19世紀後半のフランスで勃興した芸術運動「印象派」。
その代表的存在がクロード・モネである。
彼が1872年に描いた『印象、日の出』が、印象派という呼称の由来になったことはよく知られている。『睡蓮』の連作で知られ、風景画家として名高いモネだが、生涯に何点か人物画の傑作を残していることをご存知だろうか。
「散歩、日傘の女」「カミーユ、緑衣の女」「ラ・ジャポネーズ」。これらの作品を美術展で目にした人も多いことだろう。「ひなげし」などの傑作にも描き込まれたこの女性こそ、この物語の主人公カミーユである。
まさに最期の瞬間まで、クロード・モネのほぼ唯一のモデルであり続けた妻カミーユ。2人の出会いから、その悲痛な別れまでは、丁度印象派誕生の軌跡と重なっている。その実に波乱に満ちた半生を、妻カミーユの目線で描いたのが、『マダム・モネの肖像 文庫改訂版』(松井亜樹著、幻冬舎刊)だ。
要所要所に重要な絵画作品が挿入されているのも、芸術ファンにはうれしい作品である。
産業革命を経た19世紀後半、第二帝政下のフランス、パリの片隅で彼らは出会う。やがて恋に落ちるのだが、その恋路は実にみずみずしくも困難だ。
クロード・モネは若くして画家の登竜門『サロン』入選を果たし将来を嘱望されるが、その胸には、既存の絵画とは違う“新しい”絵画をめざそうとする野心が芽生えていた。その野心のために、共に暮らすカミーユとの生活は困窮を極めることになる。
折しも大改造中のパリ。やがて普仏戦争が勃発し、パリ・コミューン、共和制樹立と続く激動の時代。画家たちの人生もその荒波に翻弄されていく。
価値観の変化があり、鉄道や絵の具などの技術革新があり、さらに芸術の庇護者が王侯貴族から広く新興ブルジョワジーに移っていく。それらの要因すべてが印象派の誕生を後押しすることになるのだが、その道のりもまた極めて困難だ。
未来の巨匠クロード・モネを支える妻でありモデルであったカミーユは、何を思いどう行動したのか。
2人の周りには、ときに共に暮らしキャンバスを並べた、親友であり盟友ピエール=オーギュスト・ルノワール、大恩人と言うべきフレデリック・バジール、尊敬する先輩であったマネやクールベ、印象派の仲間であるピサロやシスレーなど、日本でも人気の高い多くの画家たちが登場する。
普段、別々の絵画展やカタログなどで目にするこれらの巨匠たちは、ときに共に暮らし、精神的にも経済的にも助け合い、芸術論をぶつけ合った仲間同士だった。その息遣いが感じられることも、本書の魅力だろう。
理想と信念のために、家族を経済的に困窮させる。しかし、欲しいものは買わずにいられない。いざというとき、そばにいない。
現代ならば、クロード・モネは「ダメ男」と呼ばれたかもしれない。カミーユはなぜ、そんな男に寄り添い続けたのか。その謎を、“おうち時間”が増えた今、じっくり解いてみてはいかがだろう。
19世紀後半のフランスの街角に迷い込んだように、2人の世界に没入できるはずだ。
(新刊JP編集部)
■貧困、困難…それでも寄り添ったクロード・モネとカミーユという夫婦
松井: この本を書いたきっかけはいくつかあるんです。一番古くてありきたりなきっかけは、私が長年のモネファンだったことでしょうね。4、5歳の頃、初めて「美しい!」と感動した名のある絵画がモネの『睡蓮』でした。西洋美術館所蔵の松方コレクションの1枚です。この本の最後に掲載した作品ですね。
絵は描くのも観るのも好きで、学生の頃には週に2回ほど美術館に通うような生活をしていましたから、好きな画家も作品もどんどん増えていきましたが、モネは一貫して好きでしたね。
二つ目のきっかけは、四半世紀ほど前に『庭のカミーユ・モネと子ども』の実物を初めて観たことです。本作の冒頭に掲載した作品ですね。丁度、長男を出産して間もない頃で、今思えば、多少産後うつ気味だったのかもしれないですが、涙が出そうなくらい感動してしまいました。「この絵を、子どものいるリビングに飾りたい」と思って、すぐにキャンバスを買ったんです。
松井: はい。もちろん本物はとても購入できませんから、趣味も兼ねて描きました。それ以来、ずっとリビングに飾っています。今ではあまりに見慣れた風景になってしまって、家族の誰も目に留めなくなりましたが…(笑)。
それが7、8年ほど前、子どもたちに手が掛からなくなった頃に、ふとこの絵が目にとまったんです。そういえば、このモネ夫人は早くに亡くなったとカタログに書かれていたけれど、一体どんな人生だったのだろうと。すぐにカタログや画集を広げてみたのですが、「早世の」とか「薄幸の」という以外には何も書かれていない。学術書を調べると、「旧姓と没年月日以外、正確なことはわからない」とありました。
「そんな馬鹿な」と思ってしまったんですよ。彼女は確かに生きて、多くの作品にその姿を残しています。『庭のカミーユ・モネと子ども』に描かれた彼女は幸せそのものじゃありませんか。早世というだけじゃない、薄幸というだけじゃない、彼女の人生を形に残したいと思ったんです。それが三つ目の、そして直接のきっかけです。
松井: そうですね。当時、絵画は題材によって格付けされていました。歴史や神話・聖書の一場面を描いたものが最も格が高く、その次が肖像画や風俗を描いた人物画。静物画や彼の得意な風景画は軽く扱われていました。だから、かの風景画の巨匠クロード・モネであっても、サロンに認められようと努力していた初期は人物画を多く描いたのです。そして、そのモデルはほぼカミーユでした。
彼女の死後、顔まで描き込んだ人物画はほとんど残していません。晩年、娘たちを描いた作品もあるんですがやはり顔は描かれず、まるで風景の一部のようです。モネはやはり風景画家だったと思いますが、だからなおさら、モネの人物画のほぼ唯一のモデルであったということは、それだけで特別な存在だと感じます。
松井: 幸い、モネについては食べたもののレシピや金銭のやりとりに至るまで詳細な記録が残されているので、常に一緒にいたであろうカミーユの生活もそこから掘り起こしていきました。
調べ始めると、2人の出会いから別れまでがちょうど印象派誕生の軌跡と重なっていました。フランス自体も政治・経済・社会のどれをとっても大変革期。とても興味深い時代です。さらに、2人の周りには、ルノワールやマネを始め日本でも人気の高い多彩な巨匠たちが登場し、2人と深く関わっています。おもしろくて、私自身が夢中になりました。
松井: 現代のフランスは、ジェンダーに関して世界で最も先進的な国の1つだと思いますが、カミーユが生きていた150年前はまるっきり違っていました。
例えば、同じフランスで19世紀前半から活躍した画家オノレ・ドーミエの風刺画には、女性が強くなったと嘆く作品が散見されます。女性が夫に向かって言いたいこと言うとか、自分のやりたいことに夢中になって育児が疎かになるとか。つまり、男も女も、そんな作品を観て眉をひそめて笑い合うような時代だったということです。
モネのやりたい放題ぶりを見ていると、やはりカミーユも彼の行動にダメを出したりしなかったんでしょうね。それは、性格でもあったかもしれませんが、時代に規定されていた側面もあります。ただ、次々と困難に見舞われても、彼女は実家に帰ったり、どこかに逃げ込んだりという選択を一切しなかった。そこに、モネに対する一途な思いを感じますし、芯の強さも感じますね。
松井: そうですね。ただ、それもまたモネの魅力の一つだと思うんです。彼は一言で言えば仕事人間、自分の好きなことに夢中です。次々と浮かんでくるアイデアを、何が何でも実現しようとする。絵に対してはとても勤勉ですしね。その性格あってこそ、彼の画業は成功するわけですが、生活全般にわたってもこだわりが強くてわがまま。お金もないのにグルメだし、オシャレだし、仕事のために平気で妻の気持ちを置き去りにしてしまいます。
松井: 恋愛の始まりには、言葉にならないフィーリングの一致があったはずで、それを客観的にどうこう言えませんが、モネの純粋さはカミーユにとって愛すべき特徴だったのでしょうね。女性の自己実現が難しい時代にあって、モネが我が道を突き進むその信念の強さも魅力だったと思います。彼が自分の夢を叶え認められていくことが、カミーユ自身の夢にもなったかもしれません。
モネの方は、最初はカミーユの見た目だけを気に入ってモデルをお願いしたのかもしれません。でも、その相手が一途に自分を想ってくれる。希望通りモデルになってくれたし、彼女を描いた作品はサロンに入選しました。グルメな彼の口に合う料理を作ろうとがんばっていたはずですし、そういう毎日を過ごすうち、モネは当たり前のように彼女に甘えるようになったと思います。「自分のすることなら、カミーユは何でも許してくれる」という風に。彼自身、意識はしていなかったかもしれないですがね。
松井: そうかもしれません。すぐヘソを曲げたり、小さなことにもあれこれ口うるさく言うような妻だったら、モネは小さくまとまっちゃったかもしれませんね。
■「2人の幸せの瞬間をできる限り詰め込みました」
松井: 夫として父としての務めを求める妻の立場と、夫の仕事を応援するビジネスパートナーとしての立場を、カミーユは両立させなければなりませんでした。
私自身、夫婦って世にも奇妙な難しい関係だと年々実感しています(笑)。距離が近すぎるゆえに言ってはいけないことがあったり、心の距離が遠くなったり、ちょっとしたことでお互いの気持ちや考えを誤解してしまったりしますよね。モネとカミーユの間にも、小さな齟齬が重なっていきます。
さらに彼女の場合、モデルでもあった。一緒に作品を作り上げるビジネスパートナーでもあったわけです。妻とモデルの両立は難しかったでしょうね。モネは当然、カミーユに対して仕事の最大の協力者であり理解者であることを求めたでしょう。妻としてはちょっと辛い(笑)。
松井: 幼い子どもたちを残して、夫の大成功を見ることなく、短い生涯を閉じた彼女は、そこだけを切り取ってみたらとても哀しい人です。ただ一方で、これだけ愛せる人と出会い、困難な時代に寄り添い続け、そして印象派の誕生という歴史的な瞬間に関わりながら生きられたということは、すごく羨ましいことです。本人には、そんな実感はなかったでしょうけれど。
それは確かに1つの素晴らしい人生でした。と、私は言いたい(笑)。
松井: 1つだけと言うなら、モネが『桃の瓶』という作品を描く場面ですね。ささやかで、穏やかで、でもこの上なく幸せな時間だっただろうと想像できるんです。
人って、お金を持っているとか、地位が高いといった分かりやすい指標を手にしているからといって、幸せを感じるわけではありませんよね。こういうふとした瞬間に感じる幸福こそが、心を満たしてくれると思うんです。
この小説には、「早世の」「薄幸の」と総括されてしまうカミーユの人生の中の、幸せの瞬間をできる限り書き込んだつもりです。時代の旗手になった画家とその妻の、微笑ましい日常を汲み取っていただけたらうれしいです。
松井: 心を打たれたというカテゴリであれば、『死の床のカミーユ』です。亡くなった人の顔を描写するという、不遜とも思える行為を画家の性でやってしまうモネと、それすらも許すだろうと思われているカミーユ。画家とモデルであった2人だからこそ成立した鬼気迫る1枚です。86歳で亡くなったモネは、長男にも、次の妻にも先立たれているのですが、他に死に顔を描くことはありませんでした。
また、私が模写した『庭のカミーユ・モネと子ども』も大好きな作品です。モネが自然を描くタッチはすごく奔放で心地よいのですが、この作品のカミーユの肩や首に掛かるタッチは本当に繊細で優しいんです。
それはモネの、カミーユに向けて込めた優しさや愛情だったのかなと思うのですが、この本を書き終えてみて、カミーユ自身はそのさりげなく込められた愛に気付かなかっただろうと思ったんです。眩しいほどの幸せの情景を描いた絵ですが、そこがすごく哀しいですね。
松井: そう読んでいただければ、それもまた嬉しいです。
松井: 私自身が、こんな本を読みたいと思って書き進めました。芸術ファンやノンフィクションの好きな方なら楽しんでいただけるかな。
知れば知るほど、印象派はこの時代のフランスでなければ誕生しなかったと思えるんです。当時は何がどれほど斬新だったのか、そのために、世の中に認知されるまで、彼らがどれほどの辛苦を味わったかも描写したつもりです。いつ、どんな状況で描かれた絵なのかを知ると、美術館でまた実物に出会ったときの感動も新鮮なものになるかもしれません。
でも本当は、「アートは苦手」という方や「女性が主人公だから」と敬遠される男性にも読んでみていただきたいですね。印象派の誕生もモネの生涯も、詰まるところ人間ドラマです。特に、夫婦という難しいものに手を焼いている男性には、「こんなところに齟齬が生まれていくんだな」と発見していただけるかもしれません(笑)。
(了)
松井 亜樹(まつい・あき)
東京外国語大学卒業。日本IBM勤務などを経て結婚。17年間、専業主婦として3児を育てる。女性向け情報紙ライターとして社会復帰し、書く楽しさに目覚める。好きな分野はアート、ファッション、歴史など。油彩画、洋裁などを趣味とし、1997年、本書冒頭の『庭のカミーユ・モネと子ども』の実物を観て感動。模写してリビングに飾っている。
著者:松井 亜樹
出版:幻冬舎
価格:700円+税