書評

『おそ松さん』と『しろくまカフェ』の声優一致に対する制作者の回答は?

来年で創業40周年を迎える老舗アニメ制作会社・スタジオぴえろ。

「うる星やつら」「幽☆遊☆白書」「BLEACH」「NARUTO-ナルト-疾風伝」など、ぴえろが手掛けて大ヒットしたアニメ作品は数多いが、それでも2015年10月から2016年3月にかけて放送された「おそ松さん」はぴえろにとっても“異例なことづくし”だったという。

■「おそ松さん」のヒットには制作側も驚いた

何が「異例」だったのか?

スタジオぴえろの創業者であり、アニメーション演出家の布川郁司氏は、『「おそ松さん」の企画術』(集英社刊)の中で次のように語る。

作品の特徴を挙げていけばいくほど、私たち自身も、「さすがに外れるとは思わなかったけど、なんでこんなにヒットしたんだろう?」と疑問が湧いてきます。もし「アニメがヒットする法則」なるものがあるとしたら、そこに当てはまらないう要素ばかりでしょう。
(『「おそ松さん」の企画術』8ページより引用)

作品の特徴とは「50年前の原作」「アニメ化は27年ぶり」「ギャグもの」「ラブストーリーなし」「アクションもなし」「萌えもなし」「ニート」「童貞」などといったキーワードのことだ。

つまり、制作側にいる人ですら、なぜここまで広がったのか明確な答えが出ていないのだ。もう一つ、『おそ松さん』現象が「異例」であったことを示す数字がある。

例えば、『おそ松さん』は昔のビジネスの基準で言えば、はっきりと「負け組」です。
昔のアニメは、視聴率しか人気を測るものがありませんでした。視聴率が高ければ成功、低ければ失敗。制作費をCMのスポンサー収入に頼っていた以上、それは仕方のないことでした。(中略)

その基準で測れば、『おそ松さん』は失敗作です。深夜1時台の放送で、しかも全国ネットじゃない。視聴率は最高でも最終話の3.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)でした。
(同書38ページより引用)

■視聴率だけでは計れないテレビ番組のコンテンツ力

『おそ松さん』の原作である『おそ松くん』は1966年と1988年にそれぞれアニメ化されている。特に、スタジオぴえろがアニメーション制作を担当していた2作目は、フジテレビ午後6時30分からの放送で、平均視聴率は20%超えという人気ぶりだった。
アニメとしても、テレビ番組としても、ぐうの音を言わさぬ「勝ち組」である。

一方で『おそ松さん』は視聴率3.0%。この数字だけ見れば、2作目の平成版『おそ松くん』には到底太刀打ちできないだろう。

しかし、ビジネス的には『おそ松さん』のほうが圧倒的に成功している。

『おそ松さん』は「大衆に観られるテレビ番組」ではなく、「熱狂を生むコンテンツ」である。テレビならば「大衆に観られる」ことを意識するだろうし、そのノウハウは少なからず持っているはずだ。しかし、「熱狂を生む」ノウハウなんて存在はしない。だから、「なぜここまで人気が出たのか」が理解しがたいのだ。

■『おそ松さん』ヒットのヒントとなった一作のアニメ

布川氏は、『おそ松さん』は市場調査をしっかりしていれば、出てこない企画だと言う。
しかし、ノーヒントでこの怪物級のアニメが作られたかというと、そういうわけでもなかったようだ。

2012年にstudioぴえろが制作した『しろくまカフェ』というテレビアニメがある。これはカフェ店主の「シロクマくん」と、常連客の「パンダくん」や「ペンギンくん」、そして人間たちのやり取りを描く、不思議な世界観を持った作品で、シュールながらほのぼのする雰囲気が魅力的だ。

しかし、アニメ化するにあたり、いまいち「押せる」ポイントが存在しなかった。イケメンや可愛い女の子もいなければ、派手なアクションもない。

ならば、原作の最大の魅力である「ほのぼのとしたかわいいキャラクターたち」をより魅力的に引き立てるしかない。

そこで「声」に個性をつけたのである。

櫻井孝宏さん、福山潤さん、神谷浩史さんという実力派声優で主役3「匹」を固めた。彼らがほのぼのとしたシロクマくん、パンダくん、ペンギンくんを演じるのは、確かにアンバランスさがあるものの、これが作品の強烈な「個性」になった。

■『しろくまカフェ』の思わぬ成功から得たもの

この「個性」は思わぬ層に支持から集めることになる。

女性ファンだ。

人気声優を起用したとはいえ、放送は平日の夕方。働いている女性や学生はターゲットではなかったと布川氏は振り返る。しかし、彼女たちは録画やDVDで『しろくまカフェ』に熱中し、その感想や面白さをSNSなどで広げることによって新たなファンが開拓されていったのだ。

そして、イベントは大盛況、グッズの売り上げは伸び、果ては「リアル・しろくまカフェ」まで登場してしまう。

テレビという土俵で戦う以上、視聴率を無視することはできない。しかし現代はたとえ不利な状況であってもコンテンツ次第で勝負は可能だということを、studioぴえろ全体に浸透させたのが『しろくまカフェ』だった。

■仮説を立て検証し、新たな仮説を立てる

『おそ松さん』はこの『しろくまカフェ』で得られた手ごたえをそのまま踏襲しつつ、深夜という、働いている女性たちでもリアルタイムで見ることができる時間帯を最大限活かしたアニメだった。

仕事で疲れたOLさんが帰ってきて、シャワーを浴びて、ビールを飲みながら観るアニメ。それを実現したら、もっと大きな反応が返ってくるのではないだろうか?
(同書24ページより引用)

ちなみに、松野家の6つ子たちは全員、『しろくまカフェ』に出演した声優たちが演じている。それは『しろくまカフェ』から『おそ松さん』へ、という流れをそのままに表しているといえる。「違和感」から仮説を立て、それを検証し、さらなる仮説を立て…。そのサイクルをstudioぴえろは実践したのである。

『「おそ松さん」の企画術』は布川氏がこれまでの自身の足跡を振り返りつつ、コンテンツビジネスの変遷と現在についてつづった一冊だ。作り手がいかに「仮説と検証」を繰り返すか、淡々とした文体の端々から執念が伝わってくるだろう。
(新刊JP編集部)

プロフィール・目次

布川 郁司(ぬのかわ ゆうじ)

株式会社ぴえろ取締役最高顧問 1947年山形県酒田市出身。
竜の子プロダクションでアニメーター・演出家として『タイムボカン』『ヤッタ―マン』などを担当。1979年株式会社ぴえろ設立。『うる星やつら』『魔法の天使クリィミーマミ』『幽☆遊☆白書』『NARUTO』『BLEACH』『おそ松さん』など多数のTVアニメ、映画の企画・制作に携わる。
  1. 第1章
    『おそ松さん』はなぜ社会現象になったのか?
  2. 第2章
    良い企画には、必ず「匂い」がある
  3. 第3章
    赤字=悪い企画、というわけではない
  4. 第4章
    企画の成否は「人」にあり
  5. 第5章
    海を越える企画を生み出すために必要なこと

インタビュー

著者近影

1977年に発足した老舗アニメ制作会社・スタジオぴえろ。

そのスタジオぴえろが手掛けたヒット作は数知れず、例えば最近では社会現象にまでなった『おそ松さん』があげられるほか、『NARUTO-ナルト-』『うる星やつら』『幽☆遊☆白書』など、名作がズラリと並ぶ。

なぜ、スタジオぴえろはこんなにもヒット作を生み出せるのか?

その創業者である布川郁司さんは近著『「おそ松さん」の企画術』(集英社刊)の中で、ヒット作を生み出すための企画術、アニメーション業界の歴史、そしてコンテンツビジネスの未来と課題をつづっている。

そのヒットの生み出し方からアニメーション業界の現状、テレビに振り回された「過去」など、布川さんにお話をうかがった。
(取材・文/金井元貴)

■『おそ松さん』の企画は1年間も難航していた

― 本書はアニメ『おそ松さん』のヒットを切り口にスタートします。この本を読んで、まさに今のアニメ業界の構造の転換点にあると感じました。同時に布川さん自身が『おそ松さん』のヒットは異例づくしだったと語っているのも驚きです。

布川:
『おそ松くん』はホームドラマだから、通常で言えば夕方5時、6時台に乗せる企画ですよね。ただご存知の通り、今は夕方5時、6時台にほとんどアニメ枠は少なくなっています。

また、『おそ松くん』が30年前にあれだけ大ヒットしたとはいえ、30年経ってそのまま同じ時間帯でやるのは難しいと考えていました。

ただ、僕自身、赤塚不二夫という作家が大好きで、『おそ松くん』も赤塚先生から企画を預かってなんとか着手した経緯があったので、赤塚先生が生誕80周年ということもあり、「何かやらねば」というプレッシャーもあったわけですね(笑)

でも、時間帯は深夜枠しか空いていない。そこで『おそ松くん』をやるのはきつい、と。約1年は企画を出してはダメ、出してはダメという時期が続きました。「今どき『おそ松くん』なんてなあ」という声があったのも事実です。

― そうした中で組み立てられていったのが、『おそ松さん』というアニメだった。

布川:
そうです。ちょうどその前に『しろくまカフェ』というアニメを制作していたのですが、主役の動物たちがリアルなので表情が少ないわけです。どうしよう、と。そこで人気も実力も高い声優を起用して、声の魅力で売っていこうとしたんですね。

それが上手くハマって、女性ファンから圧倒的な支持を受けました。今回も企画はまったく違うけれど、『しろくまカフェ』と同じ声優をキャスティングして…という形で少しずつ企画が固めていった。

もちろん、(企画が)着地したときは100%でなかったのですが、今言ったように『しろくまカフェ』は女性から人気があったので、それならば、と六つ子たちをイケメンにしたわけです(笑)

■アニメ業界は「テレビの犠牲者」である

― それが第1話から凄まじい反響を呼びました。

布川:
別の意味でも反響を呼んでしまったのですが(苦笑)、すごかったですね。

アニメ番組というのは分からないんです。放送されても全く当たらなくて、「やっぱり」と思うことの方が多い。だから、賛否両論あるにせよ、私たちの予想とは別の勢いをつけてくれたところでは良かったです。

この世界は「勝てば官軍」なのでね、私たちの企画力が要因ですと言えるのかもしれないけれど、『おそ松さん』については分からない。スタジオぴえろのスタッフ全員が謙虚に結果を受け止めています(笑)

著者近影

― この本で、テレビにおける「視聴率」の力が薄れていること、視聴率を取れなくてもビジネスとして成功を収められることが書かれています。
ただその一方で番組に投資をするスポンサーは、視聴率を一つの指標として投資をすると思います。番組とスポンサー企業の関係はどのように変わったのでしょうか。

布川:
現在、週80タイトル近くのアニメーションが放送されていますが、現在ではスポンサーだけで成り立つ番組はほとんどありません。そのような番組は『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』といった昔から放送している枠くらいじゃないですか。

ほとんどのアニメ番組は製作委員会方式ですが、要はスポンサーだけでは成り立たないから、こういう方式になるんです。今のテレビ業界ではアニメくらいですね。製作委員会方式は。

アニメ業界はテレビの犠牲者のようなところがありまして、バブル期にものすごい営業が入ってきて、ゴールデン帯で放送をしていました。ただ、アニメって30分放送じゃないですか。実はこの30分枠って広告代理店からすれば一番売りづらい長さなんですよ

― 時間が短いからですか?

布川:
そうです。1時間半とか2時間とかの枠をドンと売り切って大きな金をつかんだ方がいい。だから、ゴールデン帯の30分のアニメ枠は減っていき、深夜に移っていきます。

編成上の理由によってアニメ番組は子どもの枠から離れていき、少子化も手伝って子ども向けビジネスに精通する企業もスポンサーにつかなくなっていきました。

そういう状況の中でもアニメ業界はしたたかさを発揮して(笑)、民放の中でも電波利用料が安いテレビ東京に移り、さらにローカル局の東京MXテレビにも進出しました。そうしてアニメーションの制作だけは確保していったんです。

もちろん以前のように視聴率は取れなくなったけれど、そこからでも大ヒットは出ています。『進撃の巨人』は東京ではMXテレビで大ヒットしましたよね。

大ヒットを生むのは必ずしもゴールデン帯だけではないし、インターネットなどを通じて人気が広がっていく可能性が高くなった。流通も報道形式も、チャネルがたくさんあるので、その中で宣伝の仕方も多様になっているわけです。

■日本のアニメーションは海外ではビジネスになっていない?

― DVDやブルーレイには観るだけでなく、コレクションの価値がありますし、アニメグッズも売れます。
単にアニメーションの流通経路が変わりつつあるという話ではなくて、楽しみ方が多様になっていると思いますが、布川さんはその点をどのようにお考えですか?

布川:
DVDやブルーレイでいえば、録画技術が高品質になって今でも売れているというのは不思議に思うところがあります。なぜなんだろう、と。おそらく、アニメファンはパッケージした商品に価値を見出してくれている。これはありがたいことですよね。

実はこうしたアニメファンの行動はレーザーディスクでパッケージしていた頃から変わっていません。だから私たちも、パッケージすることの大事さをよく知っているところがあります。

書籍写真

― 本書では「日本のコンテンツは海外でビジネスになっていない」「海外にファンが増えても、日本で行っているようなかたちでではお金にできていない」と書かれていたのも驚きでした。海外では日本のアニメが流行しているというイメージがありましたが。

布川:
この場合の「お金にできていない」というのは、「テレビに売れていない」ということです。基本的にテレビは国によって規制があったりしますから、例えば中国の国営放送(CCTV)は参入できません。『ドラえもん』くらいですね、放送しているのは。

だから中国人がどうやって日本のアニメを観るかというと、海賊盤であったり、違法配信であったりしましたが、今では中国の配信はほぼ合法的になっています。ようやくビジネスになってきています。しかし配信はすぐに国境を越えることができますから、国によっては違法アップロードサイトを利用している人も多いです。

海外のテレビで共通して需要がある日本のアニメーションは、かなりジャンルが限られていて、『ドラえもん』なり『アンパンマン』というところになります。つまり子どもからの人気が高いアニメですね。

『NARUTO-ナルト-』も『ワンピース』も人気がありますし、それ以外にも日本のアニメやマンガが広まっていることは確かです。ただ、触れ方が違法であったりということが多く、そこでビジネスにできていない現状があるんです。

この点については、本の中で詳しく書いていますが、ライツ(版権)管理がカギを握っていると思います。キャラクターグッズやおもちゃなどを売るマーチャンダイジングは海外のコンテンツ産業でも主要なビジネスになっていますから。現在のライツ管理は我々民間では手が及ばなくなってしまっているとしか言いようがないと思います。

■「アニメプロデューサー」とはどんな仕事なのか?

― この本のテーマは「企画術」ですが、その一方でアニメプロデューサーの育成という業界の課題がバックボーンになっているように読めました。アニメプロデューサーの仕事について、良いアニメプロデューサーの定義について教えてください。

著者近影

布川:
アニメのプロデューサーはまず予算を渡されて、制作進行のスケジュールを決めるのが主な仕事です。予算を管理できる人が「良いプロデューサー」という見方ですね。

もう一つあげると、基本的にテレビ放送に合わせての制作進行になるので、限られたスケジュールの中で、スタッフを集めて、日程に遅れることなく、クオリティの高いものを納品することに、プロデューサーの腕が問われていたわけです。

それは今でも変わりませんが、プロデューサーの役割は制作と営業の2つに分かれてきているんですね。今、言ったプロデューサー像は制作プロデューサーの話です。一方で課題を持っているのが営業プロデューサー。ここが変わらないと日本のアニメは変わらない。

メディアはテレビ一極集中ではなくなり、ネット配信をはじめ、多様な選択肢が生まれました。だから、今まではテレビのプロデューサーにすりよれば良かった。嫌いな人でも(笑)そこに集中すればよかったけれど、今はそういう時代ではなくなった。

スポンサービジネスではなくなり、製作委員会方式が取られ、アニメを制作するのにテレビ局を含め他からも投資を受けるようになったわけです。全てがテレビに頼る時代ではなくなったというのはここ数年ですごく実感しています。

― 今後さらにメディアの選択肢が増えるかもしれない。

布川:
そうでしょうね。メディアの形はどんどん変わっていきます。そういった変化に対応するためには、我々のような業界内でそれなりのポジションについている人たちがしっかりと企画を作ることが大事になってくると思いますね。

■「日本でプロデューサーを目指すならアニメにしなさい」

― プロデューサーというと、「どのようにお金を引っ張ってくるか」というところがフォーカスされがちですが、それだけではないということですね。

布川:
もちろんお金の座組みを組むのも大きな仕事です。権利関係もプロダクションにとっては命なので、そういうことを主張しながら作品を作っていかないといけませんから。

― 相当のビジネスセンスが求められるのではないでしょうか。

布川:
ビジネスセンスと企画力ですよね。その作品の売りをどこに据えるか、監督は誰にするのか、キャラクターは、デザイナーは…といろいろ考える。それは制作と営業のプロデューサーが共同でやっていきます。

『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーだった西崎義展さんなんかは営業と制作を一人でまわしていましたし、一人でやれたほうがベターなのかもしれません。でもそれができるのは本当に限られた人だけです。

また、確かに制作と営業ってどうしてもリンクしづらいところがありますが、スタジオぴえろはその2つが上手くリンクしていて、例えば営業が「今、こういう新しいメディアがきている」という情報を得たら、制作にそれが伝わり、その情報や知識を元にしながら企画を立てていく、と。

― アニメから少し話がそれますが、映画プロデューサーを目指して海外に渡った知人がいます。「プロデューサーの育成」について何かお考えはありますが?

布川:
映画の場合、海外で勉強をするならば日本には帰ってこないほうがいいかも知れません。向こうに根を下ろすことをおすすめします。

日本の映画業界は少し特殊で、日本人1億2000万人に向けて映画を作ります。だから、例えば日本映画が海外で賞を取っても、興行として成功を収めたという話はなかなか聞きません。

― 海外で興行に成功している作品というと、スタジオジブリくらいでしょうか。

著者近影

布川:
でも、スタジオジブリの作品もディズニーの配給ラインからすれば複雑なんです。本家ディズニー映画や、ピクサー作品があっての、スタジオジブリ。だから、どうしても大きな映画館で公開されにくい。

よく海外でも通用する映画プロデューサーの育成について相談されるのですが、それはすごく難しいことです。特に実写はそうですね。まだアニメであれば海外に勝てる可能性がある。でも、実写は絶望的な意見しか言えません(苦笑)。

もし日本で映画プロデューサーになりたいのであれば、アニメのプロデューサーになりたさいと言います。ハリウッドと肩を並べることは難しいかもしれないけれど、それに近いことはできるかもしれませんから。

■アニメプロデューサーに向いているキャラは「松野十四松」

― アニメプロデューサーに向いているのはどんな人だと思いますか?

布川:
大風呂敷を広げられる人ですね。これは重要な素質です。それを仕舞うことも大事なのですが(笑)

― 布川さんは徹底的に大風呂敷を広げるタイプですか?

布川:
昔はそうでした。「このアニメはヒットする」なんて誰にも分かりませんから、そこは熱意を見せて、熱病みたいに伝染させていく。そうなると、周囲の人や取引先も「ここまで言うのなら、大丈夫だろう」と飲むしかなくなるわけです。

例えば、読売広告社の木村京太郎さんというプロデューサーは『おそ松くん』をはじめたくさんの作品でご一緒しましたが、彼は筆ペンで企画書を仕上げていたんです。ものすごいインパクトですよ。

では、彼と同じように筆ペンで書けばいいのかというとそうではなく、「この企画をやらせてくれ!」という熱を伝える手段の筆ペンなんです。そういう熱を伝えるのがプロデューサーなのだろうなと思いますね。

― 『おそ松さん』に出てくる六つ子の中でアニメプロデューサーに向いているのは誰だと思いますか?

布川:
これは難しいね…。しいてあげると、十四松かな。危ないけれど(笑)。でもね、危ない人の方がいいのかもしれないです。昔はすごいプロデューサーであればあるほど、「関わらない方がいいよ」なんていう噂が流れたくらいですから。

仕事ができることと、危ないことは、紙一重なんですよね。弁が立っていて引き受けるくらいの度胸がある人でないと、仕事を任せることはできませんよ。

■布川さんが「これはすごい」と思った雑誌の編集長とは?

― 布川さんから見て、アニメ業界の中で「これはすごい」と思う人はいますか?

布川:
たくさんいます。集英社の「少年ジャンプ」歴代編集長にはすごい思い出がいろいろありますが、一番すごいと言えば、1978年に創刊されたアニメ雑誌『アニメージュ』の初代編集長である尾形英夫さんは、本当に危ないオヤジでしたよ。もともと『アサヒ芸能』の編集長でしたから、裏社会への造詣も深い(笑)。

ただ、あの人がいなかったら宮崎駿さんも高畑勲さんも発掘されなかったと思いますし、雑誌内にアニメキャラのグラビアページを作るなど、アニメキャラにファンがつく時代がくることを事前に察知していました。

当時は「そんな時代、来るのかな」と思っていたものですが、今やキャラクタービジネスはアニメ産業においても主要ビジネスの一つですからね。

著者近影

― ものづくりの現場で、よく「予算がない」という言い訳が飛び交うときがあります。その言い訳をどうクリアしていけばいいのか悩んでいるのですが、アドバイスをいただけますか?

布川:
「予算がない」って実はスタジオぴえろではあまり出てこない言葉です。逆に言えば、スケジュールを言い訳に使っているのは聞きますね。お金はもう決まっているわけで、その中でやりくりをするしかない。これが前提です。

逆にスケジュールがタイト過ぎると、1本の作品のクオリティを維持するのにも難しいことになる。そうなると、時短の考え方ではデジタルに行き着くしかないんです。

最近のアニメーターはタブレットで絵を描くことが当たり前ですが、ベテランの方になると鉛筆でしか描けないという人もいるので、ちょうどその転換期なのだと思いますね。

― では、この『「おそ松さん」の企画術』をどのような人に読んでほしいとお考えですか?

布川:
もともと企画術というテーマで何か書きたいと思っていたところに、『おそ松さん』のヒットが重なって本を出版させてもらうことになったのですが、やはりメディアの世界は面白いし、これからもっと面白くなっていきます。

だからメディアに興味を持っている人や、自分で良い企画を立ち上げたい、人を動かす企画を作りたいという人には、ぜひ読んでほしいですね。
(了)

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