本作を「いじめられっ子が奇跡を起こしながら、周囲の少年・少女たちを成長させていく物語」と表現してしまえば、おそらく簡単なのだろう。
しかし、この物語、そんな一筋縄ではいかなそうだ。
精神に深く根差した世界観が繰り広げられ、「いじめっ子」側の事情もじっくりと深掘りしていく。
何よりも「いじめられっ子」である少女の存在感が、物語を進めていくごとにだんだんと大きくなる。ブレない強さを持ち、「いじめられても平気」と平然とし、むしろいじめっ子たちに対して全てを受け入れ、慈愛の眼差しを投げかける。この存在感は、一体何だろう――。
それが、『ブ・デ・チ』(鶴石悠紀著、幻冬舎刊)の主人公であり、千葉の公立中学校に通う神山エリだ。
「ブ・デ・チ」とは「ブス」「デブ」「チビ」の略語で、エリと同じクラスのいじめっ子である健一と広大が名付けたものだ。
ひときわ小柄なエリは、目がつけられやすい存在だった。
しかし、当の本人は何処吹く風といった具合。なぜなら、変に同情されたり、哀れに思われるよりもよほど気楽で、自分自身の存在を否定するようなあだ名ではないと考えていたからだ。
中学1年生という多感な時期を過ごす少年少女たち。
クラスメートの自殺未遂事件、いじめっ子たちそれぞれが抱えている複雑な家庭環境が明かされながら、11月初めにはエリたちのクラスに転校生・瀬戸太一がやってくる。
そして、12月初旬に行われる「音楽祭」で、物語は大きく動くことになる。
エリたちは音楽祭で東日本大震災の被災地復興を応援するチャリティーソング『花は咲く』を合唱することに決める。しかもただの合唱ではなく、独唱など少しアレンジを加えたバージョンだ。
そして本番。ステージ上で独唱するはずだった美和の声が出ない。ちょっとしたざわつきの中で、いじめっ子グループの一員である広大が「ブデチ、お前代わりにやれ」と、エリを前へ突き飛ばす。
エリは最初こそ困惑したものの、泣いている美和の顔を見て覚悟を決め、見事なソプラノで独唱パートを唄い上げたのである。そして、1年4組の合唱は見事最優秀賞に輝くのであった。
後日、美和はエリの家を訪ね、感謝の言葉を告げる。
そして、エリは美和を自分の部屋にあげて、「ある一枚の絵」を見せるのであった。
そこで美和が見た1枚の絵は、その後のエリたちが大人になるまで続いていく物語に大きな影響を及ぼすことになる。
エリが、なぜいじめられても平然とし、むしろいじめっ子たちを大きな愛で包もうとするのか。それを解き明かすヒントがその1枚の絵なのだ。
今、私たちは新型コロナ禍の中で、毎日を混乱しながら生きている。時に取り乱し、時に誰かに強い言葉を投げてしまうこともあるだろう。
しかし、いつでも心に「救い」を持っておくこと。自分の使命をしっかりと抱いていること。そうすれば、この異常事態も自分を律しながら前を向いていけるはずだ。
もちろんそれは簡単なことではない。
だが、『デ・ブ・チ』の主人公・神山エリの言葉を一つ一つ読んでいくことは、救いを得るための一つの手ではないだろうか。
(新刊JP編集部)
■「人間が生まれてくる理由や目的をさりげなく伝えてみようと思った」
鶴石: 私は、東京に単身赴任になった43歳のころから宗教哲学に興味を持ち、10年ほど朝晩の1時間の座禅を続けてきました。
5年ほど経ったとき、深夜に胸が苦しくて息が出来なくなり、目覚めてみると、胸の上にぼんやりと黄緑色に輝く玉が載っていたのです。ぱっと、手で払うと、それはあたかも猫かネズミのようにチョロチョロと逃げていき、私も思わず布団から飛び出して捕まえようと手を伸ばしたのですが、逃げてしまい、壁にぶつかって消えてしまいました。どう考えても、動物の霊体を見たのです。
それからしばらくして、通勤途中にある小さな公園に沢山の野良猫が住みついていて、それまでは、私が通りかかると逃げていた猫たちが、ニャーニャーと甘えるような鳴き声を出して何匹も寄ってくるようになりました。足にまとわりついて離れないので、しばらく背中をなぜてやったりしました。
このことがあってから、息苦しかった霊体は猫の浮遊霊だなと思えたのです。それ以来、霊界は存在するし、この物質次元以外の世界も存在すると信じられるようになりました。その後、神智学を色々読みあさり、霊界も多次元なのだということや、霊的な波動の力の違いで霊界次元が分かれているのだろうと思うようになりました。
鶴石: はい。そして、人間が死んだら、その人の元々の霊的な進化の程度によって、戻る霊次元が違うと言うことも信じられるようになりました。人間の霊体は、霊界から物質次元に生まれ変わってきて、艱難辛苦や喜怒哀楽の様々な経験を通して、自己の霊性を高めていくことが産まれてくることの真理なのだと信じられるようになったんです。
しかし、この話をまともに説いたのでは、狂人か怪しい新興宗教教祖かと思われてしまうことも分かります。そこで、私が体験的に納得した世界の真理をそれとなく読み物として伝えておきたいと考えました。
鶴石: そうです。『天意を汲めるか』も同じ意図を持って書いたのですが、いきなり霊的な世界に踏み込んだのでは、多くの人に敬遠されると思い、最も話題になっている東南海地震を場面設定に使いました。2作目の『霊性進化』では信じている真理について、まともに取り上げてみました。
そして、この4作目となる『ブ・デ・チ』は、主人公を身近な女子中学生にして、それでいて、人間が生まれてくる理由や目的をさりげなく伝えてみようと思ったんです。
鶴石: 宗教色や哲学観が強くならないように物語として構成しました。ですが、人は生まれ変わりながら、霊的に進化し向上することを目指して、生きているという点は、行間に含めています。
布石になったのは私の仏教観、哲学観を伝えたいということです。そして、着想は、いじめられている子供たちに、自分がなぜこの世に産まれてきたのかに気づいて、強くなって欲しいと考えたことから、「ブス・デブ・チビ」の女子中学生を取り上げたのです。
鶴石: 文芸大賞に応募しようと思って書き出したので、6ヶ月くらい、仕事の合間に書きましたが、最初から構想は決まっていたので、途中で迷ったりはしませんでした。
■「自分は何のためにこの世に産まれてきたのか」を問い続けてほしい
鶴石: 霊的な進化の世界では、多次元の霊界があり、もっとも進化した霊体は、8次元霊界に属していると言われているのです。大日如来や薬師如来、釈迦如来は8次元霊界に存在すると神智学では説いています。
菩薩は、1ランク下の7次元霊界の存在だと言われていますが、そのクラスになるとふたたび人間界に産まれてきて修行する必要はないと考えられていますが、私はあえて、7次元霊界の文殊菩薩でもさらにもう1段階の霊的進化のために産まれてくる事はあるのではないかと設定しました。
そうすると、それだけ進化した高度の仏的存在は、人間として産まれてきたときに、どういう目的、あるいは命題を進化のテーマにするだろうなと想像しました。モデルはいません。
鶴石: 回答は前の質問で述べています。霊的進化のために、文殊菩薩といえども、様々な体験を自己の成長の糧にするのです。
鶴石: 詳しくは前編でお答えしていますが、自分の座禅修行の中で、霊的な体験をしたことで、自信を持って刮目したからです。
鶴石: 太一をどう書くかと色々考えました。凶暴な霊的な資質を持って生まれてきた人物も、その凶暴にいたる経験があるはずだと考えて、モンゴル兵に遭遇させました。
そこから、凶暴性が何度も生まれ替わりながらひどくなると言う設定にし、文殊菩薩は普通なら手に負えない凶暴な霊体を正しい進化の軌道に乗せるべく指導するという役目を高次の仏として目指すはずだと考えました。
鶴石: 音楽は人間が根源に持っているエネルギーに通じていると思います。霊的な世界での次元を分けるのは、霊的な波動だと言われるのですが、それは音楽のエネルギーに近い概念かなと思うこともあります。
高次の存在は美しい音楽を愛する。それは霊的なエネルギーを純化したり、高めたりするからだろうと想像します。
鶴石: 今のところ、二つの取組みがあります。一つは、最初に書いた霊性進化や生まれ変わりの仏教観、哲学観を読み物にして伝えることです。
もう一つは、人間の力は大きな自然の力の前では弱いものだが、それでも、人間は立ち向かうことで強くなれるし、正しく進化していくのだと言うことを仮想の大災害を前提にして物語に仕立てることです。処女作の『天意を汲めるか』は両方の意図を交差させています。
鶴石: 今、悩んでいる若い生徒や先生に読んで欲しいと思います。
鶴石: 自分は何のためにこの世に産まれてきたのかという問いを常に問い続けることが大事です。その上で、今置かれている立場の中で、正直に誠実に精一杯生きることが、次につながります。
鶴石悠紀(つるいし・ゆうき)
1945 年、岡山県生まれ。1967 年、東京大学電気工学科卒。セイコーエプソン(株)、(株)リコーに勤務後、2005 年経営コンサルタント事務所開業。中小企業診断士、社会保険労務士。著書に『天意を汲めるか』『霊性進化』『こんにちは、民生委員です。』(2018 年、幻冬舎メディアコンサルティング刊)。長野県茅野市民生児童委員(2020 年3 月現在)
著者: 鶴石 悠紀
出版: 幻冬舎
価格: 1,400円+税