『本と鍵の季節』執筆に生きた「実体験」
―― 私はミステリを読む時にどうしても傍観者的になってしまうのですが、この作品は読みながら一緒に謎解きができる感じで新鮮でした。こういう読者の親しみやすさのようなものは普段から意識されていることなのでしょうか。
米澤: ミステリの基本は「立問」と、注意して読めば読者も謎を解けるという可能性の保証だと私は思っています。なので、まずは「この小説はここが謎なんですよ」というのをはっきり提示することや、100%全員とはいかないまでも読者が十分な蓋然性を持って真相にたどり着くことができるように書かなければいけない、という意識は常にあります。
―― 場合によっては作品の結末より先に読者が真相に行きついてしまうこともあるわけですか?
米澤: そういうこともあるでしょうね。実際には本気で自分も謎を解いてやろうとメモとペンを片手にミステリ読む読者は少ないかもしれませんが、それでも解こうと思って挑戦すれば解けるように作るというのは、ミステリを書くうえでの約束事です。あまりに基本的なことすぎて忘れがちになるところなので気をつけています。
―― 殺人事件などではなく、日常の中の謎を解いていくのがおもしろかったです。普段意識しませんが、生活の中にも小さな謎はたくさんあるものかもしれません。
米澤: そうですね。実際二話目の「ロックオンロッカー」という作品に出てきたエピソードは実体験でもあるんです。美容院で「貴重品は必ずお手元にお持ちください」と、妙に「必ず」を強調されて言われて…。
―― じゃあそのお店も何か事件が…
米澤: いや、多分純粋に閉店時間が近かったからだと思います(笑)。でも、気になる言い方ではあったので、ネタになるんじゃないかと思って髪を切ってもらいながらどんな話にしようか考えていました。
―― 松倉と堀川というちょっと変わった友達二人が謎に挑むという趣向です。ミステリで謎解き役が二人というと、「ホームズとワトソン」の関係性をイメージしてしまうのですが、この二人の関係性は一人の「名探偵」の推理にもうひとりは驚きっぱなし、というわけではなくて、それぞれ自分で推理を組み立てて、その進み方も追い越したり追い越されたりします。この手法はミステリでは一般的なんですか?
米澤: どうでしょう。警察と探偵で推理合戦になるような作品や、複数人数で推理を対決させるような作品はありますが。
アントニー・バークリーの作品では、探偵のロジャー・シェリンガムとモーズビー警部がそれぞれ違う視点から推理を進めていって、時には探偵が真相を見つけたり、また別の話では警部が真実にたどり着いたりします。ただ基本的には別行動しているので、松倉と堀川とは違います。行動を共にしながらそれぞれ推理するというのは珍しいかもしれません。
―― 二人とも頭は切れるものの「名探偵」と呼ぶほど完璧ではないのがかえって魅力的でした。
米澤: 彼らは高校生なので「名探偵」にしてしまうには惜しかったんです。名探偵は一つの完成されたキャラクターですから、そこから成長もしないし変化もない。名探偵は名探偵のままです。
でも松倉と堀川はまだ未熟といいますか、これから人の心だとか自分の考えだけでは計り知れない物事が世の中にはあるんだということを学んでいく年代です。だからまだ互いに少しずつ欠けているところがある。その欠けた部分を補い合えるような関係をミステリのなかで書ければいいなと思っていました。
―― 二人とも高校生っぽさを失わない程度に頭がいいと言いますか。
米澤: 米澤:そうですね。彼ら自身、自分たちがある程度「切れ者」だということを知っていて、でもそれを鼻にかけるほど幼くはありません。足が速い人もいれば、勉強が得意な人もいる、そのなかで自分たちはちょっと切れるのかもね、くらいに捉えているのがこの年代らしいのかもしれません。
創作のスタートになるミステリ小説の「型」とは
―― ミステリ作家の方がどういうプロセスで作品を作り上げていくのかに興味があります。構想は小説のどの部分から始まるのでしょうか。
米澤: 時々「こういう話を書こう」というようにストーリーを先に思いつくことがあるのですが、こういう場合はミステリとしては空中分解してしまうことがあるんです。
やはりミステリの出発点は「何が謎か」というところだと思っています。時々、これから書こうとしている小説について「悪い話じゃないけど、でも何を解く話なんだろう?」と自問して、プロットを練り直すことがあります。
―― ということは「謎」部分から始めて、そこを中心にストーリーを作っていくということですか?
米澤: ミステリとしての「謎」と、小説としての「ストーリー」が別個にあって、それぞれの最適な組み合わせを考えていくイメージですかね。
ミステリには「型」があるんですよ。「フーダニット(Who done it)」ですとか、暗号もの、密室もの、アリバイもの、誘拐ものなどです。
もちろん一つの小説が完全に一つの型に収まるわけではなくて、暗号ものでありながらも誘拐ものであったり、フーダニットでありながらアリバイものであったり、いくつかの型の要素が混じっていることもあります。こうした型を踏まえて、じゃあ今回はどんな型なのかをイメージすることが小説を書く最初の手助けになることは多いです。
―― 言われてみると、確かにミステリにはいくつかの型があるような気がします。
米澤: 実は、今回の『本と鍵の季節』は当時担当編集だった方に「色々なミステリの型を書いてください」と言われて始めたんです。
江戸川乱歩は『類別トリック集成』という本で、過去に書かれたミステリをタイプごとに分類しています。これはあくまでミステリの辞書的なものなのですが、同じことを小説の形でやってみませんかと言われました。それが今回の作品の元になっています。
―― 型というと無機質な印象を受けますが、本を読んでみると登場人物が生き生きとしていてそれを感じさせません。
米澤: 書いているうちに松倉と堀川が面白いから、彼らの先が見たいと編集部の方に言っていただいたので、彼ら二人の物語ということでシリーズにしつつ、当初の案であるいろいろなタイプのミステリも書くというように両立させて書いたつもりです。
第一話の「913」は暗号もので、第二話の「ロックオンロッカー」は「九マイルは遠すぎる」というハリイ・ケメルマンの小説の型になります。第三話はアリバイもの、という感じですね。
―― ミステリの「型」についてお聞きしたいのですが、新しい型はもう生まれないのでしょうか?
米澤: 型については考え尽くされているということがもうずいぶん前から言われていますし、実際新しい型を作るのはすごく難しいことは確かです。ただ、もう絶対新しいものは生まれないかというと、そんなことはないと思っています。
―― 型とは違いますが、テクノロジーの進歩によって新しい種類のお話が生まれるということはありえそうです。たとえばIoT製品が本格的に普及し始めたなら、自動車の制御システムを外部からハッキングして意図的に事故を起こすとか…。
米澤: 米澤:そういうのはあるかもしれませんね。ただ、最先端の技術なり製品は古びるのも早いので、あんまりすぐに採り入れるのは躊躇してしまうところはあります。今回の本でも「スマホ」というワードは使っていないんです。もしかしたら2年後には新しい製品が誕生していてもう誰もスマホという言葉を使っていないかもしれないので。
それと、最新技術を取り入れてミステリを書いた時、それを読者が理解できるかという問題もありますよね。古いものなので今も有効かわかりませんが、ミステリの約束事に「ノックスの十戒」というのがありまして、その一つに「未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない」とあります。
たとえば殺人事件などでも、未知の毒や未知のテクノロジーを使ったから可能だったのだ、としてしまうと読者がしらけてしまうというわけです。また、読者が自力で謎を解く可能性もありません。
「ノックスの十戒」を「最新技術を使ったミステリ」の話に当てはめることの是非は置いておいて、最新技術を使ってミステリ小説を書くとなると「読者が自力で謎を解くことができる」というミステリ小説としてのフェアネスを確保するのは大変だと思います。
―― 読者がついてこられなかったら意味がないですからね。
米澤: ただ、不可能ということではないです。たとえば「シャーロック・ホームズ」シリーズでは「同じ指紋を持つ人間はいない」という、当時解明されはじめていた事実が取りいれられていたりしますし。
―― 米澤さんご自身は新しいミステリの可能性について考えることはありますか?
米澤: 新しい面白さはどうやったら生み出せるのかというのは常に考えています。ただ、テクノロジーについていくという意味ではあまり考えてないですね。
理想の小説は「知」と「情」が和解するもの
―― 米澤さんはかなり早いうちから小説家を志していたとお聞きしました。
米澤: 小説家というより、漠然と「お話をつくる人」になりたかったんです。「こういうものを書きたい」というのもなくて、どんなものでも書きたいと思っていました。
―― ミステリを書いていこうと思ったのはいつ頃ですか?
米澤: 大学一年か二年の時だったと思います。どんなものでも書きたいと思っていたんですけど、それだと結局何も書けないだろうなという気持ちがありました。じゃあどんなものが向いているんだろうと考えた時に、自分の文章は「情」よりも「理」が先行しているので、ミステリが合っているんじゃないかと思ったんです。
それと、当時北村薫さんの『六の宮の姫君』という、芥川龍之介と菊池寛の関係を書いた小説に触れたことも大きかったです。この作品は二人の友情を書きつつも、なおかつミステリにもなっていて、文芸のアプローチとしてすごく豊かでした。「ミステリってこういうこともできるんだ。ミステリだからといって書けないことは何もないんだ」と思えたのもミステリを選んだきっかけだったと思います。
―― 米澤さんにとっての「理想の小説」を教えていただきたいです。
米澤: ミステリは「理」や「知」のものですが、小説は「情」のものでもあります。畢生のミステリができるとするなら、それは「知」と「情」が和解するようなものだろうなと思います。いつかそんな小説が書けたらいいですね。
―― 米澤さんが人生で影響を受けた本を三冊ほどご紹介いただければと思います。
米澤: さっきお話に出た『六の宮の姫君』がまず一冊目で、あとはマックス・ヴェーバーの『職業としての学問』と、ハーバート・ジョージ・ウェルズの『宇宙戦争』にします。
『宇宙戦争』は小学生の時に読んだ本です。イギリスのブリテン島からフランスに脱出しようとしていた避難民たちがドーバー海峡で足止めをくらって、その時に火星人に襲われるんですけど、そこにイギリス海軍の砲艦が来て応戦して、陸軍が手も足も出なかった火星人たちを相手に奮戦します。その過程でもうもうと水蒸気があがって、それが晴れたときには火星人も砲艦も居なくなっていた。これが幼心に悲しくて「沈んだという記述はないから浮いているだろう」と、砲艦のその後をよく妄想していたのを覚えています。今思うとそれがお話づくりの最初期だった気がします。
―― 『職業としての学問』についてはいかがですか?
米澤: この本は「専念」や「専門家であること」、それから「世界観というものを求めてはいけない」ということが書かれています。
私たちはつい「世の中とはこういうものだ」というように大雑把に物事を捉えがちですが、どんなことであってもひと言で表現できるようなものではなくて、個々人の様々な仕事や取り組みで成り立っている。大雑把な世界観で語られうるものではないんです。
たとえば学問であれば、「パウロの書簡について新しい解釈が発見された」とか「いやその解釈はおかしい」という小さな研究や追及の積み重ねこそが学問なわけで、「神学とはつまりこういう学問だ」とひとくくりにするのは学問ではないということですね。
―― 最後に米澤さんの小説の読者の方にメッセージをいただければと思います。
米澤: この本を書くにあたって力は尽くしたと思います。楽しんでいただけたらうれしいです。
取材後記
米澤さんの経験してきた膨大な量の読書がうかがえるような取材だった。
ミステリついて、小説執筆について。一つ一つ丁寧に語っていただき、感謝しかない。
『本と鍵の季節』の堀川と松倉をもう一度読みたいと思い、取材時に「シリーズ化」を提案してみたが、いつか実現するだろうか。個人的にはしてほしいと思っている。
(インタビュー・記事/山田洋介)