「がんばらない」という智恵
〜自分でできる働き方改革〜
著者:元井 康夫
出版:辰巳出版
価格:1,540円(税込)
著者:元井 康夫
出版:辰巳出版
価格:1,540円(税込)
「がんばり」や「熱意」「懸命さ」がかならずしも結果に結びつかないのが仕事の難しいところであり、おもしろいところでもある。
もちろん、熱意をもって懸命に取り組むこと自体はすばらしいことだが、それが視野の狭さや意固地さ、過度な執着に結びついてしまうことがある。仕事が多くの同僚や関係者と一緒に作り上げる「合作」である以上、こうなると熱意や懸命さは空回りをはじめてしまう。特に管理職でありがちなことかもしれない。
電通でクリエイティブディレクターとして活躍しながら高野山で真言密教を学び、阿闍梨の位を授かるという異色の経歴を持つ元井康夫氏は、著書『「がんばらない」という智恵~自分でできる働き方改革~』(辰巳出版刊)で“「がんばる」より「がんばらない」ほうがうまくいく”としている。
一人でコツコツとがんばるのなら、問題はないが、えてしてこういう人ほど周囲の人にもがんばりを強いてしまうことになりやすい。特に、上司が一人でがんばっていると、部下としては先に帰りにくい。これが続けば、上司のがんばりによって全体が疲弊してしまうことになる。自分のがんばりが周りの人を苦しめてしまうこともありえるという点は、人を束ねる立場の人はわかっておくべきだろう。
仕事をしていくなかで、ついついクセのようになってしまうのが、なんでもかんでも自分でやろうとする「抱え込み」だ。プレイヤーとして仕事ができた人ほど、上司になってから仕事を部下に任せることができない傾向があるとも言われる。
だが、一人の人間がプレイヤーとして「旬」でいられる時期は限られているし、会社において、ある仕事が一人で成し遂げられたものかどうかには、あまり意味がない。
やることなすことうまくいく時期があったとしても、その時期はいつか必ず終わる。そうなった時のために、衆知を頼ったり、今が旬のプレイヤーたちの後方支援にあたることを覚えておくのが、長く活躍するための条件なのだ。
チームや部署を束ね、仕事の全体を指揮する立場にいると、どうしてもプロジェクトの細部まで自分の思い通りにしたくなる。そうなると、自分の意見に異論があると、反論したり、シャットダウンして耳を塞いでしまいやすい。
ただ、プロジェクトが発足した当初の自分のアイデアをそのまま実現することにこだわりすぎると、その仕事をよりよいものにする意見をはねつけてしまうことにもなる。「こだわり」は時として、仕事を邪魔してしまうものだ。
仕事は生き物。だからこそ、最初に描いた完成形に執着するあまりに、それと相容れない意見に耳を貸さなかったりするのはつつしむべきだろう。
◇
ここで紹介したものは、どれも仕事熱心で、頑張り屋の人ほど陥りやすい。仕事に力を入れるのはいいことだが、力を抜くことで見えてくるものもある。本書を読むと、仕事の中での力の入れどころと、抜きどころがわかってくるはず。
そして、本書は管理職だけではなく、すべてのビジネスパーソンに向けられている。がむしゃらに仕事に取り組むのではなく、組織や取引先、顧客など数々の関係者の間でしなやかに仕事をしていくために、大いに役立つ一冊だ。
(新刊JP編集部)
■人間はがんばるようにできている だからこそ知るべきこと
元井: この本でいう「がんばらない」にはいくつかの意味があります。1つは単純で「執着しないこと」です。何かに執着すると辛いですから、辛さをなくすには執着をなくすしかありません。これはよくお坊さんが言っていることです。
もう1つは、タイトルに「智恵」と入れた理由でもあるのですが、我々は「自然とがんばってしまう性質」があるんですよ。がんばるように作られているといいますか。
元井: そうです。その性質を知ったうえで働くことが大事なのだという意味で『「がんばらない」という智恵』というタイトルにしています。
「無理してがんばらない」という価値観があることは、もうみなさんわかっていると思うんです。だけど、どうしてもがんばってしまう。がんばらないというやり方もあるのにがんばってしまうという性質があるのを承知したうえで、じゃあどうやって働いて、生きていくのかを考えるには、世の中の仕組みや成り立ちを理解する必要があるんです。
要するに、世の中はこういう風に回っているんだ、とか、人間にはこういう性質があるんだということが理解できていれば、変にがんばらなくて済むという。これは一つの智恵です。こういった意味を込めて、この本のタイトルをつけました。
元井: 私は電通の教えには昔から大反対でしたからね(笑)。
元井: もともと、子どもの頃から「がんばれ」とか「これはがんばるものだ」と言われたことを闇雲にがんばる感じではなくて、がんばることの目的を把握して、勝算を考えて、いけそうならがんばるというタイプだったんです。自分の性格とか環境を読んで、いけそうだと思ったらがんばるけど、そうでないところではがんばらないといいますか。
たとえば「宇宙飛行士になりたい」と思ったとして、なれるかなれないかわからないじゃないですか。そこで「実現できるかどうかわからないけど、がんばってみる」というタイプではなかったですね。
元井: クレバーというか、無駄なことはしたくなかったんです。
元井: よく電通を外から見た方が「電通マンは全員バリバリで、体育会的な会社」ということをおっしゃるんですけど、そういう「いわゆる電通マン」という方は、全体の30%くらいだと思いますよ。他の人はうまくサボりながら働いています(笑)
元井: 一人ではなくてたくさんの人がかかわる以上、自分の思う通りにはいかないわけで、そうなると当然ストレスは生まれますよね。ただ、それはクリエイティブディレクターだけではなくて、どの立場の人も同じだったはずです。
クリエイティブディレクターの仕事についていえば、関係者が多いと利害の衝突はやはり起きるもので、その中でどっちを取るか、どっちにつくかを判断して、反対する人を説得したり、あるいは飲みたくない条件を飲んだりするのが仕事です。それが好きかどうかというところですね。
私は、当然そこにストレスを感じていましたが、同時にカタルシスも感じていました。大きな選択をしたり、大きなものを諦めたり、大きく張った読みが外れたりといったこともたくさんありましたが、それは私にとってカタルシスでもあって、失敗したとしても達成感がありました。
会社の中で出世して、いつかは社長になりたいとか、何歳までに役員になって、ということを思っていたら「失敗は許されない」という気持ちになったのでしょうが、私はそういう気落ちはなかったものですから、失敗することにそこまで抵抗がなかったのかもしれません。失敗してもいいやと思えたのなら、あとは自分がおもしろそうな方を選べばいいだけなので。
元井: もともと成功するという保証もなければ、成功しないといけないという決まりもありません。本当は失敗してもいいし、もっといえば「わざと失敗する」という選択だってあるわけです。
「失敗してはいけない」というのもやはり執着です。どうしても出世しないといけないわけではないし、どうしても今度のコンペに勝たないといけないわけでもありません。この執着から離れられるかは、すごく大事なことのように思います。
■電通クリエイティブディレクターが高野山で身につけた新たな価値観とは
元井: 「ここがこうよかった」という明快なものはないのですが、あえて言うなら「我慢する」ということを覚えた気がします。
高野山って、恐ろしく寒いんですよ。私が高野山に入った時は-8℃くらいまで下がる時期だったのですが、そこで朝3時に起きて水をかぶって、ぺらぺらの僧服一枚着ただけで雑巾がけをして、掃除をして、寒いところでお経を読んだり、何時間も座禅を組んで、夜は隙間風の入る宿坊で、せんべい布団1枚で眠る、という生活をずっと続けるわけです。手はあかぎれ、しもやけだらけになりますし、身体はがちがちに固まります。寝てもまったく休まりません。もちろん、どの行程を1回休んでも修行者としては失格です。そんなですから、よほど強い気持ちがないと、すぐ帰りたくなるんです。
元井: 子どもの頃から「神秘体験」に憧れていたんです。今でも人文的な意味での「神秘主義」や「瞑想」は好きなのですが、こういう領域の一つの極点というのが「神秘体験」なんです。これをどうにかして自分もしてみたかったので、体験できそうな場所を探したところ、高野山に行き着いた。実際に行ってみたら、今お話ししたような生活で、神秘体験とはほど遠かったわけですが(笑)。
元井: 「来るところを間違えた」とは思いましたよ。だけど、当時39歳で、会社では部長になる直前で、家も買ってしまって、子どもが2人いて、という環境で、みんなに拝み倒してわがままを聞いてもらったので、気軽に「やめました」と帰れる状態ではなかったんですよね。
でも、ここでこの生活を我慢していても神秘体験なんてできるわけがないということもわかっているわけです。だから、修行を終えて帰る時のことしか考えてなかったですよ。100日間の修行の間、毎秒そのことを考えていました。
元井: それはありますね。ある目的があったとして「こういうことをすれば実現できるだろう」と考えるのが一般的だと思うのですが、修行を終えた後は「結局はなるようにしかならないんだ」という価値観・努力観がなんとなく身についていた気がします。
高野山の修行があまりにつらいので、「こんなところに100日もいていいんだろうか」とか「家もそんなに長く空けていてはダメなんじゃないか」とか「体を壊すんじゃないか」とか、色々と考えるわけです。なにかにつけて山を降りる理由を考える。人間はそういうふうにできているんです。
だけど、途中からそういうのも考えなくなっていくんですね。もちろん、毎日つらいのですが、つらいからどうだというのは考えなくなる。
元井: 物事を一歩引いた目で見るようにはなったと思います。何か問題に巻き込まれても、どこか冷静といいますか、「問題の渦中にいる自分」を俯瞰的に見るようになったと思いますね。
最悪な状況であっても、その状況にいる自分を「まあ、こんなもんかな」と見るくせがついたのは高野山に行ってからだったと思います。
元井: それは単純です。たとえば40歳で部長になるという目標がある人は、39歳でそれが狙えるポジションにいると増長するんですよ。何か言われると「ふざけるな、何年この仕事をしていると思っているんだ」となりやすい。
だけど、同じ39歳でも55歳で社長になろうと思っている人は、人から苦言を呈されたら、むしろありがたいと感じるはずです。結論を言うと、目標を高く遠くに置いておけば、いつまでも謙虚にいられるということです。
元井: びびる必要はなくて、冷静にやれることとやれないことを伝えればいいんです。威圧的な物言いをする人間に会うと、どうしてもびびってしまうのは人間なので仕方ないことです。そんな時は、びびっている自分を俯瞰して「あ、今びびっているな。普通だな」と思えばいい。びびらない方がおかしいんですから。
元井: エゴには「いいエゴ」とそうでないエゴがあります。仏教の言葉で「小我」と「大我」というのがありますが、自分のためだけではなくて、周りの人のためにこれをやってやろう、というのが「大我」で、これは悪いものではありません。
対して、私がいた広告の世界には、ある広告がヒットすると「あれは俺の仕事だ」と威張る人がたくさん出てくるんです。「俺の仕事」といっても、宣伝部長がこうしろといったコピーがそのまま出ているかもしれないし、広告制作に様々な人が関わるなかの一人でしかありません。こうやって出しゃばる人が持ち合わせているのが「小我」であって、これはよくない我だと思います。
元井: タイトルに「がんばらない」とありますが、「仕事を捨てろ」という意味ではありません。
私は彫刻をやるのですが、彫刻には2つの制作方法があります。一つはモデリングといって、粘土をつけ足して形にしていく方法で、もう一つはカッティングといって、ノミで石や木を削っていくやり方です。
モデリングは言ってみれば「足し算」で、カッティングは「引き算」です。人生を生きるうえでも、仕事をするうえでもこれらは両方必要なのですが、多くの人は「足し算」の方ばかりしがちなんです。何かを足していく方法ばかりになってしまう。
それだけではなくて、「引き算」のやり方もぜひ覚えていただきたいのですが、こちらは智恵がいります。世の中のことや人間のことを理解して、見極めないといけません。その智恵を身につけるために、この本を役立てていただけたらうれしいですね。
(新刊JP編集部)
元井 康夫(もとい・やすお)
1955年生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業後、電通入社。以後、クリエーティブ領域でレナウン『ワンサカ』、ニッカウヰスキー『キャスリーン・バトル』、JAL沖縄『米米CLUB 浪漫飛行』、JR東海『そうだ、京都、行こう』など、多数の制作にかかわる。花王、ホンダ、ユニクロ担当のエグゼクティブクリエーティブデレクターを務めた後、クリエーティブ担当役員を経て、常務執行役員、チーフクリエーティブオフィサーを務める。電通在職中の1994年高野山にて四度加行(修行)の後、翌95年真言宗の伝法潅頂(指導者の位を授ける儀式)を受け、阿闍梨の位を得る。2018年電通退社後、東京広告広告協会「広告未来塾」第2期塾長を務めたほか、趣味の仏像・女神像彫刻等で個展を開くかたわら、著述中心に啓蒙活動を展開している。
著者:元井 康夫
出版:辰巳出版
価格:1,540円(税込)