カーテンを閉め切った仕事部屋から抜け出したいという気持ちが小説に
―― 『64』以来の長編となった『ノースライト』についてお伺いしていきます。本作は建築士が主人公ですが、作品のモチーフはどこから来たのですか?
横山: 実は建築士の話を書こうと思っていたわけではないんです。
もう13、14年ほど前ですかね、仕事場として小さなマンションの一室を借りていたんですよ。当時はとてつもなく忙しくて、そのマンションから一歩も出られないような状況で、何年も3、4時間しか寝ないような日々でした。
その結果、心筋梗塞で倒れてしまったのだけど(苦笑)、二週間入院した後は仕事場に逆戻りで。「もう一生ここにい続けるのか」みたいな強迫観念にとらわれた時期があって、小説では主人公や登場人物たちの人生を山ほど書いていたけれど、自分自身のリアルな人生にぽっかりと穴が空いてしまって、えも言われぬ虚無感のようなものを感じていたんです。
そこに新潮社さんから、『旅』という雑誌を引き継いで復刊するから小説を書いてほしいという依頼が来まして、それを聞いた瞬間に「あ、俺もここ(仕事場)から抜け出して旅に出たい」と思ったんです。カーテンを閉め切った光の射さない部屋で365日のうちの350日をそこで過ごしていた自分に、「旅」という言葉が強く心に残りましてね。私は「コップの中の嵐」ほど激しい嵐はない、と考えているので、警察小説ではずっとそこを書いてきたけれど、今回は限っては外に開いたものを書いてみたい、と。
マンションの一室の生活の中で「住む」「滞在する」「存在する」って一体なんだろうという自問がたまっていたところに、「旅」というキーワードを与えられて、「家」や「建築」という形で頭の中に広がり、物語の骨子が出来ていったわけです。
―― 当時使っていらっしゃったマンションの一室というのは、まさに仕事をするだけの場だったんですね。
横山: そうです。だからそこから抜け出したいというか、光を感じたいという「ノースライト」に通底するような思いが切実にあったのだと思いますね。
―― タイトルの「ノースライト」ですが、これは建築関係の用語なのですか?
横山: 辞書には載っていませんよね。でも、芸術の世界では時折耳にする言葉です。画家や彫刻家は、手元に自然で柔らかい光を欲しがり、アトリエの北側に大きな窓や天窓を設けることが多いんですね。『64』の「昭和64年」と同じで、「北の光」は日頃あまり意識されません。
―― 本作の主人公である建築士の青瀬稔は、主人公でありながらあまり強烈な色がないように感じました。その一方でその相棒であり建築事務所の上司でもある岡嶋昭彦の泥臭さが印象的で、強烈に惹かれます。
横山: そうでしたか(笑)。そう言った方は他にもいましたね。
―― 青瀬は建築士として自身の最高傑作がありますが、岡嶋にはそれがありません。でも仕事をしていると、何か一つでもいいから「自分の作品だ」と思えるものを誰もが作ってみたいのではないかと思います。
横山: 正面を切って建築士に聞けば、「そんなことを考えたことはないよ」と言うかもしれません。でも、「何か一つは」という思いがあるというのは作家的確信です。それは今あなたがおっしゃったように、モノの作り手ではなくても、自分の生きた証を何らかの形で残したいという願望があると。そういう意味では、普遍性のある願望なのだと思いますね。
―― でも、組織の中で仕事をしていると、やるべきことをやっているだけでただ時間が過ぎていってしまう。
横山: 私の警察小説はそう見えるかもしれませんね。でも、言葉でも背中でも何か一つは残しているはずです。この『ノースライト』は組織という縛りがない人たちの物語なので、「生きた証を残したい」という願望から、ストレートな形で物語が広がるのではないかと思っていました。
―― 作り手は自身の最高傑作をつくると、その作品に執着心がわいてしまう。青瀬にとっては「Y邸」という信濃追分に建てた新築の家がまさにそれです。
横山: だから気持ちが揺れ動くわけですよね。これは家の宿命ですが、建てた者と住む者がいる。建てた者としてはパーフェクトな方法ですべてを注ぎ込んだけれど、それを住む者に受け入れてもらえない状況が起きた。建築士にとって最も起きてほしくないことを起こし、青瀬に強い負荷をかけて心を試し続けていくというのが、この小説の作りですね。
―― これは作家と小説に置き換えると、渾身の作品なのに読み手がいないという感じなのでしょうか?
横山: それはどうなのかなあ(笑)。でも、例えば自分としては思い入れて書いた一文がスルーされることもあるし、ぽっと思いついて書いた一行が読者から人生を変えたと言われることもありますからね。作り手と読み手がまったく同じ感覚であるはずはないし、どこか一点でも繋がればいいなと思っています。
―― もう一つ、青瀬という主人公について、物語を追う中での彼の変化、成長をどのように書きたいと考えていましたか?
横山:
書きたかったのは、成長ではなく、もっぱらの変化ですね。
例えば人生を「川」と考えたときに、緩やかな流れに乗っている時期もあれば、急流の時期もありますよね。青瀬はその川の澱みに迷い込んでしまったような時間を過ごしているけれど、そこからさまざまな外的要因がもたらす内的感情が小さなエンジンとなり、ゆっくりと川の流れに戻っていってほしいというイメージは持っていました。
―― これから『ノースライト』を読む方には、後半から終盤に向かう青瀬の変化を読んでいただきたいです。
横山: 前半は優柔不断だったのに? 確かに後半は、だいぶ違うよね(笑)。
「9割は新しく書いていますし、中盤からのストーリーは別物です」
―― 本作はブルーノ・タウトという20世紀前半を代表する建築家の「椅子」が大きな役割を果たします。タウトは1933年に来日し、翌年からは約2年間群馬県高崎市の達磨寺に滞在していますが、タウトについての本を読んでいたときに、彼は達磨寺から浅間山を見ていたという記述があったんですね。そこから、Y邸がある信濃追分は浅間山のふもとだから、何かつながりがあるのではないかと思いまして。
横山: そうなんですか、それは知らなかったなあ。テレパシーでつなげてしまったのかも(笑)。でも、浅間山は群馬からはどこからでも見えますからね。
―― 本作は青瀬によるタウトを追いかける旅でもありますよね。
横山: 旅情ミステリーの形を借りつつ、人生の旅情みたいなものを書くというイメージはありましたね。
「人にとって『住む』とは何ぞや」という問いかけから、家や建築というテーマがあらわれたとき、タウトのことを思い出したんです。私は群馬に住んでいるので、タウトの存在が近いんですよ。それで知り合いにタウトについて聞いたり、本を読んだりしながら、澱みにはまってしまっている青瀬にとって、タウトは大いなる刺激になると考えたんです。
青瀬が気持ちをぶつけることで、彼自身に必ずそれが返ってくるものがある。タウトはそういうキャッチボールができる存在だと思えたんですね。そこでタウトを物語の背骨に据えよう、と。
―― 青瀬にとっての師匠のような存在ということでしょうか。
横山: もちろん直接のやりとりはないけれど、同じ職業の先達と心がシンクロできたと青瀬が感じた時点で師弟関係なのだと思います。青瀬の建築士としての今までの来し方、建築に対する思いが浮き彫りになるような、いわば青瀬の感情増幅装置としてタウトがいるんですね。
―― 冒頭の青瀬は、家族の問題を抱えている部分もありますが、とにかく意固地な人物ですよね。それがタウトの存在やY邸への執着の中で変わってくる。
横山: 意固地ね。まあ、仕事場にいた頃の私と同じです(笑)。なんか人間が小さくなっちゃっていて、外との接点もあえて避けて、自分の居場所だけにいるというようなね。確かにそういう自分を青瀬に投影したところはあったかもしれないし、それが溶けていくさまがこの物語の一つのテーマではあったと思います。
―― 溶けていくというのは?
横山: 人間が溶けていくというね。違う自分に出会うというか、まだこんな自分がいたんだ、と青瀬は驚いている部分があったんだと思うんですよ。
―― もともと書き始めの頃は、終わり方を決めていたのですか?
横山: ミステリーのプロットみたいなものはぼんやりありました。ただ、書いているうちに破綻する部分もでてきますからね。人間ドラマのほうはどんどん変わってくるし。
というか、舞台裏を明かしてしまうと、『旅』の連載していた時の原稿からはとんでもなく書き直しています。特に最後の部分は全部ですね。『旅』で連載していたときは、終盤で起こる事件に対して、ミステリー的な手札が全く浮かばないまま、尻すぼみのように駆け足で書き終えてしまったんです。
―― そうだったのですか!
横山: です。だから、書き直しどころの騒ぎじゃないかったんですね。全体としても文章で残っているのは1割あるかないかで、9割は新しく書いていますし、中盤からのストーリーはまったく別物です。
『64』のときは昔執筆した作品を手直ししているという感覚でした。けれど、『ノースライト』は、雑誌連載は自分にとって、もはや「経験したこと」であって、その経験を振り返りながら新作を書いているような感じでした。
―― 本作の最初のページに「木村由花さんに捧げる」とありますが、この方は2015年に亡くなった『旅』の編集長ですね。
横山: そうです。『旅』で連載していたときも木村さんでしたし、単行本に向けて木村さんが編集を担当して下さっていましたが、その途中に亡くなってしまわれて。
実は、書き直しを始めたものの自分の中でしっくりこなくて、全面改稿に踏み切ったのですが、それもなかなか上手く進まなかったんです。それで私がグズグズしている間にね…。完成した原稿を読んでいただけなかったことは悔やんでも悔やみきれません。木村さんにはただだ申し訳ない気持ちです。木村さんは陽だまりのような方で、本当に小説が大好きで、小説に対する愛情がほとばしるような方でした。
横山秀夫と「群馬」、そして『君たちはどう生きるか』
―― この物語に出てくる人物たちは「自分の生きる理由」を求めているように見えます。横山さんご自身は、生きるための大事なものはなんだと考えていますか?
横山: 難しい質問ですね。でも、ひとつあげるとするならば、「矜持(きょうじ)の欠片」は大事だと思っています。
矜持は「誇り」と言い換えてもいいけど、経済活動を伴う生活の中で、矜持をまるごと持って生きることは難しいし、それが理不尽に壊されることもあるでしょう。ただ、壊された時にそのまま放っておくのか、その欠片を拾ってポケットの中で握りしめるのか。その違いは大きいと思います。
それと大切なのは、自分をよく知ることですよね。私は仕事場で囚われの身だった当時、どうしても締切に間に合わなくて、一瞬、8階の窓から飛び降りようと思ったことがありました。で、それから、「実際の死」と「社会的な死」のどちらがより自分にとって恐ろしいことなのか考えるようになりました。この問いは「自分はどう生きたいか」ということの分岐点にもなると思うのですが、私は「社会的な死」の方が怖いと感じた。
その後、心筋梗塞をやり、本当に「実際の死」が間近にきて、臨死体験までしましたが、それでもなお、「実際の死」よりも「社会的な死」のほうが怖い。そういう人間なんですね。
―― 横山さんはその後しばらく精神的な理由から「書けない時期」を経験されますよね。仕事ができないというのは…。
横山: 生き地獄ですよ(笑)。病気で体が動かせなくて書けないというなら、自分の中ではOKなんです。心筋梗塞で2週間入院していたときは、生まれてこの方こんな楽しい日々はなかったですよ(笑)。看護師さんはやさしいし、誰も原稿を書けと言わないし、病院食も楽しみで、自分で取りに行ったり、あとは病院を探索したりね。逆に精神的な理由で書けなくなると、これは地獄でしたね。
―― タウトが日本でのことを振りかえって「建築家の休日」と言っていますが、「小説家の休日」は何だと思いますか?
横山: なるほど。タウトは「手足を縛られた」という意味で言っていますよね。それを当てはめると、手足を縛られて「お前は小説を書いちゃいかん」と言われているというようなことですが、まあそういうことはないからね(笑)。基本「書け」と言われているし、「書けない」「書かない」のは本人の問題になるので、タウトと同じ心情にはなれないですね。
ただ、よく長い休みに入るときに「充電期間」と言うじゃないですか。あの感覚は私には分からないですね。「死ぬまで放電じゃい!」という感じなので(笑)。
―― では、いつ充電するのですか?
横山: 充電は放電をしながらするんです(笑)。書けなくても一日中、机にかじりついていますから。そうして何かを考え続けているという行為は、放電であると同時に充電でもあるんですね。
―― 今は群馬県の伊勢崎にお住まいということですが、上毛新聞の記者時代から群馬県にいらっしゃるんですよね?
横山: そうですね。23歳で群馬に来て、今は62歳だからもう40年ですね。
―― 群馬という土地は横山さんの人生、そして小説にとっても欠かせない土地だと思いますが、群馬とはどんな場所だと考えていますか?
横山: まさに自分が人間になった土地ですね。大学を卒業するまで過ごした場所というのは、親の庇護下にいた第一青春期という感覚です。でも、いざ社会人となり、群馬に来て、街の名前から、駅の場所、食べるところ、0から覚えていくわけですよね。それと共に仕事を少しずつ覚えていき、地面に2本足で立っている感覚を得ていく。その第二青春期の方が、第一青春期より愛着が強いんです。
―― また、以前お受けになっていたインタビューで、横山さんが『君たちはどう生きるか』に影響を受けていると拝読しましたが、この小説でもなかなか前に進めなくなっている人間たちの瀬戸際の迷いを感じられました。
横山: 近ごろリバイバルで大ヒットして、ちょっと話しにくくなっちゃったんですが(笑)、『君たちはどう生きるか』は小学生の時に読んで強い衝撃を受けました。文学としてさまざまな受け取られ方がなされているけれど、私自身はあの雪合戦のシーン、「石を入れた雪玉を当てたのは誰だ」と上級生たちにすごまれたコペル君が、友達が名乗り出る中で後ろに持っていた雪玉をそっと落とすところで、「これは自分のことだ」と手が震えたんです。
それまでの読書は「どこか別の世界に連れて行ってもらう」感覚で読んでいたのですが、初めてあの本を読んだときに、「自分のことを書かれた」と感じたんですね。言い当てられたというかね。
そして、自分も雪玉を落とす側の人間だということを、警察小説を書いているときも、登場人物がギリギリの判断をする場面で思い出すんですよね。この『ノースライト』でも思い出しました。ただ、警察小説よりはその感覚は弱かったけど。
横山秀夫が影響を受けた3冊の本とは?
―― 横山さんは警察小説の書き手として知られています。もちろん他にも新聞記者が主人公の作品もありますが、本作の建築士という主人公は読者にとっては新鮮に映るかもしれません。
横山:
でしょうね。ただ、私の警察小説の作風と繋がっているところもあります。それは、主人公の職業を「建築家」ではなく「建築士」にした点です。
「建築家」と自分で名乗るにはためらいを覚えてしまうような、あまたいる建築士の一人を主人公に選んだという意味では、華々しい刑事ではなく地味な事務部門の人間を主人公に据えるという警察小説を書くときと同じ選択の方法をしています。
―― 今後、小説で書いてみたい仕事や職業、人はいますか?
横山: それはもう誰もが題材ですよ。誰でも書いてみたい。それこそ(インタビュアーの)金井さんも書いてみたいです。「そこに引っ掛かっているのにそれは聞かないのか」とか「次はこういう質問がくるかと思ったのに飛ばしたな」とか思いながらお話をしているけれど(笑)、何故この人はこの仕事をしていて、この場にいるんだろうと思うんです。
それは、今まで私が小説で書いてきた人間が特殊な人間ではなく、警察官とか弁護士とか新聞記者とか、属性は違っても、ある意味どこにでもいる平凡な人間を書いてきたから、なおのことそう思うんですよね。自分の中ではどの人を書いても不思議ではなくて、理詰めで決めているわけではないから。
だから、質問の答えとするならば、できる限り多くの職業、性別、年代の人間を書きたいですね。まだ書いていない穴を埋めていきたい野望を持っています。
―― この「ベストセラーズインタビュー」では毎回影響を受けた本を3冊ご紹介いただいています。ぜひ横山さんの3冊も教えて下さい。
横山: まずは『君たちはどう生きるか』ですね。書いているときも思い出すくらいなので、影響を受けています。
次は『O・ヘンリ短編集』です。これは小学校の中学年くらいのときに読んだのですが、読み終わった後、窓の外の景色が変わって見えました。自分の少年時代が終わったような感覚がありましたね。以前、海外からのインタビューで「過去の名作の中で、自分で書きたかった作品は何か」という質問をされたときは「O・ヘンリ短編群」と答えました。今でも本気でそう思っていますね。
もう一冊は何にしましょう。他で言っていることと違うかもしれないけれど(笑)高野悦子さんの『二十歳の原点』にしましょう。
高校時代に読んだのですが、とにかく書籍の帯文が強烈だったんです。「死が美しいなんて誰が言った」と書かれていて、それが目に焼きついて。「自殺」という単語を聞いたり考えたりすると、必ずその一文が頭に浮かびます。私の人生に対する影響というのは特にないけれど、言葉の持つ力を見せつけられたという意味で、『二十歳の原点』の帯文ですね。
しかしまあ、私も62年生きていますから、影響を受けた本は100冊も200冊もありますよ(笑)。今日浮かんだのはその3冊ということです。
―― 横山さんのファンの皆様にメッセージをお願いします。
横山: 本当に長い時間がかかってしまった一冊で、自分が作家と呼べるのかどうかさえ怪しいのですが、今持っている自分の思い、すべての力を注ぎ込んだ本です。自分の中のハードルはきちんと超えた作品になっていますので、興味があったら読んでみてください。
取材後記
たっぷりと『ノースライト』について語っていただいたインタビュー。この物語を読んだとき、ストーリーや登場人物たちの言動の中に横山さんの人生観や想いが見え隠れしているように思えて、それを質問にしてどんどんぶつけたところ、真正面から打ち返してもらいました。
どんな人も、川の澱みに迷い込んでしまうことはあります。今、もし澱みにいるとすれば、ぜひ本作を読んでみてください。青瀬をはじめとした登場人物たちをストーリーで追いかけているうちに、自分も塞ぎ込んでいる時間はないと思わせてくれるはずです。