おすくいぶっきょう
著者:世良 風那
出版:幻冬舎
価格:1,430円(税込)
著者:世良 風那
出版:幻冬舎
価格:1,430円(税込)
嫉妬や妬み、怒りなど、人間の悩みも苦しみも、そのほとんどは人間関係からくる。
自分の裡に生じたこれらの感情がどうしても手放せずに悩む人は少なくないはず。マイナス感情を持ってしまうこと自体に罪悪感を持ってしまうこともある。
そんな時に、仏教の教えは一つの手がかりになる。誰かに裏切られたとき、嫉妬してしまった時、理不尽な目に遭わされた時、私たちはいかにして怒りや妬みから自由になれるのか?
『おすくいぶっきょう』(世良風那著、幻冬舎刊)は、女子高生たちの学校生活を舞台に、友人間のトラブルによって生じた不安や怒り、悲しみへの対処を通して仏教の教えを伝えていくコミックだ。
主人公の寺山華は付き合っていた彼氏から「受験勉強に専念したいから」という理由でフラれてしまう。これまで楽しく過ごした時間や、献身的に手作りのお弁当を作っていたことなどが忘れられない華は、突然別れを告げてきた彼氏を許せず、周囲に彼の悪口を吹聴するという行動に出た。悪い噂が広まってしまい困った彼氏が、自分の元に戻ってくると考えたのだ。
ところが華の嘘はすぐにバレてしまい、逆に自分の評判が悪くなってしまう。クラスメイトたちからすっかり嫌われてしまい、失意の中やけ食いをする華。そこに正体不明の僧侶が現れる。
僧侶に「あんた今生き地獄に堕ちてるで!」と告げられた華は、自分が「愛別離苦」と「求不得苦」にとらわれていることを知る。
この二つは仏教の八つの苦しみである
・生苦(生まれる苦しみ)
・老苦(老いる苦しみ)
・病苦(病む苦しみ)
・死苦(死ぬという苦しみ)
・怨憎会苦(憎い人に会う苦しみ)
・愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)
・求不得苦(求めても得られない苦しみ)
・五陰盛苦(これらのものを全部まとめて人生そのものという苦しみ)
の中の二つ。人間はこの八つの苦しみに執着して苦しみを手放せないでいると釈迦は説いた。
そして、彼氏が別れの理由としてあげた「受験勉強」を悪く捉えたこと、彼氏への嫌がらせとして嘘の噂話を吹聴したことなどが、苦しみの消滅へと至る道とされる「八正道」にそむいていることを教えられ、「自因自果(自分がまいた種がそのまま自分に返ってくる)を自覚した華だったが、それでも彼氏の心変わりを許すことができない。
そんな華に、僧侶は「すべてのものは無常なのだ」と伝える。縁によって起こることは常に変わり続ける。それならば人の心も変わるのは当たり前であり、彼氏が華を裏切ったと考えるのは間違いなのだ。
◇
本書では、学校でのいじめや、仲間はずれ、恋愛など、心が大きく動く出来事を、仏教の教えの力で乗り越えていく。
会社や家庭、友達付き合い。人が二人以上集まれば人間関係のトラブルはつきもの。他人にイライラしたり、恨みを持ったり、妬んだりして、そのせいで消耗している人は、毎日を気持ちよく過ごすために本書が役にたってくれるはずだ。
(新刊JP編集部)
■誤解されやすい?浄土真宗の「悪人」
世良: これは3つありまして、1つは浄土真宗の教えが少し難解で誤解されやすい、漫画を通じてわかりやすく伝えたかったことです。
2つ目は、私自身が生きていきたなかで人間関係のトラブルを経験したり、自分の子どもたちが学校でいじめに遭ったりしたんですね。同じように人間関係で苦しんでいる人は日本中にたくさんいるはずで、そういった人を仏教の教えを用いてどうにか救いたいという気持ちもありました。
3つ目は人生において生きる意味を見出せない方に対して、やはり仏教の教えを知ることで前向きに生きるきっかけになってくれたらと思って今回の本を書きました。
世良: 一つ言えるのは「悪人」の定義です。浄土真宗でいう「悪人」とは、いってみれば「凡人」のことなんですね。自力で修行をして悟りを開いた人が「善人」で、そうでない人、つまり阿弥陀様のお力で救っていただくしかない人が「悪人」ということになります。
世良: ハードルは高いかもしれませんね。ただ、聞く人によってはすごく優しい教えだとも言えます。悪いことをした人であっても阿弥陀様に救ってもらえるということでもありますから。そういう「善人・悪人」の部分が誤解されがちなんですよね。一般的な意味とはずいぶん違うんです。浄土真宗ではだいたいの人間は「悪人」ということになってしまうので。
世良: 実家が浄土真宗のお寺だったんです。といっても子どもの頃は仏教や浄土真宗について親から教わっていたわけではありません。
世良: まったくなかったですね。学校も仏教ではなくてカトリック系の学校に進みましたし。ただ、それでもこんな環境ですから気にはなっていて、成長するにつれて自分がお寺に生まれた意味を考えるようになっていきました。その後独学で仏教を学んでいくにつれて、私がお寺に生まれたのは前世からの縁が続いているからだと考えるようになりました。
世良: 解放されるのは可能ですが、かなり難しいと思います。というのも、苦しみを手放す努力や訓練を自分でしていかないといけないからです。それにはまず仏教の教えに触れて、正しい見解や世界観を知る必要があります。
仏教には六道輪廻という教えがあって、人間は現世を去った後に、六道のうちのどれかに赴いて、そこから自分の魂のレベルを向上させるためにまた生まれ変わってくるとされています。現世で抱えている苦しみというのは、前世のカルマを解消させるためのプログラムの一つではないかと考えています。
世良: 現世で憎い相手というのは、前世でも因縁があった可能性が高いです。嫌な人、憎い人が与えてくる苦しみをどう解放していけばいいのかというと3つあって、1つは自分にも悪いところがあると考えて、自分を見直すことで相手と話し合って和解する方法。
2つ目は完全に相手が悪い場合で、これはもう離れるか距離を置くしかない。ここで大事なのは、距離を置いたら相手への怒りを手放すことです。難しいかもしれませんが、いつまでも相手から受けた苦しみのことばかり考えていると自分自身を低い波動にとどめてしまうことになり、先に進めません。
3つ目は和解もできないし距離も置けない場合で、「相手はもしかすると前世での自分のカルマを解消するために、わざわざ自ら悪因をつくってまで悪役となり存在してくれているんじゃないか」と考えて、感謝することです。
世良: もちろん難しいですよ。でも、自分も相手のカルマに対して何か持っているかもしれません。相手にばかり問題があるというところからそういう方向に考えを持っていくのが大切だと思います。
■「自分だけが損をしている」と思いやすい時代
世良: 親鸞上人すら「何が良くて何が悪いのか、自分にはもうわからない」と言っておられるくらいですから、これも難しい問題です。
ただ、欲が絡んでくることなのではないかと思います。私欲絡みで行ったことは、本当の意味での「いい行い」ではないので、その時は良くてもいずれ悪い結果が返ってくる。一つ知っておいていただきたいのは、俗世間は欲にまみれているということです。だからこそ「誰かにとってのいいことは、別の誰かにとっての悪いこと」が生まれてくるんです。
世良: 最初に言っておきますが、欲から切り離されることはできません。
世良: 修行をしても欲自体から切り離されることはできません。お釈迦様が飲まず食わずの苦行を行っても悟りを得ることはできませんでした。やはり人間には本来的な生理的な欲があって、そこから逃れることはできません。
ただ、あらゆる欲が悪いということではないですし、欲から解放されるというよりは、いかに欲に執着せず、私欲にとらわれることなく生きられるか。自分ばかりという思いではなく、利他の心を持ちながらいかに生きられるかを考えるべきではないかと思います。
世良: 現代は「自分だけが損をしている」という気持ちになりやすい時代だと思います。ただ仏教の世界観を頭に入れておくと、そういった理不尽さの感情にはとらわれにくくなるのではないかと考えています。
いい条件、いい環境で暮らしている人と自分を比べてしまうこともあると思うのですが、それは人それぞれ持って生まれたカルマの違いですから、比べても仕方がないわけです。仏教に触れることで世界観が広がり、思考が自分を苦しくする方向に向かわない効果はあるのではないでしょうか。
世良: 仏教の教えを知らないと幸せになれないということはありませんし、私自身も仏教だけが人を悟りに導く教えだとも思っていません。
たとえば、よく風邪を引く人とまったく引かない人がいて、よく風邪を引く人は風邪を引かない方法を学ぶ必要があります。宗教も一緒で、苦しみにとらわれやすい人はそうならない方法を学ぶ必要がある。その一つの方法が仏教なのかもしれません。風邪をまったく引かない人(苦しみにとらわれない人)は仏教の教えに触れなくても幸せに生きることができる人です。そういう人は自力で悟りを得られるのではないかと思います。
世良: 本書を手に取ってくださる方々にはまずお礼を申し上げます。こうして仏教の教えを描いた本書に触れてくださることも何かの縁だと思います。この本が人生を前向きに生きるきっかけになってくれたら嬉しいです。
(新刊JP編集部)
世良 風那(せら・ふうな)
著者:世良 風那
出版:幻冬舎
価格:1,430円(税込)