っていただきました。「誰も書いたことのないセックスが書きたい」という作家としてのプリミティブなモチベーションからスタートされていたことは驚きでしたが、作品を通して人間の根源とその進化に迫ろうとする天童さんの姿勢に終始圧倒されました。次に天童さんが表現する世界も楽しみです。
(新刊JP編集部/金井元貴)

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『白痴(上巻)』
著者: ドストエフスキー(著), 木村 浩(翻訳)
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ISBN-10: 4102010033
ISBN-13: 978-4102010037
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著者: V.E. フランクル(著) 山田 邦男(翻訳), 松田 美佳(翻訳)
出版社: 春秋社
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プロフィール

■ 著者 天童荒太さん

1960年、愛媛県松山市生まれ。1986年『白の家族』で野性時代新人文学賞を受賞して文壇デビュー。1993年『孤独の歌声』で日本推理サスペンス大賞優秀作、1996年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、また2009年には『悼む人』で直木賞受賞した。人間の最深部をえぐるテーマ性に於て、わが国を代表する作家である。『包帯クラブ』『歓喜の仔』『ムーンナイト・ダイバー』等、著書多数。(『ペインレス』より)

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『ペインレス 上巻』
著者: 天童荒太
出版社: 新潮社
定価: 1500円+税
ISBN-10: 4103957034
ISBN-13: 978-4103957034

作品紹介

中東でテロ事件に巻き込まれ身体への痛みを失った青年と、「痛み」に強い関心を寄せる奔放な美しき女性麻酔科医。「痛み」を「性愛」を通して描かれる「滅びゆく人間」と、「新しい世界に向かう人間」の2つの姿。人間のモラルを打ち砕く、天童荒太待望の新作長編小説。

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