泥の中で咲け
著者:松谷 美善
出版:幻冬舎
価格:1,100円(税込)
著者:松谷 美善
出版:幻冬舎
価格:1,100円(税込)
一人で自分を育ててくれた母親が突然死んだ。
父親の記憶は4歳の頃から消えている。生活は困窮を極め、小学校の修学旅行にも行かなかった。中学生になっても、決して目立つこともせず、愛だの恋だのと騒ぐクラスメートをしり目に、ひっそりとやり過ごした。
高校生になると、すぐに引きこもりになった。そして、あの日がやってきた。7月初旬、家でゲームをしていると、電話が鳴った。
「お母さんが職場で倒れて、救急搬送されました」
それから、人生は大きく転落していくのだった。
『泥の中で咲け』(松谷美善著、幻冬舎刊)は、「坂本曜」という一人の男の転落と再生を描いた小説である。
この物語の見方は、「曜」という人物をどう捉えるかで大きく変わってくる。
未成年だった曜は、脳死状態になった母親の身元引受人になることができず、叔父や、離婚して出て行ったまま行方不明だった父親に連絡をするも、冷淡な態度を取られてしまう。
結局は父親が支払いや書類への押印などの事務手続きを行ってくれたが、その父は母親の火葬場で「今日から一人で生きていけ。もう一切、俺に頼るな」と請求書を曜に押しつけたのである。
天涯孤独となった曜に待ち受ける前途は多難だ。高校を中退し、寮のあるリフォーム会社で働きだすが、次々と従業員がいなくなっていき、曜もわずか3ヶ月あまりでクビを宣告される。
どうにかして次の職場を見つけなければいけない曜は、藁にもすがる思いで寮の部屋の押し入れの中にあったメモに書かれていた電話番号に連絡をする。しかし、連れていかれた古い木造住宅で、危険ドラッグの人体実験の現場を目撃するのだった。
多感な時期に絶望を経験した曜は、社会に適応できずに職を転々とし、ついには犯罪に手を染めるようになる。誰かの寂しさや弱みにつけ込んで、お金を巻き上げる――「騙される側」だった少年は成長し、「騙す側」にまわるようになっていた。
曜はその後、逮捕されるのだが、そこからまた物語は動いていく。それは「再生」のストーリーだ。
ここまでのあらすじを見れば、「孤独な少年」「社会に適合できず詐欺を働いた犯罪者」といった曜の顔が見えてくる。しかし、曜のその後の人生を動かしていくのは、壮絶な人生の中で出会った人々との中で形成された新たな一面である。
本作は、著者の松谷美善氏が「人がやり直せる機会が増えれば犯罪も減り、今より円滑な人間関係が生まれるのではないでしょうか」とあとがきでつづっているように、人はなぜ過ちを犯すのか、そしてそれを許すのは誰かということが一つの大きなテーマとなっている。
この物語を読み終えたとき、「曜」に対してどんな印象を持つだろうか。そこで生まれてくる感情が、この物語が読者に提示する最大の問いかけなのだろう。
(新刊JP編集部)
■主人公に自分を投影しながら物語を書いた
松谷: 親子って、人間の集団における一番小さな核ですよね。でも、その関係が上手くいっていない人って多いんです。それは私自身も経験しているのですが。
ただ、この『泥の中で咲け』という小説は、もともと親子の話ではなかったんですよ。最初は、坂本曜という10代そこそこで孤独になってしまった若者が、どうやって一人で生きていくのかということを描こうとしていたんですよね。
でも、曜は一人で生まれてきたわけではないし、見捨てられたとはいえ、家族もいる。そんな曜について、私は自分を投影して書こうと思ったんです。
松谷: 作中で曜は犯罪に関与したりしますけれど、もちろん私はそういう経験はありません。ただ、両親との関係――特に父親との関係ですよね。そういったところについては、自分と曜を重ねる部分はありました。
曜は母親を脳梗塞で失っていますが、私の場合は父親が脳梗塞で亡くなっています。その父は全然しゃべらない人で、コミュニケーションの手段として暴力をふるったりしていたんです。暴れ出すと本当に手出しができない。そんな人でした。
そんな父が脳梗塞で最後の言葉もなく死んでしまった。亡くなる1週間前に面会をしたときに、どういう教育方針だったのか聞いたんですけど、答えられなくて。すごく自分勝手な父親だったと今でも思います。
ただ、それは不器用の裏返しでもあると思うんですよね。曜の父親も不器用で、自分のことでいっぱいいっぱい。母親を亡くして、一人になった曜に対して突き放すような言葉を言ってしまったのも、人間的に未熟であり、子どものことをしっかり理解していなかったからなんですよね。
松谷: あまり美青年にならないように気を付けました。それに、私自身勉強があまりできなくて、クラスの中でも後からついていくようなタイプだったのですが、そういった自分の性格と重ねましたね。
松谷: そうですね。私だったらどうするだろうと思いながら書いていました。
松谷: 曜一人だけだと、あまりにも独りよがりで、物語が狭まると感じたためです。もともと、登場人物もそんなに多く出てくるわけではなかったのですが、人間らしく恋もした方がいいと編集者さんからアドバイスをいただいりして、広がっていったという感じですね。
松谷: この物語を書くことになったきっかけの一つが、実はコロナなんです。このコロナ禍によって、たくさんの人が職を失ったり、収入が減ったりしてしまいました。その影響は国民全体に及んでいます。
でも、被害を一番被っているのは、子どもや高齢者といった弱者だと思うんです。私自身、子どもと高齢者が家で当たり散らされているという話を耳にすることがあって、人々のイライラが弱者に向けられているように感じるんです。
また、もう一つモチーフをあげるとすると、「子ども食堂」です。ドキュメンタリー番組をよく見るのですが、「子ども食堂」のような支援に辿り着ける子どもはまだいいほうだと思っていて、どこに助けを求めたらいいのか分からない子どもがたくさんいると感じるんです。
親からネグレクトされて、助けを求めている子どもたちはたくさんいる。そうした崩壊してしまった親子関係はいたるところに転がっているということを強く感じるんです。
松谷: そうです。でも、これは彼がかわいそうだという話として書いたわけではないんですよ。いつ誰でも、彼のようなことが起こりうると伝えたくて書いたんです。
■一番大切なテーマは「人はどこからでも生き直せる」
松谷: そうです。人生にくじけてしまう時ってあるじゃないですか。私の身近にも、立派な大学を出ていながら社会でくじけてしまった人はたくさんいます。誰もが順風満帆に生きることはできません。
でも、自分が弱者になってしまったとき、人生にくじけてしまったときに、どのように立ち直っていくかということが大事だと思うんです。それが、この小説に込めた「人はどこからでも生き直せる」という一番大切なテーマなんです。
松谷: そうです。でも、生き直すには、一人の力では難しいものがあります。そこは誰かにきっかけを作ってもらうことが必要で、曜の場合は、自分が犯罪をおかして、その裁判が結審するときに来てくれた父親であり、叔父なんですよね。彼らが曜をしっかり受け止めてくれたからこそ、生き直すことができた。
松谷: 確かにこの社会にはいろんな人がいて、相容れないこともあります。でも、もう少し寛容な社会になれば、立ち直れる人も増えるように思うんです。
松谷: 曜の場合は、あまりにも幼くて無知だったということもありますが、基本的にはどういう人に出会うか、そしてどう接するかで、大きく変わってくると思いますね。
松谷: そうですね。まさに現在の状況を投影しています。
松谷: 誰でもこうなってしまう可能性があるということです。もちろん感染を防ぐ努力はすべきだと思うのですが、やはりマスクをしていても感染するときは感染します。また、ワクチン接種をしていてもブレイクスルー感染の可能性があるといいます。今(11月中旬)は感染者が落ち着いていますが、それでもゼロになってはいません。
そういう状況の中で、自分は健康だから大丈夫だと思っていても、いつ曜のようになるかは分からないんだよということを伝えたいと思っていました。
私自身、慢性の疾患で大きな病院にかかっていて、大きな手術も2、3度経験しています。周囲からは「どうすればそんな大きな病気にかかるの?」と聞かれるくらいなんですが、それは自分が健康だと思っているからそう聞いてくるのだと思うんですよね。でも、ちゃんと体をくまなく検査をすれば、大きな病気が見つかるかもしれません。それは誰にも起こりうることだと思うんです。
松谷: 指摘したかったですし、それに医療関係者の方が一生懸命働いてくださっていることに、感謝の気持ちを込めたかったというのもありました。
松谷: 老若男女、皆さんに読んでほしいのですが、これまで書いてきた2作は介護と終活がテーマだったので、若い方に興味持ってもらえなかったんです。だから、今作は若い方にも読んでほしいですね。
今作のテーマは「人はどこからでも生き直せる」というものです。そのことを、ぜひ曜の人生の中から掬い取って感じてほしいなと思います。
(了)
松谷 美善(まつや・みよし)
1959年、東京都港区で出生。國學院大學栃木短期大学国文学科卒業。著書に、難病を患った母の介護を綴った『涙のち晴れ 母と過ごした19年間の介護暮らし』、両親への複雑な思いを吐露した『不完全な親子』(いずれも小社刊行)がある。
著者:松谷 美善
出版:幻冬舎
価格:1,100円(税込)