小節は6月から始まる
著者:青山 太洋
出版:幻冬舎
価格:1,320円(税込)
著者:青山 太洋
出版:幻冬舎
価格:1,320円(税込)
「おばさん。うちが未婚の母子家庭だから幼稚園の風紀が乱れるって触れ回るの、止めてほしいんだけど。僕たち、園の運営に迷惑かけたりしてないよ。うちにはうちの事情があるから、いちいち説明しなくても、保護者どうし仲良くしてほしいんだ。」
幼稚園で「未婚の母子家庭」への差別感情を持つ保護者に、大人顔負けの物言いで抗議する5歳の子ども。決して感情をあらわにすることなく、淡々と相手を言い負かす様子は、年齢からするとかなり異様でもある。
『小節は6月から始まる』(青山太洋著、幻冬舎刊)の登場人物の一人、牧森優輝が言う通り、優輝の母親・未代はシングルマザーとして優輝を育てている。高校時代の先輩でもあった交際相手の園井との間にできた子どもだったが、園井が転職で福岡に引越す時、未代は彼について行く決断ができなかった。一緒に福岡に行くということは、死んだ父・慶三から引き継いだ横須賀の喫茶店「マートル」をたたむことを意味していた。だから未代は、妊娠の事実を告げぬまま、自ら身を引いたのだ。
父から引き継いだ店を、拙いながらもどうにか切り盛りしている未代だったが、けっして独りぼっちではない。父親が経営していた頃の常連客が、長年の習慣からか、はたまた未代が心配なのか毎日のように顔を出すし、なにかと気にかけてくれる親友もいる。何より、未代は息子である・優輝から、死んだ父を感じていた。
顔立ちが似ているというわけではない。冒頭で触れた、妙に大人びたその口調である。詳しくは触れるのは避けるが、その口調は「父そのもの」。未代は確かに、死んだ父に見守られているのである。
周囲の人々に支えられながら生きる未代だったが、新しい恋の気配もある。店を手伝ってくれるアルバイト大学生の永松悟は、ひそかに未代に思いを寄せ、「悪い虫」がつくのを警戒する古くからの常連客からの厳しい視線にも負けずに、少しずつ距離を縮めていく。未代は未代で、子どもがいて、かなり自分の方が年上だという状況に気おくれを感じながらも、永松に好意を持ち始めていた。
しかし、永松は未代に思いを伝える前に、大きな人生の選択をしなければならなかった。北海道出身の彼は、地元での就職を控えていたのだ。未代に思いを告げるなら、就職は辞退しなければいけない。もし、未代が自分を受け入れてくれたとしても、就職で遠距離恋愛になるならば、会ったことはないが存在は知っている園井という男と同じになってしまう。
わざわざ北海道まで出向き、内定辞退を伝えることで仁義を通した永松。晴れて未代に向き合おうとした彼だったが、その頃「マートル」を訪れていたのは、ほかならぬ園井であった……。
◇
恋愛あり、笑いあり、涙ありのヒューマン・ドラマだが、一貫しているのは作中にただよう優しく、他者への思いやりに満ちた雰囲気だ。「自分の大切な人に会う」という、以前できていたことがなかなかできなくなり、何かと他者への批判の声が飛び交うぎすぎすした世の中だからこそ、この作品で描かれている「人のぬくもり」は強く印象づけられる。
家族や友達などに、「久しぶりに連絡してみようかな」と思わせてくれる一作だ。
(新刊JP編集部)
■頭に浮かんだ「喫茶店」の映像から生まれた物語
青山: 私は小説を書く時、文学の基礎知識がないために、頭に浮かんだ構想を映像化してから文字に置き換えています。小説の映画化とは逆に、映画の小説化とでもいうのでしょうか。
その構想群の中には、斜め上に手を伸ばせば届きそうなところにある非現実の世界を、オカルトやホラーでなく、今生きている日常と重ねるアイデアがありまして、この小説はそのアイデアが形になったものです。
青山: 喫茶店のシーンですね。なんとなくですが喫茶店が頭に浮かんできて、そこでのお客さんのやりとりなどもイメージできたんです。三人くらい、この小説の主人公のお父さんである慶三の旧友たちがカウンターに座って、話しているところが浮かんできたので、喫茶店をこの小説の舞台にしようと考えました。
青山: 学生の頃にあのあたりに住んでいたんですよ。といっても横須賀市ではなくて、横浜市との境界の横浜側でしたが。横須賀の街は好きです。
青山: 慶三が2度目の別れを告げるシーンです。私にも娘が3人いまして、何かあった時には(あってはいけないのですが)、彼のように強く振る舞い、その強さを負担にならないようにさりげなく隠したいものです。そんな憧れを込めて書いてみました。
青山: ありがとうございます。本当に映像にしたら子役がすごく大変そうですが(笑)。
青山: そうですね。もう二度と会えないかもしれないということで優輝が見せた優しさです。
■悪役を無理に作らない ヒューマンドラマ『小節は6月から始まる』の創作技法
青山: それは私が善人だからです(笑)。というのは冗談で、私のまわりに、本編に登場するキャラクターたち以上に優しくて、誠実で、思いやりのある人が多いからだと思います。書いている時は意識しなかったのですが、こうなってしまいました。
青山: そうなんです。いい人のままという。
青山: 一瞬「悪くしようかな」とは思ったのですが、無理やり悪役にするのもおかしいじゃないですか。悪役はいないとはいえ、山も谷もある小説なので、楽しんでいただきたいですね。
青山: 亡くなった人が夢枕に出てきたという体験はないのですが、今まで生きてきた60年間を振り返ると、かなり大きなけがもしましたし、失敗や挫折もしてきました。その時は分からなかったのですが、今思い返すと、自分の力ではない別の力で助けられていたような気はしています。それが「亡くなっている人が助けてくれた」かどうかはわかりません。ただ、自分のものではない、何か大きな力がはたらいたとしか思えないような経験は何度かしています。
青山: 初めて執筆したのは13年前でした。なぜ日本にはCIAやMI6のような諜報機関がないのか気になって、現実的な設立が困難なら、自分の中で組織を立ち上げて、その組織が危機を救う物語を書こうと考えたのが始まりです。
ただ、いきなりハードボイルドに仕上げるのはハードルが高かったので、「普段隣にいる人でも等身大のヒーローになれる」という身近さを前面に出し、笑いの要素も入れ、タフな部分はタフに、と表現の手段を決めました。
中途半端だけどそれでいい。どうせならこれをハーフボイルドと命名して新しいジャンルを開こう、と大それた構想を掲げてみたのです。今のところ構想した3部作の1部と2部は完成していて、3部が途中で止まっている状態です。
今回の小説でも、「JIO」という諜報組織から2人登場していますが、私の作品には必ずJIOの誰かがちょい役で出てきて、登場人物たちの過去や人物像が少しだけわかるようにしています。
青山: 小林信彦の全てです。中学、高校時代に読んだ「オヨヨ大統領」シリーズが、未だに金字塔として私の中に君臨しています。登場人物で交わされる絶妙な間。読む端から次々と映像となって広がる世界に魅了されました。文体だけでなく、映画や役者の嗜好まで影響されてしまい、それが今でも続いています。
青山: できれば若い女性に読んでいただきたいです。未代という主人公の女性を読んでほしいというのもあるのですが、未代の店で働く永松くんという男の子がいいキャラクターなんです。目立たないタイプで不器用だけど、誠実で、男から見てもいい奴なんですよ。もし近くにこんな男性がいたら、どうかチャンスを与えてあげてください、という気持ちです(笑)。
青山: そうそう。行動力はあるのに、好きな人の前に立つともじもじして何もできないというね。
青山: 私のような者が言うのはおこがましいですが、日本語ってすごいなと思います。語尾がひと文字変わるだけで、伝わる感覚が全然違ってくるじゃないですか。ここまで表現力に富んだ言語は、他の国にはないと思われます。せっかくこんな環境にいるのですから、ワンフレーズとか絵文字、外来語の良さだけでなく、もっともっと日本語本来の素晴らしさに触れていただきたいです。
(新刊JP編集部)
青山 太洋(あおやま・たいよう)
昭和35年3月19日生まれ。昭和57年関東学院大学建築設備工学科卒。
現在は徳島市在住で自営業を営みながら、小説の執筆、作詞、作曲を手がける。
本篇は6年前に書き下ろした10作目の作品。
著者:青山 太洋
出版:幻冬舎
価格:1,320円(税込)