本書の解説
突然だが、あなたは自分の能力をどの程度だと認識しているだろうか?
ここでいう「能力」とは、どんな仕事、どんな研究、どんなスポーツ競技をするにも不可欠となる「深く思考し、それを言語化する力」である。生まれ持ったものだけでなく、それまでの学習や経験によって身についた力を指す、ある種の「個性」である。
「同期の中ではナンバーワン」
「日本人の平均は超えているだろう」
「人より劣っている気がする」
など、人によって、自分の能力レベルへの自己評価は異なるはずだが、それを客観的に知る方法もある。
本書では、発達心理学者のカート・フィッシャーが考案した、能力の成長段階理論に沿って、自分の能力レベルを知る方法を紹介している。
ここで、練習問題を出題しよう。
問)「人」という存在を自分なりの言葉で説明すると、どのような定義をすることができるでしょうか。
この問いは、真剣に取り組めば取り組むほど、深い思考と認識能力、言語能力を要するものだということがわかるはず。自分なりの答えが出たら、以下を読んでみてほしい。
あなたの能力はどのレベルか
フィッシャーは、人間の能力を以下の5つの階層と、それを細分化した13のレベルに体系化した。
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・反射階層(レベル0~レベル2)…幼児が積み木を見て口に入れてしまうような、無意識な反応を生み出す。
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・感覚運動階層(レベル3~レベル5)…言葉を用いることなく、身体的な動作を生み出す。
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・表象階層(レベル6~レベル8)…個別具体的なものが目の前になくても、言葉によってそれをイメージできる。
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・抽象階層(レベル9~レベル11)…目に見えない抽象的な事柄を言葉によって扱うことができる。
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・原理階層(レベル12)…抽象的な様々な概念をさらに高度な概念や理論にまとめ上げて発揮できる。
ただし、問題の性質上、言葉は必須なので、ここでは言葉を伴わない「反射階層」と「感覚運動階層」は省き、「表象階層」、「抽象階層」、「原理階層」を対象に答えを紹介していこう。
表層階層(レベル6~レベル8)の回答
表層階層のうち、レベル6の回答は「お母さんは人です。」というもの。この能力レベルは、事物の具体的な1つの特徴を言葉によって捉えることができるが、複数の特徴を捉えることはできない。
表層階層レベルはさらに細分化され、もう少し高度なレベル7になると、事物の具体的な特徴を1つ取り上げ、その特徴についてさらに1つの具体的な特性を説明することができるようになる。例としては「父は人です。そして、父は背が高いです」となる。
さらに「人は多くのことをします。例えば、友人と話すことやご飯を食べます。それらは、生きるために必要なことです。」のように、事物の具体的な特徴を複数捉え、それらをまとめることができると、レベル8だ。
抽象階層(レベル9~レベル11)の回答
抽象階層になると、物事を具体的な特徴ではなく、抽象的に考えることができるようになる。
レベル9では、事物の抽象的な1つの側面を捉え、「人は人間と言い換えることができます。赤ん坊を除き、人間は考えることができます。」といった回答が可能になる。
「人は理性を用いて物事を判断することができます。そうした判断は、各人異なる考え方に左右されます。」と、事物の抽象的な特徴を1つ取り上げ、その特徴についてさらに1つの抽象的な特徴を説明することができていれば、レベル10ということになる。この辺りになると、物事の認識度が深まってくる。
レベル11では、事物の抽象的な特徴を複数捉えながら、それぞれを関連づけることができる。「人は非常に複雑な存在です。各人様々な価値体系を持っており、異なる知識と経験を持っています。固有の価値体系は、新たに独自の知識や経験を生み出します。そして、固有の知識と経験は、新たな価値体系を構築していくことにつながります。つまり、価値体系と知識と経験は相互作用をし、それが人間を複雑な存在にしているのです。」のように、回答を抽象的な性質同士の関連性にまで落とし込めた人は、レベル11ということになる。
原理階層(レベル12)の回答
原理階層は、フィッシャーが体系化した、人間の能力レベルの最高位に位置する。
このレベルでは、レベル11で作った事物の複数の抽象的特徴のまとまりをさらに複数作り、それらを関連づけ、一段高次元の概念の中で、それらをまとめることができる。
「人というのは、『動的な要素非還元的存在』です。つまり、各人固有の意味構築システムと社会の文化的・制度的なシステムが相互作用することによって、全体としての1人の存在を形作っている、ということです。具体的には、人はそれぞれ、各人固有の認識世界を持っており、現象に対する意味づけの仕方が異なります。こうした意味づけの方法は、置かれている文化や制度による影響を強く受けます。また、私たちの意味づけの方法が変われば、社会の文化や制度に対して影響を与えることになります。このように、私たち人間は、絶えず自己と社会との相互作用によって変化する生き物であり、特定の要素に還元することができないため、『動的な要素非還元的存在』だといえるでしょう。」
このレベルになると、思考や認識の深さとともに、言語能力の高さも際立ってくる。しかし、フィッシャーによると、ここまで深く物事を認識し、深く考え、言語化し、発揮できる人はほとんどいないという。
◇
いうまでもなく、ここで示した回答は一つの例。完全に合致したかどうかが問題ではなく、問いをどこまで深く認識し、どこまで深く考え、どこまで過不足なく言語化できたかが焦点であり、それは自分の回答を検討することで見えてくるはずだ。
先述のように、言語化能力は持って生まれたもので決まるわけではなく、経験や訓練によって高めていくことができる。また、「問題解決能力」や「問題発見能力」「コミュニケーション能力」「意思決定力」といった個別かつ具体的な能力を伸ばしていくための礎である。
『成人発達理論による能力の成長 ダイナミックスキル理論の実践的活用法』では、人間の実務能力の成長のメカニズムとプロセスを多数の実践的なエクササイズをもとに解説している。
今回のテストで自分の能力を把握できた人は、本書を読むことで、今自分が取り組んでいる仕事や関心事項において、自分の能力が成長サイクルのどの位置にいるかがわかるはず。
同時に、ブレイクスルーのためには何が足りないか、何をすべきかも見えてくるはずだ。
(新刊JP編集部)
著者インタビュー
「人としての器」を大きくするための大切な取り組み
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『成人発達理論による能力の成長』についてお話をうかがいたいのですが、まずは加藤さんの普段の活動について教えていただきたいです。
加藤: 基本的には二つのことに従事しています。一つは、オランダのフローニンゲン大学での研究者、学者としての仕事です。そこでは、この本で紹介しているような、人間の能力の発達に関する科学的な研究をしています。
もう一つは、日本の企業を相手にしたコンサルティングです。発達科学の知見に基づいた人材開発コンサルティングや成長支援コンサルティングを提供しており、これは前職の経営コンサルタント時代の経験が役立っています。
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元々は経営コンサルタントだったんですね。どうして能力開発の分野に進まれたんですか?
加藤: 最初のキャリアは、国際税務コンサルタントでした。日々の仕事は、企業の財務諸表の分析と国際税務の調査が中心であり、数字と法律の観点から日本の多国籍企業に寄与する仕事を行なっていました。しかしある時、企業を見る目が数字と法律だけに偏っている自分に気づき、企業の中で働く人の心理や価値観を全くわかっていないことに気がついたんです。そこから、人間の心理をより深く理解したいと思うようになったというのがあります。
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能力の開発ということでいうと、同じだけのことをやっていても、伸びていく人とそうでない人がいます。両者の違いはどんなところにあるのでしょうか。
加藤: 違いの一つは、自身の能力レベルと課題設定の見極めだと思います。私たちの能力と、自分が取り組む課題の難易度に乖離がありすぎると、成長に結びつきにくいんです。逆に、どんどん成長していける人というのは、自分の現状の能力の見極めが上手な人とも言えます。
そこを正確に把握した上で課題を設定することで、自分の能力と比べてあまりに課題の難易度が高すぎたり、低すぎたりといったミスマッチを防ぐことができます。能力を伸ばし続けられる人の特徴は、自身の能力レベルの見極めと課題設定が巧みなことにあるのではないかと思います。
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となると、どんな分野であれ、自分の能力を正確に把握することが成長へのカギになりそうですが、これはとても難しいことだと思います。
加藤: おっしゃる通りで、人間がどのように発達し、成長するのかという枠組みを学んでいないと、自分の能力を見極めるというのはなかなかできません。
能力の見極めに関して、感覚的なもの、本能的なものをあてにするのもあながち間違ってはいないんです。単純に「これは自分には手に負えないな」と思う課題もあるでしょうし、「ちょっとがんばればできそうだな」と思うものもあるはずです。そうした感覚に注意を払うというのも大事なことです。
そこから一歩進めて、この本で紹介しているような、能力の成長のプロセスやメカニズムをしっかりと学んでいくことが理想的です。感覚的な部分と原理的な部分の両面から、自分のレベルを測っていくのが望ましい方法だと思います。
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「器」と「能力」について書かれた箇所は思い当たるところが多かったです。この二つは成長のための両輪という印象を受けましたが、両者のバランスが悪いとどんなことが起こりますか?
加藤: どんなことについてであれ「器」と「能力」が成長のための両輪なのはまちがいありません。ただし、両者のバランスが悪いことそのものは、その人の個性とみなすこともでき、それほど問題ではないんです。人格や性格など「人間の器」には疑問符がつくけれど、芸術的な能力は傑出していて、そちらの方面で活躍されている人もいるわけですから。
問題は、「器」と「能力」のバランスが悪い人を、周りがどう見なすか、という点だと思います。例を出すなら、能力はさほどではなくても、器が成熟している人というのは、能力まで高く見積もられがちです。一方、個別具体的な能力が高い人というのは、器まで大きく見積もられやすいんです。
バランスの悪さそのものよりも、周囲の人のバイアスのせいで、その人の器や能力が正当に評価されないことのほうに問題があるように思います。
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「器」というのはどのように大きくしていけばいいのでしょうか。
加藤: これは本当に難しいことで、唯一の方法はありません。ただし、重要な点は、私たちは異質な存在と絶えず向き合うことによって成長する、ということです。異質な存在というのは、分野の異なる人であったり、これまで自分が取り組んだことのない課題やプロジェクトであったりします。私たちは、そうした異質な存在と出会う時に、自己の器を広げていきます。ですので、異質な存在を避けるのではなく、それらと積極的に向き合っていくような取り組みに従事することが大切です。
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また、人の能力というものが絶対的なものではなく、与えられた課題や環境に依存するという考え方は、納得する一方で斬新でした。
加藤: 私たちの能力は、課題や環境に左右されるという特徴を持っているからこそ、能力をうまく発揮していくためには、いかに与えられた課題や置かれている環境に柔軟に対応していくかが大切になります。
では、柔軟に対応するにはどうすればいいかというと、一つは先ほど申し上げた、自分にはどんな能力が備わっており、それらはどのレベルにあるのかを知ることです。そして、自分に与えられた課題の種類とそのレベルを見極める眼を持つことが大事になります。
さらには、自分の置かれた環境の中で、そこにいる人たちと協働することも大切になります。一人で課題に立ち向かうのではなく、周りにいる他者と対話をしながら課題に取り組んでいくことで、柔軟性は養われていくと思います。
これは、マネジメント層の人にも実践していただきたいことですが、たとえば自分の職場に新しい人が入ってきたら、適切な課題や支援を与えるために、ゆくゆくはチームとしての成果をあげるために、対話を通じながら、その人の能力と個性を見極めることを行っていただければと思います。
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となると、社外でのコミュニケーションも必要なのでしょうか。
加藤: かならずしも飲みに誘って話せということではないですし、会議室で30分や1時間話せということでもありません。
人間は普遍的に承認欲求を持っていて、自分の仕事がどう評価されるか、自分が周囲からどう見られているかといったことは世代問わず誰もが気になるものです。
必要とされるのは、そうした承認欲求を満たす言葉がけであり、社内ですれ違った時にひと言二言声をかけてあげるだけでいいと思うんです。これも立派な成長支援のあり方です。
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人材育成や能力開発は、企業の取り組みとして盛んに行われていますが、現状のそういった取り組みの問題点を挙げるとしたらどんな点でしょうか。
加藤: 現在の教育にせよ、企業の人材育成・能力開発にせよ、それらが資本主義経済の発想の枠組みの中で行われているというのは、忘れてはいけない点です。
そうした発想の枠組みの中で行われる人材育成や能力開発は、成長を急がせることや、生産性向上の名の下に、量的な成長ばかりを求める傾向があります。よく見られるのは、2、3日の研修で人を成長させようとするようなプログラムです。
確かに、傾聴する姿勢を身につけることや、マネジメントのあり方への理解力を高めるといった、個別具体的な能力を伸ばす「ミクロな成長」であれば、2、3日の研修でそれなりの効果を得ることができます。しかし、それらの能力が真に獲得されるためには、つまり「マクロな成長」が起こるためには、それらの研修はより長期的な視野を持つプログラムに組み込まれる必要があります。
長期的な視野で人材育成に取り組むという発想が、多くの企業の人材開発に欠けていることは大きな問題点だと思っています。
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資本主義経済で活躍できる人間を育成するための教育ですから、やむを得ないことのような気もします。
加藤: 確かにそうです。しかし、教育の目的に「資本主義経済で活躍できる人間を育成するための」という前提条件を設けることがそもそもおかしいのです。資本主義経済で活躍できることを前提とした教育には、「量的な拡大」や「効率性」を追求することを強く促す発想が支配的です。そもそも、私たちの成長は、単純な量的拡大ではなく、質的な深さを伴うという点を忘れてはいけません。そして、そうした質的成長というのは、効率的に実現されるようなものではないのです。そのため、そのような前提に立脚した教育では、真の成長、つまり質的な成長が実現されることは難しいでしょう。
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こうした傾向は日本に限らないのでしょうか。
加藤: 今世界の主流になっている金融資本主義は、とても強力な価値観と仕組みを持っているため、日本に限らず欧米などでもこの傾向はみられます。
ただし、少しずつではあるのですが、この問題の本質をわかっている教育者や研究者が徐々に増えてきているように思います。
一流企業で流行する「マインドフルネス」の問題点
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どんな能力を伸ばすのにも土台となるのが「思考の深さ」であり「認識力」です。これらを鍛えるためのトレーニングとしてどんなものがありますか?
加藤: これは3つあると考えています。 一つは、教育哲学者のジョン・デューイが指摘している「ラーニング・バイ・ドゥーイング」、つまり普段の仕事における課題の解決などを通して実践的に鍛える取り組みです。
もう一つは、「ラーニング・バイ・ティーチング」です。これは、自分が学んだことを人に教えることです。教えることで、言語化能力は鍛えられますし、それまで自覚していなかった新しい気づきを得ることに繋がります。
最後に「ラーニング・バイ・ライティング」です。書くことは現代社会でないがしろにされがちなのですが、考えたことを書き留めておくことは、思考を深めるうえで非常に大切です。公開するかしないかにかかわらず、書く癖をつけ、日々の経験を自分の言葉で書き留めていくと、常に新しい発見があるのではないかと思います。
これら三つを包括的に実践していけば、深い思考力と認識力が徐々に養われていくでしょう。
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組織で働いていると、どうしても自分より能力の高い人間や、自分より成果を出す人間への嫉妬など、マイナスの感情を持ってしまうことがあります。こうした感情は自分の成長を阻害する要因のように思えて、自己嫌悪に陥りがちですが、こうした感情の捉え方について教えていただきたいです。
加藤: そうしたマイナスの感情が生み出される背後には、心理学の専門用語でいうところの「シャドウ(影)」が存在しています。しかし、これは誰しもが持っているもので、それ自体に問題はありません。大事なのはそうした感情に飲まれないことです。
誰かに嫉妬している時は、何に対して嫉妬しているのかを冷静に考えていただきたいです。単純に他者比較で嫉妬していることもあれば、過去の自分に嫉妬していることもあるはずです。
同じ嫉妬でも、両者の性質はまったく違うわけで、当然その感情への対処も違います。こうしたことを把握するためにも、マイナスの感情と健全な距離をとって付き合うことが重要になります。
さらにいうならば、マイナスの感情というのは成長の糧であり、どんな能力であれ、プラスの感情だけでは私たちは成長できないんです。正と負という対極の感情と向き合うことが、成長を促すことにつながるというのは知っておいていただきたいです。
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自分の感情を客観視するということでいうと、近年マインドフルネスが注目を集めていますが、本の中でマインドフルネスの問題点についても指摘されていましたね。
加藤: マインドフルネスの実践方法は「今、この瞬間に起きていることにフォーカスする」ということです。自分の中に負の感情が起こっているのなら、その感情にまずは着目してみる。
これ自体はいいのですが、マインドフルネスの本質は「いかに日々の生活をより深く生きていくか」、つまり人生の「質」の向上にあります。しかし、世の中に目を移すと、深く生きるというよりも、仕事を生産的に進めようとか、より大量の仕事を進めようとか、どうにも発想が量的になってしまっているのではないでしょうか。つまり、マインドフルネスの本質から外れた取り組みが、現在の日本社会の中で広まっているように感じます。
あくまでも、マインドフルネスの本質は、毎日をより「深く」生きることにあるのであって、決して毎日をより「多く」生きることではありません。その点を絶えず念頭に置きながら、マインドフルネスの実践を通じて、私たち一人一人が社会に深く関与することが大事になると考えています。
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目標に向かって努力を重ねている人のなかには、思うように力がつかなかったり、成果が出ないことに悩む人も多いはずです。こうした人にアドバイスをするならどんなことを言いたいですか?
加藤: 仮に今能力が伸び悩んでいるのであれば、それは本当に幸運なことだと思います。というのも、私たちの能力の成長には、停滞がつきものであり、停滞は成長に不可欠だからです。
ある能力が飛躍的に伸びる時というのは、その前には長い停滞期間を伴います。そのため、能力が伸びていないことに悩む必要はなく、今続けている勉強なり訓練なりをやめないことが大切です。
停滞は飛躍のための土台であり、飛躍の前兆だと思って、前向きに捉えていただければと思います。
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最後に、伸び悩む部下を持つマネジメント層の方々にもアドバイスをいただきたいです。
加藤: 成長というのは遅い方が当たり前で、部下の能力が伸び悩んでいるというのは自然なことです。ですから、部下が伸びないことを上司が思い悩む必要はなく、部下の成長につながるような課題と支援を絶えず与え、適切な言葉がけをすることを続けていただきたいです。
(新刊JP編集部)